第7話 山の演奏会

 近づくに連れて、俺は音に吸い寄せられるようにだんだんと早足になり、二人を置いていってしまいそうになる。


 その音楽に惹かれる。こんなにも美しい演奏をするのは、果たしてどんな人だろうかと。


 逸る気持ちを必死に抑え、高鳴る鼓動を深呼吸で鎮め、二人を待ち。


 葉の隙間から静かに、覗き見る。


「わ、もふもふでいっぱいだ」


「すごいな……」


 ひしめき身を寄せ合うほどの数の動物たちが、気配を潜めていた。覗くまでこんなにたくさん集まっているなんて、想像もできなかった。


 ――木漏れ日が作る照明は、その中心に位置する切り株だけを照らし、聴衆として集まった動物たちは、穏やかに眠っている。


 切り株の上には、背筋を伸ばして立ち、顎と肩と左手で空色の弦楽器を支え、手に持った弓で奏でる、桃髪の少女がいた。年は二人とそう変わらないだろう。目をつぶっているから、瞳の色は分からない。


「あれ、なんて楽器だろう。トーリ、知ってる?」


「――綺麗だ」


 レイの質問など、まるで聞こえていないかのように、トーリはその少女に釘付けになっていた。




 その演奏は、まさに、圧巻だった。野生動物たちの警戒心を解くほどの、美しく、たおやかな音に満たされて、トーリが目を奪われるのも無理はない。


 ――たかだか、齢七、八の少女の演奏とは到底、思えない。言葉では言い尽くせない音色。心に釘を打たれたように、意識の焦点が少女のみに向く。


 悔しくて、情けなくて、泣いてしまいそうだった。


 けれど、そんな感情は今さらだと、無理やり、なかったことにした。



 ――レイがトーリの横顔を一瞥し、口を閉ざしたのを見ていたので、俺が代わりに答えておく。


「俺も見たことがない楽器だね」


「へー、ルジが知らないなんて、珍しい……」


 その演奏の前に、鳥は羽ばたきの音に気を使い跳ねて移動し、イヌは吠えることを忘れて丸くなる。ここではクマさえ腹を見せ、その腹の上にはウサギやリスなどの小動物が座っていた。


 ゆっくりと長く弓を引き、音の途切れ目が分からないよう折り返し。余韻を残して演奏は終わりを告げた。


 ぱちりと開かれるレモン色の瞳が、俺たちを捉える。


「いでっ!」


 瞬間、トーリの頭巾フードをレイが叩くように直し、そのまま体重をかけて茂みの中に沈める。いい判断だ。レイは何も言わず、ただじっと、少女を見つめる。


「いてて……ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだが」


 いててと言いながら、葉っぱを払って頭を起こすトーリに、少女の視線がちらとだけ向く。


「――見つけちゃった」


 小さな声は耳には届かなかったが、口の動きがそう言った気がした。


 すぐにレイや俺へと視線が移る。


「何用であるか、人の子よ」


 あどけない声で、尊大な物の言い方。顔立ちは年相応の幼さで、真ん丸な瞳はマンチニール――死の小林檎と形容するのがふさわしい、毒を持った黄色だ。


 声に合わせて動物たちの視線が一斉に、俺たちを向く。歯を鳴らし、戦闘態勢を取る動物たちに囲まれて、逃げ場はない。


「綺麗な音楽が聞こえてきたからつい……」


「ここは夢の世界。人が迂闊に入れば出られなくなる。――今すぐ、立ち去れ」


 少女がそう告げるのに従い、俺とトーリはこの場を去ろうとして、


「そちらも人の子であろう。それが真なら、いかようにここから出るつもりぞ?」


 怖いもの知らずのレイが、なんか合わせ始めてしまった。


「いや、お前ら二人とも人の子だろ」


 トーリがいつもの癖で情けも容赦もなく、スパッと言い切る。それを聞いた少女が、ふ、と小さく吹き出した。


「なーんてね。人のお客さんなんて珍しい。どこから来たの?」


 雲のような柔らかい声に、人懐こそうな年相応の笑顔。うちの二人もまだ声は高いが、格別に耳心地がよく、一度聞いたら離れがたいような声。弛緩する体が、知らず知らずの内にこわばっていたことに気がつく。


 瞳の毒も気配を消し、柔らかなレモン色を示していた。先ほどのあれはなんだったのかと思わずにはいられないが、一旦、置いておくとして。


「東からだ。西に用事があってね」


 適当にそう答えると、少女は桜色の唇に弧を描いた。


「嘘」


 とだけ言って、また、楽器を弾き始める。どうして嘘だと分かるのだろう――そう思っていることを見透かすように、少女は弾きながら答える。


「ヘントセレナの人たちは、この山を通らないの。川が赤いから」


 ぞわっとするような不愉快さが、わずかに、音から伝わってくる。が、それに気づいた素振りを見せるのは動物の中でも数匹と、それから、トーリだけ。レイはトーリの反応から、遅れて気がついたようだ。


 しかし、こうも容易く嘘を見破られるとは。幼いのによく考えているものだ。


「西に向かってたんだけどね。なんやかんやあって東に戻ってるところだよ。まわり道すると遠いから山を通ってるんだ」


 水の魔国に向かっているとは言えない。少女の瞳が黄色である以上は。


「そっか――」


「そんなことより!な、名前はっ!?」


 不愉快への怯えから解放されたトーリは、弾かれたように茂みから飛び出すと、少女の真下、切り株の前へ走り尋ねる。キィッと嫌な音を立てて、演奏の手が止まる。


「――ムーテ」


「ムーテは、どうしたら手に入る!?」


 白皙の頬を上気させたトーリを前にして、ムーテの瞳の中心にある林檎のような模様が、くるんと回った。


***

〜はしがき〜


挿絵 ムーテ 山の演奏会

https://kakuyomu.jp/users/sakura-noa/news/16818093083137932483


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