第16話 首相の今
「え、ラスピスって、今、首相なの?」
「そうじゃよ」
「そうじゃよって……まだ三十八だろ?それに、これまでの大統領は全員男じゃないか」
「気に入らぬかえ?」
ニーグの柔らかい色を装った緑の左目が、意地の悪い輝きを伴って、問いかけてくる。
「いや。俺にとってはどうでもいい話だ。人間の国の代表なんて多くの人間を効率よく操るための装置でしかないからな」
「ルジ様はもう少し素直になった方がよいの。――すげー、やべー、つえー!というのが本音じゃろ?」
たかだか一人の人間にわずかでも苛立ちを覚えてしまうのは、きっとそれが、図星だからだ。誤魔化すように、俺はリアを抱き上げる。
「ラーウ」
「まあ、それだけ、叶えたい何かがあったんだろうな――」
時代を変える人間というのはいつだって、強い願いを持っている。ラスピスの願いが何かは知らないが、とても強い願いだったのだろう。
「赤髪である上、魔族へ水を分け与えると公約していたゆえ、なかなか苦戦しておったがの。時代も変わるものじゃな」
つまりは、魔族と和平を結ぶために、地位と権力を手に入れたということだ。
それに、ムーテがラスピスの娘であることと、母を探してほしいというムーテの頼みが事実なら、これは、想像以上におおごとだ。
「ラスピスって、今はどうしてるんだ?」
「先ほどから感じておったが、ルジ様はラスピス氏と面識があるのじゃな?」
「ああ。赤い髪が綺麗な子だろ」
ニーグは肯定も否定もせず、ただ。
「であるなら、今の彼女には会わぬ方がよいじゃろう」
会わない方がいい、なんて言い方をされたら、どうしても気になってしまう。失踪を誤魔化すための方便とも考えられるが。
「今、って言ったけど、いつなら会える」
「……これは一般には知らされておらぬが、氏は病を患い、辺境の自宅で療養中じゃ。一生、治らぬかもしれぬと言われておるらしい」
その病が何であるか、推測はできる。
「――心か」
緑の右目を瞑り、俺の顔をちらと見やるニーグ。頷くでも説明するでもなかったが、濁った緑の瞳がすべてを物語っていた。
「わしのことはもう分からぬようじゃったが、ルジ様なら、あるいは――」
ムーテはなぜ、ラスピスを捜してほしいと言ったのだろう。いや――探してほしい、と言ったのかもしれない。
いずれにせよ、ラスピスの件については、今ここで話していても仕方のないことだと、話題を切り替える。
「つまり、一言でまとめると――戦争については、何も知らないってことか」
緑の濁りが、俺の意思を汲んですっと柔らかい瞳へと戻る。
「わっはっはっ!その通りじゃ!きな臭いのは確かじゃがな」
「わっはっは……じゃねえよ!何のために苦労してここまで来たと思ってるんだ!」
「わしに会うためじゃろ?んふっ」
目の細いおじいちゃんにウインクされてしまった。
「会えたのは嬉しかったけど……!てかお前、なんであんなところに埋めたんだよ、命の石。危ないだろ」
「なんじゃ、本題はそれか。あれは、わしではなく、スカルピオンに埋めてもらったんじゃよ」
上手く誤魔化せたと思ったのだが、やはり首相を何期か続けただけのことはある。夜を選んだのは、命の石にニーグが関わっていることを悟られないため。――だというのに、騎士団には見つかってしまったわけだが。チリリンめ……。
「せめて確認はしろよ。地雷みたいなもんだろあんなの……間違って踏んだら、終わりだぞ」
「わっはっは!それはさておき、なにゆえ正門を通らなかったのじゃ?」
「さておくな!」
まあ何を言おうと、今さらではあるんだが。
「夜の入国は身分証がいるだろ」
「そんなものはない、か。昼はスカルピオンが目立ちすぎるからのう」
まあ、チリリンがいなければニーグの居場所が分からなかった可能性もあるので、結果的にはよかった面もある。
話は変わるが。ヘントセレナで戦争が起こるとしたらその原因は、水だ。
水の魔国に住む魔族たち――もとは砂漠の魔族だが――には、人間たちへの復讐という目的がある。
一方、人間にとっての得は、魔族の生き残りを殲滅し、国土を広げる。あるいは、魔族を奴隷とし、労働力にすること。ヘントセレナも水に恵まれているとは言い難く、魔族に水を運ばせれば解決するのだ。
そもそも、あの広大な砂漠の東西にヘントセレナはあるわけだが、もとは砂漠の魔族たちに東西間の物流を頼んでいた。
が、ニー愚が愚かにも、魔族が国からいなくなるまで追い詰めたため、関係は最悪になっている。優しいおじいちゃんの顔をしているが、その実、極悪非道の大罪人だ。
「時にルジ様。この七年、魔族による反乱は一度も起きておらぬが、それは平和ゆえだと思うかえ?」
魔法降天後――誰しもが魔法が使えるようになってから、ということだろう。
「魔法があろうとなかろうと、この国の兵力には関係ないだろ。メルワートがいるんだから」
「わしもそう思う。――じゃが問題は、水不足。人間たちにとって魔法の水は、最も質の悪い水。飲むための水ではない」
「魔族は、そんなことも言ってられないだろうな」
「そのくらいは分かっておられたか」
戦争の意思がないことを確かめるのに、七年というのは十分な期間だと、人間たちは考えるだろう。
だが、魔族と人間では時の感じ方が違う。
「分かってるさ。お前が三十年前、水を分け与えなかった理由もな」
「そうであったの」
遠く、遠い過去を見るニーグの横顔に、これ以上、この話を続ける気にはなれなかった。
「結局、お前が知ってるのは、現首相であるラスピスのことだけか」
「現首相が乱心して、今は辺境の自宅で療養している――十分な情報じゃろう」
「そう言ってやりたいところだが、ムーテがいるからなあ」
ムーテはラスピス――首相の娘にあたる。それにしては山中にただ一人だったり、モンスターを自前で狩ったりと不可解な点が多かったが、一応これで辻褄は合う。
いずれはムーテから話を聞く機会もあっただろうと思えば、入国の苦労に見合うほどの意味があるとは思えない。
「ほほー、ムムはルジ様の元におるのか。さすがじゃのう!いやはや、あれだけの見張りをどうやって掻い潜っておるのやら」
「見張り?」
「む、そりゃそうじゃろうて。事実上の休養――退任が決まっているとはいえ、首相の一人娘じゃぞ。見張りがいないわけがなかろう」
「ん……ちょっと待て。もしかして、だが。国境の警備が昔より厳しくなってるのって」
「ここ数年の話であるな。見張りの九割はムムの脱走を阻止するために設置された者たちでの。――国を覆う壁も魔族の侵攻云々と言いつつ、ムムが脱走するようになってから作られたものじゃ」
「ムーテェ……!」
ニーグは柔らかい緑の瞳を細めて、わっはっはと笑う。笑いごとじゃない。
リアがくわっとあくびするのを見て、ニーグが微笑みをたたえる。
「しかしルジ様はまだ、音楽で戦争を止める旅をしておられたのじゃなあ……」
「いや。それはやめたよ。音楽で戦争が止められるわけないだろ」
「なっ」
「フーッ、ガブッ!」
ニーグが驚いた顔で俺を見ると同時に、リアが俺の腕に噛みつき、背嚢に潜り込んで拗ねてしまった。甘噛ではない、本気の噛みつき。それでも、腕には跡一つ残らない。
「……それは、七年前のことが関係しておられるのかえ?」
「ニーグ。――てめえは老い先短いんだ。大人しく死んでろ」
「え、酷っ。わしあんた嫌い」
「生傷に触れようとするから噛まれるんだよ、クソガキ」
「七年も癒えない生傷なんてないわい」
「たった七年だろ。そんなだから魔族と揉めるんだ」
はあ、とため息を付いたニーグは、あごひげを撫でて気持ちを落ち着かせているらしかった。が、不意に、そのヒゲをピンと下に引っ張る。
「そんなだからリア様に嫌われるんじゃわい!」
「ひ、酷いっ。俺お前嫌いっ」
「ラウ……」
リアの言う通り、先に仕掛けたのはこっちだけど。しかも明らかに俺の方が悪意つよつよだったけど。でも、謝らない。
ニーグはあごひげを撫でて、うーむと唸る。
「音楽もなしにどうやってスカルピオンを手懐けたんじゃ」
「挟まれてみせ、刺されてみせて、噛まれてみて、撫でてみせて、お前に会わせてやると言えば、はいこの通り」
「チリチリ」
別に大したことじゃない。敵わないと思わせて生物的に服従させ、利益を提示して敵ではないと思わせただけだ。
しかし、ニーグはぽかんとした顔をして。
「スカルピオンのハサミは、金剛石(ダイヤモンド)をも砕くんじゃけど」
「えっ」
「チリ?」
思わずチリリンを振り返ると、こてんと首を傾げていた。いや、まさか。だって、ハサミは全然効かなかったぞ。
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