サーカス団と鬼人の子③

 『鬼人の子』の力は本物である。

 サーカス団に所属するその他多くのパフォーマーが見せているのは、奇術や魔法を自称しているものの、あくまでも特別な体術やトリック、手品にすぎない。しかしながら、『鬼人の子』あらためルーディの力はまぎれもなく本物であり、俗に超能力と呼ばれる類の力だった。

はじめてルーディの力を見たドグも、革ジャケットの男と同じように、何かトリックを使っているんだろうと一蹴した。だがルーディが買ったばかりのコーラ瓶を天井まで浮かばせたのを見て、驚きのあまり腰を抜かしてしまったのを覚えている。世話役として長くルーディの力を見てきたドグにもその原理は全くわからないが、何にせよルーディは、人の限界を超えた力を持っているのである。

ステージの上でルーディは一礼し、もう一度紫のシャボンたちを動かす。その1つに軽く触れて引き寄せると、かじりつくように口に含んだ。そして「確かにジュースだよ」と示すように、客たちの前で飲み込んでみせる。ドグも含め、多くの観客が目を見張った。

水や炎、煙などといった「形のないもの」を操ることができるというのが、ルーディが生まれながらにもっている超能力だ。

その力の正体については、ドグはもちろんのこと、彼より先にルーディを知っていたランジェナも、そしてルーディ自身も、よくわかっていない。だがとにかくルーディは、その怪奇な力で水を空中に浮かせたり、炎に渦を巻かせたり、触れるだけでオレンジからジュースを絞り出したりできるのである。

「相変わらず、信じられない力だね」

いつのまにそばに来ていたのか、ランジェナがドグに向けてつぶやいた。ドグも、すっかりルーディのパフォーマンスに夢中になっている客たちを見ながら、彼女の言葉に頷く。

「全くだ。本当に凄すぎる力だぜ。こんなところで見せるにはもったいねえってくらい……」

ついそう漏らしてしまったドグに、ランジェナは鋭い目を向ける。しかしドグは彼女とステージ上のルーディを交互に見て、不満を明かすような口調で話を続けた。

「なに?ウチのサーカス団じゃショボすぎるって言うわけ?」

「そう言うわけじゃねえが……ルーディの力は、間違いなく本物だぜ?マジに本当の超能力だ」

不機嫌そうに腕組みをするランジェナを気にして言葉を選びながらも、ドグはルーディを指さしながら、説得するような口調になった。

「そうだ、本物のスーパーパワーだ!テレビに出れば一躍スター、ハリウッドなら億万長者!アイツは、もっとビッグになれる才能を持ってるんだ!」

「そしてそれが叶えば、あの子の平和は終わるだろうね」

熱くなり始めていたドグだったが、ランジェナに言葉を遮られた。ランジェナは商売人としての表情を消しながらステージの方を見つめている。

「政府に連れていかれるか、エイリアン扱いで一生人体実験か……ジャッガ・ティズナムみたいに火炙りにされるかもわからないね」

ジャッガとは超能力者を自称したインドの奇人であり、そのパフォーマンスで広く名を知られる。だが同時に、彼の力を災いと信じたカルト教団に焼き殺されてしまったことでも有名である。あまりにも悲惨な超能力者の末路を引き合いに出されれば、ドグは何も返せなくなった。

ランジェナはステージを眺めながら話を続ける。

「ハリボテだらけのサーカス、だからいいのよ。ここなら誰も、ルーディの力を本物だなんて思わない。高い金は払えないけど、少なくとも平穏でいれられる。まあアタシはまだ、あの子が何かとんでもないトリックを隠してるんじゃないかって疑ってるけど」

「……あー、わかった。悪かった。もう変な真似は考えねえ」

ランジェナの言う通り、ルーディの力がまぎれもなく本物の超能力だと世に知られれば、彼の身には一時の平和すら待っていないに違いない。変人だらけのサーカスよりも大きなスポットライトを浴びて欲しいと思っていたドグだったが、今は頷きながら引き下がった。

「それに、あの子の記憶はまだ戻ってないんでしょ?」

「ああ。夢で見る例の瞬間を覗きゃあ、まだ何も思い出せないんだとよ。今朝もあの夢を見たみたいでよ、その……荒れてたな」

ドグは今朝に見た荒れ放題の部屋を思い返しながら答える。今でこそルーディはステージの上で頼もしい姿を見せているが、ドグの方は、未だに緊張感を忘れることができなかった。

会話が止まれば、ドグはもう一度ステージに視線を戻す。そしてすぐに、ルーディの表情が不自然に硬直してきていることに気がついた。

「あ?どうしたんだ、アイツ?」

「どうしたって、何が?」

ランジェナは何も気づいていないようである。だがドグにはルーディが、客席の正面にだけ目を向けながら、まばたきさえも忘れて固まってしまっているように見えた。

ルーディが見つめる先には、シャボンの音楽団を前にしてはしゃぐ男の子と、その父親らしい男が座っている。

ルーディの目線に気づいたらしい親子はステージに向けて手を振る。しかしルーディは手を振り返すこともせず、掲げていた両手をゆっくりと下ろしながら、段々と浅い呼吸を漏らすようになっていた。体もかすかに震えを見せている。

「オイ、あれはまずいぞ」

ルーディが親子を見ながら放心し始めていることに勘づいたドグは、途中でも構わずパフォーマンスを止めようと、スプリンクラーのスイッチに戻ろうとする。だが当然ランジェナに呼び止められた。

「ちょっと、何する気?ここまできて興を冷ますようなこと……」

「そう言うレベルの話じゃねえんだ!」

声量を落としながらも強く言い返すドグだが、事情を知らないランジェナはそう簡単には道を開けない。ステージを振り返ると、依然として顔色を青く染めていくルーディが目に写った。

親子もルーディの様子を奇妙に思ったのか、男の子は1歩下がって後ろに手を伸ばす。父親の方も子供の手を掴んで席に引き寄せた。そしてそれを見たルーディは、目をカッと見開いたかと思うと、喉を震わせながら叫び声を漏らした。

「まずい、ルーディ!」

パフォーマンスの1部なのかトラブルなのかわからず、観客たちがざわめく。ランジェナを払い除け、ドグはステージに向けて走り出した。

しかしその次の瞬間、ルーディの背後に浮かんでいたシャボンたちが、爆発するかのように一斉に弾けた。

ボンッという破裂音がとどろけば、客席からは悲鳴に近い驚きの声が上がる。紫色の霧を散らしながら、ステージには葡萄ジュースの雨が降り注いだ。そしてあっという間に、ルーディと舞台は水浸しになってしまった。

客席の合間を抜けてステージに上がると、ドグはルーディの元に駆け寄った。ルーディは腰をついて言葉を失い、呆然となって彼の方を見る親子に、落ち着きのない目線を返している。

ドグは彼の肩を掴み、声をかけ続けた。

「ルーディ!オイ、落ち着け!俺を見ろ!」

ルーディはドグの呼びかけに応じず、錯乱した瞳をあらぬ方向に向けている。大きめな衣装越しにもわかるほどの痙攣で手足が震えており、パニックを起こす寸前に違いないとドグには思えた。

ドグが乱入したことで、客席にもさらに混乱が広がる。ステージ裏で様子を見るパフォーマーたちも同様だったが、ランジェナはまだ冷静だった。

 「ったく……しょうがない」

ランジェナはため息をつき、ステージ裏にハンドサインを送った。指示を受けたマチャティは屋外に響き渡るような強烈なドラムを叩き始める。スピーカーからはファンファーレが大音量で流された。

爆音が響けば、観客たちのざわめきが一瞬収まる。それを見たランジェナはすぐにめいっぱいに大きい拍手を鳴らし始め、「ブラボー!」と叫んだ。

ルーディとドグはそんな彼女に目もくれないが、客たちは互いに顔を見合わせている。

「もしかして、今のもパフォーマンスのうちだったってことか?」

「そうか、そうに違いねえ!思わず息を呑んじまったよ!」

しばらくすれば、他の席からも拍手が響き始める。トラブルをパフォーマンスの1部と思い込ませるというランジェナの策は見事成功したようで、次第に拍手の輪は大きく広がり、最後には観客全員が立ち上がって歓声を浴びせるようになった。

ルーディもようやくはっきりした意識に戻るが、この数秒の間に何があったか覚えていないのか、歓声の中で唖然となっている。ドグはそんなルーディを立たせると、手を取って一緒にお辞儀した。

『……鬼人の子ルーディによる、まさに奇跡のパフォーマンスでした!さあ次は皆様お待ちかね!火を吹く男!マチャティ・イブラヒムの登場です!』

ランジェナに指示されたクリスティーナが上手く次に繋ぐと、ドグとともに舞台から下がるルーディにウインクしながら、『火を吹く男』マチャティがステージに登る。客席からの声は最大に達した。

舞台袖に下がったルーディだが、未だに開いた口が塞がらないといった様子である。ドグは膝をついて彼の肩を叩き、若干興奮気味な声をかけた。

「ルーディ、ルーディ!やったじゃねえか!観客全員の度肝を抜いたな!」

まるで最後のトラブルがなかったかのように振る舞いながら、ドグは嬉しそうにルーディを揺らした。ルーディは戸惑いつつ、さっきまで自分が立っていた舞台を見る。

「で、でもさっき、私は……」

「あぁ?最後のあれか?誰も何とも思っちゃいねえよ!とにかく、ぶっ飛んだステージだったぜ!大成功だ!」

ルーディに疑問を振り払わせるようにそう言いながらドグは手を掲げる。ハイタッチの合図である。

舞台裏から様子を見ていたほかのパフォーマーたちも、口々に賞賛の言葉をかけた。モヤがかかった心情のままであるルーディだが、何度も褒められれば少しはいい気分になったようで、とりあえずは満足そうにハイタッチをした。

「私は、上手くやれてたか?」

ルーディに聞かれると、ドグはグイッと肩を組んで強く言い聞かせるように答える。

「上手く、どころじゃねえ!飛びっきりに最高だ!ボーナス間違いなしだぜ!」

そう言われたルーディは、今度こそ思い切りの笑顔を見せた。そして他のパフォーマーたちにも礼をして、服を踏みつけそうになってふらつきながらも、衣装部屋の方に退いていく。ドグも彼に続いた。

「ほ、ほんとに最後は、何ともなかったのか?」

「なんだぁまた要らねえ心配か?胸を張れよ『鬼人の子』!それより今は、サインを書く練習だぜ!」

まだすっきり喜ぶことができていないルーディを誤魔化すように、ドグは彼を何度も褒めちぎり続ける。記念のポロライド写真を撮りながら残りの葡萄ジュースの樽を開け、少々無理やりに乾杯させた。

その頃もステージでは、時折2人の会話を遮るほどの大歓声を呼びながら、『火を吹く男』が爆炎を吹き上げさせていた。

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