裂けた夜空と鬼人の子①

ルーディは力のない表情を浮かべると、ガタガタと震えている指を引き金にかける。

彼が手にする銃は、ランジェナがドグに渡し、ドグが車に乗せたものだった。おそらくはクロスハウスに入る前からずっと隠し持っていたのだろう。

「僕は鬼人だ。それなら、ここで死ねば灰になって……風が、どこかへと吹き飛ばしてくれる」

ルーディはそう言いながら目を閉ざす。冷たく吹く夜風が、彼の髪をなびかせている。

「もう何も知りたくないし、何も聞きたくない、見たくもない。消えたいんだ。この風に吹かれて、どこかに……」

まぶたを開けたルーディはドグに少しだけ目をやると、意を決したように銃を握り直した。ゆっくりと喉元に銃口を向けようとする。

言葉をつまらせていたドグだが、飛びかかるような勢いで、何とかルーディを止めようとする。だが同時に、ルーディが手放した写真が風に乗り、彼の目の前に舞い戻ってきた。

写真を見たドグの目には、正装して背筋を伸ばした、ギャラナーの姿が写る。ドグはハッとなって、ルーディにあることを伝えようと声を出した。

「待てよ……待てよ、ルーディ!まだ思い出してないことがあるんじゃねえのか!」

そう呼び止められると、ルーディは銃を構えたまま、ドグの方を見る。

ドグは写真をつかみ、ルーディの近くに歩み寄った。

「知ってたか?お前はよく、親父に連れられて街を出歩いてたんだとよ。ガキらしく菓子をもらったりしたこともあったらしいぜ。この写真だって、この街で撮ったものだったんだろ?」

ルーディは口を閉ざしたまま言葉を聞いているが、何故ドグがそんな話をしているのか、わかっていない様子である。銃も握られたままだ。

「つまりお前はよ、この街の色んな連中を見て、話したことがあったわけだ。お前のことだ。この街をよっぽど気に入ってたんじゃねえか?」

ドグは写真に写るルーディの姿を見ながら身をかがめ、彼を説得するように、かすれかけた声で話を続けた。

「だけどお前は……お前の親父や鬼人たちが、この街の連中に、とんでもないことをしてきたと知っちまった。だから多分お前は、守ろうとしただけなんじゃねえのか!この街と、そこに住んでる奴らをよ」

そう言われれば、ルーディは目を大きく開き、ドグをまっすぐに見つめる。その瞳は、かすかに震えていた。

 ドグは不器用ながらも笑顔を作ると、写真を握っていない方の手を、ルーディに伸ばした。

 「せめてそのことだけでも思い出してやるべきだと思うぜ?お前は、お前が思ってるような奴じゃねえよ」

 ドグの言葉を聞いたルーディは再び、手にした銃の先へと視線を落とす。

 両手はまだ痙攣している。何かを考えることもしたくないと思っていたが、ドグの言葉を聞いてからは、心にかかっていた濃い霧が少しずつ晴れていくような気分になった。

 ようやくルーディは、強く握っていた銃を手放した。

 銃が地面に落ちたのを見れば、ドグはひとまず胸をなでおろす。銃を拾い上げて安全装置を戻すと、伸ばしていた右手を、もう一度ルーディに差し出した。

 「よ、よう。もう大丈夫か?」

 ドグの問いに、ルーディは黙ったままうなずく。目はまだ涙でうるんでいたが、少しは落ち着きを取り戻したのか、じっと地面を見下ろしていた。

 服の袖で涙を拭き、差し伸べられた手をつかんで、ドグに引き上げられるようにルーディは立ち上がった。

 「ごめん、バカなこと考えて。それに……ありがとう」

 「気にすんなよ。お前がバカをやろうとしたら止めてやるのが俺の仕事だ。早く行こうぜ、マチャティがどれだけ首を長くしてるかわからねえ」

「ご、ごめん。そうだった。僕がワガママを言ったのに、こんなことをして……」

何度も頭を下げるルーディの口調は、以前ほど気取ったものではなくなっていた。年相応といった感じだが、ドグにはその話し方が、どこか穏やかに感じられた。

ドグは冗談交じりに言葉をかけながら、ルーディの肩をつかんで軽く揺らす。

「そういやそうだったなあ、お前といるとこんな事態ばかりだぜ。まったく」

ルーディは「ごめん、ごめんってば」と返しながら、よたよたとドグのそばを歩く。ドグはそんな彼の様子を見て安堵していた。

そしてふと、服の中にしまっていたもののことを思い出し、ポケットからあるものを取り出してルーディに差し出す。一部が欠けてしまった逆さ十字のチャームだ。

「そういや……これ、持っとけよ。いつか何かの役に立つかもしれねえだろ」

一度投げ捨ててしまったこともあったか、ルーディは少し躊躇った。だがドグの目を見ると、小さな笑みを見せながら、チャームを受け取とろうと手を伸ばした。

「……そうだね。ありがとう。さっきは……」

そう言いかけてチャームに手を添えたルーディだったが、突然、妙な胸騒ぎが湧き上がってくるのを感じた。

言葉が止まって笑顔も消える。急に鳥肌が立つようになり、辺りが妙に静かに感じられた。体のあちこちが、何かとてつもなく不安な空気を感じ取ったようだった。

「オイ、どうした?」

ドグに心配そうな声をかけられたが、ルーディは答えずに、クロスハウスの方を振り返る。何か奇っ怪な気配が、2人に迫ってきているような気がしたのだ。

「何かが、何かが来てる……そうだ。わかった!アイツだ!」

ルーディがそう声を大にしたのとほぼ同時に、まばゆい光を放つ雷が、クロスハウスを喰らうかのように落とされた。

転びそうになるほどの地響きが起こり、落雷を直視してしまったドグは目に激痛を覚えた。だがルーディが咄嗟に彼に飛びかかっており、地面に伏せた2人は、何とか無傷で済んでいた。

驚きながらもルーディは体を起こす。

雷が直撃したクロスハウスは燃え上がり、古い木造の建物であることもあってか、みるみるうちに火の塔へと姿を変えていく。巨大な逆さの十字架も、炎に飲み込まれてしまった。

「これ……マズいんじゃねえか!?あのジジイもまだあの中だぜ!?」

怒りにまかせて殴ってしまったことも忘れつつ、ドグは司祭を助けるべく走ろうとする。だが再びの雷がクロスハウスに落とされれば、その衝撃に吹き飛ばされそうになって足を止めた。

気づけば濁った雲が空を包んでおり、風もゴオゴオと音を立てながら、暴れるように吹き荒れている。夜を照らしていた星たちも姿を消してしまっていた。

 「こ、こんなことが……あんなに大きな建物が、あっという間に……」

 ルーディは呆然となりながら、立ち昇る炎を見上げる。激しく燃える火柱に照らされて、頬は真っ赤になっていた。

 炎に焼かれたクロスハウスはやがて崩れていき、逆さの十字架も支えを失って落下し、火の海の中でバラバラになった。メキャメキャと音を立てて崩壊していく塔を前にルーディは恐怖し、ドグはの腕をつかむ。

 「さ、さっさと逃げるぞ!あんなのに巻き込まれたら、消し炭になるどころじゃすまねえ!灰すら残らねえぞ!」

 そう言ってドグは、クロスハウスに背を向けて走り出す。腕を引っ張られるルーディは、しきりに建物の反対側を指さした。

 「待って!マチャティが待ってるのは反対側だ!」

 「アイツのことなら心配ねえ、危険だとわかればすぐに動く男だ!けど俺たちが死んだら元も子もねえだろ!すぐにココを離れねえと!」

 ドグの返事に、ルーディは不安そうになりながらも前を向き、荒い土の地面を走った。

 必死に走る2人の影が、クロスハウスが吹き上げる炎に照らされて、長く長く伸びていく。ドグは少しでも身を隠そうと、木々が茂っているオレンジ畑までルーディを連れていった。

夜明けが近いにも関わらず、空は真っ黒によどんでいる。風はますます強くなり、オレンジの木を激しく揺らしながら、2人に襲いかかった。

 「ドグ、ドグ!ちょっと待って!」

 「いや待てねえ!さっさと逃げねえと死んじまう!」

 「そうじゃない!右だ!右を見て!」

そう言われたドグは、大股で走りながらも右を見る。

 「オイオイオイオイ何だ!?どんな風が吹いてやがる!?」

 ドグの視線の先からは、オレンジの木をまるまる飲み込んだつむじ風が、地を抉って土煙を吹き上げながら、2人を目掛けて迫ってきていた。風の塊ではあったが、その迫力はまるで牛のようだった。

さながら小さな竜巻となって襲い来る風に、ドグは足を取られそうになる。彼の絶叫が響く中、ルーディは咄嗟に、豪風に向けて手を伸ばした。

ルーディが力を込めれば、大きく膨らんでいたつむじ風は抑え込まれ、2人を向いて吹いてきていた風も弱くなった。

ルーディはドグに掴んでいた腕を離させると、両手を伸ばしてさらに力を操る。2人目掛けて突進しようとしていたつむじ風だったが、ルーディの力に押し戻されると、周りに生えていた木をグシャグシャに倒しながら消滅した。

 思わず転んでしまったドグは、なぎ倒されたオレンジの木を見て、呼吸を荒くする。

 「あ、ありえねえ。こんな風が自然に吹くか!鬼人がいるぜ。こんなことができるのは、鬼人の力に違いねえよな?」

ルーディは黙ってうなずきながらも、目を閉じて、襲撃者の気配を探る。悪い予感が、ますます大きく膨らんできている。

そんな2人を脅かすかのように、吹き荒れていた風がピタリと止んだ。

ルーディは目を開くと、何かに引き付けられたかのように、彼らの影が伸びる先へと視線を動かす。ルーディの反応に気付くと、ドグも同じく正面を見た。

2人を待ち受けている彼女、クリスティーナ・デュームリングの姿を、ドグの瞳が捕らえた。

クリスティーナは何も言わずに、彼女を警戒するルーディを観察している。両手には何も持っていないが、指揮者のように腕を広げると、また何かを操ろうとする素振りを見せた。

「あの野郎、やる気満々ってことかよ……」

ドグはそう言いながら、転んだ拍子に落としてしまった銃を拾おうとする。だが近くを手で探ってみても、川のケースが指に触れることはなかった。

慌てて視線を落としてみるが、銃はどこにも見当たらない。辺りに茂っていた深い芝生どこかに吸い込まれてしまったようだ。

 「ドグ!来るよ!もっとたくさん来る!」

這いつくばって銃を探そうとするドグに、ルーディが大声をかける。それもつかの間、じっと2人を見ていたクリスティーナが、両の手を空に向けた。

またしても、大気をうねらせたような風の大回転が、2人の前に立ちはだかった。

2つの竜巻が踊るように動き、土や植物を宙に巻き上げながら、ドグとルーディに迫る。辺りはあっという間に、まっすぐ立つこともできないほどの風域に支配された。

「ふせて!風なら、僕も操れる!」

ルーディはそう叫ぶとドグの前に立ち、それぞれの竜巻に手をがさした。

広げていた指をゆっくりと折り曲げて閉じていけば、大きく揺らいでいた風の塊が、圧をかけられたかのように小さくなっていく。勢いも止み、ルーディが右手をパッと開けば、片方の竜巻は霧が散ったように吹き飛んで消えた。

ルーディは再びクリスティーナを見ると、力を込めた右腕を、彼女に向けて伸ばす。ドグは不安を口にせずにいられない。

「何しようってんだ!?アイツはモンスターだぞ!?」

「一か八かだよ!僕が何とかするしかないんだ!」

そう言うルーディの手に導かれるように、動きを止めていた風の渦が逆流し、反対にクリスティーナの方へと走り始めた。竜巻が彼女に迫るのを見れば、ドグは「いいぞ!」と言って拳を握る。

だがしかし、クリスティーナは冷や汗をかくことすらしなかった。

ホコリを払うような軽い動作で手を仰いだかと思うと、ルーディが操った竜巻の勢いを奪う。クリスティーナがもう一度手を仰げば、全ての風がかき消されてしまい、辺りは急に静かになった。

ルーディは手を伸ばしたまま動けなくなる。全力でぶつけようとした風も、クリスティーナにとっては、眠気を誘う朝に吹くそよ風より弱々しい力でしかないようだった。

髪がなびくことすらないクリスティーナを前に、ルーディは手を下ろしてたじろぐ。

「ダ、ダメだ。僕の力より、ずっとずっと強い!何もできないよ!」

ルーディの恐れを感じ取ったのか、ついにクリスティーナは、2人の方へ歩き出し始める。

彼女が手で十字を切れば、ドグとルーディは、切り裂くような突風に襲われた。横風に押されて体が浮き上がり、2人は地面に倒れてしまった。

クリスティーナを睨みつけながら、ドグは、すぐ近くにあった大きめの枝に手を伸ばす。へし折られたオレンジの木の枝である。

「あの野郎……俺たちを凧にでもするつもりか?舐めた真似をしてくれやがって!」

そう言いながら、あろうことか枝一本で彼女を迎え撃とうとするドグだったが、ルーディに腕を掴まれて止められた。

「ちょっと待ってよ!そんな棒きれに何ができるって言うのさ!?雷を落とされて終わりだ!」

「いいやできることならあるぜ、アイツだって、自分が落とした雷に巻き込まれたくはねえはずだ」

ドグはルーディの手を払うと、枝を握りしめて走り出す。クリスティーナと距離を詰めれば、雷を落とされることもないだろうと考えたのだ。

「お前はとにかく自分を守れ!」とだけルーディに告げると、ドグは雄叫びをあげながら、クリスティーナに突進する。

クリスティーナは珍しいものを見たような目を向けるが、それでもドグのことなど眼中にないのか、再び十字を切る。風が起こされれば、衝撃波がドグに迫った。

しかし風はドグに届くことはなく、彼の周りの芝をなぎ倒しただけだった。ルーディが背後で手を伸ばし、吹き込んできた風を操って逸らしたためだ。

何度か横風を吹かせるクリスティーナだったが、その度にルーディがコントロールを奪い、どの風もドグを避けるように遠すぎていく。

「くだらねえ小細工はやめろ!言っておくが俺は、ケンカなら誰にでも手を緩めない口だぜ!」

ドグは脅し文句を吐きながら、刀のように構えた枝を振り上げる。

しかしクリスティーナは、臆するような様子は全く見せていなかった。その目は冷ややかな色をしたままで、しぶとく動き回る蝿を相手にしているかのような、危機感をまるで覚えていない様子だった。

ルーディの頭に、何か猛烈に危険な予感が走る。

「ドグ!待って!危ない!」

そう叫んだ直後、吹き荒れる風をかき消すような銃声が、ルーディの耳を突き刺した。

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