博士と人形屋敷①

1日目のパフォーマンスを終えた翌朝、サーカスの団員たちはつかの間の休息を得た。

 チケットや土産物の売れ行きはかなりの好調で、中々数字に満足を見せることのないランジェナも、団員たちにボーナスを約束した。とはいえ「稼げるうちに何度でも稼いでやる」という意気込みは全く枯れることを知らないままで、1日の休息日を挟めば、再びパフォーマーやスタッフたちは大忙しとなる。

せっかくの休みを一秒たりとも無駄にはできないと、団員たちは各々目いっぱいに羽を伸ばしたり、浴びるように酒を飲んで騒いだり、ハンモックをつるして化石のように眠ったりしている。

 ルーディとドグは近くの店で朝食を買い、古い車を走らせながらビリージョーズ・ヒル中を巡っていた。

 ルーディが朝食として選んだのはブルーベリーソースと蜂蜜が山ほどにかけられたパンケーキである。小さなチョコレートワッフルも3枚ほど付け合わせた。

箱を開けば甘い香りが広がり、木のフォークで雑にスライスして、一切れのバターとともに口に運ぶ。一口食べれば頭の中が虹色になりそうなほど甘い朝食だったが、ワッフル1枚だけで苦戦しているドグを置きざりに、ルーディはほんの数分でソース一滴すら残さずに平らげてしまった。

「さてと、なんせ時間は1日しかねえからな。そろそろ出発しねえと」

ドグはそう言うと紙ナプキンで手を拭いてハンドルを握り、古い車のエンジンを回した。

「そうだな。付き合ってくれてありがとう。ところで……そのパンケーキは残すのか?」

ルーディがソースがたっぷり染み込んだ残りのパンケーキを指さしながら聞いてきたので、ドグは何も言わずに助手席の方に差し出す。ルーディは「ありがとう!」と言いながら、これでもかというほど甘くなったパンケーキを残さず食べた。

ソースや蜂蜜がこぼれそうになれば、右手を開いて空中で静止させる。さらにはソースと蜂蜜の塊を飴玉のように丸く集めると、口の中に放ってしまった。ルーディの偏食家ぶりに眉をひそめながらも、ドグは車を走らせ始めた。

「しかしこの辺には何もなさそうだな。畑か、ちっこい小屋しか見当たらねえ」

2人を乗せた車は、カボチャ畑が広がる農地の辺りを走っている。まばらに小屋や農業用の風車が置かれているだけで、この辺りには何もなさそうだと、ドグは車のスピードを少し上げた。

ルーディは例の写真を手に窓から見える景色を見回し、何か見覚えのあるものがないかと探す。今のところはささいなデジャブすら感じられないが、この街について何もわからない状況では、とりあえずあちこち見て回るしかなかった。

「うーん……特に何の見覚えもないな。この辺りには来たことがなさそうだ」

「その写真から何か思い出せねえのか?」

「難しいな。私と父が写っているだけだし、背景は真っ白なんだ。どこか町中で撮ったというわけではないらしい」

ルーディが写真を向けると、ドグは横目でチラッと確認する。確かに正装で写っている2人以外には何も撮られておらず、写真屋か何かのスタジオで撮られたものに違いないようだった。

「じゃあもうちょっと栄えたところに行ってみるか?写真屋の1つでもあれば、撮った記録が残ってるかもしれねえ」

「いい考えだ!畑ばかり眺めていてもつまらないし」

そう話すと2人は進路を変えて、役所や学校もある町の中心部に向かい始めた。

何となくラジオをつけると、ちょうど地元のラジオ局がクラウンヘッド・サーカスの公演について放送していた。レポーターが昨日の大混雑ぶりや変人・奇人たちのパフォーマンスについて話しており、町の外からも多くの観客がやってくるだろうと熱く語っている。放送を聞くルーディはどこか誇らしげだった。

 「嬉しいな。昨夜のパフォーマンスも凄かったからな。私の評判も、グッズの売り上げも、うなぎ上りに違いない。もう誰にも『退屈なショー』だなんて言わせない!」

 意気揚々と喜ぶルーディを見て、ドグは安心したような表情を見せる。

初日から無茶が続いたが、それが逆に自信を付けることに繋がったようで、昨日の朝に感じていた不安はもうほとんどなくなっていた。今のルーディの声色はいつになく明るく、ドグは「その意気だぜ」と返した。

 「しかしこの町、思ってた以上に田舎だな。電灯の一つも見えてこねえぞ」

 二人の車は中心部へと続く林道を走っている。よほど昔から使われている道なのか、灯りや案内板すら立っていない。

道は狭苦しい上に荒れ放題で、ドグが握るハンドルはガタガタと揺れていた。この道で合っているか誰かに聞きたいところだが、アライグマの一匹にも出会うことができておらず、とりあえず真っすぐ道を進む以外にできることはなかった。

「あーあ。まさに田舎道だな。家どころか、ゴミの一つも落ちちゃいねぇ。地図にも乗ってないんじゃねえか」

 「いやそうでもないぞ。ほら、あそこに何か見える」

ルーディはふとそう言うと、道の先に見つけたある物を指さした。

道の先にあったのは、深緑色の茂ったツタに覆われた、大きな何かの塊だった。2人の車が近づくと、それが地面に半身を突き刺すように放置されていた、3メートル以上はありそうな骸骨型の巨像であることがわかった。

巨像の表面にも、しゃれこうべや人骨を模したペイントが施されていた。体は老いた木造であり、鳥に巣を作られながら静かに眠っている。だが今にも動き出しそうな迫力があり、あちこちに塗られた渦巻状の模様も、どこか近寄り難い雰囲気を放っていた。

「なんじゃこりゃ。何かのオブジェか?この町には妙な宗教もあるらしいし、怪しい集まりのシンボルかもしれねえな」

ドクは興味本位で巨像の横に車を停める。道には車通りがほとんどなく、路上に駐車してしまっても差し支えなかった。

凝り固まった体を伸ばしたいこともあり、2人は一度車から降りた。巨像の周りには小さな木彫りの人形が数体並んで座っており、似た色調を持つ巨像と人形たちの様子は、まるで親子のようである。

「団長が持ってた人形にも似てるな…お前は?何か見覚えあるか?」

ドグに言われて記憶を辿るルーディだが、巨像や人形が放つ迫力とは裏腹に、頭には何も浮かんでこなかった。

「いや、ないな。こんなもの見た事ない。だがこの人形はどこか見覚えがあるような……」

ルーディはそう言いながら、横並びになった人形の一体に触れる。しかし、やはり何か鮮明な記憶が戻ってくることはない。ドクは記念の写真を1枚だけ撮ると、車に戻ろうと振り返った。

「じゃあとっとと行っちまおうぜ。何か気味悪い人形だしよ。休みの気分が台無しになりそうだ」

ドグはそう言いながら運転席に戻ろうとする。しかし、ふとどこからか気配を感じて、動きを止めた。

熱を帯びた視線を浴びせられているような感覚を覚え、少しばかり体が強ばる。誰かに見られてるのか?と不思議に思いつつ、気配がする方向、巨像とは反対側に目をやった。

はじめは木に隠れて見えなかったものの、立ち止まってよく目を凝らすと、少し遠くに一件の建物があるのを見つけた。赤レンガ造りの屋敷のようで、木々の間から姿を覗かせながら、森の中にたたずんでいる。

「おい!あそこにも何かあるぜ」

ドクに言われると、ルーディも屋敷の方を振り返る。だが背が足りなくて見えないらしく、背伸びをしながら首をかしげていた。ドクはしぶしぶ彼の肩を掴んで持ち上げ、車のバンパーに立たせてやった。

「本当だ……あんなところに建物があるぞ。それも中々大きなお屋敷だ!」

屋敷は赤レンガ造りで西洋風の外観をしており、町外れの森の中にも関わらず、窓1枚も割れていない綺麗な状態にあるようだった。辺りを見回してみれば屋敷の方に続く小道も見つかり、何かの廃墟というわけではなさそうだと、ドクはランジェナから受け取った地図を見返す。

「妙だな。地図にはあんな屋敷は書かれてなかったが……博物館とか、金持ちの別荘とかかもしれねえ。まあ何にせよ、ゆっくり探索してる時間はないんでな」

ドクはそう言って地図を丸めると、運転席のドアを開けた。それを見たルーディは、バンパーに立ったまま慌てて呼び止める。

「ド、ドク!ちょっと待ってくれ!」

ドクは片足を車に乗せながらルーディの方を見る。ルーディは例の写真とチャームを取り出し、屋敷と交互に見比べながら、眉間に手を当てて何かを考えているようだった。

「……感じる。やっぱり、何かを感じるんだ。あの屋敷から、変な気配が漂ってきているような……気がする」

ドクは「何だと?」と言いながら車から降りる。もう一度屋敷の方を見るが、古そうな建物と言うだけで、何も感じられない。

しかしルーディが奇妙な気配を感じているのを見て、ドクはもう一度地図を開いてみたり、とりあえず耳をすませてみたりした。

「俺には何も見えねえし聞こえねえが。お前、ただあの屋敷を見てみたいってだけじゃねえかのか?」

「そ、そんなんじゃない!さっきあの建物を見た瞬間、おぼろげだが、頭の中に何かが浮かんできている気がしたんだ」

ルーディ自身、『妙な気配がする』というだけで、それ以外には何も感じなかった。あの巨像を見て止まらなければ存在に気づきさえしなかったのだから、何かを思い出したというわけでもなかった。

しかし、彼の中にある直感的な何かが、あの屋敷に引っかかって離れなかった。

 「もう少し屋敷の近くに寄れないか?もっと近くで見てみたい」

 ルーディが小道を指してそう言ったが、ドグの方はあまり良い予感がしなかった。田舎町の得体の知れない屋敷に近づくなんて、これがホラー小説なら二人とも殺されてしまう流れだと、口の形をへの字にする。

 「だがよ、見た感じ誰も住んでなさそうなボロ屋敷だぜ?見た目もいかにも不吉って感じだ」

 「ちょっと近づいてみるだけでいいんだ。もしかしたら、何か思い出せそう……って気がする」

 「本当かよ。林の中の屋敷の話なんて、お前から聞いたことがねえぞ。何でそんなことが言えるんだ?」

 「と、とにかく、『何か思い出せそうって気がする』って気がするからだ」

「お前そればっかりじゃねえか……」

 ドグはため息をつきつつもレバーをバックに動かし、小道に向けて車を動かそうとした。しかし道がぬかるんでいるのか枝か何かを噛ませてしまったのか、ギュルギュルと音がするだけで中々車が動き出さない。

ドグは何度かペダルを踏み直す。助手席に戻ったルーディは礼を言って景色を眺めていたが、ふと目をやったバックミラーに人影が写ったのを見ると、大慌てで声をかけた。

 「待って!後ろに誰かいる!」

 ちょうど車が後退し始めた瞬間、小道から一台のオートバイが姿を現し、二人の車に急接近していたのである。

ドグは咄嗟にブレーキを踏んだが、バンッという鈍い音と衝撃が後ろからした。2人は、放心しながら顔を見合わせた。

 ルーディは車から飛び降りて音がした方に駆け寄る。ドグもすぐに車外に出た。

車の後ろでは、バイクを停めたヘルメットの男が、ハンドルを握ったまま二人の方を見ていた。バイクに傷は見られず、どうやら男にぶつかったわけではなさそうである。

ルーディは、木製の人形が粉々になって倒れているのを見つけた。さっきぶつけてしまったのはこの人形だったらしい。

衝突した相手が人でもバイクでもなかったと知ると、ドグはひとまず胸をなでおろす。

 「おお、ビックリしたぜ。てっきり事故を起こしちまったのかと思った。アンタ、大丈夫か?」

 ドグはそう言いながらバイクの男に歩み寄る。男はバイクから降りてヘルメットを外すと、長く伸ばした赤髪をたなびかせながら、ティアドロップ型のサングラスをかけた。

スラっとした長身に真っ白なジャケットを羽織ったその男にはどこか近寄りがたい雰囲気があり、ドグは少々の警戒心を抱いた。

「無事だと?君にはこれが無事に見えるのか?」

 男はそう言うとルーディの方に近づき、後輪にはねられて無惨にも頭部を潰されてしまった人形を持ち上げる。話し方は冷静だったが、男の眉の間に浮かび上がる深いしわは、穏やかでない感情をむき出しにしていた。

 男の様子にドグは戸惑う。ルーディも眉をひそめたまま、男が抱き抱える人形を見ていた。

 「あ?そんな悪趣味な人形どうだっていいじゃねえか。誰が置いたのか知らねえが、あちこちにキノコみたいに転がってるんだぜ?」

 「なんだと!?こんな悲惨な目に合わせておいて『どうだっていい』とはどういうことだ!おお可哀そうに。まだ生を受けたばかりだったのに…」

 男はドグに声を荒げたかと思うと、今度は木の人形を胸元に抱き寄せて、涙声を漏らしながらゆすり始めた。歳は30代程度に見えるが、人形を赤ん坊のように撫でながら頬に涙を伝わせる男の姿は、ドグたちにそこはかとない不気味さを抱かせた。

 ドグがすっかり呆気に取られてしまったのを見ると、ルーディは頭を下げながら男に近寄った。

 「も、申し訳なかった。そんなに大切なものだとは思わなかったんだ。もしかして、貴方が作った人形なのか?」

 ルーディに声をかけられると、男はスッと涙を止めた。急な転調にルーディが「えっ」と驚いたことを気にもせず、人形をあやすように抱えながら、今度は落ち着き払った口調で返答する。

 「いかにも。この辺りの人形は全て私が作ったものだ。アトリエに置ききれないほど大量にあるのでね、あちこち置かせてもらっているのだよ」

 妙に気取った口調で男は話す。その話し方はルーディの癖にもどこか似ていた。

面倒ごとを要求されると厄介そうだと思い、ドグは男に迫って話を遮ろうとする。

 「何?ちょっと待てよ!そのでくの坊はアンタのものなんだな?じゃあそもそも、そっちが道の真ん中にそんなものを置いていなけりゃ……」

「この辺りは私の私有地だが?君たち、誰の許可で車を走らせていたんだ」

 男は廃車や反対の通りに置かれた人形たちを指さしながら言い放った。

いきなり私有地だと言われても納得できず、ドグは「そんなはずがねえ」と言って辺りを見回す。すると、いつの間に素通りしていたのか、『私有地。立ち入り禁止』と書かれた看板を持った大きな人形が、彼らのすぐ後ろに立っていた。

 こりゃまずいぞ、とドグは思った。

男が何者かはわからないものの、見た目や言動からして芸術家、それもそれなりの変わり者らしく、厄介ごとに足を踏み込んでしまったと頭を悩ませた。とりあえず失敬な口を叩いてしまったことを詫びようと、ドグは姿勢を正す。

 「あー……悪かった。本当に、マジに何も知らなかったんだ。その人形は弁償させてくれ」

 警察沙汰になるのも面倒だが、何より避けねばならないのは、トラブルがあったと団長ランジェナに知られてしまうことである。ドグは財布を取り出して解決しようとしたが、男はもう一度怒気を孕んだ声に戻ってしまった。

 「弁償だと!?金で済むわけがないだろう!済んだとしても、お前たちのようなヒッピーが払える額ではない!」

 「わ、私たちはヒッピーではない!わけあってこの町を旅しているんだ」

 「何をわけのわからないことを……ん?」

 もう一度男を落ち着かせようとルーディが間に入ると、男はまたしても表情を切り替えて、ルーディの前でかがんだ。サングラスを外し、まばたき一つしないマリンブルーの目で、彼の顔をじっと覗き込んでいる。

 ドグはさっきから挙動不審な男をますます不可解に思った。寡黙な視線をひたすらにぶつけられるルーディの方も同じである。10秒ほど顔を見合わせ続けた末に、男はようやく背筋を伸ばした。

 「もしや君たち、例のサーカス団じゃないのか?」

 男にそう尋ねられると、ルーディは戸惑いながらドグの方に振り向いた。ドグはサングラスを外した男の顔を見て、そういえばどこかで見た顔だと記憶をたどる。

 「あ!アンタ、昨日のリハーサルを観に来てた……あの人か!」

 ドグがそう言っても、ルーディは誰のことかわからず片方の眉を上げる。それもそのはずだった。

男の正体は、昨日の公開リハーサルを見て、ルーディのパフォーマンスを観て仕掛けを教えてくれとドグに頼んできた白いコートの男であった。ステージに立っていたルーディが彼について知っているわけがない。ドグは、金を払ってまでタネを聞き出そうとする男を『ケタが足りませんな』と一蹴したことを思い出し、不安を高まらせた。

 「えっと、私は、その……」

 ルーディは言葉をつまらせながらも返事を答えようとするが、声を発するより早く男に駆け寄られ、両手を掴まれてしまう。

驚きに満ちた目で男を見るが、男が目をキラキラと輝かせていることに気付くと、警戒よりも困惑が勝った。男ははしゃぎつつ、ルーディの手を何度も強く握り直した。

「そうかそうだったか!素晴らしい!君はあのステージの少年か?昨日は久々に、度肝をぶち抜かれてしまったよ!」

 興奮する男に困惑せずにいられないのはドグも一緒である。男はルーディがかの『鬼人の子』だと知るなり、あれほど大事そうに抱えていた人形を勢いよく投げ捨ててしまっていた。この男マジに頭のヒューズを飛んでやがるぞと、ドグはかける言葉を失った。

「ところで、サーカス団がこんなとこで何をしている?土産物でも売り付けに来たのか?」

男は少し上機嫌になると、ルーディから離れてバイクに座り直す。人形のことなどすでに頭から抜け落ちてしまっているようだ。

「この辺りを見ていると、私の記憶が戻ってきそうなんです。だから、何とかしてあの屋敷に近づけないかと話していました」

ルーディがバカ正直に話をしてしまえば、何と言って誤魔化そうかと算段を立てていたドクは、苦虫を噛み潰したような顔をした。

男は目を細めて、「記憶だと?」と返す。興味津々といった様子である。

「……あー、この子は記憶喪失ってやつで、ここ1年くらいのこと以外何も覚えちゃいないんだ。だが一度この町に来たことがあるらしくてな。何か思い出せないかと思って、あちこち見て回ってんだ」

ドクはルーディの前に立って、彼が答えるのを遮るようにしながら男に説明する。男は腕を組んで興味深そうに話を聞いていた。

ルーディはドクの袖を掴んで例の写真を見せるよう頼もうとしたが、ドグは背中に回した手を振って『今はやめとけ』と合図し、ポケットにしまわせた。

「君たちはあの屋敷に入りたいのか?あそこは私の別荘だよ。夏の間は泊まり込みで、ちょっとした研究と芸術活動に時間を費やしているんだ」

男はそう話しながら屋敷の方を振り返る。遠目に見れば人が住んでいる気配など感じられないほど古そうな屋敷であるが、確かに芸術家が好きそうな建物だと、ドクは妙に納得した。

「あのお屋敷は、貴方のものなんですか?」

「ああ、そうだとも」

ルーディに聞かれると、男は少し視線を落として柔らかな声で返す。屋敷には何かがあるかもしれないと思えば、写真を握るルーディの手に、少しの力がこもった。

「も、もし良かったら……屋敷の中を見せてくれませんか?私の記憶の1部が、あの屋敷に眠っているかもしれないんだ」

ルーディは1歩前に出ると、希望にすがるように頭を下げた。男はかすかに首をかしげ、サングラスをかけ直す。

ドクは咄嗟にルーディの肩をグイッと引き、頼むのをやめさせようとした。経験上、カモにするときを除いて、あきらかな変わり者と関わることは避けるべきと理解していたからだ。

「オイオイ、ルーディ!そんな無茶なことを言うんじゃ……」

「別にいいよ」

たしなめるふりをして話の流れを止めようとしたドクだったが、男は意外にもあっさりと了承してしまった。2人は驚きに満ちた目を男に向ける。

「普段はアリ一匹として入れはしないがね。あれほどのショーを見せてくれた君の頼みなら話は別だ。記憶を失ったという話にも、いや失礼ながら、個人的に興味が湧いた」

男はバイクのキーを回し、2人を誘うように屋敷の方を親指で指す。人形を潰されたことなどすでに忘れてしまっているようである。

怪しさは追い払えないままだったが、ルーディに軽く腕を小突かれると、ドグは仕方なく頷いた。男は微笑みを見せてエンジンをかけた。

「私はファンダム博士だ。何かできることあるならば、記憶探しを手伝おう」

「あ、ありがとうございます!私はルーディ。そしてこちらが、私の面倒を見てくれているドクだ」

ルーディの挨拶に合わせて、ドクも頭を下げる。ファンダムはドグを一瞥するとヘルメットを被り、早速バイクを動かした。

「よろしい!では屋敷まで案内しよう」

そう言うとファンダムはあっという間に小道に引っ込み、屋敷へと走り出してしまった。しばらくぽかんとなりながらも、ドクたちは車に飛び乗り、急いで彼の後を追うこととなった。

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