第10話 交換条件
ラスピス――ムーテの母親との出会いはまあ、色々と込み入った事情があるので、置いておくとして。
ムーテを信頼したわけではないが、ちょうど、ラスピスに用事もある。バイオリン製作と称して行動をともにするのは、いいかもしれない。
「よし、決めた。トーリ。やりたいようにやっていいよ」
「よっしゃぁっ!」
かつて聞いたことのない喜びの声を上げたトーリが、ムーテの片手を両手で包むと、ムーテの瞳の音符が年相応の可愛らしい驚きでくるんと回る。
「ムーテ先生。末永く、よろしくお願いし――」
「先生って呼ぶのは禁止。敬語もばってん。厶ーテって呼んで」
顔でバッサリと、切り捨てられて、手もぽーいと離されていた。かちんと固まるトーリに、ムーテが手を差し出す。
「よろしくね、とーりす」
「よろしくな、ム――」
改めて、握手しようとする二人の横で、レイが試作品のバイオリンを構えて、弓を引く。
――ギィィジジジキィィー!!
全員揃って、耳をふさぐ。動きが揃うということは、みんな思ったことは同じということだ。
「難しいんだね、バイオリンって」
「……れいのんには、弾き方を教わってほしいかも。嫌じゃなければ」
「うーん。考えておくね」
おや。レイが乗り気じゃなさそうだ。衣食住――あるいは獣に対しても、なんでも丸、な事が多いレイがこういう反応をするのは珍しい。
トーリと仲良くしていることに嫉妬して――で片付けるには、なんだか、しっくりこない。
「一応確認だけど、ムーテは東ヘントセレナに住んでるってことでいいよな」
「そうだよ」
「じゃあひとまず、ラスピスの家に向かって、それから――」
「ううん。それは無意味」
はて。笑顔の裏に隠された真意がいまいち、読み取れない。無理でもダメでもなく、無意味、とは。
「さて、問題です。わたしはどうしてここにいるでしょうか?」
確かに。その謎は、まだ解けていない。つまりは、年端もいかぬ少女がなぜ、他の人間が寄り付かないラスピス山でバイオリンを弾いていたのか、ということ。
パッと思いつくのは――、
「家出?」
と、レイが尋ねる。いまいち真意が掴めない黒瞳を凝視すると、どうやらそこに、問いかけの意はないように思う。つまり、
「はずれ」
と、ムーテが答えることが、最初から分かっていたようだ。
俺には、音楽をエサに何かを釣ろうとしているようにも見えたが――。
「何かを、探してる、とか?動物たちを集めて聞き込みをしてるんじゃないか」
トーリの推測に表情を変える代わりに、瞳の真ん中のりんごがくるんと回る。なるほど、その可能性があったか。
「何かって?」
「うーん。……ママとか?」
「トーリのママ呼び可愛すぎゅぅ〜……!」
なんかヤベーやつがいるが、放置。トーリももはや、ひぇとすら言わない。
「――せーかい。どうしてそう思ったの?」
笑顔の裏で、瞳の毒が見え隠れする。
「なんとなく……。強いて言うなら、オレたちも、ママとパパを探してるからだ」
ムーテの視線が俺を見る。
「俺は父親じゃないよ。どこからどう見たって、こんなに大きい子どもがいるようには見えないだろ?」
人間であれば、の話だが。
「じゃあ……おにーさん、とか?」
「ううん。二人の親と知り合いってだけで、血の繋がりはない。強いて言うなら、おにーさんは、レイだな」
ふふんと、のけぞるレイを見て、ムーテの瞳のりんごがわずかに傾く。
「ありゃ。女の子だと思ってた」
「あー。まあ、女の子だからね」
もっと幼い頃は、「活発な女の子」くらいに思っていたが、本人が自分は男だと言い張るので、今ではすっかり男の子扱いだ。
この先、そうもいかないことも増えてくるだろうが、それはそのとき考えればいいと思っている。
「僕とトーリは運命で結ばれた双子なんだから、性別も同じに決まってるさ!ね、トーリ」
「オレはどっちでもいい」
まあ、本人の好きにすればいいと思うし、あえて止めることはしない。やりたいことは、できる限り、やらせてやりたいと思っているから。
……そのわりには、変態を拗らせてトーリをひえっとさせることが多い気がするが。
「とーりすは、男の子?」
「ああ、そうだが」
「そうなんだ」
ルジは、とは聞かれなかった。まあ俺は声も見た目も明らかに男だから、聞かれる余地はないだろう。
「お話、戻すね。わたしはお母さんを探してるの。だから、お母さんを探すのに協力してくれたら、教える。それが条件」
「分かった。ムーテのママを見つけたらバイオリンを作れるんだな。協力する」
「めんどくさっ!」
レイに同感だ。ラスピスに用があるのに、まさか本人が行方不明とは。
やっぱり、厄介ごとを抱えてたじゃないかとリアを見るが、素知らぬといった様子で顔をくしくし洗っていた。可愛いから許す。
「見つけたら……ううん。協力してくれたら、でいいの」
「いや、見つけたら、だ。見つけられなかったら何もしなかったのと変わらないだろ。まずはママとはぐれたときの状況を聞かせてくれ」
トーリの言い方だと、まるでムーテが迷子みたいだが、そう単純な話でもなさそうだ。
だって、こんなにたくさんの動物たちが――鳥やモグラも含めて、揃いも揃って知らないのだから。
***
「つまり、話をまとめると。ムーテの母親がいなくなったのはひと月くらい前のことで、そこから国の動物たちに聞き込みをしたけど誰も知らないって言うから、山に来たと」
「うん」
ということは。
「さては――お腹が空いているね?」
ムーテがきょとんとした顔で俺を見ると、別の方向から、ぐーと、腹の虫の鳴き声がする。
「……オレが空いてる」
腹ぺこはトーリの方だったか。くすくすと、ムーテが笑う。てっきり、このひと月の間、ろくなものを食べていないと思ったのだが――まあ、いいか。
「今日はここで野宿にしようか」
「まだ明るいよ?」
と、レイが葉の隙間から覗く、東の空を指さして言う。
「向こうの空はね。反対側はもう赤くなり始めているはずだ。この時期は夜になるのが早いから、今日の旅は終わり」
「ムーテは、家まで送った方がいいんじゃないか?」
野宿に慣れていなさそうだと心配したのだろう。だが、恐らく。
「大丈夫。わたしも、ここで野宿してるから」
服装は綺麗だが、よくよく見れば、野営の跡が残っている。
「お腹も、今は空いてないよ」
「動物たちが木の実とか持ってきてくれるの?」
レイが尋ねる。そう思えば、ここで一人暮らして来られたのも、納得がいく。が――よくよく見ると、火の跡の周りに動物の骨が散らばっていることに気がつく。
「木の実はおやつにしかならないかな」
それだけ言って、答えはくれそうになかった。
「とはいえ、ちょっと晩御飯には早いな――」
「ガマンデキル。ダイジョーブ。オレ、ツヨイ」
可哀想だ……。
「わたし、木の実のなってるところ知ってるよ。取ってくるね――」
言い終えるのを待たずして、ざざっと、ムーテの目の前に動物たちから木の実が差し出される。
中には齧りかけのものや、くるみ、人体には毒のあるキノコなどもあった。
瞳のりんごが縦に細く伸びる。それから、くすくすと笑って。
「ありがとう。でも、自分の分は自分で食べて。できる限り、自分でなんとかしたいの。お願い」
とやんわり、返した。
――とてもじゃないが、ムーテが動物たちに木の実を取ってこさせるようには見えない。押し付けられることはあるかもしれないが。
ムーテの意思に反して、ぎろっと、動物たちの視線がトーリに向き、視線の先で打たれたように体をビクッとさせる。
動物一匹なら怖くなくても、これだけたくさんいると、なかなかの威圧だ。自分のご飯をムーテに取りに行かせるなと、そういうことなのだろう。
「お、オレもついていく」
ぴくっと、ムーテの頬が固くなる。瞳の中心にある黄色のりんごが、それが毒であることを主張するかのように輝く。
「大丈夫だよ。わたし一人で行ってくるね」
「いや、ついていく。オレのおやつだからな。……レイも一緒に」
「僕は山登りで疲れたから、ここで休んでるね」
「えっ。ル、ルジは……」
「レイを一人にはできないから。行ってらっしゃい。代わりに、リア。お願いできるかな?」
「ラー」
とてとてと、リアが近寄っていくと、俺たちを何度も振り返りながら、トーリは進んでいった。
慣れない女の子との二人旅(旅というほどの距離でもないと思うが)についてきてほしそうなトーリだったが、今はレイを優先することにした。
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