第11話 嬉しくなさそうな声
ムーテの案内でオレは木の実のある場所へと向かっていく。山の様子を見るに、人間たちが赤い川を――魔族の象徴である赤を避けるという話は本当らしい。
「果物たくさん採ってきて、二人を驚かせちゃおっか?」
「いや、必要な分だけでいいだろ」
「……ふふっ。そうだね」
――なんで今、笑ったんだ?
リアがいるとはいえ、女の子と二人きりでどう話していいか分からない。
レイだったらきっと、上手くやるのだろう。オレと違ってあいつは誰とでも、チリリンとでもすぐに仲良くなれる。
それでも、オレが一人にならないよう、いつも隣にいてくれる――のだが。どうして今日は見捨てられたのだろう。いやまあ、別に、ずっと一緒にいる必要もないし、見捨てられたわけじゃないが。
「それで、木の実はどこにあるんだ?」
「茂みの奥にあるの。少し歩くから疲れたら言ってね」
「大丈夫だ」
それにしても、歩く姿勢が、綺麗だ。一歩一歩、踏みしめる足音すら、星が跳ねるように輝いて見える。
少し歩くと宣言した通り、茂みをかき分けて、かき分けて――レイならとっくに迷子だろうと思い始めた頃。
「ごめんね、あともう少しだから。――あの辺りかな」
とてもじゃないが、茂みで近くの木すら見えず、こんなところに木の実があるようには見えない。ムーテはこの山をよく知っているんだなあと感心する。
「分かった。ここから先はオレが取ってくる」
「大丈夫?」
「ああ。オレのおやつだからな」
そう言って、歩みを進めようとすると――、
「ラーラー」
「どうした、リア?」
リアは、ムーテが指差したのとは別の茂みを見つめていた。かき分けて向かうと、木の上に小さなネコがいた。立ち上がってじっと地面を見つめている。
「あれ、ネコちゃんだ。降りられなくなっちゃったの?」
「みーみー……」
ムーテの呼びかけにも、みーとだけ鳴いて、降りてくる気配はない。
「リア、あの子を咥えて降りられるか」
「ウー」
考えてみると、リアが木に登っているところは見たことがない。
「もしかして、木登りができないのか?」
「ラ、ラウー」
「野生を完全に捨ててしまわれたか……」
となると、ムーテに登らせるわけにもいかないし、オレが行くしかない。
深く被り直した
「リアを見ててくれ」
「あ、うん……気をつけて」
一番低い、目の高さにある枝に両足飛びで乗り、勢いそのままに幹を蹴り上がる。高い枝に掴まり、二度、はずみをつけてぐるっと回転し、手を、離す。
仰向けになって飛んだ先の枝に足の裏を乗せ、たわむ枝が戻る勢いを活かしてさらに上へ。幹を走って勢いを殺し、最高到達点でネコのいる枝にそっと着地する。
ムーテに目を見られないよう、音を頼りにネコで顔が隠れるほど近くまで移動し、
よし、大丈夫そうだ。
「おいで」
小さなネコは、オレの手を見つめるばかりで、動かない。
「ネコちゃん、大丈夫だよ」
が、ムーテの一声で、オレの手にすり寄ってきた。小ネコを撫でて抱き上げ、片手で
「あんまり高いところに登らないようにな」
地面に降ろそうとするが、離れたがらないので、仕方なく抱き上げておく。あんなに警戒していたのに、やはり、ムーテはすごい。
「ネコちゃん、お母さんは?」
確かに。普通なら親が近くにいるはずだ。人の気配を察知して、と考えかけたが、ムーテ相手に、それはないだろう。
「みー?」
「いないのかな。ネコちゃんのお母さーん」
ムーテが呼びかけると――どこに潜んでいたのか。茂みや木からネコたちが、わさっと飛び出してくる。
「この子のお母さん、どこかな?」
ネコたちの会議が始まる。にゃーにゃー、らうらう、みゃーみゃーみゃー……思わず、片耳を塞ぐ。もう片耳はネコを抱えているため、犠牲となった。
「いないみたいだねー」
「みー……」
何匹かのネコ――否、ネコに限らず数多の動物たちが、山の中へと離散していく。
「オレたちも探しに行こう」
「でも、何か食べてからの方がいいよ。すぐそこだし――」
「先にママに会わせてやらないと可哀想だろ」
ぐーとお腹は鳴るが、別に我慢できるし、まだ力も残っている。
歩き出そうとした瞬間、目の前に見覚えのあるバイオリンの弓が突き出されて、通せんぼされる。
「森中の動物をここに集めればいいよ。わたしたちが動くより確実だから」
また、あのバイオリンが聞ける――。
その興奮で胸が高鳴り、世界がきらめく。聞かなければ、人生における大きな損失だと直感が囁やき、全神経を耳に集中させる。
聞き入る内に世界に引き込まれていき、その温かく、もの寂しい音色に、レイのことが思い出される。
――魔族と人間の違いは何か。
オレがレイを持ち上げられるように、魔族は力が強い。それだけでなく、身体能力が人間より全体的に高い。脳の発達も早く、幼少の頃は特に差が顕著だという。
ルジから聞いた話では、「魔族は人間の三倍の能力を持つ」らしい。
そしてそれは、能力に限ったことではない。
――時間の感じ方や寿命も、三倍程度異なる。
一緒に本を読むときは、オレが三回読み返して頁をめくるくらいでちょうどいい。それはオレが特別速いわけではなく、魔族だから。
……どうして。レイは百年と生きられないのだろう。双子なのに、なぜレイは人間で、オレだけが魔族なのだろう。
ああ、また泣きそうだ――。
「みー!」
そのとき、小ネコがぴょんとオレの腕から飛び降りて駆けていく。どうやら、母ネコが見つかったらしい。
「見つかってよかった。みんな、ありがとー」
バイオリンを空間収納にしまったムーテは、寄ってくる動物を片端から撫でていた。その周りがやはり、妙にキラキラと輝いて見えて、いつしか、オレの涙は止まっていた。
「ムーテは、すごいな」
「ありがとー」
オレが探し回っていたらもっと時間がかかっていたに違いない。
が、言葉の割に、あまり、嬉しそうな声ではなかった。
ネコも見つけたことだしと、腹ペコなオレが茂みに向かって歩き出すと、ムーテはその後ろをついてきた。
「ムーテはどうして、バイオリンを作ろうと思ったんだ」
「んー、なんかね。空から声が降ってきたの。バイオリンという楽器を作りなさいって」
「それって……天啓ってやつか?」
空高くにある天界には主神マナが住んでいて、独自の文明を持っているらしい。
その知識の一部を一人の人間、あるいは魔族に分け与えることがあるとか。
「多分。だから、作ったのはわたしだけど、別に、わたしはすごくな――」
「すごいな!天啓なんて、滅多に与えられないぞ。ムーテにはきっと、主神も認めるくらいのバイオリンの才能があるんだろうな」
目を見られるわけにはいかないため、口元しか見えないが、嬉しそうにえくぼを作っていた。
が、不意にその笑みが凍りついたように見えて、確認しようと無意識に
「どうした?」
ついには、歩みが止まる。
黄色い瞳の音符がくるくる回るのを見て、はっとして、オレは
幸い、ムーテの瞳はこちらを捉えてはおらず、気づかれずに済んだようだ。
ムーテの瞳が黄色いことは先ほど、本を貸したときから知っていた。
ただ――あのときは、レイの視界を借りたと言うか、なんと表現すべきか。
オレたちの間では、直接的な意思疎通がなくても、感覚が共有できることが多いのだ。
「ううん、なんでもない。木の実はもっと奥の方にあるよ」
「そうか」
再び歩き出せば、ムーテはオレの後ろをなぞるようにしてついてくる。それにしても、茂みで先も足元も見えない。
「ラウラー?」
「あ、リア、待――」
不意に走り出すリアを追いかけようとすると、ムーテに腕を掴まれ、引き止められる。
「ムーテ?」
その白い腕に、アザが浮かんでいるのが見え、袖をまくって確認しようとすると――さっと袖を下げられて、見えなくなる。
「ラウ!」
「みーみー」
「みゃーう……」
リアが呼ぶ方へムーテを引っ張っていけば、やっと、モモのなる木が見つかる。
いやはや、ムーテはこんなところまで、一人で取りに来ようとしてくれていたのか――。
その木の下では、さっき助けた小ネコがみーみー鳴いていた。リアはこれを教えてくれたのだろう。
母ネコがモモを取りに行こうとすると、降りられないのに小ネコもついていこうとして、動けない様子だ。
「取ってくるから待ってろ」
そう言ってまた木に登る。茂みの高さを超えて、その向こうが見えるようになると、
「うわあ……!」
その向こうの景色が一望できた。すぐそこが崖になっており、遠くまで見通せる。
ぱぱっと適当な数のモモを外した
「ムーテ、ちょっと来てくれ!」
「ん……ふわっ!?」
すぐさま
「見てくれ、ほら。すごくいい景色だろ?」
その口元が少しだけ、笑った気がした。
「――綺麗だね」
風が吹いて服の裾がなびけば、砂金のような星が森にばらまかれていく。
なんて、綺麗な音を持っているのだろう。
「だろ?東ヘントセレナはあれか――。全体的に、砂っぽい色だな」
こうして見ると、あとは山を下りるばかりらしい。
「とーりす」
「ん?」
「ごめんね」
声だけでは感情が読み取れず、どんな顔をしているか確認したかったが、できなかった。
「もしかして、高いところが苦手とかか?それか、この山には詳しいようだし、この景色のことも知ってた、とか」
やっぱり、女の子と何を話せばいいかなんて、よく分からない。レイがここにいてくれたらいいのに。
「ううん、そんなことないよ。……ありがと」
また、あまり嬉しくなさそうな声がして、もやもやはなかなか晴れなかった。
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