格闘と決意

ゆっくりと教室に入った俺の目に最初に飛び込んだものは、先ほどの日野下と同じ状態の楠木がいた。楠木の顔は腫れあがっており、見るからに悲惨だ。おそらく俺が出て行った直後に制裁が始まったのだろう。宮崎のイスを持ち出したのは俺だし、諫める楠木を無視したのも俺だ。ここは責任を取って救わなければなるまい。


「おい、宮崎。契約のよしみでそいつを放してやってくれや」

「あはぁ、まぁた君かぁ。どぉうしていつも邪魔をするんだい?」

「言ったはずだ。そいつは俺の友人だ」

「友情かぁ、いいねぇ。おれもぉ君の友達にぃなりたぁいなぁ」

「結構だ。遠慮しておく」


俺は少しずつ殺気を強めていく。宮崎にはホワイトナイトがいるが、俺にはいない。だから、俺から率先して喧嘩を始めれば確実に停学か退学が待っている。しかし、みやざきから始めれば話は別だ。俺は仕方なく身を守ったただの人間になる。

よし、大体の方針は決まった。徹底的に挑発して、向こうに火蓋を切らせる。


「ところで、こんなに言っているのに放さないんだな」

「もぉちろん。君は鶴じゃないからねぇ」

「教養あるじゃねえか」

「それはぁどうもぉ。とにかぁく、おれは放さないからぁねぇ」

「いや、放せって言ってるんだよ……」

「ふふぅん、ならばぁ放そぉうかなぁ」

「ありがたい。ところでおまえって実は小物なんじゃないのか?」

「ふぅむ、興味ぶかぁい。詳しぃく聞かせてよぉ」

「いいさ。まず、おまえは常に舎弟を引っ提げて歩いている。これは要するにおまえだけじゃ何もできない証拠だ。次に、この場は舎弟が盛り上げている。つまり、お前ひとりじゃ何もできな……っ」


いきなり宮崎が飛び蹴りをかましてきた。やっぱりな。こういう類の奴らはプライドが無駄に高く、実力に見合っていない。あえて俺は蹴りを上品に受け流すと、置いてけぼりにしていたレトルトパックと割り箸を回収する。その行動に余計に腹が立ったのか、パンチが何発も繰り出されてきた。しかし、甘いな。日野下の時もそうだったが、何故こんなに最近の世代は弱いのだろうか。


「危ないだろ」

「おまえがっ、悪いんだよぉっ」

「その口調はいつまで持つんだろうな」


俺は少し飛ぶと、思い切り壁を蹴ってロケットのようなスタートダッシュを切る。物理の考え方を生かした俺の攻撃は一撃一撃が命取りだ。

すぐに宮崎の懐に潜り込んで攻撃を始める。主な攻撃手段はボディブローだ。それを察知した宮崎はすぐに腹筋に力を籠める。おいおい、ブラフって言葉知らないのか?

予定通り鳩尾への軌道を描いていた俺の拳は軌道が一気に変わり、顎をめがけて突き進む。あまりの速さに宮崎は対応ができなかった。

とはいえ、このまま本気でパンチすれば宮崎は確実に致命傷を負う。だから、威力を小さくして優しくパンチしてあげた。


「ッッッグァ」

「おお、いい声だ」


数メートルパンチの衝撃で後ずさりした宮崎の顎は赤に染まっている。素晴らしい芸術品だ。この作品を『憂鬱な宮崎』と名付けよう。だが、宮崎はここで終わるような奴ではなかった。口角が緩むと、乾いた笑い声で笑い始めた。


「ハッハッハッ。おれをここまぁで追い詰めるぅとはぁ、なかなぁかやるねぇ」


その笑いは、純粋に戦闘を楽しむ感情から来るものだった。しかしそれは俺も同じだ。俺も笑いこそしないが、戦闘を楽しむ感覚はある。


「とりあえず、勝負の楽曲を決めようか」


ボコされた楠木を回収して止血しつつ、話し合いを始める。宮崎の口からは、想像だにしない曲名が出てきた。


「リストの‟鐘”を演奏しようじゃぁないか」

「いちいち和訳せずに‟ラ・カンパネラ”って言えよ……」

「よぉく分かっているじゃぁないかぁ」

「常識だろ。まあいい。名前しか聞いたことがないが、やってみるさ」

「随分とぉ、自信家なんだねぇ。怠惰な奴ってぇ、聞いたんだぁけどなぁ」

「そりゃどうも。それじゃ、今から練習するから、またな。」


「ここは見逃してやろうじゃぁないの。君はぁ、面白ぉいやつだからぁねぇ。」

「感謝する。じゃあな」

宮崎の気が変わらないうちにと、俺は楠木を背負ってそさくさと教室を出た。


「大丈夫か、楠木?」


人通りの少ない場所まで歩いてから俺は楠木に声をかけた。楠木は腫れあがった頬に手を当てつつやっとのことで口を開いた。


「痛かったけど、何とか大丈夫だ」

「そうか、ならよかった」

「心配してくれてありがとう」

「いや、俺のせいでそうなったも同然だ。謝る。ところで、なぜ宮崎の口から怠惰という言葉が出てきたのか、それについてなにか知ってるか?」


楠木はその言葉を聞いて肩をすくめていって。


「いや、俺は知らないな。けど、北斗くらいの怠け者なら風の噂で知られててもおかしくはないよな」

「そんな冗談を飛ばせるなら怪我の方は大丈夫そうだな。」


俺はその場に楠木をその場に残し、走って教室に戻った。とりあえず、今日は帰ったらラ・カンパネラの練習をしなくては。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る