ペドロという男とその恐るべき襲来②
ペドロがどれほどの巨漢であろうと、スタンガンが放つ電撃は彼を倒すのに十分すぎるほど強力だった。
問題は、その威力と射出できる距離だ。
電流を放つワイヤーはほんの1メートル程しか飛んでいなかった。早い話、離れた位置で身構えていたペドロの体には、全く届いていなかったのだ。
惨めに垂れたワイヤーが帯びた強力な電流がバリバリと光る。当然、ペドロの身に何かが起こることはない。これではネズミ花火でも放った方がまだマシであり、最後の希望が踏み潰されてしまった俺は、「ひいっ」と悲鳴に近い声を漏らした。
ペドロも少しの間は困惑した様子を見せていた。しかし俺の反撃が失敗に終わったことに気づくと、再び鬼の形相へと戻って歩き始めた。
「か、勘弁しろ!」
俺は慌てふためきながらもワイヤーを巻き取ろうと、スタンガンについていたダイヤルをガチャガチャ動かす。 だがワイヤーが元気にスパークを吹き上げるだけであり、もはや頼みの綱は、何の使い物にもならないおもちゃも同然となった。
ペドロは十字を切るように片手を動かしながら、凶暴な目を俺に見せる。
「悪あがきはそこまでだな?じゃあ、地獄に堕ちろ」
「待て!堕ちるのはお前の方だ!」
ペドロの言葉に言い返すように、ルーディが突然声を出した。俺とペドロは裏口の方を見たが、ルーディは相変わらず片足を抑えて座り込んでいるままだった。
「何やってんだ!何としても逃げろって言ってんだろ!助けを呼べ!」
俺がそう言おうとも、ルーディは地面を這って逃げる素振りも見せない。ペドロはさらに興奮した様子で、斧を俺の頭に突きつけた。
だがそれでもルーディはひるまず、コーラや風を動かしてみたときと同じように、俺とペドロの方に腕を伸ばして構える。そして目を閉じると、かすかに両手を震わせた。
俺にはルーディの狙いがわからなかった。それはペドロも同じなようで、斧を握ったまましばらく口を閉ざしている。
斧を持った大男に水を被せたところで何の抵抗にもなるわけがない。すっかり風も止んでいた。何ができるってんだと、俺は猛烈な焦りと恐れに襲われ、変なマネをしてくれるな!と心の中で叫んだ。
「ドーグラス!もう一度明かりをつけろ!」
目を開けたルーディが、力強い声で俺に言った。
「は?何だと?明かりって何のことだ!」
『明かり』と言われても、俺はすぐには理解できなかった。当然だ。
しかし、次第にルーディが動かそうとしているものが何か察した俺は、ペドロの方を見る。ペドロはルーディの声に一瞬ひるんだようで、俺から目を離していた。
……そうか、そういうことだな!?だが、そんなことがマジにできんのか!?
信じきることはできなかったものの、俺はルーディに目で合図した。ルーディが小さくうなずいたのを見ると、もう一度電流のダイヤルを掴み、めいっぱい奥まで回す。すぐに電気がワイヤーに流れて、稲妻に見えるほどの発光と放電が起こった。
キャビンの中がパッと明るくなれば、ペドロはワイヤーの方を見て、何事かと1歩下がる。まだワイヤーは少し離れた位置にあり、電流がペドロに触れることはない。だがルーディの策はここからだった。
ルーディは深く呼吸しながら再び手を動かす。するとワイヤーが発していた電流が、一本の電気の線となって、ひとりでにググッと浮き上がり始めた。
電光の塊は蛇のようになってその身を持ち上げ、何度か火花を吐き出しながら、ついにはワイヤーから完全に離れて床を這う。それを見たペドロは女の子のような悲鳴をあげて、驚きのあまり腰を抜かしそうになっていた。
ルーディが手で操れば、電光は意思を持ったかのようにくねりながらペドロに迫った。まるで蛇の人形を糸で操作しているかのようであり、ルーディの手と電光の動きは繋がっていた。
「お前、そんなこともできんのか!」
驚かずにいられないのは俺の方も同じだった。ルーディは一瞬こっちを見て、手を痙攣させながら俺に言葉をかけた。
「で、できるさ!これが私の力!鬼人の力だ!」
電気もまた、水や火と同じように決まった形がない。つまりルーディがその気になれば、『形のないもの』を操る力でコントロールできるということだ。
一歩一歩後ろに下がるペドロの足元に電光がゆらゆらと近づく。ペドロは斧を乱暴に振り回すが、何の防御にもなっていなかった。
「やめろ!こっちに寄るな!」
ついにペドロは怯えた顔で振り返り、電光に向け手を伸ばしているルーディを目にする。そして電光を操るルーディを止めようとしたのか、斧を持ち直してドタドタと走り出した。
「オイ!そのガキに近づくな!」
俺は咄嗟に酒瓶を拾い、ペドロに向けて投げつけた。瓶は勢いづいたまま後頭部にぶつかり、その衝撃でペドロの足がふらついた。ルーディはもう一度両手を伸ばし、力強く息を吸い込みながら電光を引き寄せる。
床から飛び上がった電光が、必死に斧を振ってルーディに迫ろうとするペドロに襲いかかった。
電光は巻きつくようにペドロの体を押さえ込むと、バチバチとまばゆい閃光を散らした。とめどない電撃を喰らうペドロは、言葉にならない絶叫を響かせる。そんな目にあっても当然かもしれなかったが、とはいえあまりにむごく痛ましい光景に、俺は思わず目を逸らした。
ペドロは斧を放り捨て、電光を引き剥がそうと必死になる。だが体に巻きついているのはロープの形をした稲妻のようなものであり、振りほどこうとしたところで、掴んだ手まで電撃に包まれてしまうという悲惨な状態だ。
「ストップ!ストップだ!いくらなんでもむごすぎるだろ!」
たまらず俺が叫んでも、電気の蛇は放電したままペドロを離さない。それでも少しの間は断末魔を上げながら耐えていたペドロだったが、さすがのタフな肉体も電気地獄には耐えられず、気を失ってバタリと倒れ込んでしまった。
それを見たルーディはやっと力を緩める。
一瞬にして解き放たれた電光は、あちこちに火花を撒き散らしながら、バラバラになって散っていった。壁は焼け焦げ、書類の山にはボヤが回る。花火で荒らされたか小さな雷でも落ちたかのように大荒れになったキャビンの中、俺は声を失ったままだ。
ペドロの体はびくびくと痙攣していたが、意識は完全に失われたようである。それを見たルーディがどさりと倒れこむと、俺は慌てて起き上り、片足を引きずりながら駆け寄った。
「お、おい!無事かよ!?」
力を使った反動というやつなのか、ルーディの手は少々黒ずんだように変色しており、不自然な震えを見せていた。だがルーディは笑顔を作ってみせ、「問題ない」と言って頷いた。
「本当に、危ないところだった。殺されてしまうのかと」
「ああ、やばかったな。マジに」
例の堅苦しい口調で話すルーディを見て、俺は安堵の一息を漏らす。そしてキャビンの中を見回しながらへたり込んだ。初日からこんな目に遭うなどと心構えができていたわけがなく、助かったと思うと急に体の力が抜けてしまったのだ。
「あ、ありがとよ。お前のおかけで命拾いだ。マジに命の恩人だぜ」
俺はそう言って声をかけ、体をぐったりさせているルーディの腕を握った。ルーディは首を横に振って言葉を返す。
「いや、助けられたのは私の方だ。お前が彼を止めてくれなければ、私はまっさきに殺されてしまっていた……」
「まだ安心すんな、早いとこ助けを呼ばねえとよ。あと医者もだ。その手は大丈夫かよ?」
妙な黒ずみを見せる手をさして俺は聞いたが、ルーディは「大したことない」と答えた。やけに落ち着いているようにも見える。
「力を使いすぎるとこうなるんだ。時間が経てば直る。さっきは、使わねばならないときだったから」
今になって死の恐怖に襲われたのか、ルーディは気絶したペドロを見ながら身震いした。奇妙な力を持っている上に妙な話し方をして、先ほどは少年とは思えない根性を見せもしたが、あまりにネジがぶっ飛んでるわけじゃねえんだなと、その様子を見た俺は思った。
「だが何故、まっさきに私を助けようとした?間もなく巻き添えになるところだったのに」
俺を見上げるルーディにそう言われても、俺は首をかしげるだけだった。
「ガキを置いて逃げるやつがいるかよ。俺だってガキの頃には何かと苦労してたんでな。あんまりに可哀想に思えただけだ。深い理由はねえ」
俺がそう言って笑みを見せると、ルーディも同じような表情を返しながら、「感謝する」とつぶやいた。こんなときでも話し方はおとぎ話のキャラクターのようなままだ。俺ももう一度礼を言い、ようやくまともな気分に戻った気がした。
「動けるか?ガキっ子」
そう言って俺が手を伸ばすと、ルーディはくじいた足を抑えながらも、よろよろと体を起こした。
「私の名前は『ガキ』じゃない。ルーディだ。ルーディ・アイビード」
俺が「そんな名前だったか?」と言うと、ルーディは頷きながらもう一度顔を上げる。ペドロに襲われる前に見せていた、どこか怯えているような瞳の震えはすでになくなっていた。
「ドーグラス。そっちの名前も全部聞いておきたい」
「俺の名前か?色々あるが……今はドーグラス・ダン・ロットペッパーってのを使ってる」
「よろしく、ドーグラス・ダン・ロット……」
ルーディは握手を求めながら律儀に俺の名前を全て呼ぼうとする。俺は差し出された手を握りながら遮った。
「長ったらしい呼び方はやめろ。ドグでいい」
「そうか。ではよろしく、ドグ」
会ってからそこまで長い時間は経っていなかったが、あんな事態に巻き込まれれば、俺たちの間には無意識な信頼が生まれていた。ルーディはほぼ見ず知らずだった自分を助けようとした俺を信用してくれたようだし、俺の方も、超能力がどうとかって話は抜きにして、ルーディを気に入った。
「そうだな、ルーディ。よろし……」
挨拶を返そうとした俺だったが、ドアの近くに人影が立っていることに気づいた。
ペドロが仲間でも連れてきやがったのかと鳥肌が走った。しかしよく見れば影の正体はいつの間にかキャビンに戻ってきていたランジェナであり、俺は胸を撫で下ろした。
「ちょっと、何があったのさ、これ?」
荒らされた置物やチラシの山、ズタズタになった椅子にテーブル、割れた酒瓶、あちこちに残る斧の跡。めちゃくちゃになった団長室を前に、よもや殺人事件が起きかけていたなんて知る由もなく、ランジェナは怒りや驚きを通り越して呆然となっていた。
キャビンの中へと歩いたランジェナは、大男が部屋の真ん中に大の字で倒れているのを見た。男が以前雇っていたペドロとは気がついていないようだったが、俺たちが襲われたということは理解したようだった。
「なんてこった……大丈夫?」
大丈夫で済むわけねえだろ!と心の中で言いながらも、俺は片手を挙げて無事を示した。ルーディも同じようにする。
ランジェナはとりあえず安心した様子で無線を繋ぎ、すぐに助けと救急箱を持ってこいと誰かに指示していた。さらにすぐに警察と医者も呼ぶからと言って、珍しく俺たちに優しい言葉もかけながら、倒れている大男に近づいた。
「驚いたね。コイツって……ペドロ?随分とでかくなった気がするけど」
ようやく大男の正体がかつて雇っていた人物だとわかると、ランジェナはペドロの体をつま先でつつく。ペドロの意識は失われたままだった。
ペドロのそばにはちぎれたネックレスも落ちていた。ルーディが持っていたものと似た逆十字型である。ランジェナはネックレスを拾い上げると、首をかしげながらジャケットの中にしまった。
こんなときにも金目のものをくすねる気か?と少々呆れながらも、俺は何とか重たい体を起こす。ペドロに破壊されなかった酒瓶の箱を見つけると、椅子がわりにして腰を下ろした。
俺がもう一度手を出せば、近くに座ったルーディも、軽く頷いて握手した。
あまりにも奇妙で信じられないことばかりが起きたものの、これが、俺とルーディが初めて会った日の話だった。
脳がついていけないことも山ほどだったが、一緒に死ぬ思いをすれば、不思議と友情は強く芽生えるようだ。以来俺は世話役として、記憶をなくした超能力者なんて数奇な存在とも上手くやっている。幸いにも誰かに襲われるだなんて酷い目に遭ったのはあの日だけで、狂人ペドロも無事に警察に引き渡された。
結局、エンチラーダを食べることなどできず、波乱万丈なままその一日は終わっていたんだった。
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