早退と横転

 教室に戻ってから、これからの計画を考える。やるべきことは、ラ・カンパネラの練習、宮崎陣営の破壊だ。宮崎陣営には宮崎製薬も含める。一連の計画(宮崎陣営の破壊)で最後に立ちはだかるのは宮崎製薬になる。大将を潰すのは後にして、先鋒たちを何とかしなければなるまい。


 先ほどの騒動から、宮崎はその手の輩らしくプライドが高いことが分かった。先鋒を麻痺させるために、宮崎の心をズタボロにするのが最善だろう。そうと決まれば、あとは行動に移すだけだ。前言った通りラ・カンパネラは一応弾けるが、宮崎は都のコンテストで8位とか言っていたから、完成度を更にあげなくては勝てないだろう。早退して家にあるピアノ(とはいっても電子ピアノだが。)で練習に移ろう。

 すぐさま俺は立花の席に向かう。立花は自分の席で昼食をとっていた。いつもは仲の良い友達数人と一緒なんだが、どうやら今日は1人で食べたい気分のようだ。これは好都合だな


「輪ゴムを貸してくれ」

「何を言い出すかと思えば……っじゃなくて、どうしたんですか?」

「―――はあ。そうか、そういえばそういう設定だったな」


 立花と俺は表向きには赤の他人ということになっているんだったな。


「それで、用件は何ですか?」

「最初に言ったとおりだ。輪ゴムを貸してくれ」

「……分かりました。何に使うか知りませんが、早退はしないでくださいよ?」


怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

本当にエスパーじゃないのか?俺の中の疑問は確信に昇華しつつある。

それは置いておいて、何故立花は俺がピアノの練習のために帰ろうとしているのが分かったんだ?人前で大声で話すのは避けたいので、立花に顔を近づけて囁く


「何でおまえがを知っている?」

「単純な話だよ?楠木君から聞いた」

「だとしても、何で早退がいきなり出てくる」

「だって、なんだよ?私がピアノを教えるまでドレミの鍵盤の位置すら知らなかったあんただよ?早退して必死こいて練習しようってんでしょ?」

「ぐ、ご明察」


 ちなみにここだけの話、楠木は立花とかなり仲がいい。彼らのやり取りは仲睦まじい。見てるこっちの目の保養と耳の保養になる。


「それじゃ、貸してくれ」

「はぁ、今日はあんたの家に行くからね。私に教わったほうが素人さんにはいいと思うけど」

「んじゃ、そうするか。というか、おまえよく男の部屋に堂々と来れるよな」

「懐に小刀入れてるしね。もしもの場合に備えて、ね」

「いやこっわ」

「まああんたはそんなことしないんでしょうけど」

「そうだな。ところで、曲名はもう聞いたか?」

「うん。よくあんな難しい曲を弾く勝負に乗れたよね」

「何かめっちゃ刺さるんだが」

「ふふ。ほら、練習が長引いても困るし?輪ゴムあげるから早退して練習でもしてなさい」

「はいよ。しっかしその性格は変わらないんだな」

「あ、私喉乾いた。ティーポットに行ってくるね」

「あ、無視された」


 立花はシャキッと立ち上がると、すたすたと歩いて行ってしまった。立花とはもう長い付き合いになるが、基本的に俺には冷たく接している。にもかかわらず、俺が困ると何か理由をでっちあげて助けてくれる。立花とは楽しくやっていきたい俺は何回か温かく接してくれるようにお願いしたが、いつもの無慈悲な声に却下された。そこが可愛いからいいんだが。

 ちなみに、俺の学校は各教室にティーポットが1台置いてある。すべての季節で、適温の水やお茶を飲めるようなスグレモノだ。今回の早退に関して、こいつには大きなお世話になる。頼んだぞ、ティーポット。

 教室にあまり人が居ないことを確認してから、ティーポットで紙コップにお湯を注ぐ立花に声をかける


「俺の分も入れてくれよー」

「んもう、分かったよ」

「助かる。またよろしくな」

「次はないからね⁉」


 会話を楽しみつつ、俺は立花のカバンから勝手に大量の輪ゴムを取り出した。一体こいつは何を考えてこんなに入れてるんだ?輪ゴムを1個1個丁寧に束ねて平べったくすると、頬をそれで擦り始める。摩擦によって少しチリチリするが、早退のためならば必要な犠牲だ。両方の頬を全力で数十秒擦った後、追加で立花のカバンから手鏡を取り出して、自分の顔を確認する。うむ、よろしい。熱を出した時のように真っ赤だな。次に額を擦る。擦ること数十秒、俺の額は真っ赤になった。うし、よく頑張った。すると、遠くからそれを眺めていた立花が近寄ってきて―――。

 バシャッ。

 俺は頭から、立花に冷水をかけられた。いったいどうしたんだ、こいつ。


「いきなり水掛けるのはよくないぞ」

「それ中学の時に泥水かぶせてきたやつが言えるの?」

「おい!人前でそれは言わない約束だろ!?」

「あ、そうだったっけ」


 人前ではプライベートな話はしないと約束しているのに、黒歴史を大声でさらけ出しやがった。しかも昼休みの最中にだぞ?案の定、刺々しい視線が次々に飛んできた。痛いからやめて?こいつだって色々俺にしてきてるんだよ?そう言いたいが、人気度がまるで違う。俺は相手にもされない話だ。立花と俺じゃ、こんなにも違うのか。

 改めて認識しつつ、水をかけた立花を恨めし気に睨む。あとで復讐するからな、絶対。待ってろ。


「はいはい、そんな怖い顔しないの。ほら、ご注文の品」

「ありがとよ」


 会話はすぐに至近距離に戻り再開される。


「温度は?」

「60℃」

「おお、そこまで考えてくれてたのか」

「もちろんでしょ。早く帰って欲しいしね」

「なんか酷くね!?」


立花はそっぽを向き、俺にぬるい水が入った紙コップを渡す。俺は胸ポケットから体温計をさっと取り出し、お湯に先端を浸ける。メーターに表示される数字はみるみる上がっていき、40℃を突破した。この状態を保ったまま保健室へ向かうとしよう。

ドアを開けて全力疾走し、保健室へたどり着く。その後は養護教諭との事務的なやり取りをした後、俺は早退した。

学校を出ると、体に倦怠感があった。追加で、頭も痛い。今は冬だから、この症状は風邪かインフルエンザだろうな。俺は何故発症したのかを考える。発症した理由が分からないが、数分間の記憶の巻き戻しの後理由を悟った。

3日前の日曜日、俺は立花の1人暮らし始まり記念とあわせて立花の家族と家具を買いに出かけていた。場所は新宿の家具ストア『ニトロ』だ。ニトロで買い物をした後、俺たちはレストラン『ヤサイゼリー』に行った。そこでボックス席のような席に座ったんだが、その後ろの席にいたおっちゃんが恐ろしい勢いで咳をしていた。

恐らくそれだ。と言うかそれしかない。恨むぞ、おっさん。

 あの勢いで咳をすることに恐れを抱きつつ、住んでいるマンションに着いた。俺は高校生だが絶賛1人暮らし中だ。エレベータに乗って17階のボタンを押す。その後しばらく沈黙の時間が続き、17が書かれたボタンが点滅した。ドアが開くなり部屋に向かって猛ダッシュをすると、隣の1728号室を過ぎて1729号室に到着する。鍵を差し込んでドアノブをガチャガチャと回し、ドアを開けてローファーを脱ぐと、俺はそのままたおれた―――。


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