火を吹く男と小さな襲撃者②

耳のいいマチャティがすぐに荒らし屋が入ったキャビンを見つけ、指をさしてドグにも教えた。ドクは驚いた。よほど力のある動物なのか、キャビンに侵入するために開けたらしい大きな穴が木の扉に残っていたからである。

2人は扉の前に立ち、もう一度耳をすます。荒らし屋はまだキャビンの中に潜んでいるようで、木の床の上を走り回っているらしい足音が聞こえてきた。

「銃も持ってくるべきだったか?木の扉を突き破るなんて、ちっこい動物じゃできっこねえぞ」

ドグは少し後悔を見せながら警棒を取り出す。警棒といっても70センチメートル程度の木の棒であり、凶暴そうな動物に太刀打ちできるかはわからない。とはいえこの場から逃がすわけにはいかず、彼には木の棒1本で立ち向かう以外にすべがなかった。

マチャティがドアノブに手をかけて視線を交わす。ドグは少々躊躇いつつも覚悟を決め、頷きながら目で合図した。

「私から入ろう」

そう言うとマチャティは、ゆっくりとドアノブを引いた。

ギシギシときしむ音を鳴らしながら扉が開き、すでに荒らされてしまっていたキャビンの中があらわになる。パフォーマーたちが倉庫として使っていたキャビンであり、中はほとんど真っ暗だったが、木箱やドラム缶がいくつも並べられているのが見えた。

マチャティは慎重な足取りで中に入り、その後ろに続いたドグは明かりを探す。扉の横に手触りを感じ、それが電灯のスイッチであるとわかると、辺りを警戒しながらも明かりをつけた。

天井に付けられた電灯が光を発する。しかし年季が入っているのか点滅しがちで弱々しく、中はまだ薄暗いままだ。マチャティは繰り返しキャビンの中を見回してみたが、動物はおろか虫の1匹も姿を現さなかった。

「おい見ろ、木箱が何個も破られてるぜ」

ドグはそう言いながら床にあった木箱を転がす。扉と同じように突き破られたような穴が残っていた。

置かれていた木箱のほとんどが同じ状態で、潰されてひしゃげてしまったドラム缶もある。中身はスパンコールやラメパウダーなどの装飾品、ペンキやスプレーなどの美術道具がほとんどだったようで、床の1部はこぼれたパウダーやペンキでカラフルに染まっていた。

「どうやら好みの色が見つからなかったらしいな。酷い荒れようだ」

マチャティは言葉をこぼしながらいくつかの木箱を軽く蹴って動かし、何かが隠れていないか探し始める。ドグも警棒で木箱やドラム缶をあちこち叩いたが、何の反応も帰ってこなかった。

「奇妙だ。窓が割れていないならば、荒らし屋がキャビンの外に逃げたとは思えない。アルミを破れるほどのパワーからして相当大きい動物に思えるが、一体どこに隠れているんだ?」

「わからねぇなあ、もしかしたら壁も食い破って逃げたのかもしんねぇぞ」

ドグはそう返しながら、何かないかとアルミ缶の裏を覗き込む。すると、ちょうど壁とアルミ缶の隙間に身を潜めているかのような、奇妙な影がたたずんでいるのを見つけた。

「あ?」と思わず声を漏らしながら、ドグは目を細める。

それは1メートルにも満たない小さな背丈で、二本足で立っているようにも見える。大きさはマチャティが先に見たらしい謎の影と一致していたが、固まってしまっているかのように微動だにしないため、ただの美術道具かもしれないとドグは疑った。

「ドグ、何か見つけたか?」

「見つけた……かもしれねぇ。動物に見えなくもないが、置物ってだけかも。暗くてよくわからねえな」

手を伸ばしても届かなそうだと思ったドグは、床に落ちていた絵筆を拾い、隙間に居座る影に向けて投げつけた。絵筆が当たったが、カーンという鈍い音がしただけで、その影はビクともしないままだった。

わずかな震えも見せないとわかるとドグは肩をすくめ、マチャティに声をかける。

「ダメだな。ありゃただの置物か何かだ」

「そうか。私は興味深いものを見つけたぞ」

そう声をかけられたドグはマチャティの方を見たが、彼は何故か、缶詰が敷き詰められていた箱を開けて中を漁っている最中だった。やはり荒らし屋は食べ物には手をつけなかったのか、周りに置かれている箱も全て無傷なようである。

マチャティは手に取ったピクルスの缶詰を指の力だけで開けてしまうと、薄暗い明かりの下で食べ始めた。顔はあくまでも真剣な表情のままであり、何かを考えているかのように眉をひそめながらピクルスをかじるマチャティの姿に、ドグは呆れてしまった。

「オイオイ、ディナーは後にしてくれよ」

ドグがそう苦言を漏らしても、マチャティは相変わらずの真面目な顔つきである。

「うむ、やはり犯人はただの動物じゃないな。こんなにフレッシュな酢漬けに食いつかないなんて。ディナーとしても十分いけるよ、一缶どうだ?」

「ハッ!そんな豪華な晩餐、とてもアタクシの口には合いませんわ」

そう言い返しながらドグは、一瞬だけ壁の隙間に目線を戻す。そしてすぐに異変に気がつくと、彼の視線は固まってしまった。

電気が切れかけてさらに暗くなった壁の隙間に、もう一度目を凝らす。

一瞬違う隙間を見たのかとさえ疑ったが、床には先程投げた絵筆が残されており、何よりドグは1歩も動いていない。それでも暗くてよく見えないだけかと3度見直したが、やはりその異変は、見間違いなどではなかった。

「……オイ、いないぞ」

隙間には、そこに居たはずの影がなかった。

ドグが目を離したのはつい数秒の間だけだった。しかしながらあの奇妙な影は、わずかな物音も立てることなく、風のように姿を消してしまったのである。試しにもう一本筆を投げ込んでみたが、何かにぶつかることはなく、木の床に落ちて軽い音を立てながら転がるだけだ。

不吉な予感がドグの背筋を走る。

「やばい……いるぞ!マチャティ!奴はこの中にいる!」

「いないとかいるとか、どっクリスティーナんだ?」

マチャティは何もわからないままでピクルスをかじっている。そんな彼のすぐ後ろの棚で、並べられていた箱がガタガタと揺れ始めたのを見ると、ドグは咄嗟に叫んだ。

「だからいるんだ!荒らし屋だ!後ろにいやがるぞ!」

ドグが声を震わせたのとほぼ同時に、小さな荒らし屋の影が、1つの木箱をこじ開けて飛び上がった。

その影の姿ははっきりとは捉えられなかったが、電灯を反射してギラリと光る目や鋭い爪まで持っているようだった。影は素早く動いていくつかの箱を蹴り落とすと、爪を突き出しながらマチャティに襲いかかった。

ドグは警棒を投げて応戦しようと構える。だがそれ以上に、マチャティの動きもまた俊敏だった。

ドグの言葉に若干の困惑を見せていたマチャティだったが、背後からの物音と気配に気づくと即座に振り返り、飛びかかってきた影に強力なエルボーを叩きつけた。太い腕が繰り出す一撃に叩き落されてしまえば、影は再び闇に飛び込んで身を隠した。

「なんだ今のは!?」

荒らし屋の体は非常に硬くゴツゴツとしており、毛皮に触れたような感触もなかった。打ち付けた肘は酷く痺れてしまっており、冷静に追い払えこそしたものの、マチャティは戸惑っていた。

ドグはマチャティに駆け寄る。今度こそ荒らし屋にじっとしている様子は見られなくなり、闇に身を隠しながら木の床を蹴って走る音が、彼らの回りを動いた。

荒らし屋はペンキの缶や絵札の束をいくつも蹴り倒しながら、キャビンの中をあちこち駆け回っている。素早くジャンプしては棚に登り、爪で壁紙を引っ掻くこともあったが、目が利く2人でもその姿を捕らえることはできなかった。

「中々すばしっこいじゃないか。しかも闇討ちと来た!賢さまで備わっているらしい」

「感心してる場合か?お前がぶっ叩いたもんだから絶対ブチ切れてるぞ!」

ドグとマチャティは互いに背中を合わせ、いつ飛びかかられてもいいように武器を握る。ドグは警棒、マチャティは空っぽの缶詰だ。

不意に、騒がしく動き回っていた足音が止まった。

窓を割って逃げたというわけでもないらしく、またすぐ襲ってくるのではないかと、ドグは緊張で息を呑む。だが数秒の静寂が過ぎても、荒らし屋の影が動き出す様子はなかった。

「まさか逃げられたか?」

マチャティがつぶやいたが、ドグは首を左右に振る。

「ありえねえ。ドアは俺たちのすぐ後ろだぜ?窓が割られた音もしてねえし、逃げられっこないぜ」

2人は深呼吸してもう一度耳を澄ます。するとドグは、どこからかギシギシという何かがきしむような音が鳴っていることに気がついた。

「オイ、なんだこの音?古いゆりかごでも揺らしてるみたいな……」

それがペンキ缶の棚が押されている音だと理解するのとほぼ同時に、2.5メートルはある巨大なスチールの棚が、2人を目掛けてなぎ倒された。

ドグは悲鳴をあげ、マチャティは瞬時に横へとダイブする。

棚が倒れた衝撃は地響きを呼び、何本もの缶がはじければ、床は一面ペンキまみれでパレットのようになってしまった。だが幸いにも棚はドグには当たらず、身をかわしたマチャティも無傷だった。

「や、野郎!なんて馬鹿力を持ってやがるんだ!」

尻もちをつきかけてそう言ったのもつかのま、ドグの頭上を、荒らし屋の影が颯爽と飛び越える。そのまま吸い込まれていくかのようにドアから外に飛び出すと、ついには2人の視界から消えてしまった。

「闇に紛れて逃げるつもりか。いや、逃がさん!」

マチャティはそう声を荒らげると、立ち上がってすぐにキャビンを出る。ドグも大急ぎで外に向かった。

キャビンの外には長く茂った芝生が広がっており、その中に身を潜めた荒らし屋が少しでも動けば、芝生の揺れが場所を知らせてくれる。マチャティは豹にでもなったかのように目を光らせ、羽虫一匹の動きも見逃さんと辺りを警戒した。

ドグも同じく、マチャティの背に隠れながらも、まだ近くに潜んでいるに違いない荒らし屋の影を探した。

しばらくの間は、何の気配も立つことはなかった。しかし痺れを切らしたのか、とうとう動きを見せた荒らし屋のシルエットを、偶然キャビンの方に振り向いたドグの目が捉えた。

「いたぞ!いやがったぞ!まだドアの近くで伏せていやがった!」

ドグの声に警戒心を強めたのか、荒らし屋は芝生の海を泳ぐように、猛スピードで逃げていく。ドグは必死になって飛びかかったが、素早い動きですらりとかわされてしまった。

そのままの勢いで、荒らし屋は芝生の外へと向かって走り出した。ウサギ跳びのようなリズムでジャンプして軽々と身を浮かしながら、目にも止まらぬ早さで2人から距離を離していく。

「驚いたな。犯人が小人でないなら、きっと殺人ウサギだぞ。映画で見たことがある」

「言ってる場合か!?とても追いつけねえ!逃げられちまうぞ!」

「いいや逃がさんよ」

マチャティは自信たっぷりにそう言うと、ズボンに下げた革のホルダーから、おもむろにナイフを取り出した。デンジャーキッドがナイフでジャグリングを披露するために用意していたもので、ステージを抜ける前に1本くすねてきたのである。

マチャティはダーツのような姿勢でナイフを持ち、荒らし屋が揺らす芝生の方に向けた。

そんな上手く当たりっこねぇだろとドグは焦った。だがしかしマチャティは深く息を吸っては目を閉じ、一切の震えも見せずにナイフの先を構える。そして地面を蹴って跳ねた荒らし屋が顔を出したのを見ると、風を切る勢いでナイフを投げつけた。

ナイフは宙を飛び、一切のブレも見せないストレートな軌道を描く。見事に荒らし屋の頭部に突き刺されば、ドグは「うおっ」と驚きの声を上げた。

ナイフが命中した荒らし屋はそのまま芝生の中に落ち、わずかな震えも見せなくなった。ドグはガッツポーズをするが、マチャティは何故か肩を落としている。

「おいどうした?ナイスショットだったぜ?」

「いや…冷静に考えてみれば、何も殺すことはなかった。私としたことが、大それたことをしてしまった」

そう話しながらマチャティは座り込んで落胆する。だがドグは、俺たちも殺されかけたんだし、仕方ないじゃねえかと思いながら、荒らし屋が落ちた位置に駆け寄った。

「まだ息があるかもわからんぜ?どれどれ……え?」

亡骸を確かめてやろうと警棒を伸ばしたドグだったが、覗き込んだ先に倒れていたものの姿を見ると、理解が追いつかず困惑した。

ドグの反応を不思議に思い、マチャティも立ち上がって彼の元に歩みよる。ドグはしゃがみこんで、地面に倒れているそれを何度も確かめていた。

「どうした?やはり死んでしまったのか?」

そう聞かれても、ドグがすぐに返せるのはため息だけであり、マチャティの顔にも困惑が浮かんだ。

「いや……ダメだ。どうやったのかは知らねえが、逃げられちまった」

そう言いながらドグが拾い上げたのは、犬や猫のような動物でも、ファンタジーな小人でもなかった。ナイフが綺麗に突き刺さった、ブリキ製の人形だったのである。

大きな目と口、角を持った人形は、老夫が話していた伝承の怪物とよく似ていた。だが何の変哲もない人形に変わりはなく、内側は空洞で、片手で軽々と持ち上げられた。ドグは繰り返しため息をつき、マチャティは人形を指さしながら、さらに戸惑った声を漏らした。

「なんだって!?それを投げて変わり身にして、ナイフが当たったと見せかけたのか?そんな馬鹿な!そんなことができる動物がいるか!?それにその人形……団長のお気に入りにそっくりじゃないか」

マチャティに言われて、この人形が今朝ランジェナが持ち歩いていたものであることを思い出す。ドグは、いつの間に身代わりを使ってみせたのかと、一杯食わされたことに息を詰まらせた。

さすがのマチャティも額に手を当てている。ブリキの人形を雑に放り投げ、2人は芝生にへたりこんでしまった。

呆然となって言葉を失う二人をよそに、サーカス会場からは、軽快な音楽や歓声が響く。地面を躍らすほどに騒がしい夜は、まだまだ続きそうだった。

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