第49話 涙

「……誰だよイチカって」


「誰って…………翔太郎、あんたそれ本気で言ってるの?」


「そうだよ翔太郎!冗談でもそんなこと言っちゃダメだろ?!」


「俺がこの状況で冗談なんか言うと思ってんの?何言ってんだお前ら。とにかく帰るぞ。チャリめっちゃこいで疲れたわ」


「ちょ、ちょっと、翔太……」

「頼むよ。今は俺のことそっとしておいてくれねぇかな」


「……」


私も亘も、何も言い返せなかった。

本当に瑞穂さんともこれで終わりなのかな……

また、高校1年の時みたいな翔太郎に戻っちゃうのかな……



 




――あれから

瑞穂ンはずっと泣きっぱなしだ。

なんとかベンチまではユーリと連れてきたけど泣き止む気配がない。


状況は分からない。

なんで翔太郎くんの友達が絡んでいるのか。

始めは友達同士の痴情のもつれかと思ったけど、彼氏さんが現れたし、そういうことじゃないみたいなんだけど……

 

確実なのは、翔太郎くんと瑞穂ンの間に亀裂が入ったということ。

何があってそんなことになったのか分からないけど、瑞穂ンのこの泣き方、尋常じゃない。


本来だったら私の立場として喜ばしいことなのかもしれない。あれだけ硬く誓ったんだ。瑞穂ンには負けないって。


でも……

気持ちが揺らいだわけじゃない。

こんな状態で瑞穂ンを出し抜くだなんて薄情なこと、私には、できない……







あかねが泣いていた。

俺を想って。

俺が去年1年間、闇堕ちしていた原因の一つが自分との関係性だから、幸せになってもらいたいという気持ちが強かったのかもしれない。


だとしてもお節介が過ぎやしないか?

瑞穂にお相手がいるということが分かって、最初の目論見どおりとはいかなくなったけど、今あんなふうに執こく瑞穂と俺とをくっつけようとしなくてもいいのに……

瑞穂の今の彼氏さん……なのかどうか分からないけど、その人に逆恨みされても困る。


いやぁ……

正直、未来の自分の嫁だから複雑な思いだ……

俺が瑞穂の過去(今のこと)を知ってしまったから世界線が変わってしまった。


……あれこれ考えても、何もはじまらないか……とりあえず瑞穂のことは大学生になるまでは保留としよう。


それよりも、今、最も重要なこと。

俺の目的は、なんだ。

でないと過去に戻ってきた意味がなくなってしまう。

使えるものは使ってなんとしても現世界線では救ってみせる。


家に帰ってからもう一度、[俺ノート]を開いた。これから起きる出来事のおさらいだ。


「ん……?」


人物の相関関係図。

俺の名前が書いている下の方、モザイクがかかったように見えなくなっている箇所があった。


「これって前にもあったよな……」


そうだ!

亘とあかねの子供、沙耶香ちゃんの名前が消えかけようとした時だった。


このモザイクが見えているということは、誰かの存在が俺の頭から消えようとしていることに他ならない!


なんだ……?

なんなんだ……突然込み上げてきた焦燥感は?!

俺は誰を忘れそうになっている?

誰が消えようとしている?!


その時、


キィーーン!!!


「あッ?!ぐぁ!!!」


唐突に襲ってきた頭痛。

これまでにないほどの痛みで立っていられなくなった。

机の上にあったノートや筆記用具がバラバラになって落ちた。


「翔太郎ーちょっとお前に聞きたいことが……」


兄貴……ちょうどいいところに……!


「あ、にき……ガッ!!」


「うぉい!!どうした翔太郎?!母さん!!翔太郎がヤベェことになってる!!」


そこで俺の意識が暗転した――







夢の中で、俺は誰かと手を繋いでいる。

左手には白くて細いけど優しく柔らかな手

右手には小さくかわいい手……


二つとも愛おしくてたまらない。

俺が守ってやるんだ。

この手は絶対に離さないから……


 


――――はっ!


目が覚めた。

真っ白な天井に、視界の隅に少しだけ光るライト。

三方面がカーテンで囲まれていて、ここが病院だということがすぐに分かった。


幸いにも先程まであった激しい頭痛はまったくなくなっていた。


厄介だな……

記憶を呼び起こそうとすると、こんなことになるのかな。

でも今の俺に前世界線の記憶を諦めることはできない。どんなことがあっても父さんを救わなきゃ。


「父さんを救わなきゃ……?」


確かに大事なことだ。

でも他にも大事なことがあった気がする……

なんだ?

なんだっけ?!


ふと、さっき見ていた夢を思い出した。


「手……誰かの手を握っていた。離したくないって思っていた……」


ダメだ、分からない……

少し休もう。

脳に負担をかけ過ぎたんだ。

今はしっかり休んで、来る日に備えなきゃならない。


「おー、起きたか翔太郎」


シャッとカーテンが開いて兄貴が顔を出してきた。


「兄貴……ごめん……また迷惑かけた」


「ガキは面倒かけてナンボだ」


こういう時、兄貴の軽薄な感じっていつも通りで安心する。


「で、何の夢見たんだ?」


「夢?」


なんだろう。兄貴、何かを期待しているようにして。目がマジだ。


「お前、サヴァン症候群?じゃん」


「まだそんなこと言ってんのかよ」


「あかねちゃんだって言ってたぜ。未来予測の能力。夢で未来を見たりするんだろ?なんで隠そうとするんだよ。当局にとっ捕まるってか?」


「兄貴……俺が未来のこと言い当てたことなんて真に受けるなよ。偶々かもしれないだろ」


「偶々だったとしても見たんだな?そうだろ?」


何が言いたいんだよ……はぁ面倒だ。寝たい……


「……翔太郎よ。お前はいつだったか、俺に彼女ができると言った。確かに言った。夢で見たとかなんとか」


「あぁ、ルミさん?付き合ってんの?」


すごくどうでもいい。

後で思い出したことだけど、兄貴はめちゃくちゃ彼女自慢をするウザ男だった。普段はイミフなことばっか言ってるくせに。

また可愛い彼女の馴れ初めだとか、いかに彼女が可愛いかだとか自慢話が始まるのだろう。


「やはりな!」


「何が?また自慢話?もういいよ、寝かせろよ」


「待て!少しでいいんだ弟よ!兄のロマンスがかかっているんだ!」


わけ分からん。

これってあれだな。

橋爪の相手をしている伊東の感情なんだろうな。


「実はな、俺、瑠美さんに告白されたんだよ。昨日の話だぞ?!でもお前は知っていた!名前も!」


あぁ……またやっちまったのか。

まあいいや。兄貴幸せそうだし。

……ホント腹立つな。


「俺は迷っている……まだOKしてないんだ。いいんだよな?からかわれてないよな?!罰ゲームで告白してきたわけじゃないよな?!」


どんだけ自尊心低いんだよ。

俺は面倒すぎたので布団をかぶって横になった。


「大丈夫だよ〜オーケーしちゃいなよ〜」


「本当か!よし、すぐOKする!」


弟がフラられたタイミングで兄貴に彼女ができるって……なんの嫌がらせだよ。


「……あ、そうだ兄貴」


なんだか急激に眠気が襲ってきた。もう脳が限界なんだろう。

俺はベッドの布団にもぐったまま言った。

 

「え、なんだ、やっぱりダメか?」


「違う。いいんだよ付き合って。もし瑠美さんが芸能事務所にスカウトされても反対した方がいいよ。多分、迷うだろうけど。よく、話を聞いてあげて……瑠美さんには別の夢もあるから……大丈……夫……」


「……翔太郎?……寝たのか……そうか……付き合っていいのか。芸能事務所ってなんかもう頭がついていかねぇな……相談に乗ってあげて、その別の夢ってやつを応援すればいいんだな?分かったよサンキューマイブラザー」


兄貴の言葉は最後まで聞き取れなかったけど俺はようやく質問攻めから解放されて眠りに落ちた。




 


 

――また夢を見ている。


「……兄貴」


兄貴が小さな子供を抱えて

隣には、女性が寄り添っている。

あれは多分、瑠美さんだ。

家に何度か連れてきていたから何となく顔は覚えている。


愛おしそうに子供に話しかけて

笑顔を瑠美さんに向けて

あんな穏やかな顔をもできるんだな兄貴は……

すごく幸せそうだ。


それを見て

俺の中の何かが

ぽっかりと抜け落ちたみたいに感じ

虚しさが込み上げてきて

また涙が溢れてきた――

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