第15話 旧き友

 チリリンに乗って東ヘントセレナに侵入――目立つのでリアは背嚢に入れ、俺は頭巾を被って顔を隠す。


 昔の城門付近はさら地だったが、今はすぐのところまで人里が築かれているようだ。


「おっきなサソリちゃん、侵入してまーす……」


「チリチリ」


「キャーッ!?!?」


 チリリンを見た大概の人間は、魔法が使えたとて到底、敵う相手ではないと瞬時に判断し、逃げる。夜更けに出歩いていたのは数人だったが、向かってくる者は一人もいなかった。


「やっぱり、レイの恐怖心は死んでるよな……。よし、早く用事を済ませようか」


「チリ!」


 チリリンとの再会も想定内。むしろ、飼い主を探す手間が省けたと思えばいい。


 ――国内の状態は平時と変わりなさそうだ。外壁にも傷がないのは確認済み。唯一の傷はチリリンが開けた穴のみ。


 東ヘントセレナの建物は大半が地下にあり、一年を通して気温差が大きく、魔鉱石に集めた魔力で室内温度の調整を行っている。


 特に大地も凍てつくほどの寒さとなる冬は、太陽の光を魔鉱石で熱に変換している。


「建物が地下にあると、チリリンにとっては通りやすいな」


「チチチチチチチ」


 走るのに夢中で聞いちゃいない。よほど飼い主に会えるのが嬉しいのだろう。


「――チリ?」


 やっと疾走を止めたその先には、地下建設が主流のこの地には珍しい、地上に広大な面積をほこる三階建ての建物がある。そして。


 ――その前に並ぶのは、緑のローブの軍団。


「まあ、そうなるよな。ちまちま攻撃してたって倒せないから、初撃から全戦力で迎え撃つしかないってことだ」


「チ、チリ……?」


 恐らくは、国の騎士団だろう。傭兵やお人好し集団の線もなくはないが、可能性としては低い。


 魔力濃度の高い魔法弾。それも、個々ではなく、全員の魔力を集めて練られた魔法弾が作られていく。


 ――否、完成していた。


 俺たちがたどり着くまでに魔法で情報共有していたのだろう。この連携の高さが日頃の鍛錬を思わせる。


「情報ってのは、いつの時代も大事だよな」


「人間、目的を言え。我々に敵対の意思はない。我々の敵は魔族だけだ」


「人間?――ああ、そう言えば、閉じたままだったな」


 チリリンから降りて、閉じていた左目を、開く。



 左には魔族の赤、右には人間の青を宿した両の目で、見据える。



「ひっ……!?ば、化け物!」


「俺はカッコいいと思うんだけどな。色彩異色症オッドアイって」


 背嚢をチリリンの尻尾に預け、ゆったりとした歩みで前進しようとする。


「それ以上近づいたら、撃つ!」


 両手を上げて立ち止まる。


 ――こんなに大きなサソリと、赤と青の目を持つ男が一緒に来たら、どこの国でもこういう反応になるだろう。想定内だ。


「友人に会いに来ただけなんだが」


「ここがどのような場所か分かっているのか。貴様のような化け物が、友人なはずがない!」


「傷つくなあ。……血のにおいはリアが嫌がるからできれば穏便に済ませたいんだけど。信じる気はある?」


 その場で小会議が開かれる。砕けた姿勢でいけば多少は警戒が和らぐだろうと思ってのこの態度だが、あまり意味はないかもしれない。


 結論が出たらしく、その中で一番強いと見える男が一歩前に出る。


「悪いが、それが事実だとしても面会は許可できない。生憎とまともに話せる精神状態ではないんだ」


「あ〜、歳には勝てなかったかあ。もう九十八歳だもんなあ」


「……誰の話をしている?」


 誰の話?いや、知らないわけがない。年齢程度も知らないような人間を、あいつは雇わない。


 もしかして――いや、まさか。


「誰って――。この国の首相だよ。ニーグ――ニーガステルタ……」


 顔を見合わせる緑の軍団に、予感だったものがいよいよ現実的になってきて、手のひらが汗ばむ。


 本当は、まさか、と考えるには過ぎたると知っていた。だって、九十八歳の、人間なのだから。


「ニーガステルタ様のことはもちろん存じ上げているが……」


「が……?」


 その先を聞きたくない。けれど、聞かなくていいことにはならない。


「ニーガステルタ様は――」


***


「わっはっはっ!死んだと思ったか!残念じゃったな!ギリ生きておるわい!」


 生きてた。寝台の上で不自由らしいが、その割には元気そうだ。


「突然、夜中に叩き起こされて、何事かと思ったわい。いやあ、寿命が縮んだ縮んだ」


「ごめんごめん。まさか三十年も前に勇退してるとは思わなかったよ」


 ニーグは俺と分かれた後で、首相の座を自らの意思で降りたと緑の強い人に聞いた。


「老い先短いジジイがいつまでものさばっておっても仕方ないからのう。やめても命は狙われるし、こうして隠れ住んでおるんじゃ」


「それから三十年も生きのさばってんじゃねえか」


「わっはっはっ!違いない」


 話が一区切りついたと見ると、チリリンは尻尾で俺を背中に乗せて、あの建物――首相官邸をぴょいと跳び越え、その先へ走り出した。どうやら、最初から分かっていたらしい。


 ちなみに、あの時点で本来の業務時間はとっくに終了していたが、昔のニーグは官邸に住んでいると錯覚するくらい働いていた。


 まあ、目的はどうあれ、巨大サソリを――いや、俺を野放しにはできなかったのだろう。放たれた魔法弾は追尾型だった上に、チリリンの全速力より速かったため、拳で破壊した。


「しっかし――歳を取らぬというのは、本当だったんじゃな」


 ニーグは、俺の顔を物珍しそうにまじまじと見て、へぇと息をつく。


「三十年越しに信じてもらえてよかったよ」


「そりゃあ、不老なんて聞いて、はいそうですか、って信じるやつがおるかい。それも、あんたみたいな顔のいいやつが、顔のいいままでいるなぞ許せん、老けろ!」


「はは、羨ましがってろ」


 出会ったときからニーグはまあまあおじいちゃんだったが、それからさらに三十年が経ち、大おじいちゃんになっていた。


「……で。あのサソリを手懐けてしまわれたか」


「うん。飼い主のところに連れてってやるって言ったら嬉しそうについてきたよ」


 よかった、ニーグが生きていて。本当は生存を確認してからチリリンを連れてくるつもりだったが、結果としては問題ない。


「そうかあ……。スカルピオンも、でかくなったのう」


「チリチリ!」


「全然、チリリンじゃなかった……」


 ニーグの家も辺境とは言え地上に建てられているため、目立つ。が、どうしても階段がつらいからと、大金を払って地上に建ててもらったそうだ。


 そのため、扉をくぐることのできないチリリンと、幸いにも、窓越しの再会が叶った。ただ、外に歩いて出ることは、できないらしい。


「ところで、世話は誰に見てもらってるんだ?一人じゃ暮らせないだろ」


「魔法があるじゃろ。なんとでもなるわい」


「あ、そっか」


 七年前までは魔法がなかったため、失念していた。


 くるりと部屋を見渡してみる。小物の数や靴、生活感などあらゆるものから、ニーグの暮らしぶりはなんとなく察せられる。


「結局、最期まで天涯孤独だったか」


「その言葉、そっくりそのまま返してやるわい」


「俺はいいよ。リアさえいれば。――お前には、独りは似合わない」


 俺がそう漏らすと、ニーグは細い目を見開いて、くっ、と喉から絞り出すように笑う。


「くくっ……かっかっかっ、わっはっはっは!似合わない、か。相変わらず、お優しくあられることじゃな。人智を超えた存在には到底見えぬ見えぬ」


「優しい、か。俺は、そうは思わないけどね」


「人からの褒め言葉は、素直に受け取っておくのが一番じゃよ」


「ラウラウ」


 同意するリアを抱き上げて、頭を撫でる。確かにひねくれてもいいことはないが、そう簡単に素直になれれば苦労はしない。


 だから、この世には俺から見る俺と、誰かから見る俺の二種類が存在しているとでも思っておけばいい。


「さてと。スカルピオンがここにおるってことは――命の石、持っておるんじゃろう。何が目的じゃ」


 楽しいお喋りをいつまでも続けていたいところだが、そういうわけにもいかない。ここに来てから背嚢は背負ったままだ。


「脅しに来た。戦争をやめろってな」


「やめろ、か」


 すっかり白く染まったあごひげを指で伸ばしながら、ニーグは、鼻で笑う。


「先に仕掛けて来たのはあっちじゃろうが」


「十分すぎるくらい水があったのに、それを分けてやらなかったのは人間だろ。何の責任もないって言うのは、ちょっと無責任すぎるんじゃないか」


「いいや。ずっと、六十年以上も問題なくやっておったんじゃ。それを急に水を寄越せなんて聞けるはずがないわい」


 隠居していたって、なんの権力もないわけじゃない。ニーグの手札なら、戦争を防ぐくらいはできるだろう。


 このまま意見が食い違うようなら、強硬手段に出るしかないが――。


「なんての。分かっておる。今にして思えば、小さな意地じゃった。――いつまでも若い姿でいられるあやつら『魔族』が、羨ましかったんじゃよ」


 ニーグはふ、と息を吐いて窓の外のチリリンを見る。その寂れた横顔が、先が短くないことを感じさせて、息が詰まる。


「ルジ様なら、来るじゃろうと思うたよ。いや、来ることを期待していた、と言うべきじゃな」


 その期待が生きる糧だったとでも言いたげに、ニーグはそう言った。


「ニーグ。戦争を、止めてくれないか」


 脅しはやめ、お願いに切り替える。


「無理じゃ。止める前に、この命が燃え尽きてしまう。此度のこともワシがいなくなる時機を狙ってのことじゃろうて」


 俺なんかよりもニーグは、よく分かっている。水を巡る争いがなぜ起こったのか。そして、どうしてまた、戦争が起きようとしているのか。


「分かった。――俺が代わりに止める。死ぬ前に渡せる手札は全部、渡してもらおうか」


 ニーグは、くくっと抑えるように笑い、長い長い息をついた。

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