鬼人たちと奇人ども②
団長室及びキャンピングカーが火に飲み込まれてしまう少し前、外のサーカス会場もまた、不穏な空気に包まれつつあった。
雲一つない快晴が広がっていたはずが、遅めの朝食を皆々が食べ終えた頃から暗い雲が集まるようになり、会場の空はすっかりよどんでしまっていた。今にも嵐が呼び込まれそうなほど風も強くなり、どこかで雷が落ちる音も度々響いている。
「酷い空の色だねえ。速いとこ補修を済ませよう」
「いやまったくその通りだ。こりゃ午後には嵐じゃないか?こんなときにドグはどこで油を売ってやがる」
のんびり過ごしていた団員たちも吹き荒れる風を見ては、キャビンやテントの補修を進めている。覆ったビニールシートにロープを括りつけては木の杭で固定する団員もいれば、すでに飛ばされてしまった土産物の人形を大急ぎで拾い集めている者もいた。
風に飛ばされてあちこちにばらまかれてしまった『鬼人の子』人形を集めていたのは、休日にはチェーンソーはおろかハサミすら手にすることのない繊細な大男、デンジャーキッドである。
拾った人形を箱に押し込んで倉庫に戻そうとしていた彼だったが、ふと広場の方に気配を感じると手を止める。見ると、大粒の雨が降り始め、キャビンを揺らすほどの風も吹いている中、見知らぬ三人の人影が、トーテムポール像の前に立っていた。
コートのような衣服を羽織ってはいるものの、傘をさしたり、風を避けたりしている様子もない。三人は何かを観察するように、広場から会場を見渡していた。
見慣れない人影を不思議に思いながらも、デンジャーキッドは箱を下ろして三人に近づく。
「オーイ、お前たちそこで何してる?会場は立ち入り禁止だぞ?」
3人は呼びかけには答えず、黙って体の向きをデンジャーキッドの方に変えた。全員が仮面を被っており、それぞれにトランプのハート、ダイヤ、クローバーが描かれている。
「聞こえてるのか?そんなとこにいちゃ危ないぞ!」
デンジャーキッドがもう一度声をかけると、クローバーの仮面を被った少女がようやく動き出した。だが向かう先は大きなトーテムポール像の方であり、象の前で立ち止まると、何かを念じるように手を添えた。
「コラコラ!危ないと言ってる……だろ……何じゃこりゃ!?」
慌てて少女を止めようとするデンジャーキッドだったが、彼女が起こした奇怪な光景に、思わず足を止めてしまった。
彼が驚くのも無理はなかった。クローバーの少女が手を添えた瞬間、あろうことか、石造りの巨大なトーテムポール像が、風船のようにふわりと浮き上がり始めたのである。
風に乗った像は宙を軽く漂ったかと思えば、近くに置かれていたポップコーンのワゴンを、伸しかかるように押し潰してしまった。クローバーの少女が手を空へと掲げれば、広場に置かれていたオブジェや土産物のワゴン、さらには数台の車までもがふわんと宙に浮き始める。
風船のパレードのように空中を飛ぶワゴンや車たちに、デンジャーキッドはもちろんのこと、少し離れたところで作業をしていた団員たちも唖然となった。
そんな中、ダイヤの仮面を被った長身の男と、ハートの仮面の少年も動きを見せ始める。
「『好きに荒らせ。とにかく荒らせ』との指示だ。とりあえずめちゃくちゃにしろ。死人が出ても構わない」
ダイヤの男はそう口にすると、団員たちが寝泊まりしているキャビンの方に向けて歩き始めた。ハートの少年もその後に続いていく。
空を仰いだまま言葉を失うデンジャーキッドたちを見れば、クローバーの少女は掲げていた両腕を下ろす。
「まさか……危ない!落ちてくるぞ!」
デンジャーキッドが声を響かせたその瞬間、空の景色を覆っていたワゴンや車が、一斉に彼らの上に降り注いだ。
衝撃と悲鳴、そして大きな地面の揺れが起こり、会場はパニックとなった。
ランジェナのキャンピングカーも火を吹き上げ、サーカスの面々も大混乱となった少し後、何事かと会場を走り回っている男がいた。『火を吹く男』ことマチャティである。
UFOの遊具が空から落ちてきたのを見たマチャティも、はじめは竜巻か何かが来たのだろうと思っていた。もちろんそれだけでも大事だったが、群れをなすように宙に浮かぶホットドッグやケーキの屋台を見て、何か自然現象の一言では説明できないとてつもないことが起こっているのだと、昼寝をしていたキャビンから飛び出したのだった。
何がどうなってる!?船のオブジェやネオンの看板までもが風に乗ってぷかぷか飛んでいるじゃないか!?何が何だかわからんが、とにかく救助だ!パフォーマーたちを集めなくては!
頭より足を動かすマチャティは、ひとまず屈強な団員を呼んで呼び集めようと、パフォーマーたちが練習を行っていたであろう『ノームの広場』ステージへと走る。小さなビストロも設けられた屋外型の舞台であり、遠目に見た限りでは、何かが降り注いでいる様子は見られない。
ステージの観客用ゲートにたどり着いたマチャティだったが、彼を待っていた異様な光景に、戸惑いながら足を止めた。
「何だ、どうした!何があったんだ!?」
彼の予想通り、ステージには肉体派のパフォーマーたちが多くいた。しかしながらどのパフォーマーも、練習に使っていたであろう道具を投げ出したまま、地面や客席に倒れ込んでしまっている。
声を失うマチャティだったが、近くに彼の弟子、オイが倒れていることに気が付くと、駆け寄って肩を支えた。
「オイしっかしろ!何があった?無事か!?」
オイは意識こそ保っているようだったが、スポーツマンなガッシリした体格に似合わず、体は何故かタコのように脱力しきっていた。マチャティに抱き起こされてもすぐに崩れ落ちてしまう。
「どうしたんだ!?」
マチャティに何度も呼びかけられる中、オイは必死に口を動かそうとした。
「わ、わかりません……急に力が入らなくなって……」
オイは呼吸も不安定で、自力で立ち上がることすらできない様子である。
だが目立った怪我や傷はない。周りで倒れているパフォーマーたちも同じ症状なのか意識はあるようで、うめき声や「なんだこりゃぁ!」という叫び声も耳に入った。
食中毒か?何かの病気か?一体何が起こってパフォーマーたち全員からパワーのみがごっそり抜け落ちたのかと、マチャティは思考を巡らす。しかし当然ながら、その答えなど検討もつかなかった。
ひとまずオイたちを介抱しようとするマチャティだったが、突如何かの気配が周囲で動いたように感じ、身をかかがめたまま首を振った。
それは気配と言うよりも目線に近く、いくつもの眼光が蛇のように体にまとわりついてきているような、不穏な感覚をマチャティに抱かせる。昨晩彼とドグを襲った荒らし屋の雰囲気ともよく似ていた。
「何だ?他に誰かいるのか!?」
マチャティは近くに落ちていた木製のジャベリンを握り、何度も周りを見回す。すると、舞台を囲むように並べられていたノームの置物たちが、ゆっくり、ゆっくりと動き出した。
『ノームの広場』と名付けられただけあり、ステージの近くにはいくつものノーム像や樹木を模したオブジェ、巨大なキノコの置物までもが並べられていた。幻想的と言うには不気味すぎるが、そんな陶器の軍団が、ノシノシとマチャティたちの方へと進軍を始めたのだ。
「これは、どうなってるんだ……悪い夢か?昨晩シェリー酒を飲みすぎたのか?」
ジャベリンを握りつつ混乱するマチャティだったが、そんな彼のちょうどまっすぐ前に、今度は1人の男が姿を現した。ビストロの調理場から出てきたらしいその男は、ダイヤの仮面で顔を隠している。
「マ、マチャティさん!あの男です!あの男を見た途端、みんな力が入らなくなって……」
オイが力を振り絞って警告する。もう一度うずくまるパフォーマーたちを見たマチャティは、息を飲みつつもジャベリンを握り直した。
「そこの男!止まれ!お前が何者かは知らないが、誰であれ不審人物であることに違いはないようだ!」
マチャティに怒号を浴びせられようと、ダイヤの男は躊躇うことなく歩みを進める。男が両手を広げれば、調理場や倉庫から吸い寄せられるように、何枚もの皿が宙を舞って彼の周りに集まり始めた。
車の次は皿か!?どんな技を使えばそんなことができるんだ!?ええい、考えている余裕はない!
混迷するマチャティを横目に陶器の皿たちは魚群のように集まり、時折ぶつかってバリバリンと砕かれながら、竜巻状に渦を巻いた軌道で飛び交う。ノームの軍団も一列で進行を続けた。
何が起こっているかもわからないままだったが、倒れたまま動かないパフォーマーや弟子たちを背に、マチャティは立ち上がる。
砕かれてナイフのように尖った皿の破片が、照準を合わせるかのように、一斉に彼の方を向いた。
「かかってこい!私を誰だと思っている!『火を吹く男』を見くびるんじゃないぞ!」
怯むことのないマチャティを見たダイヤの男が手を前に伸ばせば、陶器の破片の嵐が、意志を持ったかのようにパフォーマーたちに襲いかかる。1人立ち向かうマチャティの雄叫びだけが響いた。
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