第12話 ひそひそ話
トーリが去ってしばらく後。俺とレイはその反対側に歩いていた。川が見えてきた辺りで、立ち止まる。
「どうした、レイ。何か言いたいことがあって残ったんだろ?」
川のせせらぎで音がかき消える中尋ねると、レイは黒い瞳を真っ直ぐに見据えて、大きく頷いた。
「ムーテの母親がいなくなったって言ってたの。あれ、嘘だよ」
レイは、よく見ている。それはトーリにつきまとう過程で生み出された個性だろう。決してつきまとうことを肯定しているわけではない。
「奇遇だな。俺もそう思ってたところだ」
俺には、演奏でその人の心情が分かるのだが、ムーテから感じた感情は、不安でも心配でもなく――怒りだった。
「僕が思うに何か、別のものを探してるんじゃないかな」
「間違いないだろうね。……もしかして、最初から気づいてた?」
いつからレイは、ムーテが何かを探していることに気づいていたのだろう。
「にひっ」
俺の問いかけに答える代わりに、いたずらっ子の笑顔を向けてくる。図星なのだろう。
「なんで隠したんだ?」
「ムーテは強いから。こっちの手の内は見せない方がいいと思って」
「大正解だ。えらいね」
ムーテが味方であるなら問題はない。だが、もし敵であるなら――。
俺が知っているのはラスピスであってムーテではないし、魔法が使える者を信用してはならない。
「でしょ?えっへん」
レイが胸を張って目を瞑り、撫でられ待ちをしている。
「ラウラウ」
「なでなで」
「あれー、ルジの手、なんかふにふにするなー……」
リアがレイの頭に飛び乗って、俺が撫でる代わりにふみふみしていた。
そんなリアを片手で下ろしながら、レイの目が俺をじっと見る。
「何かついてる?」
「無駄に整った顔がついてる」
「顔は、ついてないとまずいんじゃないかな」
リアがとててと俺の足元にくる。試すような眼差しだったレイが、少しだけ笑い、直後、すっと表情を落とす。
「トーリ、毎日泣いてるね」
「さすがに分かるか」
「……どうして泣いてるの?」
その理由まではきっと、たどり着けない。
――魔法医学により、人間の寿命は百年にまで延びると言われている。
レイは、自分の寿命はまだ、百年近くもあると捉えるだろう。
だが、魔族であるトーリは別だ。魔族は人間の一時間でその三倍のこと――つまり、三時間分のことができる。
とはいえ、時間が過ぎるのを遅く感じるわけではない。
これは俺自身が感じていることだが、歳を取ればとるほど、時が過ぎるのを早く感じるようになる。
精神年齢の高い魔族は――これに関しては比べようがないが――恐らくは、時が流れる早ささえも、三倍だ。
つまりは、魔族の三日と人間の一日が同じ――魔族の三百年と人間の百年の感じ方が同じであるということ。
トーリにとっての百年は、レイにとっての三十年余りにしかならない。
「言えない。トーリとの約束だから」
「そっか」
おもむろに、レイはムーテから預かったままの試作品バイオリンを下手な構えで、ぎぃぃぃじじしきぃぃゃぁぁぁと鳴らす。
「ほんっとにひどい音だな……」
話をそらすにしても、別のやり方があっただろう。
「ね。試作品って、いくらなんでも酷すぎるでしょ」
「いや、レイがへ……んん。ムーテは悪くないと思うよ。貸してみて」
下手くそ、と言いかけてしまった。危ない危ない。レイの膨れ面は黙殺して。
小さいので構えづらいが、弾けなくはない。
「下手くそというより、弾く場所が違うんだよ。この橋、弦の下に入ってる板より少し向こうをちゃんと弾けば――」
それなりの音が出る。
「ほらね」
じっと、レイが俺の顔を半目で見つめていた。
「ルジさあ。バイオリンのこと、最初から知ってたでしょ」
何でそう判断したのだろう。しかし、上手く弾けたのは、偶然だ。本当に触ったことはない。
構えだって見様見真似だが、音が鳴る仕組みを知ってさえいれば、橋より手前は弾いてはならないというのは分かる。ということは。
「今まで見たことがないって言っただろ。触るのも初めてだよ」
「じゃあなんでそんなに上手く弾けるのっ」
「そりゃあ、俺が天才だからだ。悔しかったら、ムーテに習うといい」
ドヤ顔で見下ろせば、悔しそうな顔で睨み上げてくる。おお、怖い怖い。
「フーッ!」
「おっと、こっちにも怖いのがいたな」
リアがしゃーしていたので、バイオリンをレイに戻し、抱き上げてなでなでもふもふ、ご機嫌を取りまくった。
***
レイとの密談を終えて拠点に帰り、しばらくするとトーリとムーテが戻ってきた。その手にはモモが二つずつ、計四つ握られていた。
一人一つらしく、トーリとムーテにお礼を言って俺たちも食べることに。火を囲んでのおやつとなる。
「あ、ごめんムーテ。バイオリン、ちょっとだけ弾かせてもらった」
「うん。るじなら、いーよ」
「それ、僕はダメってこと?」
「おにーさんに貸したものだから、あまり他の人には貸さないでねって意味だよ」
好戦的なレイに対して、ムーテはにこにこしているだけ。レイがそれに言い返すことはなく、桃にむしゃりとかぶりつく。
「オレも借りていいか?」
「だーめ」
「なんでだっ」
トーリとしては、いち早く弾きたいだろうが、俺でもダメと言うだろう。
「とーりすはバイオリンを作るんだよね。他のバイオリンの癖に慣れないように、作ったもの以外は触らないほうがいいと思う」
「そっかぁ……」
リアがトーリの膝に乗り、くわっと欠伸をする。その背をトーリが撫でる。なんだか、平和だなあとぼんやりしてしまう。それも今日まで。
さてと。おやつも済んだことだし、そろそろ、晩御飯の調達に行くか。
「リア、お留守番を頼んだよ」
「ラーウ」
立ち上がってぐいっと伸びをする。俺を殺せるような相手と戦うわけでもないし、気楽なものだ。
「晩ごはん捕まえてくるの?」
「晩ごはんが逃げてるのか?」
「晩ごはんは逃げないよーっ」
けらけらと笑い出す二人を、ムーテがきょとんとした顔で見ていた。
馴染もうとはしてくれているが、レイがあれだけ警戒していると、輪に入るのは大変かもしれない。トーリは人見知り全開だし。二人そろうと完全にお子様のノリだし……。
「ムーテはどうする。ついてくるか?」
「んー……うん。ついてく」
その返事を受けて、ムーテを伴って、二人で食材の調達に向かうことに。
ムーテの力を使えば動物は食べ放題だが、いささか気が引ける。そのためムーテがいる間は、モンスターを狩っていこうと思う。
だが、しばらく歩き続けても、なかなか見つからない。日が落ちきったら、森の中では何も見えなくなってしまう。
「モンスター、見つからないなあって思ってる?」
「ん、ムーテが何かしたのか?」
「ううん。ただ、いくら魔法が使えたとしても、生き物たちがあんなにいたら、モンスターも寄ってこないよ」
言われてみれば、その通りだ。チリリンを始めとして、モンスターは基本的に、型となった生き物よりも強い。
とはいえ、圧倒的な数には勝てない。ミツバチはスズメバチに群がり、その表面をもぞもぞと動いて摩擦熱で殺す。
「――モンスターを食べると、自分もモンスターになれるから。動物たちは常に狙ってるの」
そう。モンスターは、動物に食べられることによって、その数を増やしてきた魔物だ。とはいえ、モンスターに寿命という概念はなく、自ら進んで食べられるようなことはしない。
基本的には、魔力をご飯とするため、人や動物など、魔力を持つあらゆる生き物に対して好戦的な性質を持つ。
それでも、あまりに動物が多ければ自らの命が脅かされるため、寄りつかない。
「てっきり、ムーテは自分でモンスターを倒して食べてるものだと思ってたが、見つけること自体が難しいみたいだな」
凶暴なモンスターを食用にすることはまずないが、動物を食べないのなら、あの骨はモンスターとしか考えられないと思ったのだが。
「ふふっ。わたしがモンスターを倒せそうに見えたの?」
華奢な体にそんな力があるとは到底、思えない。けれど、それはただの推測であり、モンスターの骨が転がっていたという事実は変わらない。
「――見える」
魔法が使えるやつを、俺は信用しない。
「くすくす。さて、問題です。わたしはどうして、お腹いっぱいでいられたでしょうか?」
おもむろに、ムーテが空間収納からバイオリンを取り出して構える。そのマンチニールの瞳には、俺の青い右目だけが映っていた。
「何をしようとしてる――」
「ただの演奏会だよ。やっぱり、晩ごはんはお肉じゃなきゃ」
淡い紫のバイオリンが、ギィッ、ギッ、ギイイ!と、がなる。鼓動より速く、小刻みに弓を動かし、不安と激闘を煽り立てる。
超高音と低い半音を行ったり来たりする不安定な旋律が、森を、ざわめかせる。ドッドッドッと、足音が近づいてくる。
いつの間にか、動物たちの気配は消え、音楽と地鳴りのような足音だけが響いていた。
「……嫌な予感がするなあ」
「るじは、ものすごく強いんだよね。とーりすから聞いたの。だから……今夜はごちそうをおねだりしてもいい?」
既視感。まるで、チリリンが仲間をいっぱい連れてきたかのような光景だ。
「嘘だな。トーリは俺の強さを知らない。ラスピスに聞いたんだろ」
「ふふっ。せーかい」
つまり、俺と出会ったときから、こうするつもりだったということだ。
音楽の雰囲気にも釣られて、こんなの、ワクワクしてしまうじゃないか――。
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