博士と人形屋敷②

小道にはさらに多くの人形が並べられていた。民族的な木彫りの像からドレスを着たアンティーク物の人形までもが、2人を出迎えるように顔を見せる。さながらテーマパークのようであり、ルーディは楽しそうに窓の外を眺めた。

「なんだかすげぇところだな」

「ああ、面白い場所だ。あ!あそこにも人形がいるぞ!」

はしゃいだ様子で人形を探しているルーディを横目に、ドグの内心は穏やかではなかった。昨晩に人形絡みで妙な思いをさせられたことで、今では像を見ることさえ億劫になっていたからだ。

「俺には不気味でしょうがないがな。それにあのファンダムってやつ、何かおかしくねえか?」

ドグの言葉に、ルーディは怪訝な目を向ける。そして、どこか相手を戒めるような口調になりながら、首を小さく振った。

「ドグ!あの人は助けになってくれるんだぞ?それなのにそんな言い草は……」

「わかってるわかってる、お前がそれを言うな。どっちが世話係かわからねえ」

近づくほど大きく見えるようになった屋敷は、静けさに満ちた森の中で、妙な気品を持ってたたずんでいる。しかしスタンドグラスやレンガの壁には割れ目が見え、入口には蜘蛛の巣がかかっていた。

屋敷は昔ホテルとして使われていたのか、入口の先にあったのは玄関ではなく、広大なロビーだった。埃をかぶったソファがいくつも置かれ、鍵を預け入れるロッカーが付いた受付まで残っている。

屋敷に入り、ロビーを見回したルーディは、ソファや椅子にも人形が座っていることに気がついた。外で見た小さなものではなく、人の背丈と変わらないくらい大きな人形である。

「面白い、こんなところにも人形だ。それも随分大きいな」

屋敷の中の旧ロビーは、ホテルだった名残を見せつつ、むしろ来客を拒むような不穏な空気に包まれている。その原因は古い家具や割れたガラスなどではなく、あちこちに放置されていた人形の数々に違いなかった。

そのうち、ソファに座る一体の人形に近づいたルーディだったが、その気色の悪さを見ると、うわっと声を漏らしてしまった。

「オイ、どうした?」

「い、いや……なんでもない。この人形があまりにも……その、えっと、見事で」

ドグに声をかけられたが、ファンダムがすぐ前を歩いていることもあり、ルーディはひとまず誤魔化す。

ルーディが直視した人形は完全な人型であり、それもやせ細って枯れたミイラのような、生々しく薄気味悪い見た目をしていた。

頭部はペンキで塗り固められており、枝のように細い手足や腰骨でかろうじて人の形を保っている。その姿は、ルーディに寒気を誘うには十分すぎるほど恐ろしげだった。

「こんなところを見ていてもしょうがないだろう?見学なら後でじっくりするといい」

ファンダムは2人に呼びかけ、客室へと続く廊下を歩いていく。ルーディは何度かミイラ像たちの方を振り返りながらも、廊下への扉を早歩きで通った。

「ド、ドグ。さっき言っていた通りかもしれない。この屋敷、何か恐ろしいものが潜んでいそうだ。あまりにも不気味だ」

「全くだな。こんなところに住むやつの気が知れんぜ。だが今は、あの変人博士を頼るしかねえだろ」

そう言いつつドグの方も、悪霊の1人くらいは住んでいるのではと、屋敷の奥に入ることを躊躇っていた。しかしファンダムの足取りは、そんな彼らの不安を文字通り置き去りにしながら進んでいく。

「気をつけて歩いてくれ。この辺りはよく床が抜ける。それと、床の穴は覗かない方がいい。蛇が飛び出しくることがあるのでね」

ファンダムは屋敷の雰囲気に飲まれる2人に注意の言葉をかけると、明かりの一つもないロビーの奥を、革靴で地面を叩くような軽快さで歩いた。床の穴を覗き込んでいたルーディは、蛇が出ると言われると、すぐに顔を上げた。

「なかなか広い屋敷だな。それにしても、本当にアンタが1人で暮らしてるのか?」

「そうだとも。潰れたホテルを買い取って別荘にしたんだ。と言っても、使ってるのは1つの客室と、調理場を改装したアトリエだけだがね。ほかは全て物置も同然だよ」

ファンダムは『一等室』と書かれた部屋で足を停めると、鍵を開けてサッと中に入った。手招きされれば、ドグとルーディも部屋に足を踏み入れる。

「うわっ!」

ドアを開けた先には、彼の2倍はある背丈を持った巨大な鎧が置かれており、驚いたルーディは一瞬立ち止まった。

ファンダムがわざわざ運んできたのか、西洋風の鎧が、部屋を見張るように佇んでいる。ドグもたじろぎつつ、ルーディの背中を押して部屋の中へと進んだ。

「お、ここは結構良い部屋だな。なかなか綺麗だし、あの妙な……ゴホン、個性的な人形たちもいないしな」

部屋はホテルの中でも一番上等だった客室であり、大きなテーブルやソファが並べられても空間が余るほどには広く、シャンデリアや貴婦人の絵まで取り付けられていた。窓も1枚として割られておらず、ファンダムの趣味なのか、埃の匂いを忘れさせるようなアロマまで炊かれている。

ロビーにいたミイラ像を含めて、人形の類は一体として見られなかった。ゴルフクラブや野球のバットといった飾り物が置かれてはいるが、人型のものと言えば、鎧の置物くらいである。

「椅子にかけて楽にしてくれ。あとでお茶でも入れてこよう」

ファンダムはピンク色の長椅子に腰を下ろすと、足を伸ばして寝転んだ。ルーディとドグは、机を挟んで反対側のソファに座る。

「電気やガスも通っているし、一部屋だけなら掃除も簡単だ。なかなか立派な別荘だろう。さて、どうだね。何か思い出せそうかい?」

ファンダムに聞かれるが、ルーディは明るくない表情のまま首を左右に振る。

「ご、ごめんなさい。まだ何も」

「何を謝る必要があるんだね。何もなかったならそれはそれで構わないだろう」

思い過ごしだったのかもしれないと不安を見せるルーディに、ファンダムは優しげな声をかける。そして脚を組むと、1枚のメモ用紙とペンを手に取り、セラピーでもするかのように質問をし始めた。

「もう少し詳しく教えて欲しい。記憶を失くしたと言っていたね?ではどうやってこんな田舎町に来て、こんな森の中の屋敷を見つけたんだ」

そう聞かれるとルーディは、ポケットから写真とチャームを取り出し、机に置いた。ファンダムは体を起こして写真を覗き込む。

「この町にはサーカスのために来ただけで、本当に偶然。でも……この花のブローチと似たシンボルを、たまたまこの町でも見つけたんです」

ルーディは写真に人差し指を添えて、彼と父親の胸に付けられたブローチを指す。ファンダムは興味深そうに話を聞いた。

「確かにネモフィラはビリージョーズ・ヒルのシンボルだ。このブローチも、似たようなものをギフトショップで見たことがある」

ファンダムは眼鏡を付けて、もう一度写真をじっくりと観察する。ルーディは逆さ十字のチャームを撫でながら話を続けた。

「写真に写っているのは私と……父親です。私は父と一緒にこの町を訪れていた。だから町をあちこち回れば、何か思い出せるかもしれないと思ったんです」

「父親だと?何があったかは知らないが、君は記憶を失ったんだろう?この男が父親だってことは覚えているのか?」

ファンダムはそう言うと写真を指で弾き、椅子に深く座り直す。ドグは宙を舞った写真を掴んだ。

「それが奇妙なんだが、写真に写ってるのが親父だってことはしっかり覚えてるらしい。まあ、どことなく顔も似てるしな」

ルーディはサーカス団には似合わないほど優しく流れるブロンドの髪を持つが、それは写真の父親も同様である。キリッとした表情を浮かべて写真に写る2人は、親子と言われても全く不思議に思わないほど似ていた。

「それに私は……よく夢を見るんです。父が出てきて、私の名前を呼んでくる夢を。きっとあれはただの夢じゃない。頭の中に残っている記憶の一部が、フィルムのように再生されているんだと……思う」

ルーディは、悪夢の中で父親が誰かに撃たれていることには触れなかった。ファンダムは顎を擦りながら「なるほどなるほど」とつぶやき、何やらペンを走らせている。

博士と名乗るだけあって分析でもしているのかとドグはメモ用紙を覗き見たが、何故か描かれているのは、腕をワニに噛みつかれている人形の絵だった。ドグの視線に気づいたファンダムは、オホンと咳払いして紙を裏返した。

「失礼。インスピレーションを受けたら何でも描くようにしてるんだ。芸術家としての癖でね。じゃあ、ほかに何か覚えてることはないのかい?」

ファンダムの言葉に、ルーディは視線を落とす。父親が撃たれる習慣を思い出してしまったのか、テーブルの上に置いた手は少し震えていた。

代わりにドグが、誤魔化すように口を開く。

「思い出せてるのはそれくらいだ。サーカスに入ってからもう結構経ったが、何か思い出せそうになったのは、この町がはじめてなんでな」

ファンダムは「そうか」と返すと、何かを考えているように喉をうならせる。そして1度は離した写真をもう一度見直すと、気がかりなことを漏らした。

「そういえばこの男……どこかで見たことがあるような……」

ファンダムがそうつぶやいたのを聞いた瞬間、ルーディはバッと顔を上げた。

「ほ、本当!?あ、いや、本当ですか?」

ファンダムは確証は持っていないようだが、目を細めながら思い出そうとする様子を見せる。何故か近くに置かれている小さな人形を手にすると、指でトントンと小突いた。

「他人の空似かもしれないが……以前似たような男に人形を売ったような気がするな。もしかしたら彼は、町を訪れていた君の父親だったのかもしれない」

ファンダムの話から、ドグはビリージョーズ・ヒルに来てからのことを思い出す。民芸品集めを趣味とするランジェナも誰かから大量に人形を買っていたが、どうやら売り手は目の前のファンダムだったらしい。昨晩荒らし屋が身代わりとして放り投げた人形も、彼女が町に来てから手に入れたものだった。

彼には理解できない世界だが、珍妙な品やアンティークが好きな人には人気があるのだろうと、ドグは部屋を見回す。ルーディの父親も、ランジェナのようなコレクターだったのかもしれないとも思った。

「うーん、どうしてもはっきり思い出せないな……おお、そうだ。こういうときにはミントの茶が効くんだ」

ファンダムは不意にそう言うと立ち上がり、近くの丸テーブルに置かれているティーポットに手を伸ばしす。だが蓋を開けて中身を確かめたかと思うと、肩を落としながらドアの方に歩き始めた。

いきなり外に行こうとするので、ドグはすぐにファンダムを呼び止めた。

「オイオイオイ、いきなりミントだとか言い出すかと思えば、どこに行こうってんだ」

「知らないのかね?物忘れにはミントが効くんだ。私はよくミントのティーを入れて飲むんだが、あいにく今はポットが空っぽだ」

ファンダムはティーポットを軽く振りながらそう言うが、薄気味悪い屋敷からさっさと帰りたいと思っているドグにとっては、茶なんてどうでもいいことだった。

「まさかわざわざ取りに行こうってのか?」

「いや、摘みに行くんだよ。ここの庭で自家製のを育てている。君たちも飲むだろう?少し席を外させてもらうよ」

ドグは唖然となった目を向けたが、ルーディの方は、ファンダムの問いにうなずいた。それを見たファンダムは「ではまたすぐに」とだけ言うと、颯爽と部屋を出てしまった。

残された2人は顔を見合わせ、少し肩を寄せると小声で話し始める。

「なあ、どう思う」

「どう思うって、何が?」

ドグはファンダムが出ていった先を指さしながら、少しばかり強い口調になる。ファンダムの人間性がつかめず、不信な予感を持たずにいられないのである。

「いくらなんでも変人すぎねぇか?あの男!人形をけなされて怒ったと思ったら、しばらくすればその人形を簡単にポイするし……話を始めたと思ったら、今度は夢中でミント摘みだ。助けてもらってる身分でこんなことを言うのもあれだが、なんだか怪しい感じだぜ」

「うん、変わってるとは思う……だが彼は、父のことを知っているかもしれないんだ。こうやってお屋敷にも入れてくれたわけだし、悪い人間じゃないよ」

「そりゃ、悪人ではないかもしれねえがよ……」

そう返しつつドグは、棚に置かれていたいくつかの写真に視線を移す。ファンダムは独り身ではあるようだが、友人らしきグループと写っている写真が何枚かあり、何故かどれも正装で着飾ったものだった。

「なんだ?お前の写真にそっくりなポーズだな。この町の連中は、写真の撮り方をこれしか知らねえのか?」

ドグはそう言いながら棚に近づくと、もう一度近くで写真を見る。すると、一番目につくであろう棚の中央に、写真が入っていない額があることを見つけた。奇妙に思ったが、芸術家の考えることなんてわからんぜと、特別気にもしなかった。

ドグが空っぽの額を手に取った瞬間、不意にドアが開く音がした。慌てて額を棚に戻して振り返ったが、ドアの前にいたのはファンダムではなくルーディだった。ドアを開けたのも彼らしい。

「脅かしやがって……何やってんだ」

「すまないドグ、少し気になることがあって……私も出るよ」

「待て待て待て!気になることって何だよ!」

ドグは『こんな部屋に1人にしないでくれ』と泣きつくような表情を浮かべたが、ルーディは「すぐ戻る」とだけ言うと、ドグを残して廊下に行ってしまった。

ドアが閉まれば、部屋の中は一気に静かになる。つい先程までは何ともなかった部屋が、1人残された途端に、お化け屋敷の一角にでもなったようだった。ドグはため息をつきながら、写真の棚に視線を戻した。

不安を紛らわそうと、改めて被写体を一人一人眺める。

額縁に入った一枚の写真には、似たような顔付きの男女が写っていた。長身の青年に小柄な少年、髪を束ねた2人の少女。着ている服も同じようなスーツであるためか、兄妹と言われても不思議でないほど、全員がよく似ている。

こんなの観察してても何の意味もねえか、と席に戻ろうとしたドグだったが、ふと1枚の写真に写る若い女に目を留めた。

あ?この顔、どこかで見たことあるぞ。

女の顔立ちに妙な見覚えを感じ、ドグは顔を寄せてじっと写真を見つめる。しばらく考えた末、ランジェナが司会者として雇っていた例の学生、クリスティーナが頭に浮かんできた。

「そうだ、あの雇われ司会者じゃねえか。なんでこんな写真に写ってるんだ?」

写真に写る少しカールがかかった髪は、クリスティーナのそれと全く同じに見える。特徴的な片えくぼから見ても、確かに写真に写っているのは、昨日の公演で司会者をやっていた彼女に違いなかった。

不思議に思いながらドグは、クリスティーナとファンダムが並んで写っている写真を取る。だがその着後、またしても彼の背後から、ガタンという物音が鳴った。

「ああ!間が悪いな!」

ドグは音がした方に振り向いたが、ドアは開いていなかった。代わりに、ファンダムが座っていた長椅子の近くで、一体の小さな人形がコロンと転がっていた。

部屋に入ったときはわからなかったが、どうやら人形は、テーブルの影に隠されるように置かれていたようだ。何かのはずみで倒れたのか、角と牙を生やした人形が、仰向けで横になっている。

「この……忌々しい人形が!不気味ったらありゃしねえ。もう一体くらいぶち壊してやっても構わねえよなぁ!」

ドグは無性に腹を立てた。昨晩のこともあれば、人形に車をぶつけたことが原因でこんな屋敷に入ることになったこともある。

彼の不安を煽るように倒れた人形を見れば腹の虫が収まらなくなり、たまらず乱暴に掴みかかった。舌打ちしながら持ち上げ、2人が座っていたソファに叩きつけようとする。

だがしかし次の瞬間、彼の頭にあった怒りは、身の毛がよだつ恐怖に置き換えられることになった。

「……あっ!?」

思わず驚きの声を漏らす。いつの間にか、つい先程まで2人が腰を下ろしていたソファに、もう一体の人形が座っていたのである。

ドグは何度か目をこすってみるが、不気味に裂けた口を持つその人形は、ソファのちょうど真ん中に鎮座している。

混乱しながら1歩引いたドグは、棚に腰をぶつけてしまう。写真や額がバタバタと倒れたが、そんなものを気にしている余裕は、今の彼には全くなかった。

「ど、どど、どういうことだ?さっきまで、俺とルーディが座ってたよな?その間に、人形なんざ……」

当然ながら人形は微動だすることもない。ただそこに在り続けるだけである。人形が何も喋らないのは至極当たり前なことであったが、その沈黙は、ドグの背筋をますます冷たくした。

み、見落としたか?いやそんなわけがねえ!確かにあの口が裂けたヤツは、俺たちがソファから離れてから現れたぞ!

言葉を失うドグの代わりに、ガタ、ゴト、という何かが動く物音が、部屋のあちこちから鳴らされ始めた。

異変に気づいたドグは部屋中を見回す。そのときにはすでに、小さな人形たちが、棚の裏や窓の外から姿を現していた。

細長い仮面を被ったものや、鬼を模したもの。ギョロ目の骸骨や、モアイのような頭を持つ像もいる。人形たちは自ら動き出し、眼光をドグの方へと向けるように体をひねった。

ついにはドグが手にしていた角の人形も、この手を離せと言わんばかりにガタガタと震え出す。ドグが慌てて手を離せば、角の人形はテーブルへ飛び乗り、イタチのように素早く走ると姿を隠してしまった。

その俊敏さは、昨晩ドグとマチャティが追いかけ回していた、荒らし屋の影を思い出させる。人形たちに囲まれる中、ドグは壁に手をついて、自分が地獄へと足を踏み入れていたことをようやく理解した。

「き、昨日の荒らし屋は……やっぱり、動物なんかじゃねえ……コイツらだ!人形が、生きて動いてやがったんだ!」

怯えるドグに、口が耳まで裂けた悪魔のような人形がゆっくりと迫る。ガバッと開いた口から剣山のような牙を見せつけられれば、ドグは悲鳴を轟かせた。

悲鳴を合図に、周りを取り囲んでいた人形たちが、一斉にドグへと襲いかかる。彼の絶叫は、部屋を離れたルーディに届くことはなかった。

その頃ルーディは、ミイラ像や人形が並ぶロビーに戻っていた。

一体のミイラ像の前で足を止め、蜘蛛の巣を払ってジッと観察する。ドグと同じく、ルーディも芸術がよくわからない。しかしどこか生気のある迫力を持ったミイラ像は、何故かルーディの心を惹きつけていた。

興味以上に大きい理由もある。ミイラ像が視界に飛び込んできたとき、ルーディはほんの少しの頭痛を覚えた。恐ろしげな見た目に血の気が引いたのだけかと思っていたが、やはりミイラ像を見れば見るほど、頭の中にビリッとした感覚が走るのだった。

「何だ?この頭痛は……」

まさか、私の記憶に関係があるのか?

そんなことを思ったルーディだったが、こんな強烈なものを見て忘れてしまうわけがないと、考えを打ち消す。

一度目を閉じて、わずかに頭に残る、記憶の断片を手繰り寄せる。『ルーディ!』と叫ぶ父の声や薄暗い部屋の情景が浮かんできたが、今まで悪夢で見たきたものに変わりはない。

頭の中で発砲音が鳴る。ショックを覚えた体がぐらつき、ルーディは思わずミイラ像に手をついてしまった。

「あ!ご、ごめんなさ……」

無意識に口から言葉がこぼれそうになれば、ルーディは戸惑い、体の動きを止めた。

いくらリアルに見えるミイラ像とはいえ、『私は何故、像なんかに謝ろうとしたんだ?』と、自分自身の反応に困惑する。 それだけでなく、つい手を触れてしまったミイラ像の感触もまた、ルーディをさらなる混乱へと引きずり込もうとしていた。

一度手を離してしまったが、どうしても違和感が拭いきれず、再びミイラ像に触れる。

表面は荒いが、木とも蝋とも思えない、奇妙な弾力がある。手の部分に顔を近づけてみると、指紋に見えなくもない線があることもわかった。

しばらくの間は理解が追いつかない。だが段々と、人の手で彫り込んだとは思えないほど細かな線を眺めるうちに、首筋の辺りに、ぞわぞわとした悪寒が広がるようになった。

「ま、まさか……いや、そんなわけがない!」

ルーディは震えた足取りで後ろに下がり、別のミイラ像に目を向ける。こちらは服を着せられていたが、おかしな方向に曲がった指の先にはやはり、あまりにも精巧な指紋があった。

未完成なのか、服を着せられたミイラ像の方は、頭部のペンキがまだ少し垂れている。ルーディは躊躇しつつも右手を添えた。

軽く力を使えば、固まっていないペンキが、溶けて流れるように剥がれていった。頭部はすっかりピンク色に染まっていたが、次第にその形が明らかになっていく。そして同時に、ルーディの呼吸も荒くなった。

「ありえない……まさか、そんな!」

ペンキのマスクから顔を覗かせたのは、骸骨も同然に痩せ枯れた、人間の頭だった。下顎が外れ、目や鼻が存在したであろうくぼみもある。

ミイラ像、いや正しくはミイラの胸元には、背丈がよく似た男の写真がかけられていた。写真を見るとついにルーディは放心し、叫び声を上げた。

これは……これは作り物じゃない。これは、人間だ!ミイラになるまで干からびた人間の死体だ!このロビーに置かれているミイラたちは、全員……

目の前のミイラが放つ怨念のような視線が絡みつく。ルーディは腰を抜かしてしまった。

「ど、ドグ!ドグ!!」

よたよた足で立ち上がり、何度も転びそうになりながらも走り出す。古い椅子を蹴り飛ばし、ドアを突き破る勢いで廊下へと飛び出した。

ミイラたちが今にも動き出して自分を襲おうとするのではないかと、一度として振り返る余裕もなかった。助けを呼ぶ声を廊下に響き渡らせながら、ルーディは、ファンダムの部屋へと全力疾走した。

「やっぱりこの屋敷はおかしかった!すぐここから出るんだ!」

ドアを押し開けて部屋に飛び込む。

しかし部屋の中のソファには、ドグの姿はなかった。

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