第9話 おすわり
ムーテを入れて子どもたち三人で遊んだり話したりしているのをその辺の岩に腰掛けて見守りつつ、毛並みの手入れをしながらリアに話しかける。
「リアはどうしたらいいと思う?」
「ラーウ」
「そう。半年は長いんだよな――」
バイオリンには興味がなさそうなレイ。その命が短いことを知っているから、トーリだけを優先するのは、気が引ける。
――けれど。このままでは、トーリの方が先だ。まあ、大差ないが。少なくともトーリはレイが先に死ぬと思っているし、レイも同じように考えている。
それでも、レイはトーリがやりたいことをやらせてあげたいと心から望むだろう。
先が短いというだけで、そのすべてでレイを優先するのも違うと思うが、そう思ってトーリがやりたいことの色々を我慢してきたのは、間違いない。あんなにも、毎日のように泣くくらいだ。
そんなトーリが、作りたい、と言うのだから、よほどバイオリンが気に入ったのだろう。だって、昨日まで毎日泣いていた目が、バイオリンというわくわくで、キラキラしている。
「あ、ムーテのバイオリンに触りたいときは、ムーテに許可を取るようにね」
「「はーい」」
「僕も弾いてみたいなー。触っちゃダメ?」
「んー、試作品の方ならいいよ」
そう言って、空中から蜜のように照り輝くバイオリンを取り出す。――俗に、空間収納と呼ばれる魔法だ。
出入り口の大きさは魔法が強いほど大きくなり、ここさえ通ればなんでも、どれだけでも入れられる袋のようなもの。
ただし、袋の中は時が止まった空間になっており、生モノを持ち運ぶのに便利。商人になる条件としては必須のものになっている。
蜜色のバイオリンの代わりに、それまで使っていたバイオリンをしまう。
「貸してもらったものは、大切に使うんだよ」
「はーい」
二人は半年も生きられないかもしれないのに。今ここで、半年かかる楽器を作らせてもいいのだろうか。
――仮に生きられたとしたらどうなるか。そう考えていくしかない。
作らせてやるところまではいいとして。問題はいつ、という部分。ムーテが空間収納を使えるならバイオリン作成という半年かかるらしい作業を、一気に済ませる必要もない。
空間収納内では時が止まっているため、酸化や劣化、風化といったあらゆるものから守ることができるから。
ただし俺には、東ヘントセレナでチリリンの飼い主――命の石の正式な持ち主に事情を説明すること、そして、水の魔国に行くこと、という二つの目的がある。どちらも、できる限り早い方が好ましい。
「ラアウ?ラウ、ラーウ」
「まあ、そうなんだが……」
「――ラーア」
ムーテは見たところ、東ヘントセレナの住民だ。となれば、バイオリン作成にあたっては、半年間を東で過ごすことになるだろう。
別に、水の魔国に立ち寄ってから戻ればいいのだが――どうにも、厄介ごとのにおいがする。
というのも、八歳を超えていて魔法が使えるとはいえこのご時世に、ラスピス山――川が赤いことから、赤を表すラスピスの名がつけられた――の山頂で、少女が一人、バイオリンを弾いている時点で、何かがおかしい。俺でなくても、普通はそう考える。
だって、あんなにも生き物を集める力を持つ音楽だ。まるで、エサを撒いているようじゃないか。――何かをおびき寄せるために。
「ぺちっ」
「いてて。……考えすぎかなあ」
まったく痛くはないリアからのほっぺたネコパンチで、疑念がわずかに吹き飛ぶ。
ただ、魔法が使えるということは――見た目を変えることもできるかもしれない。
かなり高度な魔法だ。
それでも、空間収納の出入り口の大きさからある程度の魔法は使用可能だと考えられる。それが見た目を変えられるほどかと聞かれると、断言はできないが。
とにかく、魔法ありきであれば、無数の可能性が考えられる。
「ラーゥー」
リアの言う通り、ムーテが俺の警戒に気がつき、あえて手の内を見せることで警戒を解こうとした可能性もある。だが。
――魔法が使える相手を、信用してはならない。
少なくとも、俺は信用しない。
「るじはネコさんとお話できるの?」
「いや。オレたちの知る限り、リアだけだな」
「ムーテは話せたりするの?すごく動物に囲まれてるけど」
――しまった。その可能性があった。リアが言うことは俺以外に聞こえないと思って相談していたが、ムーテに筒抜けの可能性もあるのだ。
空間収納にバイオリンをしまってもなお、ムーテは動物に取り囲まれており、小動物たちが肩や頭、膝の上などいたるところに鎮座していた。そんなムーテが頭の上に乗っているチンチラを撫でる。
「んー、どうだろ。わたしが何を言ってるのかは分かるみたいだけど」
「どういうことだ?」
「たとえば――『おすわり』」
遊んでいた動物たち全員が一斉に、その場に座り込む。
鳴き声を潜め、ただ静かに、それを指示したムーテを向いて座っている。
「みんなありがとう。もう楽にしていいよ」
その声でまた動物たちは好き勝手に動き始める。
「すごい……。これって、みんなできるものなの?」
誰に言うでもなさそうなレイの問いかけに答える。
「何人か見たことはあるけど、かなり珍しいね。でも、山の向こうの東ヘントセレナに一人いる。名前は――」
「ラスピス」
まるで、心を読まれたかのように、少女は告げる。魔法を使ったかとも思ったが、それこそ高度すぎる魔法だ。となると、
改めて、少女を見る。
顎の高さに切りそろえられたたっぷりの桃髪に、丸い耳。
将来を期待させる目鼻立ちの整った顔に、桜色の薄い唇。
長いまつげの隙間から覗く淡黄色の瞳の中には、りんごのような模様――。
パチっと、耳の奥で欠片が組み合わさる音がした。
「なんだ、ラスピスの娘か」
にーっと、嬉しそうな笑みを浮かべる。可愛い。
「せーかい。あなたはルジ・ウーベルデン――だよね」
俺のことを最初から知っていたと考えれば、わざわざ手の内を明かしたのも理解できる。
ただ、ラスピスの髪は、赤の名がつけられるだけあって赤く、桃髪を見てもピンとこなかったのだ。
「ラスピスのところなら、二人を預けても大丈夫だな」
「ラーウー」
ほら、言ったでしょう?とリアが得意げな顔をしていたのが可愛かったので、その背を撫でた。
魔法が使える相手を信用してはならない。そこに一つだって例外はない。ただ、二人はまだ魔法が効かないというだけ。
魔法がなくとも、酷いことなんていくらでもできるし、魔法がないせいで困ることだってあるのだから。
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