第3話 見学しに行ったら、契約までしてたんですよね(驚愕)
日曜日。約束の時間に間に合うように家を出て、大学の図書館へ向かう。そこから古河さんが案内してくれるらしい。
休日に人と会うのは久しぶりで、服装にちょっと悩んだ。秋くらいまではファッションにも気を遣っていたのだが、今は布ならなんでもいい。結果としてクローゼットは悲惨の極みだ。
結局、ジーンズとパーカーで無難な格好に落ち着いた。コートを羽織れば関係なくて、なんだか虚しくなった。
歩きながら息を吐く。手はポケットに入れ、白い水蒸気を見ながら考える。
シェアハウスか……ずいぶん突拍子もない勧誘だったな。早急に人を求めてるような雰囲気だった。
あれか。学生同士でやってるけど、空室のぶん家賃が高くなってるみたいな。人がいればもっと安くなるから、もう一人分埋めたいみたいな。
確かに古河さん、シェアハウスとかしてそうだもんな。偏見だけど。クラスで誰かといないのも、その住人と仲がいいからと考えれば納得がいく。
上手くやれるだろうか。仲良くやる自信は微塵もないが、距離感を守れればありがたい。大学生だ。もう十分に子供ではないから、気をつければ可能なはずだ。
結局のところ、半端に仲がいいから傷つけ合う。一線を引いて、安全圏からお互いに利のある行動をすればいい。
無理そうなら断ればいいしな。今日はあくまで見学をするだけだ。
「あ、戸村くん。こっちこっちー」
大学の門のところに立っていた古河さん。ひらひら手を振って、近づいてくる。
両側からフワフワの毛玉を垂らす、可愛らしいデザインのニット帽。白いマフラーとニット帽。温かそうな手袋をぽんと合わせる。
「来てくれてありがとね」
にこっと笑って、小さく首を傾ける。
可愛い(確信)。
最近は二次元一強になっていたが、やっぱり立体的な可愛さってあるな。視覚と聴覚だけでなく、柔軟剤の甘い香りもする。三次元すげえ。
「……よろしくお願いします」
「うん。よろしく!」
あまりに眩しすぎて、声がぼそぼそしたものになる。ガチ不審者のそれだ。通報されても文句は言えない。
「それじゃ、さっそく行こっか。ついてきて」
薄く雪の積もった道を、軽い足取りで歩き出す。その後ろを歩く俺は、ドットRPGの味方キャラのように追従する。
一マス後ろを、遅れることなく。
とかやっていたら、すっと横に並ばれた。
「ねえねえ、戸村くんの好きな食べ物ってなに?」
「好きな食べ物?」
理解力が低すぎてオウム返ししてしまった。聞いたことを自分で言ってやっと理解。牛の消化かよ。
「そう。私、食べるのが好きなんだよねー」
そういえば、ラスクも美味しそうに食べてたっけ。
……食べるのが好きな女の子、いいな。明るいし。優しいし。
「ちなみに、古河さんの好きな食べ物は?」
「美味しいもの」
「ざっくりしすぎでは⁉」
「そうなんだけどさー。でも、世の中美味しいものばっかりでとても選べないよ」
「お、おう……」
自分の質問を完全に否定したけど、それはどうなんだろう。
「じゃあ、一つだけ選べって言われたら? たとえば、最後の晩餐みたいな状態で」
「えっ、嫌だよそんなの。まだ死にたくない」
「仮定の話なんだけどね⁉」
マジレスされると困るんだよな。
古河さんは本気で難しそうに、腕組みして顔をしかめる。それでも絵になるのは、彼女が優れた容姿をしているからか。
「うーん。一つ、一つかぁ……」
「そう。一つだけ」
「……………………スイーツ、かなぁ」
「ジャンルかよ!」
「やっぱり選べないよ! 鍋物、丼物、焼き魚、煮魚、中華炒め、うどん……どれも私の宝物なの!」
「食への熱量ハンパねーな」
「それで、戸村くんはなにが好き?」
なんで自分は答えたみたいな顔してんだよ。くそ、女子のワガママってなんか可愛いの腹立つな。
まあいいや。答えれば終わる。
「ロールキャベツ」
言ってから、このチョイスはまずいかと思った。なんだよロールキャベツって。美味しいけど、反応に困るよな……。
焼き肉か寿司にしとけばよかった。
「――いいよね、ロールキャベツ!」
「ん?」
「美味しいよね、ロールキャベツ。うんうん。やっぱり戸村くんはセンスがいいよ。そうか……そこでロールキャベツを選んでくるか」
「あ、はい」
顔に手を当て、推理小説の探偵さながらの集中をする古河さん。その横で困惑する俺。
「あ、はい」とか素で言っちゃったよ。
ロールキャベツにそんな食いつくとは思わないじゃん。
「これはますます、戸村くんには入居してもらわないとだ」
「……おう。そうなのか?」
ちらっと見つめてくる視線は、獲物を狩るハンターの目をしていた。
古河さん、ちょっと怖いっす。
◇
学校から五、六分ほど歩いたところで古河さんが立ち止まる。マンションが建ち並ぶ大通りから、一本外れた道。住宅街の入り口に、それはあった。
「ここだよ」
「おお……」
シェアハウスへの偏見として、少し古い建物を想像していたのだが、そんなことはなかった。築十年も経っていなそうな、小綺麗な一軒家。平らな屋根に、白とグレーの壁面。オシャレだが、周囲にも溶け込んでいる。
第一印象は、すげえ(語彙力)。
「ささ、入って入って」
門を開けて、敷地に入る。玄関ドアを古河さんが開ける。
「マヤちゃーん。連れてきたよ」
え、女子がさらに増えるんですか?
明らかに心拍数が速くなる俺。
正直、古河さんだけでもドキドキしちゃってるんだけど。
ドキドキってのは、ときめくほうじゃなくて、不安なほうで。俺、なにか変なこと言ってないだろうか的な。ぼっち特有の、不安からくるものだ。
上から足音がして、マヤと呼ばれた女性がやってくる。ハスキーな声だ。
「はいはーい」
黒髪を肩の少し下まで伸ばした、ややつり目がちの女性。黒い大きめのセーターをゆったり着ていて、リラックスした雰囲気がある。年齢は俺より上だろうか。綺麗な人で、落ち着きがあった。
「君が見学者の戸村くんね。私は
「戸村真広です。よろしくお願いします」
一礼して、ふと疑問が生まれる。
「持ち主?」
「そうだよ。ここ、マヤちゃんの家」
古河さんがとことこ外に出て、ほら、と指を差す。確かにそこには【穂村】という表札がかかっていた。
シェアハウスというのは、学生同士で貸家を共有するものだと思っていたが、違うらしい。
学生なのに家を持っているとは。中々にショックな出来事である。
だが、当の穂村さんは首を傾げて言う。
「そんなに驚くことかしら」
「驚きますよ。穂村さんって、……もしかして起業家なんですか?」
けっこう真面目な質問だったが、ぽかんとされた。それから、あははっ、と雪崩のように笑う。
「君、面白いわね。私は普通のOLよ」
「じゃあ、この家は……」
「その話はまた今度。見学でしょ。上がって上がって」
イタズラっぽく笑って、スリッパを差し出してくれる。
玄関で靴を脱いで、中に入る。古河さんは入ってこなかった。
「マヤちゃん、後はお願いしていい?」
「いいわよ。なにか予定があるの?」
「晩ご飯の買い出しです」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「いってきます!」
ぴしっと敬礼して出ていく。
なんかいいな。ああいうやり取り。人と関わるのは苦手だけど……素直に、いってらっしゃいを言ってくれる誰かがいるのは、羨ましいと思う。
一人暮らしを始めて、一番最初に寂しかったのは「おかえり」のない空間だ。その穴を塞ぐように、友人との繋がりを求めてしまった。だから間違えたのだと思う。その欠落は、友情では塞げない。
「さあ、入って。リビングから紹介するわ」
二人になって、中に通される。
俺みたいなタイプの特徴として、わりと二人だと会話できる。ただし、三人以上になると浮き始めるので注意が必要だ。
廊下を通ってドアを開くと、広々とした空間。
左手にはキッチンがあって、右側はダイニングとリビング。食事用らしいテーブルに、ソファ、テレビ、本棚もある。フローリングの上にはビーズクッションもあって、座る場所はかなり自由みたいだ。
「オール電化で床暖房あり、ヒーターはないけど、熱を循環させるから冬でも温度が一定よ。寒くないでしょう?」
「ほんとだ。エアコンも動いてないんですね」
「夏限定ね。乾燥するから、冬は封印してるわ」
部屋の隅では加湿器が動いている。
快適だな。
これが管理人のいるシェアハウス。学生同士で適当に身を寄せ合うイメージとは、全然違う。
え、これ俺が入っても大丈夫なやつですか?
「冷蔵庫は共用で、食器はあるのを使ってもいいし、自分のを使ってもオッケー。テレビは住民同士で話し合いをするように」
「なるほど」
「キッチンは古河水希の宝物庫だから、見たこともない調味料が大量にあるけど……見ていく?」
「あ、遠慮しておきます」
本能的に断っていた。
古河さんの食に対する熱意は普通じゃない。見ちゃいけないものがありそうで、ちょっと怖い。
「そ。じゃあ次、洗濯機はキッチンの横にスペースがあって、なんと二台あるわ」
「なんと」
それはかなり助かる。洗濯の時間が被ったら、物凄く面倒だ。
「洗面所は一階と二階に一つずつ。風呂とトイレも同じくね」
「男女別、でしたよね」
「一階が男子、二階が女子。くれぐれも間違えないようにお願いするわ」
「間違えたら犯罪ですもんね」
さすがに俺も大学生。ラッキーで済ますには無理がある。
男女が一つ屋根の下というのは、気を遣ってこそ成り立つ。だからこそ、恋愛もないほうがいいのだろう。
「それじゃ、次は二階ね」
二階の部屋に関しては特筆するところはなく、クローゼット付きの六畳。窓は南側。広さは十分で、ベッドと机、それからゲーム用の空間もちゃんと確保できそうだ。
隣の部屋は穂村さん。壁がちゃんとしているから、テレビの音くらいなら問題ないらしい。
個人の部屋は全部で五つ。空室は一つだから、現在は四人が暮らしていることになる。
一通り見終わって、一階に戻る。ダイニングのテーブルに座ると、穂村さんがお茶を淹れてくれる。
「気に入ってもらえそう?」
「……そうですね。いい家だと思います」
「でしょう? これで一ヶ月四万円は破格よね」
「確かに」
その点に関しては同意だ。広いリビングがあるぶん、今の家よりずっと開放感がある。よほどやらかさなければ、古河さんとは上手くやっていけそうだ。
「来てくれると、こちらとしては嬉しいわね。聞いた通り、礼儀正しいし。雰囲気も落ち着いているから、向いてると思うのよ」
「落ち着いてる……ですか」
疲れてる、の間違いではないだろうか。
両者は似ているが、根本的に違っている。大人しい人は、ここぞというタイミングで動く余力があるのだ。疲れている俺は、動くことができない。
ただ少し、休む場所がほしいだけだ。人との関わりを減らし、自分と向き合いたい。
そのためにバイトを減らしたいわけだが……本当にシェアハウスでいいのか? 浮かんできた疑問に心が揺らぐ。
引っ越しとか、学校との兼ね合いとか。そのあたりで心をすり減らすのではないだろうか。
「今なら引っ越しに車を出してあげるわ。特別サービス」
「え?」
傾き掛けていた天秤が、逆側にぐらつく。
「部屋は空いてるから、三月から入居でどう? その時期ならバタバタもないでしょう?」
「…………」
四月だと進級直後で大変だが、春休みなら余裕がある。
がたんと、天秤の均衡が崩れる音。
新しい場所で、新しい生活。
理由はわからないけど、穂村さんも歓迎してくれているし。
……まあ、今より悪くなることはないか。
「じゃあ、お願いします」
「オッケー。それじゃあ書類を渡すから、サインをお願いするわ」
そんなこんなで、入居が決まったわけだが――
この時、俺は致命的なミスをしていた。
ちゃんと聞いておくべきだったのだ。そうすれば、絶対に断っていたのに。
引っ越しの当日、俺はとんでもない現実と対面することになる……。
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次回、女子中学生(JC)登場!
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