第47話 終わりを望んで

これが最後……


これが最後……


そう心の中で何度も何度も反芻する。

それ以外のことは考えない。


これで最後にするんだ……



 



その日、私は[彼]に呼び出された。

自宅近くの駅前のホテルで制服で来いと言われた。

私に逆らうことなんてできず……


だけど今日ここに来たのは、どうしても言わなきゃいけないことがあったから。


「……もうこんな関係、やめにしたい……です」


今までは怖くて、勇気が出せなくて言えなかった。

でも、今日、どうしても言いたかった。

思い切って言った。

言ってやった。


「なんで?」


[彼]は私の方を見ようともせずスルスルと上着を脱ぎながら言った。


「好きな人、できたから……」


一瞬、[彼]の手が止まった。

また殴られると思った。


「へぇ。好きな人、ねぇ。ふーん……ソイツと付き合うの?」


声はヘラヘラと軽薄な感じがするけど、きっと表情は笑ってなんかいない。

何を考えているのか分からない。

それがとてつもなく怖い。


「……どうかな。付き合いたいと思ってはいるけど……」


「そう。これまでたくさんしてきたのにねぇ。好きな人ができたからって手を切れって?」


「だから、これまでもらったお金、これ……全部返します」


そう言って私は鞄からお金が入った封筒を[彼]に差し出した。


「……ふん」


[彼]は封筒を受け取り、中身をチラリと見てバカにしたように鼻を鳴らした。


「せっかくあげたのに、全部使わないでとっておいたんだ?」


「…………」


私は無言で頷いた。これまで[彼]に抱かれる度にもらっていたお金。怖くて手が出せなかった。


でも、もういらない。


「まぁ支援していたのは僕の勝手だし、いつでも縁を切るよって言ったのも僕だ。でもそうしなかったのは君じゃないか」


そう仕向けたのは自分のくせに!

でもそんなこと言えない……


「もう、私、大丈夫だから……だから、もう終わりにして……」


お願いだから……



次の瞬間


ドンッ


押し倒された。

[彼]はどちらかというと背は高い方じゃないのにすごい力だった。


怖い……怖いよ……


私は受け身も取れずにベッドに倒れてしまったが恐怖で起き上がれなかった。

私に覆い被さるように[彼]の顔が近づいてきた。


「……分かったよぉ」


え……


「そろそろキミにも飽きてきたところだしねぇ。いいよ。今日限りでこの関係は終わりにしよう。約束するよ」


本当に最低な男だ。

終わりにしてくれるならなんでもいい。

だけど


「……本当?」


「これまで僕が約束を破ったことがあるかい?」


確かに[彼]はこれまで、「約束する」と言ったことを守らなかったことはなかった。




スルスルと再び[彼]から服を脱ぐ音が聞こえてくる。


これが最後……


これが最後……


ギシッとベッドが撓んで、[彼]が近づいてきているのが分かる。


「……うぅ、ぅぅ」


涙が溢れていた。

我慢できなかった。

情けなくて、惨めで……


佐伯くん……佐伯くんに会いたい……

佐伯くんに抱きしめてもらいたい。

汚れきったこの身体を上書きしてもらいたい。


いや……そんなの無理だよね……嫌だよね……




「……あーぁ。興醒めだわぁ。好きな人のために覚悟を決めてきました、みたいな?そんなのちっとも面白くない。つまらなくなっちゃったな君。確かに今が潮時かもね」


急に[彼]がそんなこと言い出した。

[彼]はため息をつきながらベッドから降りて再びシャツを着だすと、


「これで部屋代払っておいて」


そう言ってお札を一枚テーブルに置いた。


本当に終わり?

私が望んだことだけど、なんか思ってたより、あまりにあっけなさすぎて……


「じゃあね」


答えを聞く間もなく、[彼]は一人でさっさと部屋から出て行ってしまった。


この関係が終わったのか不安が抜けきれない中、私はトボトボとホテルから出て行った。





外に出ると雪がチラついていて、イルミネーションの光に反射して綺麗だった。

でも心からこのイルミネーションを綺麗と思えない自分が哀れで。


ホテル入り口の目の前に路駐していた車がスーッと走り出した。

すると通りの向こう側の歩道に見知った顔があった。


あれは……


「あかね、さん……」


今思えばもっと気を張ればよかったんだと思う。

地元なんだから知った顔がいるってこと分かっていたはずなのに……


私は彼女がこちらに気付く前に、コートについているフードを被り逃げるようにその場から離れた。







 


あの後、俺はどの道をどうやって帰ったのか、亘とあかねと何を話したのか、どうやって今この自分のベッドに横たわっているのか、一切、何も分からない。

気付いたら天井を見ていた。


「風呂、入ってこよ」


時間は午前2時。

寝ていたのか起きていたのか、眠くないのに頭はぼんやりしていた。


風呂場から部屋に戻ろうとしたら、トイレに起きた父さんに出くわした。


「ふぁ……あぁ?まだ起きてたのかぁ翔た…………おい、翔太郎!何があった?!どうしたんだ?!」


「え……どうしたって……風呂入って今上がったところだけど?」


「そうじゃない!お前、何で泣いてるんだ……」


「え……」


気付かなかった。


髪の毛がまだ濡れている程度にしか思わなかったけど、次から次へと涙が溢れて止まらない。


「え?え?何これ?止まんないんだけど」


感情は普通だ。悲しいなんてものは心にない。

なのに、涙がとめどなく流れていく。すごく不思議な現象だ。


すると、父さんが、ガッと俺を抱きしめた。

は、恥ずかしい。それに少し痛い。


「何?!どうしたの?!」


あ、ヤベ。

母さんまで起きてきちゃった……


そうか……そんなに堪えているんだなぁ。俺……


 




 

翌日、俺は両親からの強い命令?で学校を休むことになった。

朝、心配してくれた亘とあかねが来てくれたようだけど、なんとなく恥ずかしくて会わないことにした。ちょっと申し訳なかったな。


亘もあかねも両親には詳しいことを言わないでいてくれた。それこそ恥ずかしくて言えないよ。


でも今、一晩経って少し冷静になったからなのか、そこまで瑞穂に固執する必要なんてなかったんじゃないかって思えるようになってきた。

大学生になったらまた再会するし、付き合うのだってその時考えればいいんじゃないかなって。

それに別に女性はひとりじゃないし、もしかしたら瑞穂よりももっと俺にとって理想の彼女が現れるかもしれない。

そう思っていたら少し心が軽くなっていくのが分かった。





夕方

そろそろみんな下校の時間だろうなぁと思っていた時だった。

突然俺の携帯電話が鳴った。



「……もし、おぅなんだ亘か」


『翔太郎!無理を承知でお願いするんだけど、あかねが大変なんだ!』


は?

何を言っているんだ?


「落ち着け亘。順を追って説明しろ」


どうも職業病というか、他人が感情的だと逆に冷めた接し方をしてしまう癖が抜けきらない。


『あかねが瑞穂さんのところに殴り込みに行くって、翔太郎の学校に……』


ぎゃいぎゃいぎゃい


もう何を言っているのか分からなかったが、あかねのあの性格だ。瑞穂を問いただそうとしているのだろう。


まったく……余計な面倒をこしらえたな!


話の途中だったがガチャ切りして、すぐにあかねの携帯電話にかけた。しかし案の定、あかねは電話には出ない。


俺は急いで自転車に跨がり学校へ向かった。

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