第3話 記憶喪失

「!!」

 

ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ


心臓が痛いくらいに鼓動している。

息も荒くて苦しい。


なんだ?!なにが起きた?!


周りを見渡す。

見覚えがある場所だった。


「……俺の……部……屋……?」


そこは実家の自分の部屋だった。

いつ実家に戻って来た?直前の記憶がない。

悪夢を見たのは分かる。なぜならこんなにも手が震えているのだから。


ベッドから身体を起こすと、一瞬激しい頭痛に見舞われた。


「グッ……」


痛みが治ると、


「思い出した……」


そうだ、俺は自宅マンションの7階の廊下から両脚を抱えられてそのまま落とされたんだ。迫り来る地面と当たった時の、あの雷が当たったかのような衝撃。

――あまりにもリアル。


急激な怖気が覆い、ブワッと冷や汗が吹き出してきた。


ドスンッ


「ぁ痛ッ!」


ベッドからずり落ちてしまった。


「なぁにー?!どうしたの?」


下階から母親の声が聞こえて来た。


「だ、大丈夫!」


慌てて身体を起こした。

それにしても違和感がある。確か俺の部屋は物置になっていたはず。机もベッドも戻したのだろうか。壁に貼っていたポスターも。


頭を整理しなきゃならないのに、マンションから落ちるより前のことが、頭に霞がかかったようにはっきりと思い出せない。

マンションから落ちてどうなった?どうやって実家に来た?

瑞穂は?……そうだ離婚を切り出されたんだ。夢じゃないよな……


どこまでがリアルでどこからが夢か分からずトイレに籠って考え込む。


「はっ!依知佳?!病院に行かなきゃ。職場にも連絡しなきゃ……」


俺はトイレを出て自室に戻ろうとした。すると、洗濯カゴを抱えた母親が階段を登って来た。


「翔太郎大丈夫?すごい音がしたわよ?」


「え、あぁうん。大丈夫。寝ぼけていただけ」


母さんにはあまり迷惑掛けたくないな。離婚の話はまた今度にしよう。


「……あれ、母さん髪型変えた?」


母さんにも少し違和感を感じた。


「ううん、ここ何年かは同じ髪型だけど……何で?」


「いや、別に。何でもない……そういや母さん、瑞穂から何か連絡あった?」


「……誰?ミズホって」


「はぁ?なに言ってんの?……まさかボケた?!」


母さんだってそういう年齢に達しているからな。


「おおい、母さん。俺の靴下どこやったか知らないか」


母さんの寝室から聞こえていた男の人の声。兄貴も帰って来ているのか?


「昨日たたんでしまっておいたわよ。あなたがちゃんと脱いだら洗濯機に入れないからすぐなくなるんじゃないの?」


「そうかぁ〜?おかしいなぁ」


近づいて来る声。兄貴の声じゃない……

なんだろう。すごく懐かしい感じがする。


「……嘘……だろ」


その人の姿を見て、俺は思わずそう呟いてしまった。

もう何年も前に記憶の中に追いやり、霞始めていた人物像。声が耳に入り姿が目に入ると、懐かしさとともに記憶が蘇ってきた。


「父さん……?」


「ああ?なんだよ翔太郎。お前まだ寝ぼけてるのか?」


「な、なんで……ど、う……」


無意識だろう。涙が一筋流れる。

蓋をして思い出さないようにしていた、父さんが亡くなった日のこと。葬儀の日、母さんの背中、いろいろな情景と感情が解き放たれて頭をショートさせた。

すると今度は、視界の端からチリチリとモザイクがかかったように徐々に見えなくなって来た。


「あ!おい!翔太郎!!」


父さんの声が遠くに聞こえる。

そこで意識が飛んだ――――。







目が覚めた。

今度は知らない場所だ。

この匂いは……


「病院……?」


微かに聞こえる人の会話や機械音。周りの状況が徐々にはっきりしてきた。

にしても……


「一体、どれが夢なんだよ……」


正直、もうウンザリしていた。全部夢といえば夢だろうし、リアルだといえばリアルだろう。それだけ境界線がボヤけてしまっていた。


「翔太郎!起きたか!」


「父さん……」


病室をセパレートするカーテンを開けて入って来たのは間違いなく父さんだった。ということはこれも夢?いや、これは絶対に夢なんかじゃない。


「本当に心配したのよ?あなた、お父さんの顔見るなり意識を失ったみたいで、運悪くそのまま階段から転げ落ちたんだから」


父さんの後から入ってきた母さんが説明してくれた。


「お前、頭打ったんだぞ?物凄く血も出たんだ。どこか身体が不自由なところとかないか?」


両手両足に意識を向けてみる。特になんの違和感も感じられない。


「うん、なんともないよ。……そ、それで父さんは一体どうして……」

 

「佐伯翔太郎さん、起きましたか」


主治医だろうか、医師が来てくれた。

俺は頭を打ってしまったから、いろいろと検査が必要なんだとか。しばらくは入院だ。


「良かったわね。特に何もなさそうだし。それに春休みだから学校も心配ないわね」


先生の説明の後、母さんがそんなことを言った。


「春休み?学校?ていうか、この間ゴールデンウィーク過ぎたばっかじゃん?」


「……お前は頭を打って混乱しているのかもしれない。少し休め」


父さんにそう言われて何も反論できなかった。今は甘えておこう。でもその前にちゃんとしておかなきゃならないこともある。


「母さん……職場と依知佳の病院、できれば瑞穂にも連絡しておいて……」


「……翔太郎、お前……いや、いいから寝ておきなさい」


少し頭がクラクラする。

父さんのことはあとで考えよう。

そう言って俺はまた眠りについた。







「……先生」

 

翔太郎の母親は心配そうに主治医を見た。


「ふむ……やはり息子さんは少し記憶が混濁している様子ですね」


「職場だとか、ミズホ、さん?さっきイチカって子の名前も出してたな。母さん翔太郎の友達でそんな名前聞いたことあるか?」


「いいえ、名前からして女の子でしょうけど、女の子はあかねちゃんしか私も知らないし、あとはワタル君ぐらいよ。翔太郎の口から出てくる友達の名前は……」


「仲の良い友人よりもその人物たちの名前が先に出て来るということは、非現実的な何かと現実の区別がつかなくなっている可能性があります。もちろん、ご両親の知らない交友関係があったということも十分考えられますけどね。いずれにせよ、慎重に検査をして調べていきましょう」


「よろしくお願いします」


「大丈夫。翔太郎さんはまだなんですから」

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