4-5
ラシャの口の中に血が噴き出す。骨を断たれる痛みで意識が飛びそうになる。
「お前には信心が足りない。御仏にでも死後の安寧を今からでも祈りなさい」
漆黒の獣はラシャのその割けた肩口を掴み、荒々しく広げる。そして、獣の中からシュリ自身の左腕が現れ、ラシャの傷口に差し込まれる。ラシャが痛みに悶え、拘束を逃れようとするがうまく行かない。
「解りますか? 心臓を握られる感覚を。ラシャ、あなたは生きている実感を持てていますか?」
ラシャは自身の死を予感した。身体から血と力が抜けていくのを感じる。決してラシャは死を恐れたことなどなかった。寺が襲撃され死にかけた時も、自分が死にゆくこと自体には恐怖をこの時は感じなかった。それは彼だけが持つ妙な感覚で、生まれた時には血縁の家族が居ないが故に生じた呪縛である。それは彼をある種の達観に追い込んだ。
ラシャは半ば諦め始めていた。痛みや脱力感がそうさせた。自分の生に執着がないが故にあっさりとそう思えた。
だが、それに異を唱える者が今も昔も、ラシャの傍には居る。
「ロナ、何か文句がありそうですね」
ロナがラシャと漆黒の獣の間に立つ。そして、ラシャに向き直る。
「独りにはしないから」
そう告げ、ロナは
その様にシュリが焦った様子でロナを払いのけた。ロナの体が竹林へ吹き飛ばされる。その光景に、ラシャの中で何かが弾けた。
漆黒の獣の拘束を切り払い、シュリの左腕の木工デバイスを斬り落とす。
漆黒の獣は即座に距離を取り、大鉈で応戦する。ナノマシンの刃はナノマシンの刃でならば止められるようだった。
「よろしい! ロナのためにしか生きられぬならばそれも良いでしょう!」
ラシャの心臓が一つ鼓動を刻む時、空気の流れすら肌に張り付くように遅くなるのをラシャは感じた。漆黒の獣の毛皮が変形し、複数の刃に形を変えようと、それらすべてが見えていれば対処できる。何もかもが、いつもよりさらに遅い。
先ほどまでが嘘のように、獣を圧倒し、その毛皮を剥いでいく。そして、中から出てきたシュリの両腕を斬り落とし、膝をつかせた。その顔から青い鬼の面が落ちる。
「祈ってやる。死にゆくお前のために」
赤い鬼の面でラシャの表情は解らない。
その様に、シュリがどこか悔しそうにはにかんだ。
「勝負ありましたか。さあ、仇討に終止符を打ちなさい」
「言われずとも!」
ラシャが魔刀を振り下ろした。だが、二人の間に誰かが割って入り、シュリを庇った。刃は庇った者を切りつける直前に止まる。
「どいてください、スエさん」
スエはシュリを抱きしめ、頑として動こうとしない。
「ラシャさん待ってください、シュリさんは違います!」
「違う? 何がですか。ナカン僧正は言ってたんです。シュリ兄が、そいつが仇だと」
スエはその発言に怪訝な表情になる。そして少しためらった後、口を開く。
「ごめんなさい、シュリさんからラシャさんとロナちゃんの過去に関して聞きました。だから解るんです」
「それはだから……」
「シュリさんは私には嘘をついていたとは思えないんです!」
スエの真剣な眼差しに、少しためらった後、ラシャは魔刀を下げ、赤い鬼の面を外す。だが不信感ははっきりと表情に出ている。
「それじゃあ、ナカン僧正が嘘をついてたってことになるじゃないですか。それに、ロナを襲った! 今だって突き飛ばした! 絶対にそいつが悪い奴だ!」
「じゃあ聞きますけど、あなたの心臓はなんで動いてるんですか!? 誰がナノマシンを与えたか、ナカン僧正からは聞いてるんですか!?」
「それは……ナカン僧正じゃあ? ……聞いてない」
スエは、確信を持って告げる。
「賭けても良いです。あなたの心臓を動かしているのは、シュリさんの持っていたナノマシンです。そう聞いています。調べればわかることでもあります」
スエは引きさがる気配もない。ラシャは髪の毛をかきむしる。
「そもそも、スエさんは関係ないじゃないですか! なんで庇うんです!?」
「はあ!? 関係ない? 今関係ないって言った!?」
スエが急にシュリを放り出し、ラシャに詰め寄る。
「関係なくないんですよ! ここまで一緒に旅して来たでしょ? むしろここで放り出したら私怒りますよ!」
ラシャが押され始める。
「いやあの、もう怒って……」
「まだ怒ってません! もっと怒ります! 私をここまで巻き込んでおきながら蚊帳の外にするんじゃありません!!」
すごい剣幕で迫られ、ラシャが小さく「はい」と返事をした。
その様にシュリは、堪えきれないとばかりに笑い出した。
「いや、失敬。その、ラシャは良い出会いをしたのだな、と思って」
ラシャが怪訝な表情になり、スエは恥ずかしそうにシュリに釣られて苦笑いをする。
「いや、僕の中ではあなたへの疑惑は晴れてませんけど」
なんとなく噛みつき方がやんわりになったラシャに、シュリは頭を下げる。
「すまなかった。拙は、お前に討たれることで助けたかったのです。そのために一芝居打とうと。お前はこの旅を止めるべきだと、少なくともそう拙は思いました。だから、仇を演じてみせ、それで終えようと」
ラシャはその言葉に納得がいかないとばかりに眉間にしわが寄る。その様にシュリは苦笑いを浮かべる。
「ああ、信用を失うようなことをした直後だとは実感しています。だが、誓って。拙はあの寺の皆を、“家族”を愛していた。皆を殺したのは拙ではありません」
ラシャはシュリの、いつか見たことのある優しい目を信じることにした。途端に、滅茶苦茶に大きなため息が勝手にラシャの口を突いて出てきたのは言うまでもない。
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