第5話 俺・ノート

今の俺にだってちゃんと少ないけど憶えていることはある。


現役での大学受験に失敗して一浪の経て大学に入学。

そこで、高校の同級生であった、吉沢瑞穂ヨシザワミズホと再会するんだ。しばらく友人関係を続けていたが付き合うことになって、俺たちが25歳の時に結婚、翌年に依知佳が生まれて……


瑞穂との関係は幻なんかじゃない。

世の中の出来事だってちゃんと覚えていることもあるんだ。日本の総理大臣にアメリカの大統領。国内や世界で起こった事件や事故、大きな災害なんかも……

間違いない。マダラだけど俺は36歳の時までの記憶を持っている。そして、今ここは俺が16歳だった時の世界。


「俺……これからどうなっちゃうんだろう……」


俺を取り巻く環境が20年前にタイムリープしたということを否が応でも物語っていたのだ。


――いや、父さんを見た時から本当は心のどこかで分かっていた。それを受け入れることを無意識に拒絶していたんだ。でも受け入れる他ない。

受け入れたことにより、次にやって来たのは絶望だった。


依知佳に会いたい……

会って抱きしめてやりたい。

この世で一番大切なものに会えなくなってしまった。

俺はこれから先、何を目的に生きていけばいいんだ……


涙が溢れ出て止まらない。


「誰か……誰か助けてください……」


入院中、俺は絶望の中を彷徨っていた。







――――数日後。


シャァとカーテンが開く。


「翔太郎、退院の準備はできたか?」


父さんだ。


「……うん」


俺は退院することになった。頭に巻いた包帯はまだ取れていないし、依知佳がいないという喪失感はまだ残っている。だが、精神を安定させる薬を始めてからは大分落ち着いてはきた。

両親をあまり心配させたくなかったから、未来の記憶のことは話していない。整合性をつけるために直近一年間くらいの記憶が所々虫喰いのように抜け落ちているという設定にした。その方が都合が良かったし、実際そうだったからここ最近の俺の精神不安定さも合間って主治医もあっさりと納得してくれた。これからも定期的に脳外科と精神科へ通院が必要とのことだ。


「良かったわね、新学期に間に合って。今日はお祝いしなきゃ」


「それにしても本当に記憶喪失とかあるんだな。ドラマや漫画の世界だけかと思っていたが……羨ましいな……」


何が羨ましいのか……わけの分からないことを言ってきたのは俺の2つ上の兄、[佐伯 一真カズマ]だ。この春から東京の大学に通うことになっている。

たしか兄は大学卒業後しっかり就職する。でもわずか数年で退社してたよな。その後は実家近くのアパートに住んでいた。何の仕事をしていたかは憶えてないけど、うだつの上がらない中年になっていたはずだ。

そんなふうになってしまった兄だが、俺はそんなに嫌いじゃなくて、依知佳もとても懐いていた。


今のところ、俺の頭に残っている記憶と世の中の出来事が一致している。俺もこのままいけば普通に高校2年生をやり直すことができるということだ。


「高校2年かぁ……」


人生において一番楽しかった学生時代だ。後半だけだが……


「そうだぞ翔太郎。少しはツンツンした性格を落ち着かせて女の子の1人くらい家に連れてこい」


と、父さんが運転をしながら言ってくる。


「お父さん何言ってるの?あかねちゃんを大切にしなきゃダメじゃない。翔太郎も真に受けなくていいんだからね?」


「はいはい……女の子ねぇ。まぁ考えとく」


正直、瑞穂から離婚話をされた記憶がまだはっきりと残っているから当然彼女とか作る気にもなれないんだけどな。


「お前……女子友なんかすぐできるみないなセリフだな。記憶喪失になったからって調子乗んなよ。あかねちゃんにチクるぞコラ」


「記憶失ってるのに調子乗れるわけないだろ。それに何であかねにチクるとかになるんだよ。兄貴だって可愛い彼女いるだろう?ユミさんだかルミさん、だっけ?」


そう、兄には美人の彼女がいた。話しながら少しずつ思い出してきたけど、たしか家にも連れて来たことがあったと思うし、うざいほど自慢された……ような気がする。


「……嫌がらせか?彼女なぞ生まれてからできたことなどないのだが?」


えッ……彼女さんと付き合うのは大学に入学してからだったか?!マズイな……名前まで言っちゃったから出会った時に気まずくなったりして上手くいかなかったらどうしよ……


「あ、あ〜。俺まだ記憶がぐしゃぐしゃなんだった。気のせいかも。気にしないで」


「む……そうか……」


便利だなぁ一部記憶喪失って。一部記憶喪失ですって言えば大抵のことを受け入れてくれる。


「魔法の言葉だ……」


「何か言ったか?」


「いや、何でもない……」


兄貴はいわゆるアニヲタで不思議ちゃんなところがあるけど、ちゃんとオシャレしたら俺なんかよりイケメンになるんだ。だから諦めないでほしい。

ま、それはそれ。とりあえず、今、目の前のことを考えよう。





 


4月に入った。

桜もだいぶいい感じに咲き乱れている。流石にこの時の桜の見頃までは覚えてないけど、またさらにいくつか思い出したことがあった。そういった記憶の整理をするために、俺は今近所の図書館に来ている。自分の記憶と世の中の出来事。それを擦り合わせるためだ。これが意外なほど世間のことだけは覚えていた。ただ……やっぱり自分を取り巻く状況については虫食いのように思い出せないことがある。特に自分自身のことだ。俺は無意識下に自分自身のことをしまっておきたいのかもしれない……


今の俺にできることはそういった記憶を分かる範囲でつなぎ合わせること。だから、自分や家族などの身近な出来事も含めて年表や相関図をノートにまとめることにした。


「俺がいて、瑞穂と結婚だろ……んで依知佳が生まれて……」


良かった。ここはまだちゃんと憶えている。こいつは[俺ノート]と題しよう。


「ふう……もうこんな時間か……」


時刻は午後4時を回っていた。もう帰らなきゃ。

最近、両親が過保護と思われるくらい心配している。俺が時々依知佳のことを思い出して死にそうな顔になるからなのか、気が気じゃないらしい。

父さんにはあまり心配させたくない。碌な親孝行もできなかったからな……

頭の包帯を隠すため被ってきたニット帽を少しずらし、ポリポリと掻いた。


陽が長くなって来たからなのかな。外はまだ明るい。新学期が始まったらすぐに学力テストがあるらしい。図書館でやらなかった分、夜は自室でやろうかな……

俺はエナジードリンクを買うためにコンビニに寄った。


「あれ?エナジードリンク全然ねえじゃん……」


品揃えが悪いのかな?いや、どこにでもあるチェーン店だし。仕方ない。栄養ドリンクにするか。ファイト一発とかいうやつ。

俺はレジに並んで携帯を出した。


「あ?!」


しまった!考え事をし過ぎていて失念していた!

この時代、俺はガラケーだったし、そもそも電子マネーやバーコード決済なんてシステム、コンビニに備わってない!

財布を取り出すが……


「……14円」


ギャァ!!

諦めるしないか……店員さんもなんか変な目で見てるし。


「あ、あの、やっぱやめ……」


そう言おうとした時だった。


「これで会計お願いします」


俺の後ろから手が伸びて来て、小銭の受け皿に500円玉が落ちて来た。


「…………ワタル?」


そこにいたのは、20年前の亘だった。

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