第4話 女子中学生は任せろと言ったな。あれは嘘だ。

 バイトがない休日は昼過ぎから始まる。

 というのも、大抵の場合は夜更かしをして寝るのが明け方になるからだ。夕飯を適当に食べて、ゲーム機を起動して、途中でシャワーを浴びて、ゲームを再開して――限界になったらベッドに倒れ込み気絶したように眠る。


 起きたらまたゲームをやって、途中で食べ物を口にして――。


 充実感と楽しさの代償に、健康が失われていた。自分でも危険だとわかっていたが、変えようにもきっかけがない。


 これ以外にしたいことはないから、これだけは許してほしい。そんな気分だった。自分の身体が壊れても、わりとどうでもよかった。破滅的というか、諦めに近い。


 それでも何日かに一回は、このままじゃダメだと思い直し、まともな食事、睡眠を確保する。そうやってバランスを取るから、身体は不調を示さない。


 繰り返しの日々は、終わるのだろうか。

 三月の初旬。

 前の家での生活を終えて、新しい場所での暮らしが始まる。







「よし。これで最後ね」


 穂村さんの車から荷物を降ろし、玄関先に並べる。春が近づき、雪もほとんど溶けたから作業がしやすい。


「ありがとうございました」

「いいのよ。来てくれて嬉しいわ」


 なにかの冗談、夢かドッキリかと疑っているが、どうやら本当にシェアハウスで住むらしい。サインしたのは自分なのに、実感が一つもない。


「それにしても、荷物少ないわねー」

「うまいこと処分できたので」


 車で二往復。それだけで、元の家は空っぽになった。

 引っ越しするにあたって、家具や本、使わなくなった教科書は売りに出した。今の時代は、中古品を処分するのも楽でいい。


 物を捨てたら、過去の自分を捨てたような気がして清々しかった。


「そういえば、古河さんは外出してるんですか?」

「今日は歓迎会をするから、買い出しって。朝から張り切ってるのよね」


「へえ……」


 歓迎会か。そんなのを開いてくれるなんて、いい人がすぎるぜ。

 ここで『もしかして俺のことが好きなのか⁉』みたいになるやつは一般モブ男。俺くらいの上級モブ男になると、だいたいの真実を冷静に判断できる。


「絶対、美味しいもの食べる口実にしてますよね」


 古河さんの目的は、俺の歓迎もあるだろうが――きっと最大の目標は食だ。そんな気がする。

 穂村さんは腕組みをして、こくりと頷く。


「鋭いわね、まひろん」

「まひろん⁉」


「私のことは気軽にマヤたんと呼んでいいわよ」

「マヤたん⁉」


 この距離の詰め方、もしかして俺のこと好きなのか⁉


 古河さんの話をしていたのに、急に呼び名のことになっている。だが、当のマヤたん?は真剣な表情で、こめかみを叩く。


「困るのよね、穂村さんって呼ばれると会社にいるみたいで。うっ……上司のストレスが」

「唐突に闇ぶっ込んでくるじゃないですか」


「だから、家くらい下の名前で呼ばれたいのよ。他の皆もそうしているわ」


 他の皆もそうしている。

 日本人なら絶対にあらがえない、この同調圧力――ってのも含めて冗談だろう。向こうが名前で呼んでいいと言っているのだ。素直に頷いておく。


「わかりました。マヤさん」

「それでいいわ」


「その代わり、まひろんはやめてください」







 荷ほどきが一段落したのは夕方。部屋が薄暗くなり、電気をつけた頃合い。


 最優先でテレビとゲーム機を設置し、ここをキャンプ地とした。それだけあれば生きていける。


 廊下に出ると、下からいい匂い。つられて階段を降り、リビングに入る。


 そこにいたのは――


「えっ、新しく来る人って男の人なんですか⁉」


 聞いたことのないソプラノ。咄嗟にドアの陰に身を隠す。

 もしかして……いやもしかしなくても、三人目の同居人? 三人目も女性なんですか?


 そういえばマヤさん、一人は春休みの間は帰省してるって言ってたな。

 ということは、今、この家に男は一人だけ?


 肩身せまっ!


 男同士でもぷかぷか浮き上がる俺が、ガールズトークに入れるか? 否。無理だ。絶対に無理だ。百合の間に挟まる男よろしく滅される。


 会話の相手はマヤさん。大人の女性の、落ち着いた声。


「なに驚いているのよ柚子(ゆずこ)。興味ないって言ってたじゃないの」

「でも……真広(まひろ)って名前だから。男なんて思わなかった」


 それはほんとにごめん。


「そんなの、聞かなかった柚子に非があるんじゃないの?」

「うっ……」


 そっとドアの隙間から中を覗く。

 柚子と呼ばれたほうの女の子は――。


 見間違いかと思って目を擦る。だが、どうやら間違ってはいないらしい。


 ツインテールで、マヤさんよりずっと背が低くて、表情は幼さが強い。

 え……何歳?


 高校生にもなっていなそうな少女だった。個別指導のバイトで受け持っている中学生と、だいだい同じくらいか。

 そうなると、中学生?


 俺、女子中学生とも一緒に住むの?

 それなんて罪状?


「呼んでくるから、ちゃんと挨拶しときなさい」


 マヤさんがこっちに来る。まずい。慌ててドアから離れ、今来たふうを装う。

 半開きのドアからマヤさんが顔を出す。


「あれ、荷ほどきは終わったの?」

「だいたい終わりました」


「そ。なら、中に入って。紹介するわ。姪の七瀬(ななせ)柚子(ゆずこ)。中学生よ」


 落ち着け、戸村真広。

 確かに俺は人との関わりを避けたが、バイト先は個別指導。なんなら女子中学生の生徒も持っている。


 女子中学生なら俺に任せてください。そういうメンタルで行こう。


 不信感に満ちた瞳を向けてくる七瀬さんに、まずは一礼。


「よろしくお願いします。戸村真広です」

「私に関わらないでください」


 俺の横を通り抜けて、七瀬さんはリビングを出ていく。

 誰だよ女子中学生なら大丈夫とか言ったやつ。即死じゃねえか。


「はぁ……まったく、あの子は」


 マヤさんは深くため息を吐いて、一言。


「ま、仲良くしてあげて」

「無理では?」


 無理だと思います。

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