鬼人たちと奇人ども①

ランジェナが笑みをこぼすのは久々のことだった。

食事を済ませてパフォーマーたちと打ち合わせをしてからは、団長室にこもって何度も札束を数えて直している。予想通り何件かのトラブルはあったものの、初日にこれだけ稼げりゃ万事OKさと鼻歌を歌えば、大切な売上金を金庫に戻した。

鍵をロックしたランジェナは煙草に火をつけ、青空が広がり始めた窓の外に目をやる。

昨日の盛り上がりからして、明日の公演はますます客が入るだろう。老若男女、財布の中をいっぱいにして待ってやがれと、上機嫌にならずにいられない。基本的には不機嫌な彼女だが、今だけはスキップしたくなるようにいい気分だ。

「さて、明日の公演のことでも少し考えとこっかな」

ランジェナはそうつぶやくと、椅子の位置を団長専用デスクの前に戻す。だが机に置かれたブリキの人形を見ると、一瞬彼女の唇は下向きになった。

ブリキの人形の顔は不吉にもパックリと裂けてしまっている。昨晩、ドグとマチャティが追いかけ回し、しまいには破壊してしまった例の『荒らし屋』だった。ただし今の彼女には、目の前の人形こそがテントを荒らし回っていた正体ということなど知る由もない。

ランジェナは不気味だし片付けてしまおうと思い、人形を手に取って動かす。すると今度は、人形の下にあった一枚の新聞記事に目が留まった。

それは『男がサーカスを襲撃 団員が決死の抵抗』という見出しが書かれた記事であり、以前ドグが初めてルーディと会った日に起こった事件について報じている。頭をおかしくしてしまった元団員にして大男のペドロが、2人を斧で襲ったあの一件である。

後にわかったことだが、気をおかしくしたペドロは怪しい宗教にのめり込み、しまいにはルーディを悪魔と思い込んだ末に殺そうとしていたらしかった。その宗教について色々と調べていたランジェナだったが、今のところ何の尻尾もつかむことができていない。

新聞記事の下には、あの日にペドロから奪ったネックレスが置かれている。ルーディが持つチャームと似た逆さ十字だ。

何となくネックレスに手を伸ばす。だがコンコン、と扉をノックする音がすれば、ランジェナはネックレスを手にしたまま姿勢を伸ばした。

「誰?どうぞ、開いてるよ」

そう声を返せば、キャンピングカーのドアが開き、日の光が差し込む。ランジェナは誰かと思って目を細めた。

「何だ。誰かと思ったらクリスティーナじゃないの」

キャンピングカーこと団長室を訪れたのは、急遽司会者として雇われたビリージョーズ・ヒルの学生、クリスティーナだった。

「突然申し訳ありません。ミス・シュウェップス」

クリスティーナは丁寧に頭を下げると扉を閉めた。体格は細身だがスラッとした長い脚と、小麦色でニキビの一つもない綺麗な肌の持ち主である。同時に、夏休み中の学生にしてはできすぎなほどの礼儀も身に着けていた。

「いやいや、アンタはもう特別枠だからいいんだよ。昨日の司会は最高だったね。おかげで最高に盛り上がるショーになったよ」

ランジェナは彼女には似合わない猫なで声を出しながら、キャンディの入った缶を机の上に置き、一つとって差し出しそうとした。しかしクリスティーナは「恐縮です」とだけ答えて拒んだ。

ランジェナはキャンディを自分の口の方に放り、上機嫌で話を続ける。

「アンタさえ良ければこの場で雇いたいくらいさ。ここだけの話、給料は倍出すよ」

キャンディを噛み砕きながらランジェナに話を持ちかけられたが、それでもクリスティーナは涼しい顔をしたままである。

「嬉しいお言葉ですが、私はこの街でやることがありますので」

ランジェナはそっかそっかとつぶやきながら、再び数個のキャンディを口に投げ入れるようにして食べる。彼女にとっては惜しい人材ではあるものの、珍妙なサーカスへのスカウトなど断られるのが常である。

「ところで何の用?ステージ料でも上げて欲しいの?普段なら絶対ありえないけど、今のアタシならいい返事聞かせちゃうかもよ」

ランジェナの問いにクリスティーナは首を振る。そして一切顔色の変わることがない猫のような様子のまま、話を切り出した。

「いえ私がお聞きしたいのは、あの『鬼人の子』についてです」

クリスティーナの一声に、ランジェナはキャンディを鷲掴みにしていた手を止める。予想外な話題に怪訝な目も向けた。

「ステージ裏で彼のパフォーマンスを目にしたとき、私は言葉を失ったんですよ?あれこそまさに、鬼人の力です」

クリスティーナは少し熱のこもった口調でそう言うが、ランジェナにとっては聞きなれた話である。仕掛けを教えて欲しいと言いにきたのかと思い、ランジェナはどこか面白くなさそうな顔をした。

「アンタもそんなふうに思ったの?あれはただのトリックだよ。タネは誰にも教えられないけどね。まあアタシも初めて見たときは……」

「ミス・シュウェップス。私はそんな話を聞くためにここに来たわけじゃないんです」

クリスティーナは話を切り裂くような声で返すと、ランジェナの机に1歩近づいた。表情も声色もわずかとして変わりはしないが、奇妙な気迫を感じられる立ち姿だ。

さらにそれと同時に、クリスティーナが前に出るのとほぼ同時にキャンピングカーのドアがひとりでに開いた。ランジェナは思わず驚いたが、クリスティーナの方は全く気にならなかったという様子で、吹き込んできた風に髪を揺らしている。

ランジェナは咳払いし、「古いドアなのさ」とだけ言って、開けたままにして話を戻した。クリスティーナも再び口を開く。

「デュームリング教という団体をご存知ですか?ミス・シュウェップス」

クリスティーナの言葉に一瞬考える素振りを見せるランジェナだが、すぐに肩の力を緩めた。もう一度キャンディかじりに戻るとバリバリ音を立てて飴玉を噛み砕きながら、遅れて首をかしげる。

「デュームリング?何それ?イギリスの菓子みたいな響きだね」

何の話か検討もつかないといった雰囲気を見せるランジェナだが、クリスティーナはそんな反応すら気にしていないのか、彼女をまっすぐ見つめたまま話を続けた。

「ビリージョーズ・ヒルに古くから残る宗教団体です。ご存知ないのですか?デュームリング教は何世紀も前から存在し、『鬼人』の伝説を崇拝しているんです」

ランジェナは腕を組みつつ、興味がなさそうにだらりとした態度をとる。

「あー、そういえばそんな話を聞いたっけ……この街の鬼人信仰ってやつ?ルーディとは何の関係もないと思うけど」

「本当にそう思いますか?彼は何か、この街について話したことはなかったのですか?」

クリスティーナに細かく問われれば、ランジェナは眉間にしわを寄せる。だがクリスティーナは、視線を彼女から外すこともしないようである。

困ったね。この子、何でそんなことをしつこく聞いてくるんだ?

そんなことを思いながら、ランジェナはため息をつく。彼女は嘘をつこうとしていた。

その実、鬼人に関する伝承や信仰が街に残っていると聞いたことが、彼女が今夏のツアーにビリージョーズ・ヒルでの公演を組み込んだ理由の一つだった。もちろん、競合が少ない田舎町であるという点も大きな要因ではあったが。

ランジェナもまたドグと同様に、ルーディを団員として受け入れつつも、彼の中に眠る秘密を知りたいと思っていたのである。この街に来れば、ルーディ、ひいては鬼人の力の正体も知れるのではないかと考えていた。

缶の中に残るキャンディの山を何となく掻き回しつつ、かつて気をおかしくしてルーディとドグを襲撃した大男、ペドロの一件を思い出す。

デュームリング教と言えば彼がどっぷり浸かっていた怪しい宗教であり、例の事件がきっかけでランジェナも耳にしていた。とはいえその話を知っている者は、サーカス団には、彼女以外には誰もいなかった。

「どうしました?ミス・シュウェップス」

クリスティーナに声をかけられれば、ランジェナは慌てて姿勢を正す。そして結局、キャンディの缶から離した手を頬に添えると、『何の話かわかりません』と言わんばかりの態度に戻った。

「悪いけど、アタシにはさっぱりだね。ビリージョーズに来たのは稼ぐため。それ以上の理由はないよ」

その場で雇っただけの人間にあえて話す必要はないかと思い、ランジェナは冷淡な反応で誤魔化そうとする。しかしクリスティーナの方も同じく、特別な反応を見せることはなかった。

「そうですか。それを聞いて安心しました」

「安心って……なんでさ?」

ランジェナは聞き返しながら缶に手を戻す。だが缶の中の異変に気づくと、思わず眉をひそめた。先程までは山のように残っていたはずが、どれだけ中を引っ掻き回しても、1粒のキャンディにすら指が触れないのである。

あれ?と思いながら缶の中を覗き込むが、やはり山ほどあったはずのキャンディたちは、唐突に消えてしまっていた。

「私が気にしていたのは、貴方が危機感を抱いているか否か、という問題だったのですよ」

消えたキャンディに困惑するランジェナに、クリスティーナはますます奇妙な言葉を投げかける。頭の整理が追いつかないランジェナは、空っぽの缶に手を突っ込んだまま、混乱に満ちた目を向けた。

「……は?何だって?何の話をしてんの?」

クリスティーナはようやく、固まったままだった表情を崩す。何かを企んでいるような怪しげなスマイルを見せると、窓の方に目をやった。

「ですから、危機感です。貴方がデュームリング教を警戒しながらこの街に来ていたのなら、我々としても貴方の行動に注意を払う必要があった。ですが、特に何の準備もしていないようですね」

話についていけず、ランジェナは何も聞き返すことができない。クリスティーナはランジェナの方に向き直ると、挑発するように一言をつぶやいた。

「これなら、楽にルーディを連れ出せそうです」

クリスティーナが発した一言に、ランジェナの頭の中は、一瞬真っ白になりかける。だがしかし、どこか不気味な雰囲気を放つようになったクリスティーナを前にして、とにかく強い警戒心を抱くことはできた。

「.……ルーディが何だって?」

ランジェナはクリスティーナを見たままそう返しつつ、机の引き出しに手を伸ばした。中に護身用の銃が入っているからである。

しかし、下からガチャッという音がしたかと思えば、伸ばした腕が何かに引っかかったように動かなくなってしまった。

戸惑いつつも視線を落とす。何故か、そしていつの間にか、彼女の腕は机の足に手錠で繋がれていた。驚いて何度か強く引っ張ってみてもびくともしない。

慌てて立ち上がろうとするが今度は足も引っ張られてしまい、足首を見てみれば、同じように手錠で拘束されていた。ランジェナはバランスを崩し、とうとう机の方に倒れ込んでしまう。いつの間にか手錠が出現したかのようで、気付いたときには、彼女は拘束されてしまっていた。

「おっと、気をつけてください。肩が外れたりしたら大変ですよ」

クリスティーナは外を眺めながら穏やかな声色で話す。

天気が荒れてきたのか、窓に写る空模様は、段々と黒く暗くなってきていた。ランジェナは窓に反射するクリスティーナの微笑みにさらなる恐怖を覚えもした。

「ちょっと、何の冗談!?どういう手品!?ルーディが何だってんだ!?」

ランジェナに声を荒げられれば、クリスティーナはゆっくりと彼女の方に振り向く。その目は奇妙なほど青く透き通っていた。

「貴方は何も知らなくて結構です。あ、これはもらって行きますね。ずっと探していたんですよ」

クリスティーナはニコッと笑うと、机の上に置かれていたネックレスに手を伸ばした。ランジェナがペドロから奪い取って以来ずっと保管していた、逆さ十字のネックレスである。ランジェナはますます焦った。

クリスティーナを止めようと肩に力を込めるが、不意に何か熱いものが腕に垂らされ、声を漏らしながら力を失った。

見ると、置いていたロウソクが、机一面を覆うほど急速に溶けてしまっていた。溶けた蝋が彼女の腕にまで流れてきていたのである。

クリスティーナはネックレスを掴むと、颯爽とその場を去ろうとした。

「ではミス・シュウェップス。私はこれで」

ランジェナは歯を食いしばり、力強い目付きで目の前の彼女を睨みつける。

「ちょっと待ちなよ!さっきから妙な技を使ってるみたいだけど……アンタもルーディと同じ、鬼人ってわけだね?」

ランジェナの問いに、クリスティーナはわざとらしく首をかしげる。ネックレスをくるくると回しながら、近くに置かれている椅子に体を預けた。

「鬼人?私が?言っておきますが、貴方は貴方が思っているほど利口では……」

「アンタに言ってるんじゃない。もう1人の方に言ってんだよ」

クリスティーナの言葉を遮ったランジェナは、凄んだ眼力に満ちた目を、一見何もない部屋の一角に向けている。クリスティーナはすぐには何も返さなかったが、小さく拍手をし始めたかと思うと、もう1人の侵入者に合図を送った。

「さすがサーカスの団長ですね。なかなか良い目をお持ちのようで。ほら、ご挨拶を」

クリスティーナがそう言うと、部屋の中に突然、仮面を被った小柄な少女が姿を現した。

少女の仮面にはトランプのスペードが描かれている。片方の手一杯にはキャンディが、もう片方の手には手錠が握られていた。

突風を起こしながら現れた少女にランジェナは驚く。同時に、突然キャンピングカーのドアを開けたり、缶の中に入っていたキャンディを盗んだり、ランジェナの手足を手錠で縛ったりしたのも彼女に違いないと察知した。

 スペードの少女は仮面を少しずらしてキャンディを頬張り、何も言わずにランジェナのことをじっと見下ろしている。何かルーディと似た力を持っているに間違いないと身構えるランジェナだが、どんな原理で一瞬のうちに手錠をはめられたのかは見当が付かなかった。

 「物騒な真似してくるじゃない。望みは何さ?」

 ランジェナはクリスティーナに向き直って問いかける。クリスティーナは腰を下ろしてリラックスしたままで、人差し指を立てながら淡々と言葉を返した。

 「貴方には何の用もありません。用があるのははたったの1人、『鬼人の子』です。我々は、突然姿を消したあの子をずっと探していたんですよ。そして偶然、彼がこのサーカスに入っていたのを見つけた」

 ランジェナは黙って話を聞いているように振る舞いながらも、手錠を無理やり外してやろうと腕に力を込める。しかしガッチリと鍵までかけられており、いくら引っ張ってみてもビクともしなかった。

 「彼が間違いなく本物のルーディだとわかった以上、我々は何としても彼を捕らえる必要がある。ですので……貴方たちクラウンヘッドサーカスには、木っ端微塵になってもらいたいのです」

 何の感情も感じられない声色で告げられた言葉に、ランジェナは開いた口が塞がらなくなった。

 「はあっ!?」

 「ルーディはえらくこのサーカスを気に入っている様子でした。皆様を皆殺しにすれば、大人しく我々に従うようになるでしょう」

言い放ったクリスティーナはおもむろにマッチ箱を取り出すと、キャンディをかじっていたスペードの少女に投げて渡した。

 「もちろん貴方も例外ではありません。大変心苦しくはありますが、物言わぬ屍になっていただきます」

 涼しい表情のままランジェナにそう言うと、クリスティーナは開いたままになっていた扉に近づく。マッチを受け取った少女は数本の束を取り出して火を付けると、床に散らばっていた書類の山に投げ捨てた。

 「そうそう、気になっていたでしょうからお教えしますが...…彼女の力は、『速さ』を操ることです。素晴らしい技でしょう?もっとも、今からサーカスにスカウトなんてできないでしょうけどね」

 クリスティーナがそう話せば、スペードの少女は小さな炎の上に手をかざす。

すると、わずかに立ち昇る程度だった勢いの火が、ガソリンを浴びたかのようなスピードで燃え広がるようになった。5秒としないうちに、床一面が炎に飲み込まれてしまう。

 ランジェナの机の周りはかろうじて無事だったが、火はますます勢いを増すばかりであり、団長室は火の海と化した。呆然となって炎を見つめるランジェナを一瞥すると、クリスティーナはスペードの少女の手を握る。

 「それではミス・シュウェップス、良い旅を」

 クリスティーナがそう言い終わるのと同時に、2人の姿は、ビュンッという風圧を起こしながらどこかへと消え去ってしまった。自分自身の速さを変えれば、瞬間移動のようなスピードで動くこともできるのだろう。

 周りに助けを呼ぶことはおろか逃げることもできないまま、ランジェナは迫りくる火の渦の前に取り残される。何とか立ち上がろうとしたのもつかの間、爆発するように燃え盛った炎の中に、彼女の姿は消えてしまった。

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