5-4


 ナカンは用意周到に計画を巡らせていた。彼が鬼の血ドライブの研究に着手したのは二十年ほど前からである。ナノマシンを活性化させるナノマシンとして作成し、しかもそれを人体で培養する術を編み出し、彼は試さずに居られなかった。だから、後にロナと名乗る子供を攫ってドライブの培養槽に改造した。様々な場所でドライブの実験を繰り返し、絶望がドライブを強化することをナカンは知った。例えばアタラ山で絶望する女にドライブを与え、経過を観察したりもした。

 だが己の悪しき研究が寺の者たちにバレてしまう。しかしそれならばと、ロナの体内に埋めた経文により操作し、ロナに寺の者たちを、関係ない者まで含めて全員を殺させた。ロナの意思に関係なく。否、ロナが本心で拒否すればこそ。絶望がナノマシンを、ドライブを強くすると。

 ナカンにとって寺の者たちへの愛情、家族愛は無かった。ナカンは愛だ恋だという物が理解できなかった。むしろ彼のどこかでは慕われることは恐怖ですらある。だからこそ、寺の者たちを殺すことに躊躇ためらいは無かった。拾い育てたロナを怪物にすることに躊躇ちゅうちょは無かった。

 だが、ロナは自身が密かに恋い慕っていたラシャの命を奪う前に逃走。原因は、ナカンには解らぬ感情であったが、利用価値があることを即座に理解し、ラシャを生かしておくことを決める。いずれ、更なる絶望にロナを落とすために。そこに邪悪な喜びを見出しながら。

 ナノマシンを活用し、自身を仮死状態にすることでラシャもシュリも誤魔化し、隙を見てドライブの力で活性化したナノマシンで、埋葬されながらも自身の肉体を再形成。死神をも騙した。

 ロナは精神的疲弊から廃人化。制御が効かなくなっていたが、ラシャがドライブを持つ者たちと戦うことで、空気中に散ったドライブをロナが吸収。そうしてロナの中のドライブが活性化していき、シュリとの戦闘を越えた段階である程度ロナを遠隔操作できるようになった。ロナを遠隔で操り、ラシャとロナが沙羅しゃら寺へたどり着く邪魔になるであろうシュリをロナに殺害させた。シュリは無抵抗に死んでいった。

 すべてが自身に味方をしているとさえナカンは感じていた。ナカンは運命を確信し、邪悪な衝動を抑えられずに、ラシャに対してロナの全容を明かした。そうして絶望して動けなくなったラシャ相手ならどうとでもできると考えた。あわよくば、ラシャが絶望故に身を投げる可能性すら夢見た。だが、一つ、ナカンが理解できなかった感情が計算違いを生じさせた。



 ラシャは、ロナの気持ちに気付いていないわけではなかった。ただ、本当にそうだという確証も無かった。確証が持てねば、恋とは応えられないものである。ただロナは、ラシャが一人寂しくしていることに耐えられないと、神木の下で言っていたのは自分と重ねているからだと思っていた。だがそうではなかった。妙に腑に落ち、だからこそロナに追いつかねばならないと理解する。

 ラシャは、胸に手を当ててロナに願った。


「ありがとう。それなら、大丈夫。うん!」


 そして、余裕の笑みが徐々に失われる化け物に真剣な眼差しを向ける。


「ナカン僧正、いや、ナカンを名乗る化け物。あなたにもお礼を。ロナが望んでやったことではなかった。それが僕にはとてもうれしい。そして、そんな状況でもロナが僕を大事に思ってあなたに反旗を翻したことが、僕には何よりも……」


 温かい風のような、心地よい感覚がラシャを絶望より立ち上がらせた。

 化け物には理解できない。何故自身が感謝を述べられたのかも理解できない。死さえ克服し、世界中の全てを解脱させようという自分に理解できないものがある、という事態にナカンを名乗る化け物は恐怖した。


「なんだそれは、なんだお前は、なんなんだお前!! き、気色が悪いぃ!!」


 そして、出鱈目に顔のパーツが配置された頭を掻きむしる。


「だがな! 忘れてはおるまい。貴様の手足を、その中に書かれた経文が誰の筆か!」


 化け物は勝利をまだ思い、真言マントラを声高に唱えた。


「そう! その手足は儂の制御下にある! 自らの首を撥ねよ!」


 だが、ラシャには何の影響もなく、まっすぐに階段を上っていく。化け物はラシャがそのまま自身に近づいてくるその様に今一度恐怖する。


「何故!?」


 そこに、両足の木工デバイスを切られて這いつくばっていたスエが申し訳なさそうに口を挟んだ。


「あ、中の経文。修理の際にちょっと、補修で書き直してたから、多分それじゃないかな」

「は?」


 ラシャは化け物に迫る。その様に化け物が慌てふためく。


「待て、待て待て待て! この、僧正の、絶筆ぞ!? 聖遺物を、そんな、何故書き直すなど恐れ多いことを!?」


 歩を止めないラシャの代わりにスエが口を開く。


「ここに来るまで、ラシャさんはロナさんと旅をしてきたからでしょ。その間にいっぱい無茶して、手足を壊して、何度も直して。私と出会う前からきっと、そういう旅を続けてきただろうから」


 まさかの事態に化け物は狼狽した。肉体を乗っ取る計画も、元々ラシャが自身の制御下にあってこそのことだ。楽に痛みも無くつかめると思っていた勝利がするりと逃げたを化け物は感じ取った。むしろ、ここで始末されるのでは、と。だがラシャは化け物の脇を通り過ぎる。化け物には目もくれない。

 化け物が何か負け惜しみの言葉を吐くも、ラシャの耳には届かなかった。



 境内に入ると、かつて神木であった腐り落ちた切り株の前で、ロナは空を見上げていた。まるで、神木が生えているのがロナには見えているように。


「ロナ? 帰ろう」


 ラシャはロナの背中に声をかけ、近づいて行く。


「来ないで!」


 だが、ロナは拒絶する。


「来ないで。駄目。逃げて。放っておいて」

「それはできないよ。ロナは……」


 ラシャは、ロナは自身にとって何なのかを一瞬考えた。そして、胸の内にある温かさに従った。


「ロナは僕にとっても大事な人だから」


 ロナは首を力強く振る。そして、ぼやくように口を開いた。視線はラシャを見ていない。


「違う。俺は、鬼だ。人じゃない。だから、だから一緒に、居られない。一緒に、居られないんだ」


 言葉を述べれば述べるほど、ロナは涙をこぼし、嗚咽が漏れる。

 ラシャはロナの前に回り込み腰をかがめ、ロナの顔を覗き込む。ロナは涙でぐしゃぐしゃになった顔を背けようとするが、逃げようとはしなかった。


「鬼であっても、僕には大事だよ。他に代えが利かない存在なんだ」

「ラシャはきっと、俺を嫌いになる。拒絶する理由、あるから」

「拒絶なんてしないよ、絶対に」

「する。絶対にする。俺は、違うから。ラシャの好きとは……」


 ロナが視線を上げると、ラシャの泣きそうな顔が見える。


「なんで? ラシャは、悲しくないでしょ?」

「なんでかな、もらい泣きかな。多分そうじゃないけれど」


 ラシャはロナの頬を指で拭った。


「ロナ、帰ろう、一緒に。大丈夫。僕は……」


 だが、そこに不穏な一言が、しわがれた声が投げつけられる。


「殺せ、ラシャを殺せ!」


 ナカンを名乗る化け物が、ドライブの培養槽へ命令を下した。

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