サーカス団と鬼人の子②

 団長ランジェナの指示から数分のうちに、ランジェナの指示通り余ったチラシで臨時のチケットが作られた。チケットはすぐさま、集まりすぎた見物客たちに配られる。ホットドッグと抱き合わせできないこともあり料金は少し高めである。

 あまりにも急な指示にも関わらず、『未知との遭遇』ステージの面々は落ち着いていた。慌てるどころか、先程までと変わらない様子で談笑したり、のんきにパンをかじったりしているパフォーマーもいる。

肝の据わったパフォーマーたちを横目に、ドグは何とか、葡萄ジュースの樽の上に座っているルーディを見つけた。

 「おい!あのバカみてえな指示を聞いたか!?」

 ドグの問いにルーディは頷いて返す。意外なことにルーディも特別焦っている様子は見せておらず、樽に座って森の景色を眺めながら一人リラックスしていた。彼の様子に、ドグは逆に戸惑いを覚えた。

 「ず、随分落ち着いてるみたいだが……お前はステージには出ないってことだよな?」

 「いいや、出る。だから一度樽を閉じたんだ」

 「だったらその落ち着きは何だ!?」

 そう言うドグに、ルーディは軽く手をかけた。先ほどまでとは逆に、彼がドグの方をなだめようとしているようだった。

本来のルーディであれば、本番どころか練習前ですら緊張でガチガチに固まってしまうのが常である。水を飲んで落ち着こうにも手が震えて盛大にこぼしてしまうことさえあり、そんな上がり屋の彼が妙に楽にしているのを見て、ドグは奇妙に思った。

 ルーディはもう一度森の方を眺めながらスマイルを見せる。そして景色を指して、「見てよ」とドグにつぶやいた。

屋外のステージからはビリージョーズ・ヒルの森林や山々を一望でき、海のように青く澄んだ空とも合わさって、視界を穏やかに包み込む雄大な景色が広がっている。だがドグは、たかが景色でこんな僧侶みたいにリラックスできるものかと疑った。

 風景に目をやりながらルーディは話す。 

 「自分でもよくわからないけど、ちょっとここからの景色を見てたら……何だかいい気分になってきたって言うか、やけに気持ちが静まってきたんだ。さっきまで背負ってた重りが、どこかに消えてしまったみたいに」

 「ああ?詩人にでもなったつもりか?良い景色って、ただそれだけのことだろ?」

 「そういうわけじゃなくて……なんて言うか、懐かしいんだ。ここから見える景色が」

 ルーディの言葉を、ドグはすぐには受け止められなかった。

眉間にシワを寄せ、戸惑いながらも「『懐かしい』だと?」と聞き返す。ルーディは頷いて「そうだ」と答えた。彼の目には、彼がほとんど見せたことのない、爽やかな色が表れている。

 「懐かしいってのはつまり……」

 ドグは何かを言おうとしたが、『火を吹く男』マチャティが鳴らしたドラの音に遮られてしまった。「集合、集合!」という号令の声も聞こえる。

ステージの周りにはチケットを買った客たちが集まり始めており、早いうちに公開リハーサルを始めるらしかった。

 「ま、まあ緊張してないなら、それにこしたことはねえな。それならお前に不可能はないってことだ!」

 仕方なくドグは言いかけていた言葉を一度忘れることにし、ルーディの背中を押してサムズアップを見せた。

ルーディも同じように親指を立てて返し、名前を呼ばれるとマチャティたちの方に走っていった。不安感は離れないままだったが、今ではドグも、警備の準備に取り掛かるほかない。

 緑のベストを羽織り、木製の軽い警棒をベルトにかけ、手を振って客たちを誘導する。そこそこ値の張るチケットにも関わらず、ゾロゾロとやってきた客が屋外ステージを囲むように集まってきた。土産物屋も急遽オープンさせたのか、スーパーマーケットで買うよりも2倍は高いソーダやアイスクリームを手にしている子どももいる。

 『未知との遭遇』ステージはいかにもそれらしく宇宙をテーマとした装飾がされており、UFOと惑星がペイントされた濃い紫のカーテン、眼球型の巨大なスピーカーなど、際立って目を引く飾りが多い。今頃ルーディたちは、プレハブの控室の中で慌ただしく準備している最中に違いなかった。

 「本当に大丈夫かあ?」

 芝生に立ち並んでは騒がしい様子でパフォーマンスを待つ客たちを見て、ドグは思わず不安を口にする。背中を押して送り出しはしたが、いざルーディの姿が見えなくなると、今頃プレッシャーに押しつぶされそうになってるんじゃないかと想像せずにはいられなかった。

 そんなドグを他所に、ボンゴ風なドラムの音が大音量で鳴らされ、リズミカルに空気を揺らし始めた。

 いよいよ公開リハーサルをはじめるらしく、客たちも会話を止めてステージの方を注視する。ますます緊張したドグが表情を曇らせる中、電子音のファンファーレが響き、朝の10時過ぎという時間帯故にまったく派手さのないスポットライトも動かされた。

 『アテンション!これより我らクラウンヘッドサーカスが皆様を、人類の想像をはるかに越えた未知と無限の世界へご案内いたします!』

 何故かキャビンアテンダントの格好をした女性司会がステージに上がり、電話機を模したマイクを手に少々オーバーな言葉で開幕を宣言した。客席からは歓声が上がる。

司会を務める彼女は実際にはサーカス団の団員ではなく、『華が欲しい』という理由で急遽団長にスカウトされた、クリスティーナという名前の地元の学生だった。観客の様子を見るに成功だったなと思いながら、ドグもステージに向けて拍手した。

 『まずは、恐れ知らずなジャグラー!不死身の体を持つ男!ニック・ザ・デンジャーキッドの登場です!』

 注目が集まる中、ステージには坊主頭に上裸の巨漢が姿を現した。キッドと呼ぶには歳をとりすぎているようにも見えるが、両手に一台ずつ握ったチェーンソーを軽々と掲げれば、観客からはさらなる歓声とどよめきが同時に起こった。

 デンジャーキッドは音楽に合わせてチェーンソーを動かし、ドッドッドというエンジン音を響き渡らせる。

そして不器用にウインクすると、一台目を高く放り投げた。若干の悲鳴が聞こえる中もう一度ウインクしては、そのまま二台のチェーンソーでジャグリングを始めてしまった。

 どよめきは驚きの声に変わり、驚きは喝采に変わる。ハーハッハー!と高笑いをしながらチェーンソーをものすごい勢いで回すデンジャーキッドに、観客たちは何度も拍手を送った。すげえ!なんだありゃ!オーマイガッ!と、熱狂の声も次々とステージに向けて送られる。

 『さあ続きましては、カミソリでジャグリングをする老人!』

 クリスティーナが次のパフォーマーの名を呼ぶ。すると、立派な髭を生やして僧侶のような格好をした老人が、手を振りながらステージに現れた。

老人はカミソリを指に挟んで見せながら座禅を組むと、数本の刃を使って素早くジャグリングしてみせた。

 チェーンソージャグリングを終えたデンジャーキッドは一礼して舞台から下がる。エスニックな音楽とともに老人はスピードを上げていくが、キッドと比べると派手さに欠けるためか、客席からの歓声は少し小さいようだった。

 「おいまたジャグリングだぜ。それも、今度は爺さんがだ」

 「さっきの男の方が派手だったな。こんなのを見てどうすりゃいいんだ?」

 何人かが不満の声を漏らし始めたのを見ると、ドグはため息をついて、サクラ用の台詞を吐いた。

 「オイ、見ろ!段々髭が薄くなってくぞ!」

 ドグの声を聞いた客たちの注目が髭に集まると、老人はニヤリと笑った。

一見すると少々危なそうな程度のパフォーマンスだったが、実は老人はジャグリングしながらカミソリの刃をスライドさせ、少しずつ髭を剃っていたのである。さらにスピードを上げていけば、みるみる髭がなくなった。

 本当だ、すげえ!なんだありゃ!オーマイガッ!などと再びの歓声が起こり、『カミソリでジャグリングをしながら髭を剃る老人』は、笑みを浮かべながらお辞儀した。曲が終わる頃には、立派に生やしていた髭は綺麗さっぱりなくなってしまっていた。

 「あの人、この後のパフォーマンスはどうするんだろう」

 どこからか疑問の声が上がったが、そこはサーカスの不思議な魔法と呼ばれる領域の話であり、次のパフォーマンスのときには何事もなかったかのように元に戻っているのである。

その後も奇天烈なパフォーマンスに熱狂する客たちを見て、ドグはこれぞサーカスだなと笑った。だが同時に、迫りくるルーディの出番に嫌な予感を膨らませてもいた。

 公開リハーサルを観る客たちは中々にいい反応を示してくれてはいるが、期待外れのパフォーマンスを見せれば、辛口になって野次を飛ばしてくるタイプの客も見られる。

もしそんな客に怒鳴られたらルーディの心が折られてしまうのではないかと、ドグは近くにあったスプリンクラーのスイッチに手を伸ばす。万が一の事態になったときに、水道の不具合に見せかけて無理やりにでもリハーサルを中断させるためである。

そんなドグの心配を気にもせず、サーカスは盛り上がりを高めながら進んでいく。

 『……以上、ワルツを踊りながら花火を振り回す双子の姉妹、でした!さあ次は、期待のルーキーの登場です!』

 いよいよルーディの順番が訪れれば、ドグの表情はさらに強張る。北欧神話を元にしたミュージカルのテーマ曲が流れると、ドラムロールとともに、紫色のスポットライトが登場ゲートを照らし始めた。

 「オイオイオイ、随分と派手にやってくれてるじゃねえか。よりにもよって準備がいいな!」

 そう漏らしながらドグは客たちの様子を見る。いかにもミステリアスそうな紹介に、ますます次のパフォーマーを楽しみにしているようで、どうかその熱烈な視線をアイツに向けてくれるなとドグは焦った。

 司会者クリスティーナは声のトーンを落として、『鬼人の子』の謳い文句を語り始めた。

 『キリストは奇跡の力で、水を葡萄酒に変えたと言われています。これから皆様がご覧になるのも、同じように奇跡を引き起こす、とある少年のパワーです。ですが東洋の伝承ではこうも言われています。奇跡の力とは、災いを運ぶ鬼の力もなり得る、と』

 やけによく練られた紹介文に、客たちは静まり返って耳をかたむける。ちょうど様子を見に来たのか、腕組みしながらステージを見つめる団長ランジェナも、ドグの近くに立った。

 畜生。やけにデラックスな登場にしやがって。リハーサルのくせに演出も完璧じゃねえか、ふざけんな!ルーディの野郎は大丈夫かよ!

心の中で文句を叫びつつ、ドグの焦りはピークに達する。

『さあ彼が皆様を誘う先は、ご来光に照らされし神秘の世界か?それとも邪鬼の領域か?人智を越えた超能力を、その目にお焼き付けくださいませ……鬼人の子!ルーディ・アイビード!』

 クリスティーナが名前を呼べば登場ゲートの幕が開く。そして、エジプトの神官を模した白布の衣装に身を包み、第3の目や赤い涙まで顔にペイントしたルーディが、キャットウォークをしながら姿を現した。

 頭にも何やらエキゾチックな柱型の帽子を被っており、小柄な体には不釣り合いなコスチュームだとドグには思えた。だが観客たちは一斉に拍手を送っては、この『鬼人の子』はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだと、ステージの上に視線を送り続けている。

ドグの心配に気づきもしないのはルーディも同じだった。

ルーディはローブのように羽織った衣装を地面に引きずりながら、舞台に歩みを進める。目を細めて胸を張っては、まるで巫女や祭司にでもなったかのように、すり足でステージの中央に立とうとした。

だがちょうど中心に着く直前で自分の衣装を踏んでしまったようで、一瞬姿勢が崩れて、前のめりに倒れ込みそうになった。転ぶ寸前になったものの、バランスをとって体制を建て直し、ルーディは何とか中央に辿りついた。

間抜けに写ってしまったのではないかとドグは周りの反応を見たが、これはこれでギャップがあってウケたのか、観客たちは笑顔を見せていた。だがランジェナだけは少し不機嫌そうに目を合わせてきたため、ドグは慌ててステージに目線を戻した。

頼むぜルーディ!頼む!俺らの首がかかってるんだからよ!

 ドグは心の中で叫ぶ。ルーディはゆっくりと目を開くと、ショーを始める合図として、両手を高く上げて人差し指を立てた。

客席がもう一度静まり返る。ステージには先程ドグが用意した葡萄ジュースの樽が置かれており、ルーディは少しふらついた足取りで樽に近寄ると、衣装の中からワイングラスを取り出した。

ドグが固唾を飲んで見守る中、ルーディはワイングラスを樽の中に入れて、葡萄ジュースを1杯分すくい上げる。そしてゆらゆらと揺らしながら、グラスを客たちの方に動かして見せた。

「アイツはワインを水に変えるってのか?」

「そんなことしたって誰も喜ばないわ」

 ルーディが視線を集める中、客席からは様々な声がこぼれた。ルーディはもう一度人差し指を立てて、静まるようにとジェスチャーを送る。ドグは緊張しながらも、さあ始まるぜと息を呑んだ。

ルーディはグラスの真上に右手を添えて、何かを念じるように指を動かした。少しの間は何も起きないままだったが、しばらくすると葡萄ジュースの内から、ポコポコと奇妙な泡が浮かび始めた。

「なんだ、泡か?」

「サイダーでも作るのかしら」

「なんか大したことないな」

 派手さに欠ける絵面に、肩透かしを食らったように客たちは冷笑を浮かべている。ルーディは気にしない様子で深く呼吸をすると、指をパチンと鳴らした。

すると、葡萄ジュースの表面がぽこっと膨らみ、紫のシャボンが生まれたかと思えば、小さな風船のようにグラスの中から浮かび上がった。

その後も小さなシャボンが、葡萄ジュースから生まれていく。シャボンたちはルーディの周りを囲むように宙に漂い、意志を持ったかのように動き出した。

ジュースから飛び出した紫のシャボンの群れは、そのままステージのあちこちで浮遊する。ルーディが手を動かせば、そのうちの1つがスピードを上げて客席の方に近づき、客たちの頭上を飛んだ。意思が宿ったかのような素早い軌道だ。

もう一度グラスに手をかざすと、ルーディはさらにシャボンを飛ばす。ほとんどがシャボンとなって飛んでいったことで、グラスの中のジュースはみるみる少なくなっていった。

客たちは驚き、ファンタジーな光景に目を奪われた。葡萄ジュースから生まれた10つのシャボンは、ルーディの手の動きに沿ってステージの中央に集まると、合わさって一つのシャボン玉となった。

そのままジュースの塊は、ゆっくりとワイングラスの中に戻っていく。ステージの上が元通りになれば、拍手がステージを包み込んだ。

ルーディは一礼しようと前に出るが、その拍子にバランスを崩し、ワイングラスを離してしまう。グラスがルーディの手から落ちれば、客席からはあっと声が上がった。

だがすぐに客たちの驚きは、2度目の大きな拍手に変わった。グラスは地面に落ちてしまったが、中に入っていた葡萄ジュースは、奇妙にもシャボン状のまま空中に留まり続けていたからである。葡萄ジュースのシャボンはまるでクラゲのように、ルーディの頭の少し上を漂った。

まさに、種も仕掛けも見当たらない奇術だった。なんだありゃ!?すげえ!!オーマイガッ!!と、客たちは圧倒される。ルーディは少し体を起こし、今度こそ頭を下げて一礼した。ルーディがわざとグラスを落としたのかはわからないが、

「ったく、ヒヤヒヤさせてくれるぜ」

と、ドグはやっと一息ついた。

 ちょうどドグと、ステージ上のルーディの目が合う。ルーディは強気な目を見せると、もう一度ゆっくりと両手を掲げた。すると後ろに置かれていた樽から、さらに大きな葡萄ジュースのシャボンたちが、次々と浮かび上がり始めた。

シャボンの群れがあっという間にステージを埋め尽くす。ルーディが手を動かせばいくつかのシャボンは引き伸ばされ、バルーンアートの犬のような形に変わった。ステージから客席の上を飛び回っては、ルーディの肩に乗るものもいる。

「あ、ありゃ、どうなってんだ?」

 1人の客が思わず声を漏らす。呆気に取られているのはどの客も同じようだ。

拍手をするのも忘れて、空中を動き回るシャボンや、紫のトイプードルに目を奪われている。手を伸ばして触れようとする子どももいた。それほど幻想的な光景が、ステージに広がっていたのだ。

「と、とても手品には見えない……なあ君!あれは一体どんな仕掛けなんだ?」

近くにいた白いコートの男が、ステージを呆然と見つめつつもドグに話しかけてきた。男は何度も眼鏡をかけ直してはワイヤーや仕掛けがないか確かめており、しばらく言葉を失うほどに驚いていたようである。

「タネを教えてくれないか?100ドルでどうだ?」

「桁が足りませんなぁ旦那!それにタネなんてありませんぜ?『鬼人』の力は、正真正銘!本物の力だ!」

ヒヒヒヒと笑ってドグがそう返せば、男は仕方なさそうに財布をしまって引き下がる。だがステージの方を見直せば、ルーディの姿に再び声を失ってしまった。

ルーディのパフォーマンスは続く。サーカスらしいブラスミュージックが流れると、ルーディはシャボンたちを集めてもう一度ひとかたまりにした。

さらに指を鳴らせば、今度は楽器の形をしたシャボンたちが、大きなシャボンの中から姿を現し始めた。もちろん実際に音を出しているわけではないが、トランペットやトロンボーン、ドラムやバイオリンなどの楽器型のシャボンは、リズムに合わせて跳ねながらステージに並んでいく。

ルーディは指揮者のようなポーズをとる。ステージはさながら、葡萄ジュースでできたシャボンの音楽団が登場したかのようだった。客席からは三度の拍手が巻き起こった。

しかし、不意にドグから離れた位置から、男の荒い声が響いた。

「大したことねえなぁ!」

ドグやランジェナを含む、客席にいる全員の視線が声の主に向けられた。声の主は若干小太りの男で、バンダナを巻いてレザーのジャケットを羽織っている。朝から飲んでいるのか片手にはウイスキーの瓶を握っていた。

「ハエも眠っちまいそうなくらいガキっぽいパフォーマンスだ!派手さも全くねえ!それに仕掛けだって見え見えだぜ、風船を膨らますチューブが見えた!」

男は酒を飲みながら野次を飛ばす。周りの目を気にする素振りも見せていない。ワイルドなバイカー的な身なりからして、チェーンソージャグリングのような派手さがないパフォーマンスに、不満を感じているらしかった。

畜生、昼から飲んだくれてるスットコドッコイのくせにふざけたことを言いやがって。こんな奴にまともな目と脳みその持ち合わせがあるわけがねえ。

ドグは心の中で文句をつぶやきながら、客席の後ろを通って男に近づく。ランジェナの指示がなくとも、興を冷ますような輩はとっとと追い出すのが彼の仕事である。乱暴な言葉を吐き続ける男を止めようと手を伸ばしたドグだが、別の者が発した声に止められた。

「いいでしょう。もっと派手なのをお見せしよう」

ドグは驚きながら舞台の方を見る。貫禄のある口調でそう言い放ったのは、ほかでもない、ステージに立つルーディだった。口角を上げたルーディは、観客の方も少々呆気に取られる中、少し前の方に動いて男に再び声をかけた。

「そのお酒のボトルはどこで買いましたか?」

「あ?これか?今朝スーパーマーケットで買ったもんだが?」

男のズボンにかけられたウォッカのボトルを指さしながら、ルーディは問いかけた。男は何故そんなことを聞かれているのかわからない様子で答えた。

「OK。つまりそれは完全に、タネも仕掛けもないお酒のボトルってことだ」

ルーディは意味ありげにそう言うが、男の方はまだ理解していないようである。だが、男が持っている酒のボトルを使ってパフォーマンスをするつもりだと察したのか、ホルダーからボトルを外し、ルーディに差し出そうとした。

しかしルーディは「そのままでいいです」と言って止める。そして手を真っ直ぐ伸ばすと、酒のボトルはひとりでにがたがたと震え始め、男の手をふわっと離れて浮いた。

「何だと!?」

男が驚きの声を上げるのとほぼ同時に、酒のボトルは、ルーディの方に吸い寄せられるかのように飛んだ。ルーディは笑みを見せながらキャッチする。背後では依然変わらず、楽器型のシャボンたちがリズムに合わせて揺れている。

「これだけじゃまだ、派手さが足りないでしょう?」

そう言ってルーディはボトルを放り投げる。そして手を伸ばすと、酒のボトルはちょうどステージの真上でピタッと制止し、男を含む観客全員の視線を集めた。

もう一度ルーディが両手を掲げる。するとボトルに入っていた酒が、ボコボコと音を立てながら膨張し始めた。ボトルも不自然に膨らみ、今にも破裂しそうになっていく。

それを見てランジェナが指示を出せば、スピーカーからはドラムロールが流れ始めた。ステージ裏のマチャティが即興でドラムを叩いているらしく、ルーディは一瞬振り返って嬉しそうに目配せする。

ドラムロールが激しさを増すとともにボトルは膨れ上がったようになり、その中で酒のシャボンは、弾むように暴れ始めた。観客は口を閉ざしてボトルを注視し、革ジャケットの男もすっかり言葉を失っている。

ドラムロールが終われば、ルーディは両手を力強く握った。その瞬間、ボトルの栓がはじけ飛び、入っていたウォッカも、空を目掛けて一気に噴き出した。すぐさまルーディが右手を開けば、水の塊は花火のような形のまま空中に留まり、日の光を反射させながら輝いた。

「凄いぜ。マジのマジックだ」

客席のどこからか感動の声がつぶやかれた。

ルーディは両手を上げてポーズをとる。観客からは今までで1番の歓声が上がり、革ジャケットの男も脱帽したように拍手を送っていた。

ドグも同じように手を叩く。彼からすれば何度も見たパフォーマンスではあったが、何度見ても変わらず、ルーディの力は彼を圧倒していたのである。

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