博士と人形屋敷④

庭園の草は伸び放題で、あちこちには大きな人形も置かれている。しかしながらどれも動く気配はなく、もう襲われる心配はなさそうだった。ドグとルーディは、大急ぎで車へと駆け寄った。

「お?おっ!見た感じ無事そうじゃねえか!周りには誰もいないみたいだしよ!」

すでにメチャクチャにされているのではないかと危惧していたが、車がそのまま放置されているのを見ると、ドグは安堵の声を漏らす。鍵を開け、運転席に飛び乗った。

ルーディは周りを見回しながら、別の誰かが隠れていないかと警戒する。

「確かに無事みたいだ。だが、何か嫌な予感がするな」

滑り込むように車に乗ったルーディがつぶやくと、ハンドルを握るドグは表情を険しくする。

「ば、馬鹿が!縁起でもないことを言うんじゃねえよ!この前観た映画覚えてねえのか?そういうことを言うと……」

ドグがそう言ったのもつかの間、悪い予感が的中したことを真っ先に伝えに来たかのように、どこからか響いてきた地鳴りがバックミラーを揺らした。

「……ろくなことにならないってことだ」

地鳴りは何かが弾けたり衝突したりしたような音ではなく、一定の間隔を刻む、足音のように振動する音だった。2人は顔を見合わせ、音が響いてくる方向を向く。

足音の正体が姿を見せると、ドグは絶望を噛み殺すように歯ぎしりした。

道を塞ぐようにこちらに向かってきているのは、屋敷に続く小道の近くで埋まっていたはずの、骸骨型の巨像だったのだ。

地面に埋まっていたためかその下半身は泥だらけである。巨体を震わす像は、ゆっくりと、それでいてパワフルな大股歩きで、2人の逃げ道に見参した。

「クソッタレ!ルーディ!お前が余計なことを言うからだ!」

ドグは憤る。鎧に殴られた際に痛めた体は痺れたままだった。命からがら屋敷から出たと思ったら、またしても怪物に殺されそうなピンチに陥ってしまったのだ。

人の形なら何でも動かせるって感じだったが、あんなデカイものも操れんのか?畜生!アイツその気になりゃ、自由の女神像にコサックダンスを踊らせることだってできんじゃねえのか!

辺りを石壁で囲まれた屋敷から出る道は、巨体によって完全に塞がれている。ドグは半ば投げやりになりながらも体当たりしようとアクセルに足をかけたが、こっちか潰れるだけかとハンドルから手を離した。

「どうする!どうすりゃいい!どうすりゃ突破できるってんだ!」

焦っているのはルーディも同じである。しかし、自分の指を舐めると窓から腕を出し、風の通りを確かめ始めた。

「……風、風だ!ドグ!風が吹いているぞ!」

飛び込むように車に乗ったため気づかなかったが、屋敷の外では、車体が揺れ動くほどの強風が吹き始めていた。軽い木像は吹き飛ばされてカラコロと転がり、庭に飾られている風車はものすごい速さで回っている。

2人が風に気がついたのとほぼ同時に、屋敷の扉が勢いよく蹴破られた。車に乗るドグたちを目にしたその男は、強風をかき消すほどの大声で、敵の名前を呼んだ。

「ルーディ!」

姿を現したファンダムの声が響き渡れば、ルーディたちは屋敷の方を見る。

ファンダムは赤黒い血を側頭部から垂らしていたが、すぐに意識を取り戻したようで、ふらつきながらも歩いていた。 彼の感情に反応するように、巨像はズンズンと歩くスピードを速くする。

ルーディは覚悟を決めたように一呼吸すると、ドアを開けて車から降りた。当然、ドグは彼を呼び止めようとする。

「オ、オイ!何やってんだ!?」

ルーディは右手を真っ直ぐに伸ばし、彼らの少し上で吹き荒れる風に意識を集中させる。風をつかんだ感覚がすれば、もう片方の手を指揮のように回し、ゆっくりと風の流れを支配していく。

「ドグ!あの大きいのは私が何とかする!だからその間、あの男を止めてくれないか!」

風が吹き込む轟音が2人をつつむ中、思いもよらない言葉に、ドグはルーディと巨像を2度見した。

「無茶を言うんじゃねえ!あんなデケェのをどうやって『何とかする』ってんだ!」

「何とかできるさ!今の私には武器がある。もうさっきまでの私じゃない!」

ルーディは体で十字を作るように両腕を広げた。

すると風は二手に別れ、さらに強く吹き荒れるようになりながら、2つの小さな竜巻を作り始める。オレンジ色の土が巻き上げられ、辺りは濃い土埃に塗りつぶされていく。

土埃を孕んだつむじ風はその形を膨らませ、さながら大きな頭を持つ蛇のようになった。ルーディが腕を押し出せば、風と土の大蛇はその体で渦を巻き、大口を開けて巨像を飲み込んだ。

長い長い突風が吹き荒れれば、倒せこそしなかったものの、ほんの少し巨像をよろめかせた。後ろに茂っていた木々は、あっという間に吹き飛ばされてしまっている。

いける!と思ったルーディはもう一度風を集めていく。反撃の様子を見ていたファンダムは焦燥を浮かべ、肩にかけていた猟銃に散弾を込めた。

「ルーディ!遊びはもう終わりだ!」

踊り狂うような土埃に視界のほとんどが支配される中、ファンダムは猟銃を握り、ルーディに先を向ける。引き金に指をかけようとしたが、横から現れたドグに、腕ごと銃を蹴り上げられてしまった。

「遊びじゃねえ、ショーだ!邪魔はさせねえ!」

弾き落とされた猟銃は地面をすべる。いつの間にか車から出て蹴りを喰らわせたドグは、たじろぐファンダムを挑発するように手のひらを仰いだ。

ファンダムは近くに転がる人形たちを起き上がらせ、自分も細長いナイフを手に取り、ドグに襲いかかった。

ドグは拳を構え、ファンダムが振るう刃から身をかわす。一体の人形が足元に食らいついてきたが、サッカーボールのように思い切り蹴飛ばし、逆にファンダムにぶつけてやった。

「舐めんじゃねえぜ。こういうドッグファイトなら、俺の方が何枚も上手だ!」

思わずファンダムが1歩引いたのを見るとドグは間合いを詰め、相手の脇腹にキックをお見舞いした。

痛めていた彼自身の脚にも痺れるような激痛が走る。だが、ファンダムが倒れそうになったのを見れば、すかさず追撃を加えた。

手首をつかみ、素早くひねるようにしてナイフを離させる。反対から相手の拳が飛んでくれば、飛びかかるように頭突きを喰らわせてブロックする。ふらつくファンダムの襟首をつかむと、今まで世話になった分をお返ししてやるように、体をひねって彼を背負い投げた。

「終わりなのは人形遊びの方じゃねえのか?博士さんよ!リンチにされる気分を味わってもらおうじゃねえか!」

ドグが脅し文句を吐いた頃、一方のルーディは、突風を受けても倒れない巨像に、もう一度両手を掲げて立ち向かおうとしていた。

すでに集まった風が、再び土埃を巻き上げ始めている。これが最後のチャンスだ、何としてもこの一撃で倒さなくては!と、両手にさらなる力を込めた。

ルーディが呼吸を整え直したのと同時に、巨像は大きな歩幅で跳び、目の前の少年を叩き潰そうと動き出した。ルーディは両腕を開くと、辺りを流れる風の動きを操り、ギュルギュルと回転させた。

またしても作り出された竜巻が、みるみるうちに巨大さを増していく。

しかし巨像は動じず、うごめく風の壁を押しのけようと、重心を倒しながら1歩ずつルーディに迫った。ルーディは腕を広げたまま、両方の手を強く握った。

すると竜巻は木々をなぎ倒すほどの強風を起こすようになり、周辺の地面も円盤状に削られていく。重たい車さえも、風に乗って浮かび上がりそうになった。

力いっぱいの雄叫びをあげるルーディがゆっくりと腕を閉じていけば、竜巻は小さく縮み始める。だが力が弱まることはなく、むしろ小さな空間にハリケーンを押し込んだような、破壊力の塊へと進化していった。

硬い地盤までもが削り取られ、風が通った跡には、荒々しい切断面が刻み込まれる。吹き荒れる風はさらに猛烈なスピードで回り、飲み込むものをズタズタに引き裂くチェーンソーのような渦と化せば、ルーディの周りにある全てを跡形もなく削り潰していった。

ついには、土埃を巻き上げながら加速する竜巻の前では、巨大な体を持つ像さえも無力となった。

太い足はふわりと浮き、そのまま破壊の渦が、巨像をバリバリと崩壊させる。またたく間にバラバラに裂かれていくその姿はまるで、ヘリコプターのプロペラにでも巻き込まれてしまったかのようだった。

巨像は腕部から引き裂かれて、木製の肌が剥がされれば骨組みがむき出しになる。その骨組みさえも竜巻の中でひしゃげていき、いくつもの木の破片へと飛散しながら、あっという間に人形としての形が失われていく。10秒としない間に巨像は、破壊の渦の中へと引きずり込まれた。

ルーディはようやく腕の力を抜く。するとコントロールを失った竜巻は、かつて巨像だった木の塊をぐしゃぐしゃにひねり潰しながら、上空へと散った。

だが同時に、巨像の一部だった木の欠片も空より解き放たれてしまい、車や屋敷の近くに降り注いだ。ルーディは咄嗟に身をかがめたが、木片の雨はドグやファンダムにも襲いかかり、衝撃で巻き上がった土煙に、2人の姿はかき消されてしまった。

「そ、そんな!ドグ!大丈夫か!?」

ルーディはつい力を抜いてしまったことを後悔しながらも、屋敷の方に走った。もう一度力を使い、土煙を彼の周りから追い払っていく。

何度か呼びかけてみても、ドグからの返答はない。脳裏で不吉な想像が騒ぐ。もう一度腕に力を込めると、カーテンを思い切り開くかのように、一気に土煙を吹き飛ばした。

視界が晴れれば、ようやく2人の人影が姿を見せる。片方は銃を持ち、もう片方は膝をついてうずくまっていた。ルーディは放心しそうになりながらも、2人の人影に駆け寄った。

「ドグ!?無事なのか!?返事をして!」

焦りが加速していくルーディだったが、銃を持っているのが誰かわかると、足を止めた。

「……あー、無事だ。一応な。お前も元気そうで何よりだ」

銃を握って立つのはドグの方だった。

木片が直撃したファンダムが崩れ落ちたのを見て、転がっていた猟銃を奪っていたのである。銃の先はうずくまったまま動かないファンダムに向けられている。

ドグの無事を知ったにも関わらず、ルーディの内には、奇妙な胸騒ぎが起こっていた。体がふらつきそうになりながらも、何も口にすることがない2人に距離を詰めていく。

後ろの屋敷は嵐に巻き込まれたかのような大荒れになっており、入口のステンドグラスは木片に突き破られて影も形もなくなっている。さらに、ファンダムの脇腹や胸元にもまた、槍のように鋭く裂けた木片が突き刺さっていた。

傷口からは黒い液体が溢れており、立ち上がる力も残っていないようである。ファンダムが虫の息であることは、遠目からでも容易に理解できた。

「……とりあえず、俺が、誰かいないか見てくる。助けを呼ぶしかねえ。お前は、コイツから離れてろ」

そうルーディに告げて銃口を下ろしたドグだったが、ファンダムが不意に顔を上げれば、慌てて銃を構え直す。ファンダムは視界にルーディの姿を写すと、不気味にも引きつった笑顔を作り、かすれた声で言葉を吐き出した。

「ルーディ……ルーディ……クフフ、やはり、似ているな……あの男に、よく似ている……」

そう一言漏らしたファンダムは横に倒れ込み、目から光を失ってしまった。その表情は、奇怪にも、貼り付けたような笑顔のままだ。

ルーディは呆然となり、地面に倒れたファンダムを見下ろす。

あれほどの重傷を負えばすでに事切れてしまったのか、まばたきすらせず、指の1本として動いていなかった。一度は殺してやろうと思ったものの、一切の呼吸も失った姿を見れば、ルーディはショックを受けずにいられなかった。

ドグはルーディの肩に手を添えて、

「し、仕方がねえ、俺らだって殺されるとこだった。正当防衛……と言うより、事故ってやつだ。誰も悪くねえ」

と声をかける。手遅れとしか思えなかったものの、一応救護を読んでやろうと車の方に向かう。

ルーディは、まだしばらく言葉を失っている。森の中に響くのは、ドグが砂利を踏みながら歩く足音だけである。

力を使いすぎたためか、ルーディの指先は灰色に変色しつつあった。そんな自分の手とファンダムの姿を見比べていると、ルーディは、相手の体に異変が起こっていることに気がついた。

「ド……ドグ、ちょっと、ちょっと待ってくれ!」

呼び止められたドグは振り返った。ルーディは依然として横向けに倒れたままのファンダムを指さしており、ドグは目を細めながら彼に近づく。

そしてすぐに、ファンダムの体に生じた異常を、彼も目にすることとなった。

「……あ?な、何だ?どうなってやがる?」

ファンダムの体は、次第に薄黒い色に染まり始めていた。

深手を負った脇腹や胸元から黒ずみが広がっていくように、体の色が変わっていっているのだ。黒ずみは決して影などではなく、彼の肌を段々と塗りつぶしていく。不気味さを感じたドグは思わず後ずさった。

その後は一瞬だった。全身が黒に覆い尽くされたかと思うと、ファンダムの体は灰の塊のように変貌し、バサッと音を立てて崩壊してしまった。

黒ずんたコートや帽子などの衣服のみが地面に残る。骨や髪の毛すら消えて、ファンダムの体は一瞬にして灰と化した。風が吹けば、灰山の一部はふわっと巻き上がり、地面に広く散っていった。

信じ難い光景にドグは理解が追いつかず、ただ立ち止まって愕然となる。

「オ、オイ、い、今のは、今のは一体……」

震えた声を出しながら後ろを見る。だがルーディの方は、さらに混沌としたパニック状態に陥っていた。

目は血走り、息は荒く、体は平衡感覚を失って揺れている。世界がぐにゃぐにゃと曲がっていくような感覚の中、彼の意識はどこかへ消えてしまいそうになった。

「お、同じだ、あの夢と同じだ!……父さんも、誰かに撃たれて、灰になって……死んだ!目の前で、灰になって死んだんだ!」

ルーディは恐怖に溺れそうな声を吐く。頭の中では悪夢とファンダムの消滅がフィルムのように繰り返し流れ、頭が割れそうなほどの激痛もなだれ込んできていた。

ドグはルーディにかけよったが、彼はもう目の前の世界など見えていないのか、あらぬほうに目を向けながらうわ言を漏らし続けている。

「僕も、灰になって消えてしまうのか!?アイツのように、父さんのように!そ、そんなの、そんなのいやだ!消えたくない!消えるなんていやだ!」

「ルーディ!ルーディ落ち着け!よく見ろ!こっちを見やがれ!」

ドグの声が響けば、ようやくルーディの混乱はかき消される。それでも尚ガタガタと震えているルーディの腕を握り、ドグは強く言葉をかけた。

「俺は死んでるか?いや死んじゃいねえな!体だってこの通りだ!灰になんかなっちゃいねえ!お前はどうだ!?自分をよく見ろ!お前だって何も変わっちゃいねえだろ!?」

そう言われたルーディは、浅い呼吸を漏らしながらも自分の手を見る。

指の黒ずみは段々と晴れてきており、震えも収まりつつあった。何度もドグに言葉をかけられる中、やっと痙攣が消えていき、視界の歪みも元に戻っていく。

「お前はどこにも消えちゃいねえし、これからも消えやしねえ!……どうだ?お、落ち着いたか?」

ドグの言葉に、ルーディは深呼吸しながらうなずいた。そして我に返ると同時に無茶をした反動に襲われ、前のめりに倒れそうになれば、ドグに肩を支えられた。

「それにあの男だって……死んだとは限らねぇ。何か妙な力で姿を消しただけかも、だろ?とりあえずここを出ようぜ。相棒さんよ」

ルーディの背中をさすりながら、ドグはもう一度声をかける。ルーディも再び深くうなずいて返した。

「そ……そうだ、そうだな。まだ消えてない。何も消えてないんだ」

ルーディがつぶやいた言葉の意味はわからなかったが、とりあえずドグもうなずくしかなかった。

また何かが起きる前に森を出るべく、2人は土まみれになった車の方へと歩き出した。

ルーディは屋敷の方へ振り返ることはせず、一気に脱力したこともあってか少しおぼつかない足取りで、土埃を払ってから車に乗り込む。だがドグの方はどうしても気がかりが残り、後ろを見ては、風になびいているファンダムの白いコートに目をやった。

ルーディには『死んだとは限らない』とは言ったものの、屋敷の周りに転がっている人形たちは、宿った意志が完全に消え去ってしまったかのように、ピクリとも動かなくなっていた。

いやいや人形は動かねぇのが普通だろ、と自分自身に言い聞かせ、ドグはルーディが待つ車に戻る。だが彼の中では、何か不吉な胸のざわめきが、へばりついたかのように離れないままだ。

それが何かもわからない中、ドグは車を動かし始める。まずは真っ先にサーカス会場に戻らなくてはならない理由があり、車を走らせて、グングンと屋敷から離れていった。

2人が去った屋敷には、骸のようにあちこちに横たわる人形たちだけが残った。

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