彼の謎と彼の秘密②

去年の11月のことだった。

呼び出された部屋には、テーブルを前に座る俺と、向かいの席に座るルーディ、何かを企んでいるような顔をした団長ランジェナがいた。

どんな危ない仕事を任せられるのかと思っていた俺は、どこか怯えたように背を縮こまらせているルーディを前にして混乱していた。ランジェナは、俺の困惑なんて気にしていないようだったが。

「ルーディ、コイツに『力』を見せてやって」

「……なんだ?力こぶでも作ろうってか?」

「そんな力じゃない、超能力だよ」

団長が突拍子もなくそんなことを口にすれば、俺は思わず鼻で笑ってしまった。

そんなSFな話があるわけねえって信じないのも当然だ。だがルーディは一言も返さないまま団長に従って、椅子に真っ直ぐに座り直して片手を上げた。

それが、くだらん手品みたいだなと舐めていた俺に、ルーディが初めて力を見せた瞬間だった。ルーディは俺が手に握ってたコーラの瓶を空中に浮き上がらせて、飛び回らせたり、ぐるっと一回転させたりしてみせたんだ。

 さらにルーディは、コーラを押し出して瓶の蓋をボンッと「内側から」明けると、自分の方に引きよせてキャッチした。ルーディが瓶を置いて倒せば、種も仕掛けもなかったと示すかのように、コーラはテーブルにこぼれて広がった。

俺はみっともなく腰を抜かしてしまった。ランジェナに「この子の力は本物だ」と告げられたが、なるほど、それはナイスですねって飲み込めるわけがなく、恐る恐る瓶に手を伸ばしては、瓶を指で撫でてみたりした。

「ど、どんなトリックを使いやがった?」

俺は顔を上げて、無表情で目線を返すルーディに問いかけた。それを見た団長はやれやれと言うと、もう一度ルーディに力を見せてやるよう頼んだ。

ルーディは眉を動かすことすらしていなかったが、素直に団長の言う通りにして、スチール製のテーブル上にできたコーラの水溜まりに手をかざす。するとシュワシュワと泡を起こしながら、ルーディの手の方に吸い寄せられるように、コーラの塊が地面から浮かんだ。

風になびくブランケットみたいに、水溜まりがふよふよと宙に漂う。一日に二度も「マジかよ」なんて抜かしながら目をこすったのは、テネシー州でワインの樽より大きいサンドイッチを見た日以来のことだった。

「ま、すぐには信じられないだろうね」

ランジェナがどこか得意気な口調で言う。

それでも俺はタネを明かしてやろうと、試しにコーラの塊に指を突っ込んでみたり、下から覗き込んでみたりしたが、どれだけ頭をひねってもその仕掛けがわからないままだった。

「この子はとんでもない逸材でね。本物の超能力者ってやつさ。ほかのサーカスとかショーハウスを歩き回ってたみたいだけど、めでたくこの秋から我らがクラウンヘッドサーカスの一員になったってわけ」

ランジェナが語る。ルーディは、青い瞳とシルクのように綺麗な髪の持ち主で、顔立ちにも随分と品があった。後から知ったことだが、団から団へとたらい回しになっていたこともあってか、彼の生まれや育ちについては、ランジェナもよくわかっていないらしい。

「そんなわけで急遽コイツの世話役が必要になった。それが、アンタに頼みたい仕事ってわけ」

「……は?」

俺はランジェナの指示に戸惑った。自分で言うのもあれだが、そんなふうに戸惑うのも無理のない話だ。

二度もクビになった身である俺に「もう一度だけ雇ってやる」なんて話が届いた時点で、ろくな仕事ではないとは薄々勘づいてはし、金払いがいいなら何でもしてやると覚悟もしていた。だがガキのお世話を任されるだなんて予想もしていなかったし、ましてやいきなり超能力者の面倒を見ろだなんて言われて、すぐさま首を縦に振れるわけがなかった。

「ちょ、ちょっと待て。世話役だと?俺にそんな仕事は務まらなねえよ。だいたいコイツは……」

断ろうと思ってそう言いかけたが、当然ながらランジェナも、やすやすと頼みを聞くような女ではない。机に手をついて俺を見ると、脅すような口調に変わった。

「言わずもがなだけど、断るならとっとと帰ってもらうよ。アンタに他のアテがあるなら、そうしてもいいんじゃない?」

そう言われれば俺は言葉をつまらせる。彼女の話し方には少し腹が立ったが、一応はチャンスをもらう側という立場になっている手前、強く言い返すことはできない。他を当たれと言われても、当時の俺に、他の頼みの綱などあるはずがなかった。

「アテなんてあるわけねえよ。畜生、親切な性格しやがって」

「お褒めに預かり恐縮です。こっちだってアンタの事情をくんでやってるんだよ?アンタを雇うってことは、お国に帰るにも帰れないならず者を匿ってやるってことなんだから」

言いたいことは山ほどあったが、俺は口を閉ざすしかなかった。ランジェナの言うように、当時の俺はなかなか厳しい状況にいて、サーカス団以外に頼る先がなかった。

俺が育ってきた環境は、なかなかに厄介なものだった。故郷の国では中々裕福な家に生まれたものの、町ぐるみで麻薬を売りさばいていたことがばれた両親が逮捕されたのを機に、15のときには独り身で生きる道を探さないといけなくなった。

職と金を求めてアメリカに渡ったが、1970年代とは中々に生きづらい時代だったのか、やってくる仕事と言えば危険で犯罪すれすれなものばかりだ。とはいえ、とにかく金を稼ぐほかに、できることはなかった。

ならず者になった俺は州から州を渡って、「誰でもウェルカム」な仕事を回り続けた。いわくつき廃墟の解体、暴走バイク集団への交通整備、命綱なしの綱渡りや極寒の海での漁船暮らしなんかも経験した。危ない目に遭遇した経験は両手で数え切れないくらいある。

クラウンヘッドサーカスとの縁ができたのは80年代に入ってからで、飯を求めてカリフォルニアを訪れたときのことだ。 

俺に目を付けてくれたのは当時のサーカス団のボスにして、ランジェナの父でもあった先代の団長。別にサーカスが好きなわけでもなかったが、俺からすれば、何故か子供の頃に身につけていた『脚でピアノを弾く』なんて特技が役に立つなら、喜んで雇われようって話だった。

結局その後も二度はクビになったわけだが、サーカス団との縁はなかなか途切れなかった。俺に3度目の誘いをかけたのが、先代から団長の座を継いだばかりのランジェナだったというわけだ。

 「さて、どうすんの?」

 少しばかり自分の身の上を思い出していた俺に、ランジェナが腕を組みながら声をかけた。

 このままでは途方もなく国をさまようことになるであろう俺は、ある種の情けをかけられているわけでもあった。しばらくは机に伏せて黙ったままだったが、俺はようやく顔を上げた。

鋭い視線をランジェナに合わせられると、たまらずに抱いていた疑問を口にする。

「……このガキが随分と、なんだ、『変わってる』のはわかったけどよ。なんで俺なんだ?なんでクビになった俺を呼び戻してまで、そんな仕事を頼む?」

「うーん、なんか、合いそうかなって」

「何だと?」

ランジェナの言う言葉の意味が理解できず、俺は思わず聞き返した。ルーディはコーラの塊をふわふわと浮かせたりシャボンを作ったりしながらそばで話を聞いているが、すっかり口を閉ざして何も言わないままだ。

「最近まではペドロって男を雇ってたんだけど、ルーディの力にビビり上がったのか、逃げやがってね。でもアンタなら、厄介な仕事とか、とんでもない状況にも慣れてるでしょ?」

ランジェナの言葉に、俺はため息をつかずにはいられなかった。確かに、命懸けの作業から法律スレスレの仕事まで経験してきた身ではある。しかし言うまでもなく、超能力者の世話係なんてSFめいたことの経験があるわけがない。

ランジェナは構わないといった態度で、何としても俺の首を縦に振らせようとしているらしかった。

「家も裕福だったアンタなら、この子に勉強だとかも教えられるだでしょ?」

「いや、今の俺のはただの一文無しなんだがな……」

「そうだっけ?ま、そんな細かいことはどうでもいいから」

簡単なことみたいに言ってくれるぜ、こっちはこのガキが何者かもわからんねえままなのによ、と心の中でつぶやきながらも、俺はランジェナからルーディの方に目線を移した。

ルーディはそれに気づいたがようだったが、俺の目を避けるように下を向いてしまう。そのときの俺でも、ルーディの目の色が、月明かりの一筋も差し込まない曇った夜空みたいに沈んだ色をしていることくらいはわかった。

サーカスをたらい回しになっていたという話からして、小さい体に抱えてきた苦悩も多いはずだ。超能力がどうにせよ、払いきれない不安と悲観にくれている様子は、昔の俺の姿にも少しだけ重なった。

俺はもう一度ため息をつきながらも、ランジェナの方に向き直った。ランジェナは断れるわけがないと踏んでいたのか、壁にかけられた先代の写真を見ながら、煙草を吹かして俺の返事を待っている余裕な態度だ。

「……金は?」

「ほかのパフォーマーと変わらないくらいは払う。ルーディが出世すれば、もちろんアンタにもボーナスをやるよ」

状況は飲み込めないままだったが、結局のところ、与えられるならどんな仕事も受けねばならないというのが、俺の現状だった。額に手を添えて椅子にもたれかかるようになりながらも、俺はようやく、2人に頷いてみせた。

「わかった、わかったよ。その役を買う。俺を雇ってくれ」

先に俺を見たのはルーディの方だった。

俺の言葉に少し驚いたようだったが、どこか気が晴れない目つきのままこちらを見ている。ランジェナは笑みを浮かべると、取り出したペーパーナプキンに素早く『契約書』を書き、机に置いた。

「決まりだね。じゃ、こいつにサインしな」

契約書と言っても作りは雑なもので、実際にこれが法的に機能するかも怪しいのが正直なところだ。俺は流れ作業で書かれた内容を読み、サッとサインを書き始めた。

「相変わらず、形だけしっかりしてやがるな。ん?『超能力について団員以外の誰にも口外しない』……どういう意味だ、これ?」

書かれた条件の1つに目を止めた俺が聞くと、ランジェナは『気にするな』とハンドサインをしながらも口を開く。

「さっき話したペドロってやつが、ルーディが超能力者だってネタを新聞社に話そうとしたんだよ。ウチらのイメージを下げるようなことをされちゃ困るんでね」

俺は少し納得しながら最後までサインを書き、ランジェナにパスするように放って渡した。ペドロという男がどうなったかは知らないが、そんなわけのわからない話を持ち込んだところで、門前払いに終わったに決まっている。その点俺ならそんな真似をする心配はないと思われたに違いなかった。

「よしよし、ドーグラス殿。これで君は晴れて、『鬼人の子』ルーディの世話役として採用だ」

「随分と大層な2つ名を付けたな」

「アンタはまだルーディの本気を知らないからね。そう言ってられるのも今のうちだけさ。ほらルーディ、挨拶しな」

そう言うランジェナに目配せされると、ルーディは慌ててお辞儀をした。だがその拍子に気が抜けたのか力をゆるめてしまったらしく、ふわんと空中に留まったままだったコーラの塊が突然に飛び散り、俺とルーディの頭上から雨のようにぶちまけられた。

「……なっ!?」

俺は頭から肩まで、文字通りのずぶ濡れになった。だがそれでも尚、ルーディの力に呆気にとられたままだ。ルーディの方も、「やばい」と瞳で言うかのように、目を丸くして言葉を失っていた。

「ちょっとちょっと、何やってんのさ」

ランジェナは置いてあったタオルを適当に放り投げて、ナプキン造りの契約書をポケットにしまった。俺もルーディも何も言えないまま、黙って髪と机を拭いた。

「じゃあアタシは用事で席を外すから、挨拶でもしておきな」

そう言われると、俺はたまらずにランジェナの方を見た。

いきなりこのガキと2人きりなんて、勘弁してくれ!と、口で言う代わりに目線を送って首をわずかに振ったが、ランジェナの視線が返した答えは、『知ったこっちゃないね』だった。

ランジェナが席を外すと、少しの間部屋の中は無言になる。お互い目を合わせるのも気まずいままで、とっくに綺麗になった机を無意味に拭き続けたりしていた。

俺は厄介事は好きじゃない。だが、気まずいのはもっと嫌いだ。何から離せばいいかわからなかったが、とりあえずタオルを丸めて置くと、ルーディに話しかけた。

「あー、団長なんてあんなもんだよな。お前もなかなか面倒を任されてそうだが」

ルーディは下に向けていた顔をゆっくり上げたが、目線は俺に合わせないようにしたままで答える。

「面倒なんかじゃない。私は、何度も助けられてる……」

はじめて耳にしたルーディの話し方に、俺は「あ?」と声を漏らしてしまった。子供とは思えないかしこまった口調、というより妙に堅苦しく、気取った話し方をしていたからだ。

「いやいや、さっきの感じからわかるぜ。ガキだからっていいようにコキ使われてんだろ」

「そ、そんなことはない。私も感謝してるし、サーカス暮らしもなかなか悪くない」

「なるほど……やっぱりお前、おかしな話し方だな。中世の貴族とでも喋ってるみてえだ。サーカスの変な影響でも出てんじゃねえか?」

そう言われてルーディは、ようやく目線を俺に合わせた。本人もおかしな喋り方をしている自覚があるのか、俺に突っ込まれるとどこか不機嫌そうに眉をひそめていた。

「別に、おかしくなどはない。それに私の喋り方は昔からこうで、サーカスの影響も受けてはいない」

「昔からだぁ?お前まだガキだろ。いつからそんなかしこまったアホみたいな喋り方やってんだ?」

「それは……覚えてない」

答えながらルーディは、再び俺から目線を外した。どこか意味ありげな言い方だったが、物心ついたときからってやつか、映画か何かの影響だろうと思った俺は、それ以上は特に聞かなかった。それよりも聞くべきことが大量にあったからだ。

「ま、なんでもいいが。ところでそろそろ教えてくれよ、さっきの手品のトリックをよ!結構迫力あったんで驚いちまったが、ありゃどういう仕組みなんだ?」

納得がいく説明を期待して俺はもう一度聞いたが、ルーディは首を左右に振った。

「トリックなんかじゃないと団長も言っていただろう?これは本当の力なんだ!」

「しょうもないことを言うんじゃねえ。じゃあほら、このペンを浮かせてみろよ」

俺はそう言ってポケットからペンを差し出したが、ルーディはもう一度首を振る。

「ペンはダメだ。水とか火とか、形のないものじゃないと」

「随分と都合のいい超能力だなあ?俺が浮かせと言ったものは浮かせないわけか」

挑発するように俺が言うと、ルーディはムキになったように俺の手からペンをひったくった。俺は片方の眉を上げて、面白半分でルーディの様子を見ていた。

「見ていろ」

ルーディはそう言うとキャップを外してペン先に軽く触れた。俺は笑いを浮かべながらルーディの動きを見ていたが、すぐに目を疑うことになった。ペンの先から黒いインクの塊が、シャボンのようになって流れ出てきたからだ。

「え?オイオイオイ、何をやってんだ?」

俺が心からの困惑した声を漏らすと、ルーディは勝ち誇ったように口角を上げる。ペンの中から全てのインクを吸い出すと、空中に浮かべて、『ホライッタダロ』という文字の形に変えた。

「ほら、言っただろう?」

ルーディの勝利宣言はほとんど俺の耳に入ってこなかった。

ランジェナにもらったコーラを浮かしたところまでは何か仕掛けがあったんだと自分に思わせることができたが、俺が1日中ポケットに突っ込んでいたペンであんなことをされれば、理解が追いつかないのも当然だ。

「ほ、ほんとは、どうやってんだよ?」

「まだ言うのか!」

ルーディはそう言い返すと、右手を天井に付けられていた電球に伸ばした。

ルーディが3回指を鳴らすと、電球の方もそれに呼応するように、チカチカチカと3回点滅した。さらに窓の方にも手をがかざせば、少しばかり吹き込んできた風を操って小さな竜巻のようにし、部屋中を動き回らせる。ルーディが動かす風はチラシの山をバサバサと吹き飛ばし、最後には俺に向かって思い切り吹き荒れた。

俺はまたしても椅子から転げ落ちた。1日に二度も三度も驚いて腰を抜かすなんて今考えても小物すぎる姿だったが、流石の俺も、何度も目を擦りながら、自分が見ているものを疑うしかなかった。

「ほ、ほんとに、ほんとにマジの超能力か!?」

「何度もそう言ってる」

「そ、そんなバカなことがあんのか!超能力者なんてモンが、本当にいるってのか!?こんなしょうもないサーカスにか!?」

立ち上がることも忘れてしまった俺を横目に、ルーディは宙に浮かせていたインクを、流れ込ませるようにペンの中に戻した。

「そうだ、超能力者だ。ここでは『鬼人』と呼ばれてるが。ほら、これは返す」

ルーディはペンを俺の方に投げた。ペンは俺には届かず床に落ちて転がったが、俺にはそれを拾い上げる余裕なんてなかった。

ルーディは椅子から立ち上がると、俺の恐怖心を煽ろうとするような声色で話を続ける。

「本やテレビが言うところの、得体の知れない化け物ということだ。だから危ない目に逢いたくないなら、さっさと話を断って、消えてしまった方がいい。私にも、私が何を起こすわからないからな」

そう告げてルーディは振り返る。そして再び力の存在を見せつけるかのように、電球に指を向けて点滅させた。俺はしばらく何も言えないままでいた。

ルーディは、俺を辞めさせようとしていたのかもしれない。だがしかし、超能力なんてものに触れた俺の腹にあった感情は、おそらくはルーディが思っていたものとは大きく違っていた。

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