第66話 「おかえり」

事故があってから数週間。

瑞穂は未だに目覚める気配はない。

俺は、その日も学校が終わったあとお見舞いに来ていた。

最近は、話すネタも少なくなってきたので、本を読み聞かせている。もちろんただの俺のエゴだ。聞いているかどうか分からない瑞穂に対して押し付けなようなものだ。

突拍子もないことだと分かってはいるけど、実は瑞穂は寝ていても話は聞いているんじゃないかって思うようになった。

よくアニメやドラマなどでもあるように、意識がない間、周りの会話は全部聞こえていたみたいな。

そんなことを考えるようになったのは、日に日にやつれていく瑞穂を見て、ファンタジーを信じたくなったからなのかもしれない。

それに、そもそも俺にはファンタジーを信じる根拠があるから。


「あら、こんにちは翔太郎くん。今日もありがとうね」


「あ、どうも」


瑞穂の母親とはちょくちょく会うようになって、少しは打ち解けられるようになっていった。名前で呼ばれるようになったし。


「今日は何の本を読んでくれてたの?」


「今日は国語の教科書です。たまには勉強してもらわないと。授業に置いていかれちゃうから」


これは俺の本音だ。

絶対に一緒に卒業したい。そこは譲りたくなかった。


「……そう」


お義母さんは少し笑って俯いた。

俺が痛いヤツだということは今に分かったことじゃないだろうに。


しばらく国語の教科書を読んでキリのいいところまでで終わりにすることにした。


「と、いうことで。今日はここまで。続きはまた明日な瑞穂」


そう言って何も語らない瑞穂の手を握る。

細かった指がさらに細くなった気がする。俺は嫌な気持ちを振り払うように立ち上がった。


「翔太郎くん……」


唐突にお義母さんに呼び止められる。


「あ、俺もう帰りますね」


「……うん。帰る前にちょっとだけいいかな」


「はい、大丈夫ですけど」


お義母さん、どうしたんだろう。いつもと少し様子が違う。なんか、元気がない……?


「あのさ……君は高校生で、未来があって、これからいろいろなことを経験していくんだよ」


「はい、まぁそうでしょうね……?」


意図が分からず言葉尻に疑問符がついたイントネーションになってしまった。


「たくさんの人と出会って、恋をして成長して……」


畳んでいたタオルや衣類を衣装ケースに置いてお義母さんが俺に向き直る。どこか哀愁を帯びたその声色に俺は嫌な予感がした。


「ねぇ翔太郎くん、君は瑞穂に拘り過ぎてないかな」


「……どういう意味……ですか?」


「正直に言うよ……瑞穂に囚われている翔太郎くんを見るのが私は不憫でならないの……」


囚われている……?

囚われていると言ったのか?この人は。


俺はお義母さんの言葉を頭の中で反芻する。

 

「つまり、俺が義理や義務で毎日のようにお見舞いに来ていると?俺の未来が狭まる原因が瑞穂になっていると。そう言いたいんですか?」


「……ま、まぁそうだね。なんかそうやって冷静に切り返されると私の立場がないような気がするけど……有り体に言えばそうだよ。君には未来がある。瑞穂以外にも目を向けてほしい」


俺は少しイラッとした。

お義母さんはそんなふうに思っていたのかと。俺をその程度の男と思っていたのかと。

でもそれは、お義母さんが俺を思っての言葉だということも理解できる。


ふぅー


一度深呼吸。

頭を冷静にした。


「お義母さん」


「お、か……?」


お義母さんと呼ばれたことに若干驚いていたようだが、俺は気にせず話を続ける。


「俺は、瑞穂のこと、1ミリも諦めてませんよ。それに、瑞穂の口から、あんたと別れるって言われない限り、俺は絶対に別れるつもり、ないです」


まぁ、正確には付き合おうとかも言ってないけど。


お義母さんは少し目を見開いて驚いた表情を見せた。

でもすぐにニコッと顔を崩し


「そっか。ごめんね翔太郎くん。余計な心配だったかな?」


「正直、余計なお世話です」


「フフフ。瑞穂は幸せ者だよ。こんな素敵な彼がいて」


そう言って、お義母さんは笑顔のまま涙を浮かべてこぼれ落ちる雫を指で拭った。


その笑顔がすごく瑞穂に似ていて少しドキッとさせられた。それに、だいぶ失礼なことを言ったと認識したら急に恥ずかしさが込み上げてきた。


「い、いや。すみません……生意気言って」


「いいんだよ。キミは本当に偉いよ」


偉い……か。

そうだよな。俺は今、高校生なんだ


俺は、精神的には大人だと思っていた。

でも、心が身体に引っ張られているかのように、未熟で浅はかで、いろいろなことが足りていない、ただのガキだって思い知らされた。


そんな状況の中で、俺は頑張ってきたのかもしれない。父さんにもそう言われたし。


「これだけは、言わせてほしい」


お義母さんは俺に向き直った。

今度は真顔だった。

お義母さんの表情は、俺の視線を外すことを許さないかのような力があった。


「あなたは、悪くない」


は……?

何を言うのかと思えば。


「いや、それは……ちょっと」


違うでしょ。


お義母さんがどう思おうが、事実、何もかも俺がきっかけだった。今さらそんなこと……


「いいや、翔太郎くんのせいじゃない」


目力が強いせいか視線を外すことができなかったけど、少し冷静になれて、やっと外せた。


見つめられて少し恥ずかしいな。


「……分かってますよ」


「いや、分かってない!あなたのせいじゃないのッ!」


お義母さんは俺を逃さんとばかりに両肩をむんずと捕まえて言った。

 

知ってる。

分かってんだよそんなことは


「そんなふうに言わないでくれ……こんなことになってみんなが同情的になって。俺の気持ちとしては罵声を浴びれられた方がどんなに気持ちが楽か……」


俺は、自分の放った言葉に驚いていた。

頭では、お義母さんに対して、はいはい、分かってますよ。と、軽薄に言ったつもりだったのに。


「それでも私はあなたを許すし、そもそもあなたが悪いだなんて思ってない。翔太郎くん、あなたは自分が全てを背負うことによって、罪悪感を持つことによって自分を維持しているように見える。それは、違うよ」


なぜそんなことが言えるんだ。

自分の子供がこんなことになってるのに、当事者である俺に対して!


「もう一度言う。あなたのせいじゃない」


俺は思った。

 

ああ、これでこの人には頭が上がらないな。

もう逃れられないな。

瑞穂からもお義母さんからも……


 


そのことを認識した、その時だった




――――『おかえり』




頭の中で少女の声が聞こえた




瑞穂か?

いや、もっと幼い声だ

俺が最も聞きたかった声のひとつだ


頭の中でその声が形を成し、やがて輪郭となって

ある人物をかたどる



 

ああ、

ああ……

どうして

どうして忘れていたんだ

こんなに大事な人のことを!


 


依知佳イチカッ!


 


気付けば

俺の両の瞳から、涙が溢れ出ていた。


そんな俺を見て、お義母さんがギュッと俺を抱きしめた。


すまない

本当にすまない依知佳……

でも、お前のおばあちゃんのお陰でお前のこと思い出せたよ。

お前のおばあちゃんがママのことも俺のことも諦めないって認めてくれたから、未来でお前が生まれるんだよ。






ひとしきり泣いて落ち着いたときに


「……スミマセン」


再び恥ずかしさが込み上げてきた。


「フフ、いいのよ」


お義母さんも泣いていた。泣き笑いのお互いの顔を見たら、今度は何だかそれが面白くて恥ずかしくて少し笑ってしまった。


と……


「すぅーー」


息を吸い込む音……


瑞穂の方から聞こえてきた。

錯覚か?

始めはそう思って、お義母さんの顔を見たら、お義母さんも気付いたみたいだった。


そして、



「はぁぁぁぁ〜」


 

俺たちの横で眠る瑞穂から盛大のため息のような呼吸音が聞こえた。



「み、瑞穂!分かる?!瑞穂!」


お義母さんが、瑞穂の肩を叩いて叫ぶ。

俺は完全に出遅れた。

計器を見てバイタルや瞳孔の確認。さすが看護師だな。こんな時でも落ち着いている。

俺はただ突っ立って見ているだけだ。


その後も、何度も声をかけたが瑞穂からは何の反応はなかった。

お義母さんも肩を落としてがっかりした様子だ。


「ただの呼吸ですかね……」


「……そうみたい。それにしても」


大きなため息だったな。


「俺たちのこと呆れているのかも」


「呆れて……あは、ははは!そうね、そんなんじゃダメよって言ってくれてるのかもね!」


何が楽しいのか、お義母さんは俺の言葉に涙を浮かべながらケラケラ笑った。


「ふぅ……なんか泣いたり笑ったりして疲れたけど、ちょっと元気でた」


「ふふ、俺もです」


俺の場合は元気をもらったって感じだよ。

それに小さな奇跡だって起きたんだ。


依知佳、依知佳、依知佳……


よし、覚えている。

覚えているということは、瑞穂はいずれ目を覚ますということだろう?何も心配することはない。


後で聞いたことだが、瑞穂のため息もそうだけど、そういった反応は目覚めの兆候かもしれないとのことだった。

奇跡って言葉をあまり乱発することは好きじゃないけど、医師も奇跡だって、そう言ってくれたんだ。

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