どうせみんな死ぬ。〜慷慨(こうがい)な楽譜〜

さくらのあ

エピローグ1 七歳と六ヶ月

〜前書き〜

まずはこちらの近況ノートをお読みください

https://kakuyomu.jp/users/sakura-noa/news/16818093092904778442



「……トーリ?」


 黒髪の少年の足元に転がっている真っ白なはたき。はたきにしては持ち手部分が見当たらない。


 少年が、屈んでそのはたきを持ち上げようとするが、ぬるっと滑らせて落としてしまう。手のひらは赤く染まり、白い物体はころんと転がり裏返る。


 見開かれた赤い目と、だらしなく開かれた口。その下、首から続くはずの胴体が、なかった。――否、ぐちゃぐちゃに潰されて、元に組み立てることすら難しくなっていた。


「う……おええぇっ!」


 何も映さない目と目があった少年が、胃の中身をぶちまける。


「トーリ、トーリ……っ」


 赤く飛び散った肉片――赤い塵となったそれを手でかき集めて、転がった頭部とともに抱きしめる。


「うぁぁぁああああ……!!!!」


 乾いた眼球に水を与えるように、生きている少年が目から涙をこぼす。周りの怒号をかき消すほどに、泣き叫ぶ。


「あああ……っ、ぁ、ぁぁ……っ」


 けれど、声は掠れ果てて、爆発音と血肉の爆ぜる音と、骨の折れる音と、暴力の入り混じった騒音の中では、誰にも届かない。


 ――その騒音が、一瞬にして、すべて消える。


 代わりにできた血の海を、水たまりでも踏むように歩く、一人の男がいた。


「お前のせいだ」


 ただ一人、残った少年に向けて、青髪の男は告げる。


「お前の死にたがりが、トーリスを殺したんだ」


 男は少年の胸ぐらをつかんで、額を引き寄せ、ガツンとぶつける。少年はトーリスの頭を落とし、自分の喉に爪を立てて、ガリガリと引っ掻き始める。ガリガリ、ガリガリ……。


「どうして、助けてくれなかったの」


 少年が赤くなった首をガリガリとかきむしりながら、光のない黒い瞳で男を見上げる。


「こんなにも簡単に殺せるなら、もっと早く、殺してくれればよかったのに。――そうすれば、トーリは死なずに済んだのにッ!!」


 爪を立てる首筋から、赤い血が流れる。男はその小さな両手を取り上げて片手で握り込む。


「離せよッ!!」


 少年が暴れるが、男はびくともしない。額をぶつけ、いたるところを蹴り噛みついても、男は手を離そうとはしない。


「……そんなに死にてえか」


「同じ時に一緒に生まれたんだ。同じ時に同じように死にたい」


 男は手中に氷の刃を生み出し、光るほど鋭いそれを少年の首筋に差し向ける。……が、その先へ進むことができない。


「ルジには、トーリを救えなかった責任があるよね?その大きな罪を償うために、僕を殺してよ」


「お前ごときが死んだくらいで、何になるって言うんだ。お前一人が死んだところで、誰もお前のことなんて覚えてもいない」


「じゃあなおさら、殺してよ。首を掻っ切って、僕を、殺して……」


 男の手がさらに強く握られて、少年が痛がる素振りを見せる。もう片方の手で氷の刃を首筋に向けながら、男はぽつりと呟く。


「すまない、レイノン。救ってやれなくて」


「どうでもいいよ、そんなの。早く、殺して」


 握られた氷の刃が動かないのを見て、少年は首で殴るように、氷の刃へと向かう。が、触れた瞬間、その氷は融けて消え、少年には傷一つ、つけられない。


「ねえ、なんでトーリのことは見殺しにしたくせに、僕のことは殺せないの?同じじゃん。直接手を下してないだけで、同罪でしょ」


 男は、しばしの間、黙り込んだ。やがて。


「自分のこと棚に上げてんじゃねえよ。お前がこんな場所にさえ来なければ、いつもと同じ明日が迎えられてたんだ」


「だから死ぬんだよ」


「……俺の声なんて、届くわけもない、か」


 男の青い瞳から雫が落ちる。ポツポツと、雨が降り始めていた。少年は男の涙を見て、顔をしかめる。


「はあ?なんで泣くのさ。おかしいでしょ。人殺しのくせに」


「ただの雨だろ。それに、何を言われたって、俺はお前を殺せない」


「じゃあいいよ。自分でやるから。離して」


 離す気配のない男に、少年は大きなため息をつく。


「もう、いいよ。気が済むまでそうしてれば?本当はトーリとおそろいがよかったけど、仕方ないね」


 少年はべーっと真っ赤な舌を出す。そしてそれを、ブチリと、噛み切った。


 雨で洗い流されていく血の海に、新たなシミが生まれる。噛み切られて短く収縮した舌を、男は口に手を突っ込んで、顔を下に向かせて、引っ張る。


「舌を噛み切ったって、そう簡単に死なねえよ」


 つまんだ指が、少年に噛まれる。ぎりぎりと、のこぎりのように歯を動かして削られていく。それでも男は、手を離せない。


 不意に、少年の動きが止まり、顔がみるみる赤くなっていく。


「息を止めても無駄だ。先に意識がなくなる」


 ふらっと、倒れかける少年を支え、その場に座らせる。その黒瞳を見つめて、男は言う。


「知ってるよ。全部、試したことがあるからね。……まあ、レイには、俺が生きる理由にはならないよな」


 男は、背嚢から水のように光る石を取り出す。


「あーうーあー!!」


 それを見た少年が、激しく、暴れ出す。


「生きろ、なんて言わねえよ。でもせめて、俺がいないところで、一人で勝手に逝ってくれ」


 石を手渡し、男は去る。十分離れたとは到底言えなかったが、少しだけ待ってから少年は、その石を地面に叩きつけ、壊した。


 直後、糸が切れたように倒れた少年は、安らかな笑みを浮かべていた。


「ほら。やっぱり俺じゃあ、助けてやれなかったよ。なあ――クレイア。ミーザス」


 雨音がかき消していく。血を洗い流して、言葉を隠して、涙を誤魔化して。


 先が見えない雨に、男は姿を溶かしていった。

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