第6話 古河はママ。教科書にも書いてある。
シェアハウスの食事事情はかなり自由になっている。基本的には、各自で自炊か外食。なにかパーティーを開く際は、集まって食べることもあるんだとか。
自炊は苦手だが、外食ばかりでは食費がかさむ。節約のためには、自宅での労働も必要になる。
夕方からのアルバイトを終えて帰宅。三月の塾は、受験生の煽りを受けて空気が張り詰めている。緊張を解いて、靴を並べ、自室に入る。
春休みはバイト以外の予定が存在しない。素晴らしい退屈。四月からは、そのバイトすらも辞める予定だ。そうするだけの余裕が、ここでの生活にはある。
片付けを終え、ほとんど無意識でコントローラーに手を伸ばす。
ノックの音。
「戸村くん、いるかな」
「あ、はい。今出る」
立ち上がってドアノブをつかみ、引く。外に立っていた古河さんはグレーのパーカーで、部屋着なのだろう。リラックス感がすごい。
上目遣いでじっと見つめてくる。
「……なに?」
「君に大事なお願いがあります」
「お、おう」
大事。と言われて咄嗟に背筋が伸びる。
古河さんは真剣そのもので、大きな瞳で真っ直ぐに伝えようとしてくる。
なにを言われるのだろう。ドキドキしてきた。別に告白とかじゃないだろうけどさ。いやでもなんろう、この空気。古河さんは指先をもじもじさせて、どこか不安そうにして、頬を朱に染めて――
「私のご飯を、毎日食べてください!」
「すげえこと言い出したぞ!?」
それなんてプロポーズだよ。
「……だめ、かなぁ」
「いやだめっていうか、気が早すぎるっていうか、俺たちそもそもそういう関係じゃないじゃん?」
「絶対に後悔させないから。私、料理だけは自信あるし!」
「お、おう。確かに料理は上手だったな……ん?」
料理?
古河水希と料理。その関係性は、普通の人のそれとは少々異なる。彼女は食事を愛している。どうしてそれで一般的な体型を維持できているのか不思議なくらい、愛している。
つまり、これは……。
普通に料理を食べてほしいってことか? でも、なんで?
「お願いだよ戸村くん。戸村くんが食べてくれると、いつもよりもう一品多く作れるようになるから!」
「あ、はい」
なんとなく予想したところで、正解が明かされる。また言っちゃったよ「あ、はい」って。すごい棒読みの声が出た。
その反応を了承と取ったらしく、古河さんは嬉しそうにガッツポーズ。
「え? いいの? やったぁ」
……ま、いいか。
料理をしてもらえるというのは、ありがたいことだし。
「いくら払えばいい? 食材とか、調味料に、作ってもらうわけだから上乗せしてくれると気が楽なんだけど」
「料理は好きでやってるから、材料費の半分でいいよー」
「まじか。申し訳ないな」
けっこう心が痛む案件だ。人に甘えるのは苦手だと思う。
古河さんは小首を傾げて、なにかを考え、察してくれたらしい。ぽんと手を打ち、提案する。
「じゃあ、たまにラスクとか買ってくれると嬉しいかな」
「ラスク?」
「そう。戸村くん、センスいいから」
「けっこうプレッシャーだな」
「だいじょぶだいじょぶ。私、苦手な食べ物はほぼないので」
えっへんと誇らしげに胸を張る。
「それでいいなら、よろしく頼む」
「うん。こちらこそよろしく」
こうして、俺は古河さんに養われることになった。
後に知ることだが、男は女子よりよく食べるから、同居人としてほしかったんだとか……。古河さんの食事への執念、恐るべし。
食事のときに俺のすることはいたってシンプル。皿洗いと、「美味い! 美味い! 美味い!」を言うだけの簡単なお仕事だ。
シェアハウス――というか古河さんにダメにされる気がする。
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