第77話 無計画の代償
あたしの家はいわゆる裕福な家庭だった。
父親は整形外科医、母親は貿易会社の役員で2人ともいつも忙しそうだった。
幼稚園も名門と呼ばれる難関園で、大学までエスカレーターで行けた。
それにひとりっ子だったので、望めば大概のものは手に入った。
友達もそれなりにいたけど、あたしはいつも孤独だった。
親に褒められたいから良い子を装っていたけど、あたしに興味がないのか両親との思い出とかって記憶があまりない。
認められたいからそれなりの努力はした。あたしはいい子だったはず……
でもいい子は続かない……
大学生になってしばらくして、親から享受するはずだった愛を埋めるかのように、あたしはタガが外れて遊びまくった。
夜の仕事をはじめてお金に困ることはなかったけど、あたしはいつもひとりだった。
そんな中、病気が見つかった。
医者から言われたのは、厳しい現実だった。その時まだ私二十代後半。そこから10年以上にも及ぶ辛い闘病生活が始まったんだ。
40歳を迎えようとした時、あたしの心と身体はボロボロで、数ヶ月に一度のスパンで入院しては退院を繰り返していた。
そしてある時
紫色の気味が悪い夕方だったから、なんとなく今の自分の心を映しているようで気になって病院のテラスに出たんだ。
突然、冷たい風が吹いたかと思うと、物凄い雷鳴が轟いた。すぐに病院に雷が落ちたと分かった。
あたしはその時、久しぶりの感情に少し驚いていた。恐怖という感情に。
どうせ長くない人生、いつだって終わらせることはできたし、死に対して恐怖という感情はあまりなかった。
その時までは……
まだこんな感情が残っていたんだなぁとしみじみと思うのも束の間、辺りが真っ白になり、全身にとてつもない衝撃が襲った。
*
『今、黛の部屋にいるんだよ!』
「何やってんスかッ?!正気かあんた!!」
『あいつは今シャワーを浴びているから、すぐに警察呼んで!』
「はぁぁぁ??!俺じゃなくて自分で警察に電話してくださいよ!ていうかしろ!今しろ!」
『今警察に電話したらいろいろ聞かれるでしょ?そんな時間ないもん。イタズラだって思われたら嫌だし。それじゃヨロ!』
プツ……
「ええええ?!!」
どうすんだよ、これ?!
警察?警察!
まずは警察に電話!
黛の住所はメモってあるから知ってる。
最寄りの警察署に電話をかける。
こういう時、役所で働いていた時の記憶が役に立つ。
『はい、松越警察、交換です』
「あ、あの!女性が、部屋に連れ込まれて!」
何言ってんだ俺!
『落ち着いてください。状況をもう少し分かりやすくお願いできますか?』
警察の交換の女性は穏やかに俺に語りかける。
分かってる、分かってるってば!
「す、すみません!ここは、松越市南町4丁目2番地2、ハイツソレイユです……!」
『はい、場所は分かりました。具体的にはどんな状況ですか?』
「若い女の人の悲鳴が!助けてとか、争う音とか!とにかくヤバそうです!」
語彙力!!
『分かりました。すぐに警察官を向かわせます。できればあなたの名前や連絡先を教えてもらいたいのですが?』
「ごめんなさい、匿名で!それじゃ、マジ早く来てください!」
強引に電話を切り走りながら俺は手を上げ、タクシーを拾った。
市立病院から南町までは大体、15分から20分。
この後どうするのか何も分からない。
「無計画すぎるだろ!」
タクシーが止まり、目的地を言う。
高校生が単体でタクシーを拾うのがあまりないのか、急いでくれと言ったのに、運転手は訝しげな表情だ。
クソッ
何でこうなるんだ!
なんだかんだでタクシーは順調に進んでいる。進んでいるのにヤケに遅く感じる。
気付けば、タクシーはワイパーを動かし始めていた。
「雪、降ってきちゃったなぁ〜」
そう運転手がこぼした。
*
シャー――
黛はシャワーを浴びている。
その隙に、証拠となるものを撮りまくるぞ〜!
あたしは、ショウタロくんから聞いていた。テレビ付近のラックや引き出しを片っ端から開けた。
「うぉッ……本当だ……」
話に聞いていたとおり、あるラックには、名前がプリントされているDVDが並べられていた。
これも全部、写真と録画もしておこう。
パシャッ、パシャ
そういえば、この中に瑞穂ちゃんのDVDもあるのかな?
「み、み、み、あった。『ミズホ』っと」
これは、ゲットしておこう。
あ、『マオ』って書いてあるDVDだ……
「これも徴収しとこ」
カバンにDVDを突っ込んで、撮影に戻る。
ケータイを構えて録画。
部屋をグルリと撮影しておこう。
「一見、普通の部屋なのにな〜。ま、本物のサイコパスは普通を装うのが得意……」
突然、ケータイの画面に、黛が映る。
「ぎゃぁ!!びっくりした!いつからそこにいた?!あ、いや、いらっしゃったので……」
黛はシャワーを浴びた様子もなく、帰って来たシャツのままだ。シャワーの音はまだ浴室から聞こえている。
壁に寄りかかり腕を組んで、じっとあたしを見ていた。
「ひどいなぁ……ヒトのことサイコパスだなんて」
「あ、冗談です……」
これはヤバい……かなりヤバい状況です。ショウタロくん……
「まぁ間違ってはいないけどね。いやぁ……しかし、怪しいとは思ってたんだよねぇ。たった数回しか会ってないのに、こんなに無警戒でホイホイついてくる子って今までいなかったし」
ガッつき過ぎたらしい……
てっきり大人の魅力にハマったのかと思ってたけど
「ごめんなさいごめんなさい!物珍しくて!つい!」
「つい、でお仲間に電話する?もう芝居はいいから」
「ぎゃああああ!やーめーて!!」
黛はあたしが動けなくするためにガムテープで両手と脚をグルグル巻きにして、口にもテープをグルグルと巻きつけた。
フローリングに転がるあたしを見下ろしながら、黛があたしのケータイをいじる。
「この写真たちは君には必要ないね……」
ピッピッとケータイをいじる黛。
「はい、削除っと。しかし、これはお仕置きが必要だな……」
なに?なに?マジで怖いんですけど!
どうしよう!タスケテー!ショウタロくーん!
ピンポーンッ
インターフォンが鳴った。
チッと黛は舌打ちをしてインターフォン向かっていく。
ショウタロくん?ショウタロなの?
あたしはここにいるよー!
「はい、どちら様です?」
少しオドオドしたような声色で黛が画面に向かって答える。
こうやっていつも周りを騙していたんだ……
あたしの位置からでは誰が来ているのか画面が見えない。
「松越警察署の者です」
「はぁ……うちに何の用ですか?」
「女性の悲鳴や助けを求める声がここら辺で聞こえたと言う通報がありまして、良かったら話を伺えませんか?」
「いやぁ……僕は聞いてないですけど……」
「ちょうどあなたの部屋のあたりから聞こえたって通報なんですよ。お話だけうかがって何もなければ我々もすぐ帰りますから」
「……分かりました。今開けますので少し玄関前でお待ちください」
このアパートはオートロックだから、誰かがアパートの玄関口を通ってこの部屋まで来るのに少し時間がかかる。そのうちにアリバイ工作みたいなことをするつもりだろう。
「クソックソックソッ!どこのどいつだ、警察署に通報したのは!お前か!」
寝転ぶあたしの胸ぐらを掴んで持ち上げる黛。
ヤバいヤバい怖怖怖わー!!
そのまま引きずられてクローゼットに投げ込まれた。
ガッ――
痛ッ!
壁に頭を打ちつけた
痛みと目まいで視界がグラグラ揺れる。
バタンッ!
クローゼットの戸が閉められた。
「ウー!ムー!」
マズい……このままだと、監禁されて何されるか分からない。
お巡りさんー!!ここにいるよー!!
可憐な少女が閉じ込められてるよー!
そんな声も届くはずもなく。
前世界線でも、男がらみで結構ヤバい状況を経験したこともあったけど、この黛ってヤツはガチのヤバいヤツだ。
マズったな……ま、ある意味当たり前か
って納得してる場合じゃないー!
ショウタロくん!あたしはあんたを信じてるよ!
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