5-3


 それは人の形をしていた。立派な袈裟に身を包み、さながら剃髪した坊主のように見えなくもない。しかし、口は側頭部に、鼻は頭頂部に、目は額と後頭部に一つずつ。ケロイドのような質感の肌は張りが無く、老人のそれである。

 突然の謎のモノの出現に、ラシャは距離を取って背中の非想緋緋蒼天ひそうひひそうてんに手をかける。スエはロナの手を引いて自身の後ろに庇うように隠した。

 ロナはその存在に異様なほど恐怖し、激しく震えて過呼吸になっていく。

 その謎のモノが、しわがれた老人の声で、側頭部の口からラシャを笑う。


「儂の声を忘れたか、ラシャ」


 謎のモノの額にある一つ目が笑みを浮かべる。


「そう、沙羅しゃら寺の住職。神仏の意向を示す者。新たなる世界を導く者。世界より死を覆す者。ナカン僧正である」


 ナカンを名乗るあからさまな人外に、ラシャは動揺を隠せない。


「でも、でも“あの日”、確かに僧正は亡くなっていたはず。ましてその面妖な外見は一体……本当にナカン僧正、なのですか?」


 ナカンは額にある一つ目でラシャを睨む。


「如何にも、すべてこの儂の計算通りよ。よく帰って来たな」

「帰ってきた? 一体何のことを?」

「さあ、今度こそ完成させるのだ!」


 ナカンの額の一つ目が力強く見開かれるのに呼応してロナが叫んだ。己の喉を裂かんばかりの悲痛な叫びは、ラシャの心を強く揺さぶり、視線を奪い取った。

 ロナはスエの手を振り払い、転がり落ちるように階段を駆け下り、唐突に立ち止まる。そしてロナはうわごとのように呟きながら、自身の頭を両の手で殴打し始める。


「いやだ、いやだ、いやだ、いやだいやだいやだ! もう、やだ! 殺させないで! 逃げて! 早く逃げて!!」


 ラシャはロナに駆け寄り自傷を止めさせるが、次の瞬間、ラシャの体は宙を舞った。ラシャより一回り体の小さいロナのどこにそれだけの力があるのか、ラシャは百段以上も下へ放り捨てられる。なんとか体制を立て直して着地し、ラシャが仰ぎ見た光景は、スエが両足の木工デバイスを切られて倒れ伏し、そこにロナが大粒の涙を流しながら、錫杖を振りかざしているところだった。


「ロナ! やめろ!」


 瞬間、ラシャの心臓が強く鼓動し、階段を踏み砕くほど強く踏み切らせる。即座に二人の間に割って入り、錫杖を藍色の包みがかかったままの非想緋緋蒼天で受け止める。ロナの細腕のどこにそれだけの力があるのか、咄嗟に飛び込んだとはいえラシャは力負けして尻もちをついた。一合の衝撃波により周囲の夏椿の花が散る。白い花びらが舞う中、ロナはふらふらと、シュリの遺品である錫杖を落とした。そしてぼろぼろと泣きながら頭を抱えて後ずさる。


「いいぞ! さあ、今度はしっかりと殺せ!」


 そこにナカンの嬉々とした声がかかる。

 だがロナは応えず、ラシャとスエの二人から逃げるように階段を駆け上がり姿を消した。走り去るロナを後頭部の一つ目で見つめながら、ナカンは側頭部の口からため息をついた。


「やはり、それほどまでにラシャを殺すことに抵抗するか。想定通りだがな」


 ラシャは階段上のナカンに向き直った。かつての師、育ての親を名乗る人外を睨むように見上げる。


「ナカン僧正、あなたが……いや、お前が、お前は、ロナに何をした」


 ナカンはラシャを頭頂部にある鼻で笑った。


「怒りか。誠に修行が足りて居らんぞ。いや、そもそも剃髪すら終える前の未熟者。修業すらしていなかったか」

「話を逸らすな! ロナは、泣いてた。苦しんでいた。お前は何をした!」


 ナカンの額の一つ目がラシャを、まるで愚か者を見るようなまなざしで凝視する。


「何を? 何をだと? !」


 言葉の意味が呑み込めていないラシャに、ナカンは勝ち誇るように高笑いをした。


「十五年前の大火は都合よく孤児を得るため、寺に名声が必要だった。下町が混乱しておれば、何人か人を消しても疑われぬのも都合が良かった。混乱が起きれば、町の隅に孤児が溢れる。何人の孤児で試したか忘れたが、そうして鬼の血ドライブの培養槽を作った。培養槽を人として育て、寺の者たちに情が沸いたところで殺させた。それが七年前というわけよ」


 スエはナカンの言葉に、悪い考察に確証を得た。ラシャも頭の中で繋がり始めたが頭が理解を拒絶する。ナカンの側頭部の口がほくそ笑む。


「理解したか? 阿呆でも理解できるだろう? そう、お前たちがロナと呼ぶあやつこそ、ドライブの培養槽そのもの! そして、ラシャ、だ! 先日シュリを殺したのもロナによるものよ!」


 ラシャは胸の奥に何かが突き刺さる様な感覚に襲われ、息が詰まりそうになった。思わず口をついて疑問が出てくる。


「わからない。何故、なんでそんなことを?」

「まだわからんか!」


 ナカンはラシャを怒鳴りながら説教する。


「異星のナノマシンは負の感情にこそ強く作用する。ドライブとて例外ではない。ならば、人体を培養槽として活用しつつ、その培養槽の心が苦しみと悲しみ、悲痛に満ちれば、ドライブは更に上質になっていく。はそのための入れ物よ!」


 ナカンはラシャに手を差し伸べて、先ほどとは打って変わって優しい声色で続ける。


「それだけではない。ラシャよ、お前は特別だ。あれはお前に恋慕れんぼするあまり、お前を殺せなかった」


 ラシャは突然の単語に神木で出来た心臓が飛び跳ねる。

 思わずスエが空気を読まずに口を挟んだ。


「恋慕って、ロナちゃんはラシャさんが好きってこと!? 家族愛じゃなく、恋愛って意味で好きだったの!?」

「実に下らんものだが、その感情に利用価値があることは知っておる。だから好いた相手を殺してしまう絶望を与えようとした。だがその不確かな感情によって、七年前は失敗した」


 ナカンは不服そうに続ける。


「七年前に、あれにとって替えの利かぬお前を殺させることでドライブは完成するはずだった。だが、あれはお前の命を奪うぐらいならと、儂の腹を斬って逃げ出しおった。体内に儂が記した経文がある限り、あれは儂の支配下にあるというのに、その支配に抗うほどであったとはな。だがそこで儂は思いついた。更に深くあれを絶望させる方法を!」


 ナカンの出鱈目な配置の顔のパーツが不気味に微笑んだ。


! あれが最も絶望するには、あれが最も恐れ嫌い憎悪する儂が、あれが最も想い慕い恋焦がれるお前の体で、稚児灌頂ちごかんじょうで慰め、その最中にお前の死をあれに告げてやるのが最も絶望できようとな! お前の死を告げて愛別離苦あいべつりくを! お前を得られなかった求不得苦ぐふとくくを! そして苦しみの内に有って憎き儂に抱かれる怨憎会苦おんぞうえくを! されど支配は儂にあり自害すらできぬという五陰盛苦ごおんじょうくを知ることで……ドライブは完成する!」


 側頭部の口から涎を垂らす化け物が、荒い息で気色悪く震える。


「ドライブにより、儂はこうして死から蘇った。だが儂の肉を支えるには儂だけのナノマシンでは足りず、寺に転がる塵どもの肉をかき集めるしかなく、故にこのような醜悪になった。だが、ドライブが完成体になれば、儂だけに限らずすべての者の死が消えるのだ! 全人類が成仏へ至る! 人類が死を超える時が、すぐそこまで来ているのだ! そのためにその体を儂によこせ!!」


 そうして今一度手を差し伸べてくる人外に、ラシャは一呼吸おいて口を開いた。


「断る!! 腐れ外道!!」

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