クロスハウスと眠れる真実②

 実に一年前のことか。

 私はその年の秋から、デュームリング教の司祭としてクロスハウスに勤めていた。建物を管理したり、集会や儀式を執り行ったり、教団の教えを伝えたりするのが主な仕事だ。教えといっても、鬼人が信者を都合よく洗脳するために作られた、嘘っぱクリスティーナ伝承ばかりだったがね。

 私が任された中でも最も重要だった仕事は、ビリージョーズ・ヒルにやって来た鬼人たちをもてなすことだった。

 奴らのために食事や住む場所を提供したり、使いとして信者を送ったりしたこともある。鬼人たちはビリージョーズ・ヒルを度々訪れ、空が明るい間は外で『狩り』をし、夜になると信者たちを追い出したクロスハウスで何やら宴をしていた。一人だけで街に来る者もいれば、大勢を引き連れていた者もいる。彼らは時折その『力』を見せては、信者たちを「奇跡だ」「神の力だ」と喜ばせていた。

 私がギャラナーと出会ったのは、司祭としてクロスハウスを管理し始めたばかりの頃だった。

 彼は、他の鬼人たちとはどこか違った雰囲気を持っていた。人間を見下すような態度はとらず、彼らにとっては奴隷も同然な我々に対しても、物腰柔らかに話す。『しばらくの間、この建物に住まわせてほしい』と私に頼んで、豪勢な食事をとったり宴をしたりすることもなく、クロスハウスの地下空間にこもりきりな生活をしていた。

 『この時代の書物をあらかた読んでおきたい。どんなものでもいいから、なるべく多くの本を持ってきてくれ。それと、息子のために菓子でも仕入れてもらえると助かる』

 ギャラナーは私たちに、多くを要求しなかった。そもそも私以外の信者には顔を見せることすらしていなかったかもしれない。彼は四六時中、地下空間での研究と、息子を訓練することに没頭していた。

 そうだ。彼がいつも連れていた子ども。彼こそが鬼人の子、ルーディだった。

 私は長い間デュームリング教の信者だったが、鬼人の子どもに会ったことはなかった。とはいえギャラナーが周りを警戒していたのか、口を聞いたこともなかったがね。ルーディはいつも父親のそばにいて、彼から色々と、地上の世界や力の使い方について教わっていたようだった。

彼に連れられて街に出ていく姿もよく目にしたよ。父親の真似をしてか、よく背伸びをしながら、妙に気取った口調で話そうとしていたな。だが結局のところ、ゴキブリを見て飛び上がったり、わたがしをもらって喜んだりしている様子は、他の子供たちと何ら変わらないようだった。

 ……前置きはこれくらいにして、『あの夜』のことを話そう。

 あの夜が訪れたのは、そんな彼らがクロスハウスに身を潜めるようになってから、3ヶ月ほどが経ってのことだった。

私は夜な夜な、忘れ物を取りにクロスハウスに戻っていた。当時は家を持っていてね、クロスハウスには住んでいなかったんだ。

何より私はギャラナーから、『夜の間はクロスハウスを出て、立ち入るな』と命じられていた。本来であればあの時間は、彼ら以外は誰一人、建物の中に足を踏み入れてはならなかったのだ。

あの夜はなんというか……とても、静かな夜だったよ。

野鳥が全て街から飛び去り、虫たちも音を鳴らすことを忘れて、月さえも深く眠ってしまったような、これ以上にないほど穏やかな一日の終わりだった。街の外れにあることもあってか、クロスハウスの周りでは、風の音しか聞こえてこなった。

クロスハウスに着いた私は、まず、扉が開けっ放しになっていることに気づいた。

私は違和感を覚えた。乗り捨てられたような車も一台停まっていたし、建物の中では明かりもついたままだった。

そこで引き返せばよかったのだが、私は愚かにも興味本位で、ギャラナーが中で何をしているのか知りたいと思ってしまった。当時の私は、鬼人たちが人の血を奪い尽くして殺しているなんて知らなかったのだから。

恐る恐る建物に入る。中には誰の姿も見当たらなかった。ギャラナーの姿も、ルーディの姿もない。だが床には、大きさの違う足跡がいくつか残っていた。

『どなたかいらっしゃるのですか?』

私がそんなことを呼びかけてみても、誰の声も返ってこない。妙な胸騒ぎを覚えながらも、忘れ物を取りに来ていたことも忘れて、私は奥へと進んでいった。

あの少女の像に近づいた頃、ようやく私の前に人影が現れた。だがそれはギャラナーでもルーディでもなく、見た記憶のない1人の女性だった。

彼女は床に伏せるようにして倒れていた。眠っているようにも見える。

彼女もデュームリング教の信者か、よもや鬼人の1人なのかもしれない。そう思いつつ私は彼女に近づき、肩を支えようとしながら声をかけた。

『もし、そこの人。どうしてそんなところで寝ているんですか。風を引きますよ』

彼女からの反応はない。さらに奇妙なことに、わずかな体温や呼吸も感じられなかった。

私は「まさか」と思いながらも、彼女を起こそうとした。

『ちょっと、しっかりしなさい!こんなところで寝ていたら……』

そう言いながら彼女を起こそうとした私だったが、その表情を見るや、すぐに自分の行いを後悔するようになった。

彼女の目は虚ろで、眉さえピクリとも動くことがない。体は鉛のように重く、冷たかった。さらに、脇腹の辺りからは赤黒い血液が垂れ流されており、白いワンピースを恐ろしい色で染めていた。

彼女は死んでいた。彼女の亡骸を前に、私は立ち尽くしたまま呆然となった。

彼女がどこから来た何者で、何故こんなことになってしまったのかはわからない。すぐに逃げ出そうと思ったが、どこからか人の声が聞こえてきたような気がすると、私は顔を上げた。

『だ、誰かいるのか!?大変なんだ!こっちに来てくれないか!』

そう叫んでみても反応はない。声の主は随分と遠くにいるようで、何を言っているかはっきりと聞き取ることもできなかった。低い声と高い声が、互いに向けて何かを叫んでいるようにも聞こえた。

私は彼女を置いて、声が響いてくる方へと歩みを進めた。

いつもは壁画があるはずの壁に、大きな階段が現れていた。地下へと続く巨大な階段だ。耳をすましてみれば、冷たい空気を吹き込ませながら、誰かの叫び声を反響させていることがわかった。

私は無心で階段を下りた。こんな階段が隠されていたことさえ知らなかったが、何かに突き動かされるかのように、下へ下へと進んでいった。

そしてたどり着いたのが、あのミイラの空間だ。私が入ったときには全てのカプセルが布で覆われており、外からでは中身がわからないようになっていた。

布をまくった私は気が狂いそうになったよ。どのカプセルからも、カラカラに干からびたミイラが、恨めしそうに顔を覗かせていたからだ。

繋げられていたパイプやガラス管には、よどんだ血の跡がまだこびりついていた。そうしてようやく私は、鬼人たちがこの街で何をしていたかを知ったのだ。

頭を抱える私の耳を、またしても2人の叫び声が殴りつけた。

男の声と子供の声がする。ギャラナーとルーディに違いない。だがこんなに言い争う2人の姿など、想像したことさえなかった。

ミイラの間を進めば、2人の声はさらに鮮明に聞き取れるようになった。2人は互いに怒鳴り合っているようだったが、特にルーディは、狂乱したかのような大声を出していた。その叫びはほとんど言葉になっておらず、喚き散らしのようでもあった。

ギャラナーの方は、声量こそ大きかったが、ルーディをなだめようとしているようだ。『いいからこっちに来なさい』『お前はわかっていない』と、息子を落ち着かせようとしている声が聞こえた。

ようやくギャラナーの書斎が見えてきたが、私は、自分がどうするべきかわからなかった。

部屋の中からはギャラナーが、『ルーディ!ルーディ!』と、彼の名前を叫ぶ声が響き始める。私はついに息を殺して、2人がいる部屋を覗こうとした。

そのときだ。そのときだった。

一発の銃声が、地下に反響していた声を切り裂くように響いた。

一瞬、時間が止まってしまったかのようだった。2人の声はピッタリと止み、部屋の中からは、ドタッと何かが倒れ込む音がした。

私は必死に呼吸を抑えながら、近くのカプセルの陰へと身を隠した。部屋を覗くことなどできなかった。何が起こったのかと思考を巡らせることが精一杯だ。

しばらくの時間は、静かな時間だけが地下を包んだ。

ようやく呼吸を整え直した私は、もう一度だけ部屋の中を見ようと立ち上がった。だが同時に部屋の扉が勢いよく開けられれば、慌ててカプセルの陰に引っ込んだ。

出てきたのはルーディだった。

ルーディは自分の両手を見下ろしながら、ブツブツとうわ言を漏らしていた。私には気づいてすらいないようだ。「何で、何で」と1人で喚いたかと思えば、突然に顔を上げ、部屋の中を見て絶叫した。

その後のルーディがどうなったかはよく知らない。彼は発狂しながらミイラの間を走り、倒れ込むように階段をかけ上がっては、地上へと消えてしまったからだ。

一人残された私は立ち上がると、ギャラナーの部屋に近づき、閉じかけていたドアを押し開けた。

ドアのすぐそばには、煙を吐く拳銃が落ちている。ギャラナーが持っていた銃だ。だが部屋からは、誰もいなくなっていた。

先程までの騒々しさなどとうに消えてしまった。ただ部屋の床には、ギャラナーが着ていたはずの衣服と、散らばった灰の山が残っているだけだ。

誰の声も聞こえず、何の物音もしない部屋の中で、私は途方に暮れるしかなかった。

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