彼の記憶と彼の秘密③

ルーディと初めて会った日のことを思い返していたドグは、残りのエンチラーダを口に詰め込む。ルーディはまだ食べるのに苦戦しているようである。

そんなルーディを見るドグの顔つきは、少し険しくなっていた。

ルーディは彼に心を開いてくれている。だが、その旨に抱えている苦悩を全て打ち明けているわけではなかった。ドグの方も、写真に写っていたルーディの父親について、未だ何も聞けないままでいた。

 ドグはステージの方を振り返ると、今朝やリハーサルの際にルーディが見せた、力の暴走について思い返していた。あの暴走を見せるときのルーディは、決まって悪夢を見ているか、家族、とりわけ親子の様子を目にしている。夢の中で父親を呼んでいるらしい寝言も、ドグは度々耳にしていた。

しっかし、そろそろ例の親父について聞いてもいいころか?だが、思い出させたくないものを思い出させるのも悪いしな………それにもうコイツは、俺たちの元を離れることになるだろうし。

複雑な気持ちが顔に出てしまっていたのか、いつの間にか隣で顔を覗き込んでいたルーディが、ドグの肩を小突いた。

「どうした?何故そんな、歩いていたら蟻を踏んづけてしまったような顔をしている?」

ドグは何でもないと言う代わりにステージから目を逸らして、広場に置かれている切り株を模した椅子に座り直す。ようやくエンチラーダを食べ終えたルーディも肩をすくめながら隣に座った。

「なんでもねえよ。あ、そういや、リハーサルが始まる前になんか話してたよな?この街がどっか、『懐かしい』ってよ。ありゃどういうことだったんだ?」

ずっと聞こうと思っていたことを思い出し、ドグは広場から見える景色を眺めながら聞く。ちょうどその話をしようと思っていたのか、ルーディはポケットから、彼と彼の父親が写る例の写真を取り出した。

「そうだったな。実は、大事なことを話さなくてはならないんだ。私の……記憶について」

ルーディの声色が真面目なものに変わるとドグはどこか緊張し、もう一度姿勢を直すと咳払いして、「話してみろ」と返す。ルーディは写真を見せて、写っている父親の方を指した。

「私の父のことはもう話したか?」

「まあ、少しは聞いたことがあるが、詳しいことは知らねえな。その写真に写ってるのが、お前の親父だって話だろ?」

ルーディは写真に視線を落としながら、少し暗い目の色を見せながら話を続けた。沈んだ様子ではあったが、ここで話すと覚悟を決めたかのように、不安そうな表情はしていなかった。

「伝えていなかったことがある。私の父は……もう死んでいる。殺されてしまったのだ」

ルーディが静かにそう伝えると、ドグは返す言葉を失った。

以前話したときの『決して会えない』など言う口ぶりから、ルーディの父親の目に何があったかを薄々理解してはいた。しかしその話をする心構えはまだできておらず、慰めなのか励ましなのか、ルーディの肩に軽く手を置くことしかできなかった。

だが同時にドグは、かすかな疑問も抱いていた。ルーディは記憶を失っているはずである。そんな彼が父親の死と、父親が『殺された』ということを確証している様子に、何かが噛み合わない違和感を覚えたからだ。

写真を見たままルーディは話を続ける。

「私の頭には、わずかに記憶の欠片が残っていると話しただろう?その中に、父と過ごしていた時間が、ぼんやりと存在しているんだ。父は私の手を取って、どこかに連れていってくれていた。力について父から学んだ記憶もある。そう、この力だ!」

ルーディは、奇妙な力を持った自分の手を眺めた。

少しだけ過去を懐かしんでいるようでもあった。わずかに残っている記憶の断片をたどりながら家族と過ごした時間を思い返していたようだった。しかしながら、話を終えればすぐに暗い顔に戻ってしまった。

ドグは彼の肩に手を添えたまま写真を覗き込む。確かにルーディの父親らしい男の凛々しい顔立ちや青い瞳、肩まで下ろしたブロンドの髪には、ルーディの面影も見られた。

「それは……辛かったろうな。しかし『殺された』ってのはどういうことだ?お前がそれを見たわけじゃないんだろ?」

「いや、見たんだ。父は私の目の前で、誰かに撃たれて……死んでしまった」

ルーディがそう言うと、少し感情が高ぶっているのか、ドグが手にするコップに不思議な波紋が浮かんだ。近くに置かれていた飾りの旗、バタバタッと激しくはためく。

「私が何度も目にしている悪夢……それが、父が撃たれる瞬間なんだ。あれが一体どこで、誰が父を撃ったのかもわからない。だがとにかく父は、私に何かを叫びながら、撃ち殺されてしまった」

話を聞くドグは、ルーディが時折見せる暴走について、ようやくパズルのピースがはまったように感じた。

ルーディが見る悪夢とは、彼の頭に残る記憶の一部だったのだろう。夢を見る度にそんな辛い瞬間を見させられるのでは、気がおかしくなりそうになるのも当然である。親子を見ても同様に力の暴走を起こすことがあるのは、父の死がフラッシュバックしていたからだろうと、ドグはルーディの胸の内を察した。

 ドグが言葉を詰まらせれば、しばらく2人の会話は止まってしまう。ルーディは少し明るい調子に声を戻すと、もう一度写真をドグに見せた。

「ここからが本題だ。言っただろう?この街はどこか懐かしい。つまり、私の記憶と関わりがある」

ドグは差し出された写真を手に取り、写る2人をまじまじと見つめる。

「パフォーマンスの前にそう言ってたな。てことはつまり……お前は、この街に来たことがあるかもってことか?」

「そういうことだ!記憶をなくす前に、私はこの街に来ている。それも父と一緒にだ」

ドグが首をかしげるのを見ると、ルーディは写真に写る父親の胸の辺りを示すように指で丸くなぞる。ドグは写真を目に少し近づけて、ルーディたちが胸にきらびやかな飾りをつけていることに気づいた。

「バッジ……いや、ブローチか?」

「その通りだ。この街のシンボルを知っているか?」

「あー……確か、ネモフィラの花だったっけな」

そう言いながらドグはブローチの模様にもネモフィラがあしらわれていることを見つけ、思わず「おっ」と声を出した。さらに記憶をたどり、ビリージョーズ・ヒルの市章にも、ブローチと全く同じ花の模様が描かれていたことも思い出した。ブローチに使われているモチーフとそっくりである

 「私は父とともにビリージョーズ・ヒルを訪れていた。その写真は街のどこかで撮ったもの。この街の景色に見覚えがあるのは、実際にこの目で見たことがあったからだ。この街には、私が忘れてしまった記憶の鍵が眠っているかもしれないんだ!」

 段々とルーディの話し方が熱を帯びていく。

ぼんやりとした記憶の一部しか残っていない彼にとって、自分の出自について明らかにすることは、何より大切なことだった。そのヒントに近づいているかもしれないと思えば、興奮を見せるのも無理はなかった。

 彼はとにかく知りたいのである。自分がどこから来た何者で、何故奇妙な力を持っているのか。写真に写る男が父親だと確かにわかるのに、何故湧いてくるのはぼんやりとした記憶だけで、鮮明な思い出は蘇ってこないのか。そして、毎晩のように悪夢の中で彼を苦しめる、父を撃ち殺した犯人は誰なのか。その全てがわからなければ、彼の人生は始まりさえしないのだ。

 気分が上がっているのはドグも同じだった。今では『コイツはただとにかくそういうやつだ』と思って受け止めてはいるが、ルーディの身体や超能力についてはほとんど謎のままだったからだ。

 「じゃあようやく、お前のふざけた力の謎もわかるかもってわけだな!」

 「それだけじゃない!もしかすれば……父を殺した者が誰かも、思い出せるかもしれない。父は私の目の前で撃たれた。ならば私は、犯人の顔も見ているはずなんだ」

 ルーディは目を閉じて、何度も陥った悪夢の世界を頭に浮かべる。冷たさに満ちたほの暗い部屋。窓一つない木造りの壁。薄明りのランプが揺れて、土埃が床を舞う。撃たれる直前、ルーディの肩に手をかけて何かを訴える男の姿は、写真に写る父親とぴったりと重なった。

 「不思議なことに、犯人の顔も背丈も、まっさらに塗りつぶされてしまったように思い出すことができていないが……」

 ルーディは写真を見ながら、もう一度自分のだがドグの方は、急に苦虫を嚙み潰したような顔になったかと思うと、ルーディの話を遮ろうとした。

 「ま、待てよルーディ。親父さんが死んだってのは、夢で見たってだけの話だろ?」

 「確かに夢だが、ただの夢じゃない。あれは私の記憶だ。間違いない」

 ルーディは写真を手にしながら言い返す。しかしドグは、彼の話を疑うような態度を見せた。

 「けど、夢は夢だろ。そもそも本当に殺されたってわけじゃ……」

 「父は死んだ!私は、この目で見てたんだ!」

 話を終わらせようとしたドグに、ルーディは声を大きくして、涙を浮かべていた跡が残っている目を向ける。ドグは慌てて軽く頭を下げると、明るい話題に話を戻そうと、ポケットからサーカス団が持つ車の鍵を取り出して見せた。

 「わ、悪かった。適当なことを言っちまった。じゃあとにかく……この街を去っちまう前に、色々見て回りにいかねえとな?幸い明日は公演もないし、車でも借りてあちこち見に行こうじゃねえか」

 ドグはそう話しながら、バスケットから最後のエンチラーダを取り出し、包み紙ごと半分にしてルーディに差し出す。新たな目的への出発祝いといきたいところだったが、今はその一切れが乾杯の代わりだった。

 ルーディは強く頷いて受け取る。2人は遠くに広がる山岳地帯を眺めながら、ようやくドグの好きな具合にチーズが溶けだしていたエンチラーダを大口でかじった。

 ちょうどそのとき、ドグの無線が鳴った。画面を見ずともランジェナからの連絡であることはすぐに理解でき、億劫に思いながらもドグは受信のスイッチを入れる。

 『オイ警備係!どこで油売ってんだ!Bブロックに侵入者だ、さっさと行きな!』

 相変わらずの怒号に耳が痺れる中、ドグはしぶしぶ立ち上がる。そして他の無線を繋いで他の警備係からの連絡を聞くと、チーズの塊を口に放り込んだ。ランジェナが容赦ない大声で叫んだこともあり、『侵入者』と聴いたルーディは不安そうな目を向ける。

 「何かやばい事態か?」

 「いや、犬か猫かがゴミでも漁りに忍び込んだらしい。どっかの間抜けが『小人が出た』だとか意味の分かんねえことを騒いでるが」

あちこちが荒らされてるから早急に来てくれ、と連絡が入ったが、侵入者と呼ぶには少々大袈裟そうであり、ドグは面倒くさいと思うのを隠せないまま警備員のベストを着た。

「じゃあまたあとでな。晩のステージまでしっかり休んでろ」

「ああ、わかった。私はもう少しここにいる。ここから景色を見ていると……何か思い出せそうな気がするから」

そりゃいいことだな、とだけルーディに返すと、ドグは空になったバスケットを抱えて広場を離れる。聞きたいことはまだ色々と残っていたが、パフォーマンスに影響が出るのもまずいと思い、それ以上何かを聞くことはなかった。

ルーディは座ったまま、青空の下に広がる景色に目をやる。しばらくするとふと思い出したように、ポケットから逆十字のチャームを取り出した。

チャームの紐には切れた部分を繋げた結び目があり、長さが少し短くなっている。逆十字には焦がした跡のような黒ずみもあった。夢に見る光景の中では父親がつけていたものであり、彼の記憶とも何か繋がりがありそうだったが、今のルーディには逆十字が何を表しているかもわからない。

涼しげな風が吹き、つけたままにしていた耳飾りが揺れた。今朝の騒がしさをすっかり忘れてしまったサーカス会場に、舞台工事のトンカチの音と、誰かが練習しているらしいドラムロールの音だけがかすかに響く。

近くのテントを見ると、『ワルツを踊りながら花火を振り回す双子の姉妹』が、木の棒を持ってパフォーマンスの練習をしていた。シルバーの髪に色白で見た目も中身もそっくりな姉妹は、仲良しすぎると言われるほどいつも一緒にいる。

2人が仲むつまじく喋っているのを見ると、不思議とルーディの顔から笑みがこぼれた。

写真だけをポケットに戻し、何となくチャームを強く握りしめる。ようやく頭の中にかかっていた霧が晴れるかもしれないと思うと、ルーディの気持ちは高ぶった。

だが同時にルーディは、記憶を引きずり出そうとすればするほど、逆に頭の中の霧が暗く濃くなっていくような、不穏も感覚を覚えてもいた。目をつぶって思い出そうとしても、まるで誰かが何も思い出してはならないと警告してくるかのように、彼の記憶が閉ざされてしまうのである。

その嫌な予感が一体どこから来ているものなのか、今の彼には知る由もなかった。

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