博士と人形屋敷③

さっきまで部屋にいたはずのドグは消えてしまった。彼の代わりに部屋を占領していたのは、何体もの人形たちである。真っ白な肌を持つビスクドールや、東洋の鬼を模した人形までもが、侵入者ルーディにいびつな視線を集めている。

ルーディは足を止め、部屋をぐるりと見回す。

部屋を間違えたのかと思ったが、ドアを開けるなり視界に飛び込んできた鎧の置物からして、彼が入ったのはファンダムの部屋に間違いなかった。つい数分前までは一体として姿を見せていなかったはずが、今や20を越える人形たちが、部屋を埋めつくしている。

「これは、どうなってるんだ?この人形たちは、一体どこから、誰が部屋の中に……いや、違うぞ。違う!誰かが運んだんじゃない!」

人形たちは動いていた。糸や機械のような仕掛けは見えない。だがとにかく人形たちは、小刻みに体を揺らし、木やブリキの足でカチカチを床を叩きながら、ルーディを取り囲むように陣形を組んだ。

人形たちの表情は固まったままである。だがルーディは奇妙にも、彼らから野性的な威嚇のようなものを感じ取った。

「ド、ドグ!いないのか!?どこに行ったんだ!」

大声で呼びかけるが返答はない。何体かの人形がジリジリと迫ると、ルーディは慌てながらも、近くに飾られていたゴルフクラブを手に取る。

「どうなってるんだ!?この人形たちは、どうして動いているんだ!どこから現れた!?」

頭を整理する余裕も与えず、角を生やした人形が、ルーディに飛びかかった。

咄嗟に身を引いてかわしたものの、勢いよく飛んだ人形の角が壁に突き刺さったのを見れば、襲撃されればひとたまりもないぞとルーディは恐れおののく。

角の人形は突き刺さった一角を引き抜こうと足をバタバタさせている。その他の人形も、一体ずつ前に出だした。

「ま、まずいぞ、まずい!すごくまずい!すごくすごくまずい!」

息をつく間もなく、人形たちが次々とルーディに飛びかかる。

小さなナイフを持つ人形もいれば、重みのある陶器でできた人形までもが、続々と彼を襲った。テーブルの下からも、小さな兵隊のおもちゃの大群が、わらわらと姿を現している。

ルーディはゴルフクラブを握り、縦横無尽に振り回した。叩き落とされた陶器の人形は砕けてバラバラになる。木彫りの人形は野球ボールのように弾き飛ばされ、激突した窓ガラスを粉々に割った。

必死の抵抗をかいくぐり、ついに一体の人形が、ルーディの腕に噛み付いた。

「い、痛い!離せ!」

痺れるような痛みにクラブを握る力がゆるむと、別の人形に、腹部への頭突きを喰らわされてしまった。大きな頭を持ち、貴婦人のような服を着せられたビスクドールだ。

突き飛ばされたルーディはドアへと叩きつけられ、一瞬崩れ落ちそうになった。

姿勢を崩したルーディに再びビスクドールが迫る。噛み付かれた腕から赤黒い血が垂れているのを見ると、ルーディは咄嗟に反撃をひらめいて腕を伸ばした。

「これでも喰らってろ!」

そう叫ぶルーディの意思に呼応して、数滴の血が浮き上がり、弾丸のような形に引き伸ばされていく。そのまま真っ直ぐに飛ばせば、ビスクドールの両目を、血の弾丸が撃ち抜いた。

ビスクドールは目を小さな両手で覆い、たじろいだ様子を見せる。だが3秒としないうちに手を放し、首を傾けながら、ルーディの血の色に染まったガラスの目をひん剥いた。

変わらずに迫り来るビスクドールを見て、ルーディは戦慄した。

人形たちは決して、人形の皮を被った別の生き物などではない。何か不思議な力で動いているだけで、その体は普通の人形と何ら変わらないようだった。言わずもがな、元から目を持っていない人形に目潰しなどしても意味がない。

ルーディは「ひっ」と声を漏らし、ドアを押し開けようとする。だが誰かに抑えられているのか、それとも外からロックされてしまったのか、扉はビクともしなくなっていた。

「そんな!だ、誰かいるのか!?開けてくれ!」

必死に体をぶつけるがが、ドアはピッタリと閉まったままである。彼の背後では、赤黒い瞳のビスクドールが、小さなバターナイフを手にしていた。

背後から殺意を感じ取ったルーディは、ドアに背中を押し付けたまま振り返る。その瞬間ビスクドールが飛びかかり、彼の髪を掴んでルーディを押さえつけた。

ナイフを握る人形が顔を覗き込む。白い陶器の肌が不気味に光り、眉すら動くことのない瞳には、恐怖に歪むルーディの表情が写っている。

ビスクドールは小さな笑みを顔に貼り付けたままナイフを掲げた。

ナイフを突き立てられると思い目をつぶったルーディだったが、寸前のところで飛んできた声が、ビスクドールの動きを止めた。

「オイ、イギリス野郎!ソイツを離せ!」

ビスクドールの後ろから響いたのはドグの声だった。

目を開けたルーディは、いつの間にか現れたドグが、野球のバットを構えていることに気がついた。ドグは野犬にでも襲われたように体のあちこちを負傷しており、衣服も穴だらけの虫食い状態になっている。

人形たちに襲われたドグだったが、小さな牙やら棍棒やらでリンチにされながらも、死んだフリをして何とかやり過ごしていた。ちょうどソファが陰となり、床に伏せた彼の姿は、部屋に入ったルーディには見えていなかったのである。

「そんなチビスケより大物とやりたいんじゃねえのか?こちとら身なりは最悪だが、準備万端だぜ?」

挑発の言葉をかけるドグが握っているのは、ゴルフクラブと同じように飾られていた木製のバットである。メジャーリーガーのサインが書かれたアンティークものだったが、ドグにはどうでもいいことだった。

ビスクドールはルーディを突き飛ばし、ナイフの先を向けながらドグに襲いかかる。

ドグは縦に持ったバットを盾代わりにして突進を受け止める。ナイフはバットに突き刺さり、仰け反らずにはいられない衝撃とともに、メキメキと木が割れる音がした。

ビスクドールは、ナイフを引き抜いて再び襲おうとする。だがドグの反撃はもう一歩素早かった。しがみつくような体制になった人形ごとバットを振り回すと、近くの椅子に勢いよく叩きつけたのだ。

ガラスを叩き割ったような音が天井まで響き、陶器の体は粉砕して散らばる。体を破壊されたビスクドールはバタバタと震えながらも反撃に出ようとしたが、頭部にも容赦のない追撃を喰らえば、ピクリとも動かなくなった。

バラバラになっても動くのではないかと警戒するドグだが、手足の破片が動くことはない。動くものものと言えば、床を転がるガラスの目玉だけだ。

「ド、ドグ!無事なのか!?」

「無事っちゃ無事だぜ。これからはそんなこと言ってられなくなるかもだがな」

会話を交わすした2人はすでに、人形たちに囲まれていた。ドグはため息をつき、ルーディに目で指示を送る。ルーディは戸惑いながらもゴルフクラブを握り直した。

「お前の鬼人パワーで何とかできねえのか?このままじゃ高そうな人形を全部台無しにしてやらないといけなくなっちまう」

「そ、それはまずいだろう!何か他に手があるはずだ!何とか人形を壊さずに……」

言いかけたルーディだったが、ブリキの人形に飛びかかられれば、反射的にクラブで打ちのめしてしまう。驚きもあってか、ぐしゃりと顔を凹ませるまで叩き壊してしまった。

「……今言ったことは取り消す。もはや何体壊しても同じだ」

2人が武器を掲げる。ドグは「ぶっ壊してやる!粗大ゴミども!」と、雄叫びまで響かせた。

だが人形の大群は、突然様子を変えた。怖気付いてしまったかのように、割れたガラスやドアの小窓から、部屋の外に飛び出し始めたのである。

ドグは怪訝な目をしながら、大慌てで逃げ出す人形たちを目で追う。一方のルーディは、別の何かがギシギシと動き始める音に気づいた。

まさかと思って入口の方に目をやる。気がついたときにはすでに、入室者を驚かせるように置かれていた鎧の置物が、ゆっくりと台座から足を下ろしていた。

「ドグ!や、やばいんじゃないのか!?あれは!」

ルーディが大声を出せば、ドグもようやく鎧に目を向けた。

「なんてこった……この鎧も動く人形ってわけか?冗談じゃねぇ!」

巨大な鎧は、その他多くの人形と同じように、一言の言葉も語ることはない。手にしていた錆び付いた戦斧を持ち上げると、地鳴りのような足音を響かせながら、ゆっくりと2人に迫り始めた。

部屋を出るには窓を開けるか、鎧の巨体に塞がれているドアを通るしかない。ドグはバットを持ち直し、ルーディの肩を引いた。

「ルーディよく聞け。俺の鞄に、マチャティに言われて買った酒が3本だけ入ってる。そして俺はマッチを持ってる。俺があのデカブツを足止めするから、何とかして酒を取ってこい」

ドグにそう指示されても、ルーディはすぐには動けなかった。鎧の怪物にバット一本で立ち向かうなど無茶にしか思えなかったからだ。

「お前は酒を開けてぶちまけろ。そんで俺が火をつける。火なら、鬼人パワーで動かせるだろ?名付けて『燃えろよドラゴン』作戦だ」

悠長に名付けている場合か!と思ったルーディだったが、他に何の策も思いつかず、ソファに置かれたままの鞄に向かって走った。

ドグは息をつき直し、間合いをとるようにバットを振り回す。鎧は重厚だが、かなり錆び付いている。一撃でも当たればそれなりの衝撃を与えられるだろうと、攻撃に出る隙をうかがった。

同時にドグは、猛烈な嫌な予感に包み込まれたままでもあった。部屋に集結した人形たちも、昨晩キャビンを荒らしていた荒らし屋も、何か仕掛けがあって動いたようには到底見えなかった。機械やロボットかとも疑ったが、粉々にしたビスクドールの中身は、紛れもなく空洞だったのである。

まさか、ルーディみたいな超能力で動いてるんじゃないだろうな?畜生、俺っていつも襲われてばかりじゃねえか!これっきりにしてくれ!

頭を悩ませながらも、鎧が一瞬ふらついたのを見ると、ドグはバットを振り上げた。

「頭でっかちな置き物が!これでも喰らって寝転がってろ!」

そんな台詞を叫び、覚悟を決めて鎧に襲いかかる。だが鎧は、ふらついていた姿勢をすぐに真っ直ぐにしたかと思うと、風を切るようなスピードで動き始め、鋼鉄の拳を振りかざした。

バットを握りながら飛びついてしまったドグにはやばいと思う余裕さえなかった。文字通りの鉄拳を右頬に叩きつけられれば、ハンマーで打ちのめされたような衝撃とともに、長椅子へと吹き飛ばされてしまった。

ドンガラガッチャという音が背後からすれば、鞄を漁っていたルーディはピタリと手を止める。

恐る恐る振り向くが、ドグはすでに長椅子に突っ込むようにして倒れており、鎧は傷一つないままで直立していた。ルーディの体は、指一本すら動かなくなった。

再び鎧が動き出す。戦斧を放り捨てると、鞄の前に座り込んだままのルーディに迫り、甲冑に包まれた腕を伸ばした。

「ち、近寄るな!」

鞄の中で酒瓶に触れたのを感じると、ルーディは何とか抗おうとする。だが容易に首を掴まれてしまえば、彼の体はまたしても金縛りに陥った。

細い首を握る鎧の手は、かすかな温度も感じられず、わずかな震えを起こすこともない。軽々と持ち上げられてしまえば、ルーディの足は地面から浮いた。

絶対絶命となる中、ルーディは必死に手足を暴れさせ、鎧の手を離させようとした。しかし徐々に首にかかる圧力は強さを増し、さらに力を奪っていく。視界に入ったゴルフクラブに腕を伸ばすが、どれだけ引き寄せようと力をこめても、金属の塊が動くことはなかった。

彼が助けを呼べる相手は、もはやただ1人だけだった。

「……は、博士!ファンダム博士!!そこにいないのか!?助けを……」

「私をお呼びかな?」

鬼気迫りながらも絞り出したルーディの声とは真反対な落ち着いた声が、鎧の背後から聞こえた。

ルーディは浅い呼吸のまま、血走った目を見開く。かすんだ視界の先には、いつの間にか部屋に入ってきていたのか、ティーカップを片手に涼しい顔でルーディを眺めるファンダムの姿があった。

「た、助け、助けて!息が、できなくなって……」

ルーディは声を振り絞って助けを求める。しかしファンダムは、ミントの茶を一口飲んでは、ルーディの首を掴む金属よりも冷たい視線を浴びせるだけだ。その口元も、不敵につり上がっている。

薄々予期してはいたものの、人形たちを2人に襲わせていたのはこの男だったのだとルーディは察知し、鎧の手を掴んでもがいた。

気配を感じたドグも、揺れ動く意識のまま頭を上げようとする。だが立ち上がることもできず、天井裏に潜んでいた陶器の人形に飛びかかられて、長椅子へと体を押さえつけられてしまった。

ルーディは鎧の腕に何度も拳を叩きつけながら、何とかしてファンダムを止めようとする。

「ど、どうしてだ!何のために、こんなことを……!」

ファンダムはミントの茶を飲み干すと、声を震わせるルーディに歩み寄る。苦悶に満ちた顔色をまじまじと見た。

「ふーむ、面白い。極めて興味をそそられる。どうやら、何も覚えてないという話は嘘ではないようだな」

ルーディが白目を向きかけると、ようやく鎧の手から力が抜けた。だが自由を与えることはなく、鎧はルーディの襟首を掴むと、ソファに押し込むように座らせた。

ルーディは咳き込みながら荒い呼吸を漏らす。鎧に戦斧を向けられれば抵抗できず、自分の服を強く握りしめて、湧き上がる感情を閉じ込めた。

虫けらも同然に見向きもされなかったドグだったが、ファンダムを引き留めようと、背後から言葉をぶつける。

「テ、テメー……何者なんだ。やっぱり人形どもを操ってたのは、お前なんだな!」

ファンダムはティーカップを机に置いては何も答えず、ルーディのことをじっと観察している。ドグは意識を朦朧とさせながらも、自分とルーディがこの屋敷で足を止めた裏では、全てファンダムが糸を引いていたに違いないと思った。

この野郎だ。全部の人形を操っていたのは、この野郎だったんだ。昨日の荒らし屋も、道路にいきなり現れた人形も、コイツが動かしてたに違いねえ。何が目的かは知らねぇが、一つだけハッキリわかる。野郎、俺たちを殺す気だ!

ドグは拘束を振りほどこうとする。だがファンダムがそっと手をかざせば、意志に答えるように人形たちが反応し、ドグを抑える力がさらに重たくなった。

ファンダムは首を掻っ切るようなハンドサインを出し、ルーディの首に軽く触れるように、鎧に戦斧を動かさせる。彼が人形を操る様子は、ルーディが水や風を操る動作によく似ていた。この男も同じような力を持っているのかと、ドグは自分の目を疑う。

「お、お前も……ルーディと同じ、『鬼人』なんだな!?」

ドグに問いかけられても、ファンダムはすぐには答えない。羽が着いた帽子を外すと長い前髪を撫で下ろし、もう一度ルーディを見下ろしながら、意地悪を言うような口調でドグに言葉を返した。

「教えて欲しいのか?なら金を出せ。『桁が足りない』と言ってやる」

昨日ドグが言った言葉を借りながら返答するファンダムは、氷のような笑みを浮かべている。サーカス会場で軽くあしらわれたことをしっかり覚えていたようである。

ドグは血の気が引き、今更になって自分の言動を悔やんだ。

「だがまあ、君たちは素晴らしいパフォーマンスを見せたことだし。対価は払ったことにしようか。特別に教えてやっても構わない」

思いもよらないことをつぶやいたかと思うと、ファンダムはモアイ型の人形を呼び寄せ、椅子の代わりに腰を下ろした。ドグとルーディは身動きを取れず、彼の言葉に耳を傾けるしかなかった。

「5年ほど前のことだ。私は仲間とともに、ある目的のためビリージョーズ・ヒルを訪れた。我々は皆、生まれつき何かを操る力を持っていてね。陶器を操る力、重さを操る力、力を操る力……私が操るのは、お察しの通り人形だ」

そう言うファンダムが軽く手を振れば、テーブルの影に潜んでいたブリキの人形と兵隊のおもちゃが動き出し、机の上でワルツを踊り始めた。

「仲間だと?ルーディと同じ鬼人が、他にも大勢いるってのか!」

信じられないという様子で言葉を漏らしたドグは、棚に飾られていた、ファンダムを含む謎の一団の写真を思い出す。写真に映っていた面々は、ファンダム同様、どこか異様な雰囲気を放っていた。彼の仲間にして全員が鬼人なのかと思えば、ドグの背筋は凍った。

「き、鬼人ってのは……一体何者なんだ!?お前らはどっから来て、なんでそんな力を持ってやがるんだ!?」

「口を慎め。ミスター……あれ、名前なんだっけ?君にそこまで答えてやるつもりはない」

ようやく姿を現した鍵にすがるようにドグは声を荒らげたが、簡単に遮られてしまう。ファンダムは人形を踊らせながら話を続けた。

「力というのは素晴らしいものだ。君たちのように、人を楽しませるために使うこともできれば……楽に命を奪うためにも使える」

不意にブリキの人形が兵隊のおもちゃにのしかかったと思うと、兵隊の頭をつかみ、ひねるようにしてちぎりとった。頭部を失った兵隊は全く動かなくなってしまう。ファンダムの力は、それほど繊細かつ暴力的に人形を操ることも可能だったのだ。

「教えられることは一つだけだ。それは、私もルーディも同じ存在だと言うことだよ。いいかね?私たちは、君のような『人間』が踏み込んでくるべき世界の者ではない」

ファンダムはドグを見下しながら言い放つ。それを聞いたルーディは、怯えきっていた顔を上げた。ファンダムに向けるその目は、怒りで赤く染まっているようだった。

「私と貴様は、同じなんかじゃない!貴様は人殺しだ!あのロビーの……ミイラにされた人たちのように、私たちのことも殺すつもりか!?」

その言葉を耳にすると、ドグもルーディの方を向いた。ロビーに飾られていた人形は確かに気味が悪かったが、あくまで作り物にすぎないとドグは思っていた。ルーディの口から『ミイラにされた人たち』と聞けば、耳を疑わずにいられない。

ファンダムは依然として、落ち着き払った態度を保っている。

「確かにあの者たちは私たちが殺した。作品に仕上げたのは、私の芸術的な趣味ってだけだがね。それにしてもしかし……」

ファンダムはドグに見切りをつけるように人形の力をグッと強くして抑え込ませる。そして振り向くと、ルーディに詰め寄って肩をつかんだ。

「君は本当に、何も覚えてないんだな!?ギャラナー……いや、君の父親から教わったことさえも」

ファンダムの一言に、ぐらぐらと揺れていたルーディの視線が静止する。ファンダムが口にした名前に思考が渦巻き、父の姿がフラッシュバックした。

……ギャラナー?ギャラナー!それが、父の名前なのか?それに『教わったこと』とはどういうことだ?何の話をしているんだ!?

ルーディは戸惑いながらも言葉を返そうとする。だが直後に、不意に記憶の蓋がこじ開けられたかのように、見たこともない光景の断片が、頭の中に次々となだれ込んできた。

ルーディの額に手を当て、何かまじないのような言葉を唱えている父親の姿。絨毯に横たわって血を流す、見たことのない顔の女。逆さの十字架が掲げられた巨大な塔。その下で手を振る、白いローブを羽織った老人。

記憶のピースが頭の中を駆け巡った。しかしそのどれも、頭に浮かんでは、流れるようにどこかへと消えてしまった。

直後に激しい頭痛にも襲われ、ルーディは歯を食いしばりながら意識をこらえた。ファンダムはその様子を面白がるように観ている。

ルーディはかろうじて上半身を起こした。だが若干のパニックにおちいりかけたこともあり、その視点は定まらなくなってしまっている。

「……と、父さんを、知っていたのか!?」

「ああ知っていたとも。君を試したかったので、飾っていた写真は外しておいたがね」

ファンダムはそう言うと、正装したルーディの父親、もといギャラナーという名の男が一人で写っている写真をコートから取り出した。 ルーディは目を疑いながらも、より鮮明に写った父の姿を目に焼きつける。

一方ドグは、棚に置かれている空っぽの額縁を見直して、不自然に写真が抜き取られていた理由を察した。

野郎!写真を抜き取ってやがったのか!しかも、ルーディの親父のことも最初から知ってたのか?何から何まで知ってやがるのか!?

ドグをほとんど蚊帳の外にしたまま、ファンダムとルーディは閉口して視線を交わし続けている。呼吸を整えたルーディがもう一度目の力を強めると、はじめてファンダムの笑顔が解けた。

ファンダムは、ルーディが記憶喪失のフリをしていると思っていた。はじめて記憶に関する話を聞いたときも、サーカスの連中を騙して身を潜めるため嘘をついているのだろうと考え、彼がボロを出すのを待っていた。

だがどれだけ揺さぶりをかけても、ルーディは『記憶を失った子どもの姿』をやめなかった。とどのつまり、何があったかは彼自身も知らないが、記憶を失ったというのは本当らしいと理解するようになった。

「ステージに立つ君を見たときはさすがに面食らったよ。似ているだけかと思ったが、まさか本当に君だったとは……」

ファンダムが話す中、ルーディは何とか隙を見つけ出そうと思考をフル回転させる。しかし部屋は依然として屈強な鎧と人形たちに占領されたままであり、逃げられる好機が来るとは思えなかった。

「それにしても、やはり君たちは親子だね。ギャラナーとよく似た目をしている」

ファンダムの言葉に、またしてもルーディの頭の奥から、雷に打たれたような痛みがこみ上げてきた。痛みを誤魔化そうと、ルーディは声を大きくする。

「一体どこまで知っているんだ!まさか、私の父を殺したのも……貴様なのか!?」

「さあ知らないな。死人には興味がない」

ファンダムはそう言うと指を鳴らす。すると、鎧がルーディの髪をつかみ、戦斧の先に付いていた小さな槍を彼の目元に突きつけた。2人の間に緊張が走る。

「君の記憶に何があったのかは、だいたい予想がつく。後で何とかするとしよう。それより私が取り戻したかったのは……こっちだよ」

いつの間にか奪っていたのか、ファンダムは、ルーディが大切に持っていたはずの逆さ十字のチャームを手にしていた。

それを見たドグは、昨晩撃退した荒らし屋のことを思い出す。荒らし屋はサーカスに忍び込んでは、アクセサリーや装飾品の類をあらかた荒らし回っていた。あれはルーディのチャームを見つけるためだったのかと、荒らし屋をも操っていたであろうファンダムを、ドグは背後から睨みつけた。

「か、返せ!それは私の……」

「君の、何だね?君はこれが何なのかも覚えてないんだろう?この逆さ十字が他の誰かの手に渡ったら面倒なことになる。無事に見つかって本当によかった」

睨みをぶつけるルーディを見下ろしながら、ファンダムはチャームを机に置く。その逆さ十字にも何か秘密があるのかと、内心、ルーディはさらに混乱していた。

「さて、記憶の話に戻ろう。思い出せないと言うなら、私が手伝ってあげようか?ショック療法というものを知っているかね。頭では覚えていなくても、体が感覚的に記憶を保存していることがある。ちょっと痛めつけてやれば……ふっと脳みそが覚めることもある」

ファンダムは脅しをかけるようにつぶやき、袖から刃渡りの長いナイフを取り出した。しかしルーディの目に宿った力が消えることはない。

その様子を見たドグの頭には、最悪な想像が流れた。

さらに、徐々に殺気立っていく2人に目を向ける中、ファンダムの背後に、口が裂けた悪魔の人形が姿を忍ばせていることにも気づく。牙を尖らせながら、主からの指示を待っているようだった。

「オイ!テメー何をする気だ!痛めつけるなら俺にしろ!」

ドグは声を上げたが、ファンダムは耳を貸さず、ルーディもひるむ様子を見せない。ルーディは、おそらくは父親の死に関与したであろうファンダムに対し、抱えきれないほどの怒りを溢れさせている。

「尋問はお好きかな?さあ、何か覚えていることがあるなら、今のうちに話せ」

「私は何も覚えてない!それに覚えていたとしたって……貴様には何も話さない!」

「クッフッフッフ、まさにギャラナー、父親譲りの頑固さだ。体の頑丈さも受け継がれているといいが」

ファンダムはルーディの手首をつかみ、腕をグッと引っ張って伸ばさせる。それに合わせるように口裂け人形が飛び出すと、腕を挟みこもうとするように口を開け、何本もの牙を細い手首へと沿わせた。

痛い目にあう覚悟を決めていたルーディだったが、腕を食いちぎることも容易であろう鋭利な牙の束を見せられると、もう一度歯を食いしばる。

ドグは何とかファンダムを止めようとするが、相変わらず人形たちは彼に自由を与えない。それでも首を振って何かできないか探してみると、ルーディが引っ張り出したらしい酒の瓶が転がっているのを見つけた。

ガラスの中で揺れるシェリー酒を見て、ドグの頭の中に、いちかばちかのひらめきが走った。

「そうだ……あれだ、あの技があるじゃねえか!ルーディ!」

突然に大声で呼びかけられると、ルーディは戸惑った目を向けた。ファンダムはすでに制圧したも同然なドグなど気にもせずに、ルーディと、ギャラナーの写真を見比べている。

「『革ジャケットの男』作戦だ!昨日お前がやったことだ、今でもできる!ぶちのめせ!」

ドグにそう言われてもルーディは、何が何だかわからない様子のままである。ファンダムは鬱陶しそうに眉間にシワを寄せると、口裂け人形をルーディから離し、ドグの方に向かわせた。

「耳障りな男だ。生きたまま腕の骨を引っ張り出すのは君からにしてやる。尋問というよりただの暴力になってしまうが、その口を悲鳴で塞いであげよう」

ドグが襲われそうになればルーディはますます焦り、ドグの言葉の真意を知ろうと、昨日のことを思い返す。

『革ジャケットの男』と言われて記憶を辿ると、昨朝のリハーサルにて野次を飛ばしてきた、バイカー風の男の姿が頭に浮かんできた。ルーディはその男に『鬼人の子』のパフォーマンスをつまらないトリックだと馬鹿にされたが、逆に力を見せつけて、一泡吹かせてやったのである。

「革ジャケット……そうか、そういうことか!わかったぞ!」

ようやく『革ジャケットの男』作戦の意味を察したルーディは、椅子にくっつけたままの手に力を込めた。

ファンダムはルーディの動きに気づいたが、彼らが言う作戦の意味がわからず、2人を交互に見る。だが大きな問題ではないと思ったのか、そのまま口裂け人形を動かし続けた。

「何をわめいているのか知らないが、君の力で何ができる?噴水でも作ろうっていうのか?」

「オイオイオイ、博士さんよ。『鬼人の子』を舐めるんじゃねえぞ!」

ドグが挑発すれば、ファンダムの注意は完全にルーディから離れた。

それを見たルーディは力を入れた手を、床に寝転がる酒瓶に向けて伸ばす。そして目を見開くと、瓶の中に満ちたシェリー酒へと力を流し込んだ。

泡を吹き上げながら、シェリー酒の塊が瓶の上方へと浮き始める。ルーディが力を強めれば、ついには酒とともに瓶まるごとが持ち上がり、幽霊のようにふわっと浮いた。

中の液体を無理やりに浮かばせようとすれば、それを包む容器や瓶も一緒に持ち上げることができる。ルーディが昨朝のリハーサルで見せた技の1つだった。

「こっちを見ろ!」

ルーディが声を出せば、ようやくファンダムは、空中に浮かぶ瓶を目にした。一瞬驚いたようだったが、まだ警戒は見せていない。

「何かと思えば手品か?そんなことをして何ができる?」

「そうだな……例えば、こんなことができる」

ルーディはそう言うと少し笑みを作ると、強く握りしめていた手を開いた。

すると、ふわふわ浮いているだけだった酒瓶が、不意にエンジンをかけられたかの如く、猛スピードで部屋中を飛び回り始めた。

トンボのように縦横無尽、それでいて突風のような速さで飛ぶシェリー酒の瓶は、獰猛な勢いで飛行するロケットとなって暴れる。ファンダムは瓶を目で追ったが、それさえも追いつけないほどに、酒瓶はスピードを増していった。

棚に置かれた写真をボーリングのピンのように弾き飛ばし、残りの窓ガラスを突き破っては外に出ては、ミサイル並の勢いで再び部屋の中に舞い戻る。シャンデリアを叩き壊したかと思うと、ドグの近くに急接近し、彼を押さえつけていた兵隊のおもちゃを体当たりでバラバラにした。

ドグは驚くと同時に、ルーディの技に「すげぇぜ!」とうなった。ファンダムは少し身を屈め、ガラスを粉々にするほどのパワーを目の当たりにすると、ようやく表情に焦りを浮かべた。

「お遊戯は終わりにしよう、ルーディ!腕の骨を引きずり出すのは、やはり君の方からにしてやる」

ファンダムはそう叫ぶと、鎧に戦斧を振り上げさせる。ルーディの方は変わらず、攻撃的な目をしたままだ。

ドグは危ぶむ。いくら酒瓶をぶつけてみたところで、重たい鎧を押し倒せるとは到底思えない。何か自信がありそうな表情のルーディを見て、ヤケになってるのかと思いさえした。

「上等だ!だがその前に、これでも一杯やっていくといい!」

ルーディが強い語気で言い放てば、酒瓶は一回転し、ジェットコースターのようにグングンとスピードを上げながら飛ぶ。その先にはファンダムがいた。

加速する酒瓶がファンダムに迫れば、ドグはそういうことかと思った。鎧はファンダムの意志と力によって動いている。ファンダム自身を止めれば、鎧を倒さずとも無力化できるに違いなかった。

「いいぞ!やっちまえ!」

ドグは体を起こしながら声をかける。しかしファンダムは冷静なままであり、天井裏に潜ませていた石造りの人形を操った。

人形は瞬時に、酒瓶を目掛けて飛び降りる。ファンダムにぶつかる寸前で酒瓶に体当たりすれば、両者が粉々に砕け散ると同時に、耳に突き刺ささるような衝撃音が部屋に響いた。

酒瓶の破片が飛び散りはしたものの、ファンダムはかすり傷さえ負わなかった。ルーディに視線を戻し、勝ち誇ったような笑みを見せる。

「猿知恵だ。サーカスごときが私に足掻くなんて、愚かの一言でしか言い表せないな」

「ああそうかよ、ボケが!」

背後からの声に振り返った瞬間、ファンダムは木製のバッドをガツンッと頭に叩きつけられ、テーブルの方へなぎ倒されてしまった。

強烈な打撃を喰らわせたのはドグである。シェリー酒のロケットが気を引いている間にバッドを拾い、気付かれずに背後に寄っては、反撃を準備していたのだった。容赦のない一発が直撃したファンダムは、背筋とつま先を綺麗に伸ばしたまま仰向けに気絶した。

殺しちまったか?と不安がよぎったドグだったが、直立したままのつま先がピクピクと痙攣しているのを見て、ひとまず呼吸を整えた。ルーディも恐る恐る彼に近づく。

「う、上手くいったが……死なせてしまったか?」

「いや、気絶してるだけだ。なかなか頑丈な野郎らしい」

ルーディはそれを聞くと、2人を取り囲んでいた人形たちに目を向ける。口裂け人形を含む全ての像が床に倒れており、ルーディの後ろで斧を構えた鎧も固まってしまっていた。試しに指で小突いてみたが、何の反応もない。

主の意識が途絶えたことで、人形たちはもとの動かず語らずの状態に戻ったようである。ルーディは椅子から立ち上がり、目を半開きにしているファンダムに近づいた。

「ひとまずは助かったな?お前もナイスプレーだった。とりあえず、さっさとこんなとこから出るぞ」

床に散らばっていた写真を何枚か拝借しながらドグは声をかけたが、ルーディの方を見ると、彼は鎧から取り外した戦斧を持ち、倒れてファンダムの前に立っていた。

ドグは慌ててルーディの肩をつかむ。

「オイオイオイ!?何やってんだ、ソイツを殺す気か!?」

「何って……この男が、父さんを殺したに違いない。もし今、その仇を打てるのなら……」

ルーディは目に静かな怒りを浮かべながら答える。ドグは戦斧を取り上げようとしながら、首を激しく横に振った。

「な、何も命まで奪ってやることはねえよ!今は逃げることが先だ!それに、コイツが殺したかどうかなんて、まだわからねえだろ!」

納得がいかないのか、ルーディの腕には力が入ったままで、戦斧を離すこともない。ドグは斧を引っ張りながらも、ルーディが腹の底に抱えている暗い感情は、穏やかな少年をここまで冷徹にできるのかと驚いていた。

「……ルーディ、聞けよ。コイツには仲間がいると言ってたろ?恐ろしい連中がまだまだこの町に潜んでるかもしれないってことだ。気持ちはわかるが今は、兎にも角にもここから逃げるのが先だ!そうだろ?」

躊躇う様子はあったが、ドグの言葉に反論できなかったのか、ルーディはしぶしぶ戦斧から手を離す。もう一度ファンダムに睨むような視線を向けると、転がっていた陶器の破片を蹴り飛ばした。

「……わかった。その通りだ。今じゃなくていい」

依然として執着を見せるままではあったものの、ルーディは机に置かれていたチャームを取り返し、ファンダムから離れる。ドグは落ちていた自分の鞄を拾い上げると、ヒビ割れた窓ガラスを蹴破り、ルーディの腕を引っ張った。

「じゃあさっさと逃げるぞ!なんせ、車が無事かどうかも怪しいからな!」

2人は窓から外に出ると、庭園を走り抜けていった。

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