第5話 弟の見る世界
俺と話すよりも、歳の近い二人で話した方が楽しいのだろう。ころころと興味の対象は移り変わり、俺は完全に意識の外に。
「チリチリ……」
「ん、どうした?」
「ラウ」
リアの翻訳を通せば、チリリンとも会話できる。
「ああ、さっき不完全燃焼だって言ったこと気にしてるのか?あれはあれで全身の凝りに効いたし、助かったよ。ありがとう」
「チ、チリ……?」
「ラウラ……」
リアが「この人、こういう人なの」と言っていたが、こういう人って、なんだろう……。
次第に二人が静かになっていき、チリリンも眠りについた頃。レイの健やかな寝息が、スースーと聞こえてくると、トーリの赤い瞳がパチリと開かれる。
「眠れない?」
トーリはこくんと頷く。
「おいで。レイはどうせ、朝まで起きないから」
半分以上の毛布をトーリに明け渡し寒そうに震えるレイに、トーリが毛布をかけなおし、火の側へとやってくる。が、わずかに距離が遠い。
「そんなにチリリンの移動が怖かったのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
そこでようやく、気がつく。トーリがチリリンを怖がる本当の理由に。
「何人、みえる」
「……十五人」
三角座りをするトーリの仄暗く光る赤い瞳が、炎を通して、眠るチリリンを見つめていた。
それは、命の石を手中に収めようとして、チリリンに返り討ちにあった人の数。
――弱いくせに手に余る力を求めるからそうなる。だが、優しいトーリは、見ず知らずの人の死であっても、悲しむのだろう。
「すまない、気づかなくて」
「いい。砂漠に入ってから見慣れた。それに、オレたちには、ルジがいてくれるだろ」
「お前、可愛いこと言うな」
「ひぇ。レイ、みたいなこと、言っ……ぅっ」
ただの何気ない会話を、最後まで言い切ることができず、トーリの目から零れ落ちた涙が乾いた砂を濡らす。
その涙は、チリリンへの恐れや、亡くなった誰かを悼む気持ちから来るものじゃない。
「レイって名前を呼ぶだけで泣けてくるのかよ……。お前も大概だな」
「だってぇっ……」
兄弟で想い合うことを悪いとは言わないが、
「そんなに毎日泣いてたら、体が持たないよ」
「大丈夫だ。オレは、強いから」
折り曲げた膝の上にまぶたを乗せるトーリの頭に手を伸ばそうとして――
「ラーウ」
「あ、リア……」
とて、と、灰色のもふもふネコ――リアが飛び出してきた。リアはぶるぶるっと体を震わせ、トーリの頭にぴょいと飛び乗り、後頭部を前足でふみふみする。
「オレたちは、双子のはずだろ」
「そうだね。同じ日に生まれたのは確かだ」
白髪のトーリスと、黒髪のレイノン。瞳の色は赤と黒で、顔つきは母親似と父親似。見た目も性格も、身長体格以外はまるきり異なるけれど、確かに、同じ日に生まれた双子だ。
「なのに、なんでレイだけが先に死ななきゃならないんだ。レイは何も悪いことなんてしてないのに……」
心に渦巻く様々を、少しだけ息を吸って無理やり、押し戻す。
「何もしてやれなくて、ごめんな」
「――」
返事のないトーリは、眠ってしまったわけではないだろう。ただ、誰かが悪いわけではないと知っていながら、誰も許せずにいるだけだ。
リアの紫紺の瞳が、俺を見つめる。何を言いたいか、言葉がなくても分かるけれど、分からないふりをする。
「朝になったら、全部忘れて、一日一日を楽しむんだよ」
「ああ――」
所詮、俺の言葉では、誰も救うことなど、できない。
***
次の日。無事に砂漠を抜けたことを、鮮やかな緑色が報せる。
「山だー!」
「慣れてくると、チリリンとの旅も結構、楽しいな」
初日は怖がっていたトーリだが、二日も経てば慣れたもの。他では味わうことのできない浮遊感や、怖いことを理由に絶叫する快感に目覚めつつあるのだろう。
「とりあえず、チリリンを飼い主のところに返そう」
「チリチリ!」
チリリンの前なのでこう言ったが、返すのはできれば後にしたい。
「ルジは、チリリンの飼い主さんと知り合いさんなの?」
「うん、そうだよ」
「名前は?」
「さあ、どうだったかなあ」
「チリ……?」
あいまいな言い方をしたせいで、チリリンの尻尾が不安げにしなだれている。名前を出して違ったらややこしいので、何も言わないでおく。
「とりあえず、山の向こうに行こう。さ、ここからは歩くよ」
「チリリンには乗らないの?」
「山道で段差を越えるときにチリリンが跳んだりすると危ないし、そもそもチリリンが通るにはちょっと手狭だ。だからといって、迂回するとかえって時間がかかる」
「だよな……砂漠で生まれたにしては他の巨大サソリの姿を見かけないし、あそこまでどうやって来たんだろうとずっと思っていた」
そう、帰り道があるということは、来た道もあるということに他ならない。
「あーたしかに。魔法で小さくなれるとか?」
その可能性もなくはないが、どのみち、小さくなってしまえば全員で乗るのは難しい。
現実には、小さい頃からあそこにいたか、魔法で転移させられたか、あるいは――。
まあ、小さい頃からいたにしては、魔力の貧しい砂漠で十分な栄養もなかっただろうし、あの大きさの物質を転移させるにはかなりの魔力が必要となるため、前者二つは恐らく違う。となれば、三つ目。
「多分、地下を通ってきたんじゃないかな」
「チリチリ」
尻尾がぶんぶんと揺れる。どうやら、正解らしい。サソリは地下に巣穴を作ることもある生き物なので、掘ること自体はできるはずだ。
「それって、チリリンだけ地下から向かうってこと?じゃあじゃーあ、その穴を通って一緒に行くのは?」
「うーん、そうだね。鍾乳洞や洞窟と違って生き物が一時的に作った穴は壊れやすいんだ。最悪、生き埋めになるかもしれないし、多分、ものすごく暗いと思う」
「そっかあ……じゃあ、またね。チリリン」
「チリチリ……」
チリリンにレイが抱きつくと、チリリンは尻尾の毒も針もない側面で、レイを撫でる。二日一緒にいただけだが、よほど、楽しかったらしい。
寂しさを振り切って手を振るレイに尻尾を振り返すと、チリリンは砂の中へと潜っていった。
「けほっ、こほっ……」
「レイ!大丈夫かっ?」
「砂ぼこりに攻撃されたっ。目がっ、くしゅ、くしゅんっ」
砂が目に入ったらしいレイは、目を瞑っていて気づいてはいないだろう。瞬時に青ざめたトーリの顔が、少しずつ、元通りの呼吸を取り戻していく。
「トーリ、どうかした?」
「いや。オレも目に砂が入って――」
「えっ、どこどこ、採取しなきゃ。見てあげる」
「サイシュ。も、もう取れたから、大丈夫だ」
「ああ、貴重な砂が……」
そのうち、わざと目に砂を入れそうな勢いだな……。
「さ、俺たちは登ろうか。
「さすがの僕でも忘れないよ!?」
「あ、忘れてた」
「トーリィ……?」
意外と、忘れているくらいが一番安全なのかもしれないが、なかなかに難しいのだ。
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