第67話 前世界線 2009年夏

そろそろ今年の夏休みの予定を立てよう。

まずは、久しぶりに美羽と優里と一緒に海に行く。あとライブも行きたい。今年のフェスは好きなバンドも出演するし外せないなぁ。そのためにはバイトもしなきゃだ。


「ねぇ佐伯くん、スノウズ226が来日するって!」


「んー」


「聞いてんの?」


「必須科目の単位がヤバいんだよ。留年なんかしたくない」


「勉強してたんだ。プリントとにらめっこしてるだけだったから分かんなかった。じゃあ学校のラウンジこんな所じゃなくて家とか図書室でやればいいじゃん」


「俺は程良く雑音があった方が集中するタイプなんだ」


「私の声は雑音かよッ!」


ぎゃいぎゃいぎゃい……


「おお、君たちおはようー」


「ちょうどよかった。高橋会長、吉沢の声のトーンを少し下げてくれ」


「ヒドッ!佐伯くんヒドッ!」


「あたしはリモコンじゃねぇんだよ。うるさきゃ自分で下げろ」


「ヒドッ!マキ先輩ヒドッ!」


「それよりもさ、あんたら今年のフェスのラインナップ見た?ヤバくね?」


「見ましたよ。今年は俺も行くから」


「佐伯くん去年は行けなかったもんね〜遠足楽しみすぎて熱出した子どもみたいになってさぁ」


「小田麻里。んじゃ先輩、詳細分かったら教えてくれ。俺は試験終わったら大丈夫だし、どうせ吉沢も暇してるから」


「私は佐伯くんと違って多忙だから。あぁ忙しい……」





「……なんであれで付き合ってないんだ?あの2人……」


マキ先輩が何か言ってたみたいだけど無視。どうせ悪口だし。

よーし、来年は就活で忙しくなるだろうし、今年はめいいっぱい楽しまなきゃ。







夏真っ盛りの音楽フェス。スタジアムは人、人、人……

そんなこともどうでもよくなるような、お腹の底に響くサウンド。大声で叫んでみてもオーディエンスの声でかき消されてしまう。頭の中が空っぽになる。最っ高!






「あ、高橋先輩!」


「おお佐伯くん、吉沢ちゃん見なかった?」


「俺も探してるんです。最前線で叫んでるところは見たんですけど、もみくちゃされて見失っちゃって……」


「……ねぇ、あれ。ヤバくない?ケンカしてる。あそこら辺に吉沢ちゃんいた所よね?」





「コイツ、女の子殴ったぞ!」

「ウルセェ!お前が押したからだろうが!」

「ねぇ、やめなって!」

「警備員呼べ!警備員!」



騒ぎに巻き込まれて

久々に男の人に殴られた……

あんなに楽しい時間だったのに

急に崖の下に突き落とされたみたい


痛い

怖い


あの時の感情が蘇るのと同時に、暗いトバリに包まれるように、周囲の喧騒が遠くになっていく……


――と、


タシッ


左腕を誰かに掴まれた。

掴んできた腕を辿ると見知った顔がそこにはあった。


「佐伯くん……」


「吉沢ッ!大丈夫……」


佐伯くんは私の顔を見て言葉を詰まらせた。そして、今にも泣き出しそうな表情で、


「救護室、行くぞ」


すぐに顔を背けて歩き出していった。






私は半ば放り込まれる感じで救護室に入れられた。鏡を見せてもらったら、どおりで左目が見えないわけだ。眉毛と瞼の辺りが大きく腫れ上がっていた。

簡単な処置を受けて部屋を出ると、廊下で佐伯くんが待っていてくれた。


「ホラ、これ飲めよ」


スポーツドリンク……


「ありがと」


一口飲むと、乾いた砂に水が浸透していくような感覚を覚えた。脱水状態になるところだった。ヤバかったな……


 



「この間……」


唐突に、佐伯くんが話し始めた。


「この間、高校の時の同窓会があっただろ?」


4月のお花見の時かな?

あの時はあの話題で持ちきりだったな……


「あの時、みんな、吉沢は変わったって言ってた。明るくなったって」


「そう?」


「俺は、高校生の時の吉沢をよく知らないから比べようも無いんだけど、俺が思うに、人間ってのはそう簡単に変われるもんじゃない」


確かにそう。そんなんだよ。そうなんだけど……


「吉沢、お前、なんか無理してるんじゃないか?何か抱えてるなら、話せばいいじゃん。俺が聞く」


意外だった。いつもいじってくる佐伯くんがそうなことを考えていたなんて。そんなふうに私のことを想ってくれていたなんて。


「大丈夫……少なくとも、佐伯くんの前では無理してないよ。本当だよ」


「そ、そういうことじゃなくて……」

「じゃあ、佐伯くん、ぜーんぶ責任取ってくれる?こんな顔じゃオヨメにいけないよワタシ……グスン」


「…………………………嫌だね」


「ヒドッ!」


ああ、この人は本当に優しい人だ。

思い返せば、佐伯くんの小さな優しさを、これまで私はたくさん受け取ってきたような気がする。

佐伯くんの前だと自然でいられるのは本当。少しずつだけど、過去を受け入れて前に進むことができるかもしれない。この人となら。

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