結論から言う。僕はこの話を二周した。
そして、この七十万文字を全身に浴びるだけの価値があると思った。
だから、僕は今このレビューを書いている。
まずはじめに、この話の一番面白いところは、高校生の青年と、歳をとったアラサー男二人の人生を見比べられるところだ。
高校生の光はある日、自転車に乗った女子高生のノーパンを目撃する。これがきっかけで、女子高生やそれに繋がる人たちとの縁ができ、涼宮ハルヒを読んでた人には懐かしい青春学園生活が幕を開ける。
この部分は何気ない日常がギュッと詰まっているのだが、一番ラノベが楽しかった時期の質感が残っていて、ずっと読んでいたくなる居心地の良さがある。
そしてアラサー非正規男の結城は、ソープ嬢のアイに恋をしてしまっている。青春とは真逆の、どろどろした大人の痴情。
しかし作者の技量もあって、読んでいて苦しさは感じない。それどころか、素直に男の弱さを開陳してもらっている手触りがあり、友達と飲みに行って、風俗で失敗した笑い話を酒の肴に聞いている感じがある。
日常の中で小さな失敗や成功をしながらも、自分なりに生活を続けている。そんな小さな男の話。
この話は、甘酸っぱい青春を送る高校生と、冴えない日常をソープ嬢に溶かす、二人の男のよくある話だった。
はずだったのだ。
この話は、UMAという存在で全てが覆る。
皆さんはUMAと聞くと、ツチノコとかネッシーとか、都市伝説で見るパンダ程度の生き物のイメージがあるかもしれない。無害で、麦わら帽と虫取り網に追い回される裏山の珍獣。
この世界。いや、岩田屋町に潜むUMAは違う。
UMAは人間の上位存在として、平たく言えば人間を滅ぼす絶対性を持った神様として、彼らの日常に寄り添い続けている。
全く過言ではなく。ごく自然に、いつの間にか、UMAに日常は侵食されていて、気づいた時には彼らは崖の上で選択を迫られている。
非日常で、彼らはどういう選択をするのか。そして彼らはまた日常に戻れるのか。
熱量が半端ない異能セカイ系ラノベ。
是非、読んでみてください。
いったい誰が幸せなら〝ハッピー〟エンドなのか……。
本作を読んで最初に浮かんだのはUFOの夏を過ごした人たちだけが頭を悩ました設問でした。
本作『僕はあの子に蹴られて』UFOの夏ならぬ、UMAの夏だったと言えます。
この夏に暴れたUMAは本作のプロローグで以下のように言及されます。
ーーまさに神代の獣ですよ。私たちの常識を遥かに超えた存在です
実際、作中でUMAが暴れまわる後半では文字通りの常識を超えた展開を見せ、世界滅亡の危機にまで瀕します。
さながら、ゴジラ映画です。
小説でゴジラのような大きなものを動かすと陳腐になりがちですが、本作は作者の情景描写が巧みなため常に緊張感と迫力を維持しており、この圧巻なバトルシーンだけでも本作を読む価値があると僕は太鼓判を押したいです。
また、そんなスケール感を持ちながら『僕はあの子に蹴られて』は新海誠的なポスト・セカイ系作品の側面も持っています。
叙情的な男女の物語。僕と君のセカイを前半で丁寧に描き出します。ただこの時、作者は登場人物に対して綺麗事は描かず、人間らしい醜さと弱さもセットにして一つのセカイを構築しようとします。
象徴的なのは主人公の一人、結城未来です。
彼は役場で働く非正規雇用の27歳。これまで恋人はいたことがなく、物語の冒頭ではソープランドでサービスを受けています。
更にヒロインはそのサービスをしている風俗嬢のアイで、名前の由来は「Iカップのアイ」で、終盤まで「アイ」はアイのまま、その名で呼ばれ続けます。
と書くとなかなかシュールな内容に思えますが、こちらも作者の力量の高さで、とんでもなく熱い展開を後半に見せてくれます。
あくまで、本作に登場する人物たちはキャラクターです。
しかし、人間としての不都合を無視はしません。そういう点において、本作を僕は一つの挑戦作として捉えました。
その挑戦が必ずしも読者にとって読みやすく、分かりやすい物語になっているかと言えば、疑問もあるかも知れません。
ただ、人間には性欲(やそれに類する欲望)はあるし、咄嗟に合理的な判断はできない。考えてみれば当たり前のことです。
そんな当たり前を踏まえた上で、面白い物語を作るのだ、と。
本作にはそのような気概を感じます。
仮に面白い物語(小説)が砲丸投げみたいな、どこまで遠くへ(物語/読者を)飛ばすかを競うスポーツだとしたら、本作はハイスコアを叩き出しています。
ひたすら、遠くへ。面白いものを求めて。
そういう先へと進む求心力は抜群です。
ぜひ、読んでその面白さを堪能していただければと思います。
最後に冒頭の〝ハッピー〟エンドについて。
「いったい誰が幸せなら〝ハッピー〟エンドなのか」
この設問は「そんなことを真剣に議論できることが幸せ??」と続きます。
一つの物語が終わり、残された登場人物たちのその後に思いを馳せる。馳せられる。
そして、そんな話を他人と共有(議論)できるのなら、それは〝ハッピー〟エンドと言われれば、おっしゃる通りと頷くほかありません。
本作を読んで、この物語はハッピーエンドだったか、と議論する人が現れることを僕は望んでいます。願うなら、その場の端っこに僕も参加させてください。
よろしくお願いします!