裂けた夜空と鬼人の子②

乾いた音に、頭の奥からズキズキとした痛みが広がる。遅れて耳を塞いだのとほぼ同時に、彼女まであと5メートルといったところで、横倒れになるドグの姿が、ルーディの目に写った。

「ドグ……ドグ!?」

頭が真っ白になったルーディは、崩れ落ちたドグの名を呼んだ。

彼からの反応はないが、急所には当たらなかったのか、右脚を抑えて横たわっているのが見える。足を折られた子鹿のようになったドグの前に立つクリスティーナは、猟銃を握っていた。

銃口からは煙が上がっている。クリスティーナはポケットから取り出した小型の銃弾を、『今からコイツを撃ち殺す』とでも予告するように、ルーディに見せつけた。

「やめろ!」

ルーディの叫びに呼応した風が、ひとかたまりになってクリスティーナに襲いかかる。

クリスティーナは片手を出して風を押し戻そうとするが、巻き上がった砂煙に巻き込まれれば、思わず自分の腕で顔を覆う。ルーディが操る強風は、辺りの地面を削りながらクリスティーナを巻き込んだ。

足を取られたクリスティーナの体は浮き上がり、つむじ風に乗って飛ばされそうになる。

しかし彼女は冷静なまま、両腕を広げ、手のひらだけを下に向ける。すると風は徐々に押さえつけられてしまい、彼女を優しく運ぶと、数メートル離れた地面に着地させた。

クリスティーナの周りを舞っていた土煙も、すぐに薄くなっていく。

ルーディは慌てて、うずくまったままのドグに駆け寄る。何とか彼の肩を引いて逃げようとするが、ルーディの力では、びくとも動かなかった。

その様子を見るクリスティーナはため息をつき、ずっと閉ざしていた口をようやく開いた。

「ルーディ……ルーディ、ルーディ!何だか、力を使うのが上手くなったって感じだね。お父さんに教わったことでも思い出したのかな?」

クリスティーナの言葉にズキンとした頭痛を覚えたが、ルーディはドグの前に立ち、燃えるような視線を返す。

「そんな怖い目で見ないでよ。君ってそんな子じゃなかったでしょ?それなのにギャラナーに影響されて、変に気取った話し方まで真似してたっけ」

クリスティーナはぼんやりと笑みを浮かべながら話を続ける。彼女の考えていることがわからず、ルーディは神経を尖らせた。

「ここに来たってことは……マルコフに会ったんだね?一年前のあの晩にあったことを、彼はずっと、私たちに隠してた。『あの夜はハウスにいなかったのです』の一点張りでさ。でも君が相手なら、口を割ると思ってたよ。それで?思い出したの?ギャラナーが何で死んじゃったのか……」

クリスティーナの体はルーディたちの方を向いているが、その目には、ゴウゴウと燃え盛るクロスハウスのみが写っている。

ルーディはドグの身を案じつつも、クリスティーナに大声をぶつけた。

「……本当は、全部知ってたの!?父さんを殺したのが、僕だったってことを!」

「あー、やっぱり君だったんだ。何となくそうだと思ってたよ。でも確証は持ってなかった。君は小さな子供だし、ギャラナーを随分慕ってもいたし……」

そう言いながらもクリスティーナは、挑発するように腕組みをして首をかしげた。

「いや、父親を慕うように洗脳されてただけかな?君は何度も記憶を操られてたからね。今はどんな気分?お父さんを殺したのが自分だったって思い出せて、幸せ?」

クリスティーナは悪魔的に微笑むと、握っていた銃を自分の額に向けて、頭を撃ち抜くようなジェスチャーを見せる。

一瞬頭に血が登りそうになったルーディだったが、倒れていたドグに強く足を掴まれ、何とか意識を元に戻した。

ドグは、必死に声を絞り出しながら、何かを伝えようとしているようだった。だが酷い痛みに打ちのめされていることもあってか、はっきりと声が届くことはなかった。

クリスティーナは銃を下ろし、ルーディに話しかけ続けている。

「けど安心してよ。彼が死んだおかげで、私がこの街の支配者になれた。だから君には感謝してるんだ!あの地下を見た奴は、誰でも殺さなきゃいけない。でも、もし君が私の仲間だって言うなら、話は別なんだけど……」

クリスティーナの声色が冷たいものに変われば、ルーディは咄嗟に身構える。だが彼の足元では、ジャケットで血を抑えるドグが、次第に意識を失いかけていた。

そんなドグを前にすれば、ルーディの決意は揺らいだ。

「僕が仲間に戻れば、皆には何もしないって約束してくれる?」

「え?あんなちっぽけなサーカスのことを気にしてるの?うーん……まあ、いいよ。約束する。君のお仲間には何もしない。誰も殺さないよ」

クリスティーナは、ルーディを揺さぶるような言葉を告げる。

ルーディは少し迷いを見せるが、そんな彼を止めるように、またしてもドグが彼の足を掴んだ。虫の息になりながらも何かを告げようとするドグと、余裕そうな笑みを見せているクリスティーナを、ルーディは見比べる。

だがついに、何かを決断したように顔を上げたルーディは、クリスティーナの提案を跳ね除けた。

「……『信用する奴は選べ』って、ドグも、団長もよく話してた。僕はもう、小さな子供なんかじゃないんだぞ!」

ルーディの反抗に、クリスティーナは目を細めて、不愉快だと言いたそうな表情を見せる。

「へー、そっか。まあ構わないよ。本当はみんな殺すつもりだったからさ……じゃあ、力比べといこうか」

その言葉を聞いたルーディは右手を前に出し、辺りに散っていた風を再び呼び集める。クリスティーナはニヤリと口角を上げると、銃を地面に捨て、両腕を広げて構えた。

互いに睨み合う中、ルーディの方が先に動く。力を使い、風を操り始めた。

手首を少し回せば、集まった風がスクリューのように回転し、クリスティーナを目掛けて伸びていく。さながらドリル状になった風の槍は、ゆらゆらと動きながら彼女に迫った。

クリスティーナも開いた両手を前に出すと、ルーディの攻撃を迎え撃つように、強く吹かせた風を正面からぶつける。

2つの風撃が衝突すれば、風の爆発とも言うべき衝撃波が地面を揺らす。ビュオオという轟音がして、四方に散った強風に、ルーディは飛ばされそうになった。風は互いを打ち消し合い、地面にミステリーサークルのような円形の跡を残した。

依然としてかすり傷すら負っていないクリスティーナだが、ギラリは目を光らせると、両手を上げて後ろ歩きで下がっていく。

何か距離を測るように片目を閉ざし、全ての指を空へと突き立てる。彼女のお呼びがかかったと言わんばかりに、空では、雷雲がうめき始めていた。

「まだまだ不器用だね。じゃあ教えてあげる。鬼人の力ってのは、こうやって使うんだよ!」

クリスティーナがそう叫べば、黒くおどろおどろしい雲がゴロゴロとうなる。全身で鳥肌が立ったのを感じたルーディが咄嗟に地面に伏せた瞬間、何発もの雷が、雨のように降り注いだ。

「うわあああああ!」

ルーディは叫びながらうずくまる。脳を揺らすような雷鳴がとどろき、夜を忘れるほどまばゆい光が、あちこちで炸裂した。

クロスハウスにも一発の雷が落ち、炭のようになっていた木の骨組みが跡形もなく吹き飛ぶ。ルーディたちを包囲するように落ち続ける稲妻の豪雨は、オレンジ畑をグシャグシャに荒らし、辺りを火の海に変えていった。

耳を塞ぎ、視界が狂ったようにチカチカするのにも耐えながら、ルーディはドグに覆いかぶさる。

ドグは意識朦朧となりながらも、360度を余すことなく支配する、雷のカーテンを見ていた。何重にも響く雷音とフラッシュは、全ての木を焼き潰すまで続いた。

クリスティーナがすっと手を下ろせば、ようやく雷が鳴りやむ。3人の周りはすでに炎の大地と化しており、ドグとルーディは追い込まれてしまった。

ルーディは慌てて周囲を見渡し、クリスティーナが持つ力の恐ろしさを噛み締める。オレンジの木や長い芝は、逃げ道を塞ぐかのように火を吹き上げていた。

火が回っていないのは、クリスティーナが立っている場所と、うずくまっていたルーディとドグがいる場所だけである。

2人が無事だったのは偶然などではなく、彼女がそうなるよう雷を操ったからに違いなかった。火に囲まれたルーディとドグは、今や処刑台に立たされたような状態であり、彼女がもう一度雷を落とせば、あっという間に焼き殺されてしまうだろう。

「さあ、新しいステージを作ってあげたよ。主役は君だ!最高のスポットライトを浴びる準備はいい?」

そう言うとクリスティーナは、死の恐怖をじっくりと味わわせてやるかのように、右の手をゆっくりと挙げる。

「鬼人を焼き殺すのは初めてなんだ。だから、君が雷に焼かれて、文字通り灰になって消えるのか見てみたいんだよ。どう?最高の舞台だと思わない?」

クリスティーナがそう煽ると、またしても雲がうねり始め、ルーディは肌にピリピリとした感覚を覚える。

風がピッタリと吹きやみ、不気味なほどに静かな空気が、2人を包み込んだ。ルーディは辺りで燃え上がる炎を見ながら、覚悟を決めろと自分に言い聞かせる。

このままじゃ、2人とも殺される!やぶれかぶれだ!炎を操って、反撃するしかない!僕が、僕がなんとかするんだ!

心臓が激しく動くのを感じながらも、ルーディは、左右に広がる炎に手のひらを向けた。

だがその直後、不意に体を起こしたドグが、ルーディの腕を強く握った。

ルーディは驚いて彼を見下ろすが、ドグはもはや意識を失う寸前であり、何かを言おうと必死に口を動かしているだけだ。それでも何かを言おうと、ゼーゼーと息を漏らしながら、ルーディの目を真っ直ぐに見ている。

「ドグ、ドグ!?どうしたの!?何を言おうとしているんだよ!?」

ルーディはドグの肩を持って、彼のかすれた声に耳をかたむける。ドグは一度大きく息を吸い込むと、自分を奮い立たせるように、何とか声を絞り出した。

「……炎じゃねえ、明かりだ!明かりを使え!」

ドグの叫びが響く。何とかそう告げたかと思えば、ドグは力を失い、ぐったりと倒れてしまった。

「え、え?何だって?どういうこと!?ドグ!ドグ!」

言葉の意味がわからず、ルーディはドグに何度も呼びかける。だがやはり、反応が返ってくることはもうなかった。

ドグの意図が理解できず首をかしげているのは、彼の叫び声を聞いていたクリスティーナも同じだった。

「あー……お別れのスピーチは終わったかな?まあいいか。それじゃあフィナーレといこう」

彼女の両手に呼ばれたかのように、雷雲を孕んだ空がゴロゴロと鳴く。混乱した目をしていたルーディだったが、何とかしてドグの言葉の真意を探ろうと、頭をフル回転させた。

明かり……明かりだって?周りには外灯だってないんだ。炎以外に何を使えって言うんだ!?

鼓動が激しさを増し、息も上がっていく。もう危機を脱するすべはないのかと追い詰められていたルーディだったが、ふと頭の片隅から、1つの記憶が浮かび上がってきた。

ある夜のことを思い出したルーディは目を見開く。倒れてしまっているドグと、今にも彼らを喰らわんとする雷雲を、交互に見比べた。

「まさか……そうか、そういうことか!わかったよ!」

ようやくドグが伝えたかったことに気づいたルーディは、怪しく光る空を見上げた。何かを決心したように頷き、深く息を吸い込む。

そしてもう一度目を大きく開くと、めいっぱいに伸ばした両腕を、辺りで燃え広がる炎ではなく、暗雲に満ちた空へと向けた。

クリスティーナはまたしても首をかしげる。しかし血迷っただけかと思い、繰り返し雷雲へ力を流し込んだ。

「さて時間だよ。最高のステージを飾らせてあげる」

静かに宣言したクリスティーナの目が嬉々と光る。 ルーディは深く呼吸しながら、ただひたすら、その瞬間を待っていた。

「......『鬼人の子』に盛大な拍手を!」

そう告げるのと同時に、クリスティーナは手を振り下ろす。その直後、暗雲の中で暴れていた雷が、ついに空から解き放たれた。

雲を引き裂いた巨大ないかずちが、ルーディとドグを目掛けて叩き落とされる。

天から伸びた光の柱が、青白いフラッシュで夜を照らした。まばゆい線香が散り、時が止まってしまったかのような静寂が、焼けこげたクロスハウスを飲み込む。

ようやく時間が動き出したときには、地面が割れそうなほどのドーンという雷鳴が、はるか遠くまで響き渡った。

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