第一節 空色のバイオリン

〇 東ヘントセレナへの旅路

第1話 水を巡る戦争

 むかしむかし、とある国で、水を巡る争いが起きました。


 砂漠に住む魔族たちは人間に、水を分けてほしいとお願いしたのですが、分けてもらえなかったのです。


 そうして始まった、魔族と人間の民族紛争は人間が勝利し、魔族たちは故郷を追われてしまいました。


 人間だけとなったその国、ヘントセレナ共和国は、今もなお、歴史を紡いでいます。


***


「ラーウ」


 背嚢リュックサックから、外に出たいと甘えた声がする。けれど、今出すわけにはいかない。なぜなら。


「すまない、リア。外に出たいのは分かるけど、我慢してくれ」


「ラーラー」


「だって、こんな砂だらけの場所で外に出したら、毛の間まで砂まみれになるだろ?」


「ラウラー?」


「だーめ」


「ラウ……」


 しゅんとしてしまったので、背嚢リュックサック越しに撫でてやっていると、


「ルジー!」


 帽子からはみ出た、顎までの黒髪をぴょんぴょん跳ねさせて、砂漠の中を走る小さな影。何かを握った右手をぶんぶん振りながら向かい来るのに、手を振り返していればすぐ、一つ影が足りないのに気がつく。


「レイ、トーリはどうした?」


「埋めた」


「埋めた!?」


 これが夏であったなら、今頃、トーリは低温熟成されていただろうが、幸い、季節は秋。砂漠とはいえ、年間の気温差は百度にもなり、今は一年で一番、過ごしやすい時だ。


「レイ、お前――なんて面白いことしてるんだ。俺にも見せてくれ」


「いいよ!」


 まあ、トーリのことだから大丈夫だとは思うが心配なので見に行かねば。と、レイの足が止まる。


「あれ、どっちだっけ?」


「あー。砂漠だからね。分からないよなー」


 視界には、一面の砂。とはいえ、暑いばかりでなく、冬になれば山近くでは、水分が含まれている砂が凍てつくことさえある。夜は冷え込み、昼間は日差しが強い。


「トーリ、見つかる?」


 不安そうな顔に、微笑みかける。


「大丈夫だよ。俺には、二人がどこにいても、見つけられるから。でも、できるだけ、トーリと一緒にいてやってくれ」


「はーい」


 足跡もまもなく消えてしまうような砂の海で、俺は数分とかからず白髪に赤目をしたトーリの頭を見つけるが――、


「いや、縦に埋めたのかよ」


 頭だけが、ひょっこり地面から突出している。横向きだと思ったら、まさかの縦だ。どうやって埋めたんだろう。俺の反応に二人そろってけらけらと笑い出す。


「大丈夫か、トーリ」


「まあ、貴重な体験をしてるなと」


「真面目な顔で何言ってるんだ」


「あと、この砂漠でレイに迷子にされたんじゃないかと」


「大当たりー!ルジが見つけてくれたんだよ」


 レイは笑いながらトーリに近寄り、その尖った耳を指でつんつんと突く――ニョキィッバサッと、砂の中からトーリの白い腕が生えてきて、レイの手を捕まえる。レイの黒い目が真ん丸になって、直後また、二人でけらけらと笑い出す。


「よいしょっと」


 レイの腕を掴んで這い出たトーリは、サラサラの砂をぱっぱと払い、何事もなかったように立ち上がる。並んでいると背格好までよく似ている。


「いや、自力で出れるんかい」


「ああ。もし迷子にされたら、普通に追いかけようと思ってた。ところで、レイは何を持ってるんだ?」


「ん?……わ、なんか持ってる。いつから?」


 自分で持っているのに覚えていないとは、さすがレイだ。まあ、レイが何かを拾ってくるのは日常茶飯事であり、今さら気にすることでもないと、意識から逸らしていたが。


「そういえば、さっきから持ってたね」


「見せてみろ」


「いいよ!」


「へー、きれいな石だな。何の素材だろう――」


 レイが差し出したのは、透明な正三角錐の石だった。太陽を受けて虹色に輝き、石の中ではころころと水が揺れ動く――。


 トーリの手に渡ったそれを、俺は咄嗟に取り上げる。


 目の前から消えた不思議に、二人揃って目をぱちぱち。異変に気付いたレイが俺の顔を見上げて固まると、トーリもそれに続いた。


「レイノン。この石を、どこで拾った」


「……ご、ごめんなさい」


 黒瞳に雫が浮かぶのを見て、自分の表情に気づき、慌てて力を抜く。


「すまない。分からないよね、砂漠だし。トーリスは覚えてる?」


「オレが埋まってた辺りだ。レイが、ルジに見せるーとオレを置き去りにしたあの瞬間を、オレは決して忘れないだろう、てんてんてん」


「えへへ、永久に覚えててくれるなんて照れちゃう」


「ひえ」


 サラサラの砂は風とともに流れて、トーリが埋まっていた跡は消えつつある。


「そうか。ここに埋めたのか――」


 しかし、どうしたものか。広大な砂漠から子どもの手のひらに収まる大きさの石を二人が見つけられたのは、本当に偶然だ。ここに埋め直すのもいいだろう。


 だが、念には念をと考えるなら、手元に置いておくのが一番安全だ。時世のこともあるし、何より、偶然にも、俺が今、最も求めていたものの一つでもある。


 よくないと分かってはいても――欲しい。

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