灰と風

長い語りを終えたマルコフ司祭は、近くにあった子供用の丸い椅子を足で引き、重たくなった腰を下ろす。

「これは後から知ったことだが、クロスハウスで倒れていた女性は、鬼人に連れてこられた被害者の一人だったようだ。逃げようと地下から抜け出したところを運悪く見つかり、彼に撃たれてしまったらしい。」

マルコフ司祭は部屋を見回し、あの夜のことを思い出しながら話す。

「おそらくルーディは、あの晩に初めて、鬼人たちの行い、いや、本性を目にしてしまったのだろう。ギャラナーは記憶を操ってルーディを抑えようとしたが、上手く操ることができず、ルーディの記憶には、大きな穴が開いてしまった」

マルコフ司祭が推察を口にする。しかしドグの方は、司祭の語りが頭に入ってこなくなるほど、頭の中が混乱してしまっていた。

「ち……ちょっと待て!ちょっと待てよ!」

ドグに呼び止められると、マルコフ司祭は深く腰かけたまま話を止め、彼の方を見た。

「あ、アンタじゃねえのか!?」

「何がだね?」

「アイツの親父を撃ったのがだ!」

ドグは思わず声を荒らげていた。マルコフ司祭は何を聞かれているのかわからないといった様子で小首をかしげている。

「私はただ銃声を聞いただけだよ。そもそも銃を撃つなんて恐れ多い真似、私にはとてもできない。脅すようなことをしてすまなかったね」

マルコフ司祭はそう言うと、ずっと構えていた銃口をようやく下ろした。

「さて、話は終わったよ。あとは自由にしてもらって構わない。この街を出たいのなら好きにしなさい」

ドグの耳には、満足そうに話すマルコフ司祭の声など、ほとんど届いていなかった。

ギャラナーとルーディが写る写真を見て、ドグはもう一度頭を働かせる。自分がたどり着いた答えに戸惑い、嘘に違いねえと否定しようとするが、父親の部屋を前にしたルーディの様子を思い出しては、嫌な汗が止まらなくなった。

少しの間は額に手を当てて考え込んでいたが、マルコフ司祭が静かになったことに気づくと、ドグはやっと我に返る。

「あ?話は終わったのか?」

「ああ、終わったよ。私もこれで憑き物が取れた」

そう答えてうなずくマルコフ司祭は、静かな笑みを浮かべている。だがドグは拳を強く握り、マルコフ司祭を一発だけ殴りつけた。

どこか他人事のように話す司祭の態度に、ドグは我慢がならなかったのだ。

マルコフ司祭は椅子から転げ落ち、殴られた頬を抑えながら混乱した表情を見せる。ドグは一瞥だけすると、ドアを蹴破って部屋の外に飛び出した。

「じゃあとっとと出ていってやるよ!腐り死にやがれ、このクソジジイが!」

ドグは捨て台詞を吐くと、彼を待っていたであろうルーディを探した。

「ルーディ!さっさと車に戻るぞ!このジジイも、鬼人どもも、ただのログデナシだ!」

ドグはルーディの名前を呼びながら、ミイラの間を見回す。しかしルーディからは、何の返事もなかった。

もう一度「ルーディ?」と呼びかけてみるが、やはり何の反応もない。ミイラのカプセルが、不気味な光を放つだけである。

ドグは、恐ろしい予感が的中してしまったように思った。

「あのバカ……ルーディ!テメー、何の冗談だ!?世話焼かせやがって!」

 ドグはミイラの間を走り抜けると、地上に続く階段へ急いだ。

 階段をかけ上がりながら何度もルーディを呼ぶが、彼が姿を見せることはない。出口が開けっ放しになっているのか、怪談には淡い光が差し込んでいた。

 飛び出すようにして、ドグは地上へと戻る。

 「ルーディ!ここで待ってたのか!?そういうことだよな!?」

 ドグは何度も大声を出しながら、クロスハウスの中を荒らすようにルーディを探し回る。

 少女の像の周りをグルグルと回り、並べられた長椅子をいくつか蹴り飛ばし、オルガンの下を覗いてみたりもした。だがやはり、ルーディの姿はどこにもなかった。

 マチャティの車に戻ったのかとも思ったが、ドグはどうしても、最悪の想定を振り払うことができない。

彼は本当は、ルーディから話を聞いたり、彼の記憶を探ったりする中で、うすうすと勘づくようになっていた。確証こそなかったが、誰がギャラナーを撃ったのか、何となく推察することはできていた。

はじめは身勝手な想像にすぎないと思い、くだらないことを考えた自分を責めた。しばらくはルーディの記憶探しに乗り気だったのも、彼の憶測とは違った真実が待っていると思っていたからだ。

だが次第に、彼の立てた最も不幸な仮説は、揺るぐことのない現実となって、2人に迫るようになった。途中から記憶探しを止めようとしたり、街から出ようとしたりしたのも、ルーディに、記憶に近づいて欲しくないと思ったからだったのである。

ドグはもう一度、クロスハウスの中を見回す。

 すると、ルーディが大切に持っていたはずの逆さ十字のチャームが、何故か床に落ちているのを見つけた。

 まるで投げ捨てられてしまったかのように、チェーンは外れ、十字の一部も欠けてしまっている。逆さ十字を拾い上げたドグは、何かに引き付けられたかのように、すぐ近くにあった窓に目を向けた。

 全て閉め切られていたはずの窓が、一つだけ開いている。ステンドグラス風の装飾がほどこされた窓で、小柄な子どもであれば容易に通り抜けることができそうだった。

 ドグは椅子で周りの窓を破ると、彼の姿を探して建物の外に出た。

 ちょうど入口の反対側にある地面は舗装されておらず、土にはルーディのものと見られる足跡も残っていた。ドグは必死になって彼の痕を追う。足跡は、木々が整列するオレンジ畑の方へと続いていた。

 「バカな真似をしようとすんじゃねえぞ!とっととこの街を出るんだ!」

 ドグの声が夜に轟き、休んでいた鳥たちがバタバタと飛び去る。ドグは小さな外灯を頼りに、ルーディを探した。

 そしてようやく、オレンジの木の近くで膝をついて座り込んでいる、一人の小さな影を見つけた。

 「ルーディ!……こんなとこにいやがったのか」

 ドグは声のトーンを落として声をかける。しかしルーディは下を向いたままで、何の反応も見せなかった。

 「オイ、ルーディ……」

 「来ないで!」

 彼に近づいてもう一度話しかけようとしたドグだが、ルーディに遮られてしまった。

 ドグは困惑しながらもその場で立ち止まる。見たことのないルーディの様子に緊張を覚えてもいた。

 「ど、どうした?ここにいちゃマズい。さっさと行こうぜ。それに、マチャティを待たせるのもやばいぜ。アイツって意外と短期で、待つのは嫌いなんだよ。アイツが怒ってんのを見たことあるか?団長より怖いんだ」

 ドグは緊張を隠すように言葉をかけ続けるが、ルーディは膝をついたまま動こうとしない。ゆっくりと首だけをドグの方に向けた。

 ルーディは静かに泣いていた。流れた涙が外灯の光を反射させ、目の下でキラキラと光っている。真っ赤にまぶたを腫らして、歯を食いしばっているようだった。

 ドグは何と話せばいいかわからず、来いよと言うように手を差し伸べる。しかしルーディは首を左右に振るだけで、立ち上がろうとさえしなかった。

 ルーディは涙をぬぐうこともしないまま、ドグから目を離すと、やっと声を絞り出し始めた。

 「ずっと……いい思い出が待ってると思ってた」

 ドグは何も言えずに、ルーディを見ながら立ち尽くしている。

 「父さんのことも、この街のことも……全部思い出したときには、心から全部笑えるようになるって思ってた。昔話をする輪に入ったり、家族のことを皆に話したり、自分の名前の由来なんかを、笑って話せるようになるんだって」

 ルーディはそう話しながら、ポケットにしまい込んでいた写真を取り出す。そしてしばらく見つめたかと思えば、右手で弱々しく握りつぶしてしまった。

 「でも……違った。こんな記憶が待ってたなら、僕は何も、思い出したくなかった!」

 ルーディはそう声を荒げると、肌身離さずに持っていたあの写真を投げ捨ててしまった。写真は風にさらわれ、バサバサと音を立てながらどこかへと飛んでいく。

 声を荒らげたルーディは、途切れ途切れな呼吸を漏らしながら、ドグから視線を外した。彼を待っていた真実は、希望や喜びに満ちた光ではなく、むしろ現実から逃げ出したくなるようなものだったのである。

ルーディは、自分自身にささやくように、震えた声で言葉をつぶやく。

「父さんは殺したのは……僕だ」

ルーディはそう言うと、もう片方の手で握っていたそれを、両手で持ち直した。彼の行動を目にしたドグは、目を見開きながらルーディを止めようとした。

「ルーディ!バカなことをするんじゃねえ!それを置け!」

ルーディの手には、拳銃が握られていた。

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