遅刻と採点

非常な努力をした俺は無事に遅刻せず学校に登校した。下駄箱にローファーをしまい、上履きに履き替えると教室に向かう。ゆっくりと1段ずつ階段を上っていると、大急ぎで降りてくる友人の柴崎寛太と遭遇した。

「うっす。おまえいつも通り遅えなあ」

「怠惰なもんでね。ま、間に合ってるから大丈夫だろ」

「そうかそうか、そうか。ところで俺が降りてきた理由、分かるか?」

「さっぱり。お前が自主的に挨拶運動に参加することもないだろうしな」

 俺の高校では毎朝、有志による挨拶運動が行われている。冬の早朝から立って挨拶をする俺の友人、岬隼のような勤勉な生徒もいれば、俺みたいに一度も参加しないやつもいる。なんで俺が参加しないかって?そんなのもちろん、面倒だからに決まってるだろ。

「で、結局答えは何なんだ?」俺が訊くと、

「「詮索するな」ってな。と言う訳で秘密だ」

「秘密主義者め。この恨み、晴らさでおくべきか‼」

秘密主義者との会話に終止符を打ったのは学校のチャイムの音だ。それは俺にとって、地獄の始まりを意味する。何故なら、今のチャイムが鳴るまでに教室にいないことが遅刻を意味するのだから。俺の虚無感を感じ取った柴崎がニヤリと不敵に笑みを浮かべた。

「もーしかしてぇ、遅刻しちゃったのかなぁ?」

柴崎の憎たらしい声に俺の中の怒りは静かに高まっていく。そして、柴崎の笑い声とともにそれはピークに達した。ゲラゲラと笑うっ先に軽蔑の視線を向け、感情のない言葉を吐き出す。

「うるさい。とっとと教室に戻ったらどうだ?」

そんな俺を見て柴崎はぴたりと笑うのをやめ、短めのため息をつくと降りてきた時と同じ猛スピードで階段を昇って行った。ったく、何を考えているんだか。気を取り直した俺は、遅刻という現実を見ながらトボトボと階段を上り、重い足取りで教室の引き違い戸を開ける。

「すみません、遅刻しました」

軽く頭を下げつつ、ゆっくりと自席に歩み寄る。

「ついに一条も遅刻したか。いつもはギリギリなのにな」担任教師が言った。

「自分でもさっぱり遅刻した原因が分からないんですよ」

ふと横目で柴崎に視線を向けると、シニカルな笑みを顔に貼り付けていた。いや、遅刻したのお前のせいだからな?俺は笑う柴崎に内心でツッコミを入れつつ、席に座る。

「やっほ。今朝ぶりだね」

隣に座る少女、立花から言葉が飛んできた。お前も遅刻の原因だからな?恨めし気に心の中でツッコミを入れて応答する。

「ああ、今朝ぶりだな。ところで、ついに学校でも俺に話しかけるようになったか。成長したな」

「うっさい」

「とりあえず、数学のテストっていつあんの?」

「はぁ、時間割も確認していないわけ。特別に教えてあげるよ、1限、だよ」

立花の口から出た言葉に脳がフリーズする。ん、ちょ待て、い、1限?聞いてないぞ?それ事前に教えてくれない立花も卑怯だよな?

対策の時間無いじゃないか。まあいい、数学は得意科目だ。絶対にジュース奢ってもらうからな、覚悟しとけよ。とはいえ、立花も勉強はめちゃくちゃ出来る。あいつの異常なまでの努力を間近で見てきた俺にはわかる。凡人では、あいつに、守屋立花に勝つことは絶対にできない。それは、今までのデータが示している。そこで、一限の始まりを知らせるチャイムが鳴り、数学教師が入ってきた。

「はーい、じゃあ数学の抜き打ちテスト始めるぞー。みんな準備してきたな?」

笑いながら数学教師が言う。抜き打ちだなんて支離滅裂なことを言っているが、抜き打ちなのは俺にとってだけだ。立花によると事前に数学の小テストの実施は告知されていたらしい。もちろん、その間に俺は惰眠を貪っていたので、知る由もないが。クラスメイトの四ツ谷海斗が俺に声をかける。

「授業中居眠り委員会委員長、勉強はしてきたのかな?」

「もちろん、やっているわけがない。やらないのが、委員長の使命だ」

「さすがっす‼ちな、裏切るようで悪いけど俺はやってるよー」

「この似非副委員長が‼」

授業中とは思えない大声に数学教師の坂東が反応する。

「おい、そこうるさいぞ。この居眠り常習犯どもめ」

坂東は笑って流しているが、それは生徒たちとの親近感によるものだ。ほかの教師は委員会の会議(居眠り)を認めないし、内職も認めない。坂東も内職は禁止としているが、成績をある程度取れるなら見逃してくれる。ちなみに四ツ谷は授業中ほとんど寝ているが、試験では学年でも指折りの成績を残す秀才だ。試験が回ってきたので、俺は席に向き直った。


坂東が試験終了の声をかけたところで、俺は意識を覚醒させた。10分ほど余ったので、惰眠を貪っていたからな。さて、覚醒をした俺を待ち受けるのは、交換採点だ。坂東は隣のやつと交換して採点させる形式を採用している。そしてなんともまあ残念なことに、俺の隣は立花だ。視線を立花にやると、立花はジュースの獲得を確信したのか、体ごと小さくリズムを刻んでいる。あのリズムとかすかに聞こえる鼻歌から察するに、立花自作の『ピアノ初心者Iくんのための練習曲 2番』だろう。立花は自身でピアノの曲を作っている強者で、作った曲を簡易化して俺にピアノを教えている。今の2番は本来はベートーヴェンの『月光 第三楽章』レベルの難易度だ。ここだけの話、俺はフランツ・リストの『ラ・カンパネラ』を耳コピで弾けるが。そんなことを考えながら立花の答案に丸を書き込むだけの作業を進めていると、最後の問題までつけ終わっていた。まあこいつは見るまでもなく100点を取っているだろうけどな。答案を振り返ってみてみると、案の定立花の点数は100だった。流石というかなんというか、ほんとストイックだな、こいつ。俺と立花の答案はすべて一緒だったので必然的に俺も満点になる。負けを回避したことに喜びつつ、立花を見ると、100点という数字をつけたくないのか、頭を抱えていた。本当に可愛いな、こいつ。さて、答案用紙を返しますか。

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