【光】12 生贄の少女
死ね変態
机の天板に油性マジックで書かれたその文字を、光は他人事のように見つめていた。
岩田屋高校二年一組の教室である。一学期の最終日であるこの日、光はたまたま普段よりも少し早めに登校していた。
まだ教室に冷房は入っていなかった。全ての窓が開けられていて、まだ熱を孕まない朝の涼風がそよそよと吹き込んできている。
光は人がまばらな教室を見渡した。
自分を入れて、まだ十人も登校してきていない。
窓際の列の最後尾にある光の机に書かれた下品な落書きを見た人間は、光本人以外にはいないようだった。
光が感じたのは懐かしさだった。東京に住んでいた頃、もう一人の自分が吐いた『暴言』が原因でいじめられるのは日常茶飯事だった。机を落書きまみれにされたり、上履きにゴミを入れられたり、放課後に校舎裏に呼び出されてリンチまがいのことをされたり――思い出したくもない記憶が次々と蘇ってきた。
居づらい学校から逃げ出して、路上にたむろしている連中とつるんで現実逃避していた日々を思い出す。それも結局は時限爆弾みたいなもので、最終的には『暴言』によって居場所を失うことの繰り返しだった。
光は昨日のロングホームルームの時間のことを思い出していた。これを書いたのは新美芽生本人か、新美の友達か、新美に気に入られたい誰かか、まあそんなところだろう。
正直、誰が書いたのだとしても興味はなかった。書いた人間をどうこうしたところで解決するようなものではないことを、光は経験で知っていた。
光の心の中に、諦観と共にじんわりと黒い染みが広がっていった。
自分が原因とはいえ、ここでもこんなふうになるのか。
小さな絶望の芽が、光の中の一番弱い部分に顔を覗かせようとしていた。
こんな爽やかな朝だというのに。
夏休みは目の前だというのに。
光は透明な空気の中にある、見えない
それはこの教室の中にゆっくりと沈殿し、場の空気を少しずつ狂わせていく。
一匹、また一匹と
光はこの、名前も顔もない獣が自分の居場所を奪っていくのを何度も見てきた。
どれだけ抗おうとしても、最後は自分が敗れることになる――
「おはよう」
淀んだ白い闇を切り裂くように、声がした。
気がつけば隣に撫子がいた。
いつものセーラー服を着た撫子が、黒いリュックサックを背負って立っている。
光はとっさに自分のバッグを机の上に置いて落書きを隠した。
「おはよう」
何事もなかったかのように挨拶を返す。
撫子は落書きには気が付かなかったようだった。光の隣の席に腰を下ろしながら、昨日はありがとうと呟くように言った。
「昨日?」
しらばっくれるように光が言うと、撫子は少しむっとした顔になった。
「何よ、いじわるしたいの?」
口を尖らせる。
「ごめんごめん」
謝りながら光も着席した。
「放課後みんなに伝えよう。『にくフェスに出る』って」
すまし顔で言ったが、昨日の撫子とのやりとりのことを思い出すと、光は恥ずかしさで顔から火が出そうになった。よくもまあ、あんなに大胆に振る舞えたものだ。
撫子は光の言葉にそうねと頷いて、いつもの勝ち気な笑顔とは少し違う、柔和な笑みを浮かべていた。
撫子の中で何かが変わり始めているのかもしれないと光は思った。岩田屋町の誰もが忘れている、撫子が『町内最強・浅倉撫子』の仮面を被る前の姿が、撫子の中に見え隠れしている気がした。
そして同時に光はあることを思い出していた。
――無貌の獣たちが作り出す絶望は、大切に思うものがあればあるほど、その深さを増していくということを。
【朗報】浅倉撫子『にくフェス』出演決定
「――っと、でござる」
「何やってるの、斎藤君」
「立花殿、気にしないでくだされ。拙者、心の中にスレッドを立てていたでござるよ」
「すれっど?」
撫子は放課後の部室で『岩田屋にくにくフェスティバル』のステージに立つと部員に宣言した。
終業式も終わり、担任から成績表を受け取った五人は――とりあえず成績のことは忘れて――ついに始まる夏休みへの希望を胸に、アイドル研究部の部室に集合していた。
それぞれの昼食だけでなく、澄乃が作ってきたチーズケーキもテーブルには置かれていた。わざわざ保冷ボックスに入れて持ってきたらしい。
撫子が「みんなと一緒にステージに出たい」と言うと、一番喜んだのは澄乃だった。撫子に抱きついて何度も頬ずりするので、撫子は大げさすぎる!と顔を赤くした。忍はずっと壁の方を向いて、ぶつぶつ言いながら喜びを噛みしめている。シュウは「役者が揃ったって感じだな」と、光の肩を叩いた。光はうんとそれに答える。
なぜステージに立つ気になったのかという経緯は、伏せられたままだった。
昨日の放課後、光と撫子の間でかわされた会話の内容は、部員達にも秘密ということらしい。
「ケーキ焼いてきてよかったぁ。今日が私たちみんなのユニット結成記念日だね」
澄乃がナイフでチーズケーキを切り分け始めた。隣で忍がてきぱきと紙皿を並べる。
「男女混合五人組ってアイドルとしてはかなり特殊な構成だよな。まあ、浅倉さんと立花さんのダブルセンターで、俺等はバックダンサーみたいなもんか。ユニット名とか決めるのか?」
シュウは忍ではなく、なぜか撫子に尋ねた。
「そんなの決めるの? 『岩田屋高校アイドル研究部』でいいんじゃない、とりあえずは。――というか私と澄乃がセンターなの?」
「そりゃそうだろ。他に選択肢があるなら逆に聞きたいぜ」
「実際に歌って踊ってみないと、誰がセンターに相応しいかわからないでしょ」
撫子は真面目に言っているようだった。シュウはまいったなぁと苦笑いした。
「もしかしたら光がセンターになるかもしれないわよ」
「それはないよ撫子」
今度は光が苦笑いする番だった。
その横でシュウと忍と澄乃が訝しげな顔をしている。
「――今、呼び捨てにしてなかったか?」
「してたでござる」
「してた」
数秒の沈黙を挟んで、ひそひそ話が始まる。あいつら一体昨日の帰り際何があったんだよ。拙者が思うには。あ、もしかしたら。マジか。アオハルでござるか!?アオハルでござるか!?おい興奮するなよ。でもでも浜岡君なら。いや、俺も実は前から思ってたんだけど。アオハルでござるか!?アオハルでござるか!?うるせーよ誰かこいつを黙らせろ。
途中からまったくひそひそ話にならないひそひそ話が終わって、三人は何らかの結論を得たようだった。
「――というわけで、私はなでなでを応援するよ」
「はぁ? 何言ってるの」
なぜかうっとりした表情の澄乃を見て、撫子は半眼でうめいた。
シュウと忍もなぜか顔をテカテカさせて光にサムズアップしてくる。うわぁ、殴りてぇ。
「そんなことより」
光は咳払いして話題を変える。
「ステージでする曲を決めないと」
実は『にくフェス』本番まで、あと二週間しかない。悠長に過ごしている場合ではないのだ。
「それに関しては拙者に考えがあるでござる」
忍が手をポンと叩いた。
何か恐ろしくマニアックなアイドルの曲が来るのではないかと全員が身構えた。忍のアイドル知識は広範に及んでいる。テレビの歌番組でおなじみのメジャーアイドルから、YouTubeの再生数三桁のローカルアイドルまで、その守備範囲は恐ろしく広い。
「ももいろクローバーZの『走れ!』にするでござる」
忍の口から出たのは、思ったよりも有名なアイドルユニットの名前だった。光の脳内に、四人のメンバーが自動車のCMに出ている姿が思い出された。拍子抜けした光は、今まで聴いたことがある“ももクロ”の曲を脳内で再生していく。
「――『走れ!』ってどんな曲だっけ」
残念ながら思い出せなかった。シュウと澄乃も同じだったらしい。
「聴いたら分かりそうな気がするんだけどな」
「うん、私も」
撫子だけは分かっているらしく、そうきたかァ〜ッという顔をしている。
「では、YouTubeで再生してみるでござるか」
忍がスマホを取り出して検索し始めた。
「お、ちょうど去年のROCK IN JAPANの映像があるでござる。ちょっと読者のみんなもカクヨムを一旦置いておいて、検索してみてほしいでござる。『ももクロ ロッキン 2019』で検索すると出てくるでござるよ。あ、アップロード日が2022年でござる。そこは見ないで欲しいでござる。タイムパラドックスでござる」
カクヨムって何。
読者って、誰……?
「では、再生するでござるよ」
忍はスマホをフル画面表示にして机に置き、大観衆を前にして立つ四人のサムネをタップした。ピアノのイントロが流れ始め―—
「もうオチまで見えるでござる。あっ」
忍が言うのと撫子が男を川に投げ込むのは同時だった。
先ほどまでその男に馴れ馴れしく肩を組まれていた澄乃が口をあんぐりと開けて、美しい放物線を描いて川に落下する男を見ている。もう一人の男が撫子に食ってかかって―—前の男と同じように水柱を上げて川底に沈んでいった。
光はなぜこんなことになったのかを思い出す。
撫子がアイドル研究部の練習場所として
歌やダンスの練習をしようにも、岩田屋町にはレンタルスタジオなどという高尚なものはない。町唯一のカラオケボックスも去年潰れてしまったらしく、一番近いのは隣町の黒芦にあるカラオケボックスだった。岩田屋高校の教室や体育館は、夏休みの間ずっと他の部活動に占拠されており、部室もダンスをするにはあまりにも狭すぎる。
こうなると撫子の提案に乗るより他なかった。撫子曰く、神社の人間とは家族同然の付き合いをしているので、練習場所として使わせてもらうのは何も問題がないとのことらしい。
そんな訳で、記念すべき夏休みの初日、アイドル研究部の五人は神社の近くのコンビニに集合することになっていたのだが。
待ち合わせ場所であるコンビニに光・シュウ・忍の三人が到着したとき、ちょうど店の前で撫子と澄乃が、いかにも町外から来たという風体の男二人にナンパされていた。
後からシュウが教えてくれたのだが、この時期は県南の海水浴場に行く客が、通り道であるこのコンビニをよく利用するらしい。恐らくこの男二人も、そういった人間だったのだろう。飲み物と食べ物を調達するついでに、女の子も調達しようという考えだったのかもしれない。そして、たまたま店の前に突っ立っていた美人二人組に声を掛けた男たちは―—
「三回言っても聞かない時と、こっちに手を触れてきた時は仕方ないって思わない?」
「ちなみに今回はどっちだったの?」
「両方よ」
コンビニの横を流れる川に叩き込まれた男二人はなんとか岸に這い上がると、ずぶ濡れのまま車に乗って逃げるように走り去っていった。
五人は飲み物とおやつを買って、神社に向かって歩き出した。撫子以外の四人はそれぞれの自転車を押していく。一人だけ手ぶらで歩く撫子は、随分身軽そうだった。
撫子はアディダスのタイトなリンガーTシャツと、同じくアディダスのトラックパンツというスポーティーなスタイルだった。ショート丈のTシャツの下におへそが見えているのが眩しい。K-POPアイドルも真っ青な『11字腹筋』が、彼女の健康美を協調している。
澄乃はオーバーサイズのTシャツの裾をハイウェストのパンツにねじ込んだストリートっぽい格好だ。ニューエラのキャップも雰囲気づくりに一役買っている。普段のおとなしそうな印象とは違う姿が新鮮だった。
男三人は示し合わせたようにTシャツとアウトドアっぽい短パンなので割愛。
まだ午前中だというのに気温はうなぎ上りだった。
歩いているだけでもじっとりと汗をかいていく。
道はだんだんと坂道になり、神社がちょっとした高台の上にあることを教えてくれた。
「着いたわ」
先頭を歩いていた撫子が告げる。
駐車場の先に石段があり、鳥居も見えた。
目的地の稲妻禽観神社だった。
「ちょっと挨拶してくるから、その辺に自転車を止めて境内に上がってて」
撫子は駐車場の奥にある家屋のほうに小走りで向かっていった。
四人は撫子が指示した場所に自転車を止め、石段を上がった。鳥居をくぐって足を踏み入れた境内は、裏の山から流れ込む冷気のためか、ひんやりとしていた。そんなに広い境内ではなかったが、一抱えもありそうな幹の大木が何本も生えていて歴史を感じさせた。
「ここならずっと木陰になってるからいいかもしれないな」
シュウは境内をぐるりと見渡した。
「少々罰当たりな気もするでござる。参拝者から見づらい裏手のほうで練習させてもらうのがいいと思うでござる」
「それがいいと思う。あんまり騒がしくしないほうがいいよね」
忍の提案に澄乃が同意した。
社殿の横に回り込むと、ちょうどいい広場のような空間があった。
そこに撫子が帰ってきた。手には蚊取り線香を入れる陶製の豚型の器を持っている。
「了承を得てきたわ。あと、蚊が多いからこれを使うようにって」
荷物を適当な木の下にまとめると、いよいよ練習がスタートする。
練習と言っても、忍が持参したタブレットで『走れ!』のライブ動画を再生し、それを頑張ってコピーするという原始的な方法だった。何度も動画再生をストップしながら動きを確認し、ああでもないこうでもないと言いながら少しずつダンスを覚えていく。
最初はそんな風にももクロ本人達の動画を見ながら練習していたのだが、途中からは澄乃が発見した『踊ってみた』動画をお手本に進めていくことになった。文化祭のステージで踊る高校生、小さなライブハウスで踊る地下アイドル、果ては自宅の襖をバックに踊るアイドル好きの中学生まで、YouTubeには無数の『走れ!』をコピーした動画が上がっていた。光は自分達もまた、この動画たちに連なっていく存在なのだなと、なんとなく感慨深さを覚えた。
正直なことを言えば、ももいろクローバーZというアイドルユニットに対しても、『走れ!』という曲自体にも、光は思い入れがなかった。
それでもこの曲がたくさんの人に愛されていることを実感し、何度も踊りをトチりながら聴いているうちに、少しずつこの曲に対する愛着が芽生え始めていた。
全体的に振り付けはシンプルで、とても真似できないような激しい動きやアクロバットはない。サビの手を振る動きは客席が振りコピしやすくて、ライブ動画では圧巻の光景を作り出していた。
そう、振り付けはシンプル―—そんな踊りやすい曲ではあるのだが、練習が進んでいくと足を引っ張る人間が誰なのかはすぐに判明した。
撫子はずば抜けた運動センスの持ち主で、ダンスもまったく問題なかった。恐らくもっと激しい振り付けでも、時間があればできるようになるだろう。澄乃は撫子ほど動けるわけではないが、無難に踊りをこなすことができた。それよりも彼女の特筆すべき点は歌の上手さだった。澄乃は踊りながら歌を口ずさんでいるのだが、それが信じられないぐらい透き通った声で、まるでプロのシンガーだった。元サッカー部という経歴の持ち主であることが判明したシュウは、ダンスでもその運動神経を生かしていた。サッカーを引退する原因となった足首の古傷が少し不安ではあったが。そして忍は最初から気持ち悪いぐらいばっちり踊れている。何かが乗り移っているのかと思うような動きだった。
ということで、足を引っ張っているのは光である。
光は荷物からタオルとポカリスエットを取り出す。滝のように流れる汗を拭って、ぬるくなったポカリスエットをぐびぐびと飲む。豚型の器の口から立ち上る煙をじっと見ていると、身体の重たさがだんだんと実感される。
——なんとなくそうなる気はしてたけど。
アイドルの息子だからと言って、上手に踊れるわけではなない。そんな遺伝などないのだ。光は自分の不器用さに泣きたくなった。
「光、大丈夫?」
撫子はスポーツタオルを頭にすっぽりとかぶっていた。まるで童話の赤ずきんのようだった。その汗ばんだ姿は普段の撫子の姿と違いすぎて、光の心のひだをくすぐっていった。その動揺を隠して光は言う。
「―—大丈夫だよ」
「まだ初日だから無理しないようにね」
気遣いが逆に心苦しい。
「撫子はやっぱり――って言っていいのか分からないけど、動きはキレキレだね」
「そんなことないわよ。体育の時間ぐらいしかダンスなんてしたことないし」
それなのにあれだけ踊れるのだから、元々持って生まれた身体操作の才能が常人とは違うのだろう。
「立花さんは歌上手いし、シュウもなんだかんだ踊れてるし、忍は……なんか凄いし。僕だけ全然動けてないのが情けないよ」
「光も踊れてるわよ」
心配しないでと撫子は微笑んだ。
その優しさを素直に受け取りたかったが、光はやっぱり本当に自分が踊れていないんだと暗澹たる気持ちになった。
しかし、一番下手な人間が卑屈になって相手に気を遣わせてしまうことのほうが、ダンスが踊れないことよりも情けない。空元気でもいいから、ここは頑張らないといけない。
「撫子にそう言われたら、なんかちょっといける気がしてきたよ」
光はタオルを畳んでポカリスエットと一緒にバッグに突っ込み、自分の太ももを平手で叩いて気合を入れた。
撫子を誘ったのは自分なのだ。
その撫子の前で無様な真似はできない。
そんな意気込みをへし折るように。
「あークソだりぃ」
自分の口から飛び出た『暴言』に一瞬心が折れそうになる。だが―—
「あなたが思ってるほど、光は弱くないわよ」
撫子はすっと目を細めると、光の肩のあたりの虚空を睨んだ。だからといって何か変化が起きるというわけではなかったが、光は自分の胸に小さな光が灯ったように感じた。
「もう一回いくでござるか!」
忍が全体に号令をかける。よっしゃあ!とシュウが答えて、しゃがんで休憩していた澄乃も立ち上がる。疲労などまるで見られない撫子は早々とスタートのポジションを取る。光も撫子の隣で最初のポーズを取った。
「再生するでござるよ」
忍はバッグの上に置いたタブレットの画面をタップし、自分も位置についた。
イントロが流れ始め、本日二十三回目の『走れ!』が稲妻禽観神社の境内に響き渡った。
光のダンスは、二十二回目よりは少しマシになっていた。
さすがに太陽が高く上ると木陰であっても暑さが尋常ではなくなってきたので、忍の提案で正午前に休憩しようということになった。
撫子は慣れた様子で賽銭箱の後ろにある拝殿の扉に掛かっていた番号式の南京錠を開けると、スニーカーを脱いで中に入っていった。撫子に促されて四人も拝殿の中に入る。
拝殿の中は薄暗く、冷たく静謐な空気で満たされていた。板張りの床の上にはござが敷いてあって足の裏が気持ちいい。撫子が蛍光灯をつけると、拝殿の奥には御神体のある本殿へと繋がっているであろう扉があるのが見えた。部屋の隅には折り畳みのテーブルや座布団、石油ストーブがおいてあって、ここで祭祀が行われている時に使われるのだろうなと想像させられた。
「おお、中はこんな風になっていたでござるね」
珍しそうに忍は中を見回している。光もつられてきょろきょろと周囲を見る。鴨居には額縁に入った古い賞状や写真が掛かっていて、この神社が重ねてきた年月がにじみ出ていた。
「おい、みんな寝転がるとひんやりして気持ちいいぞ――って、うわ!」
ござの上に身体を横たえたシュウが突然叫んだ。
「すげえ! みんな寝転んで上を見てみろよ!」
シュウは興奮していた。とりあえず光はその場に仰向けに寝転んだ。忍や澄乃も続き、最後に撫子が光の隣に横たわった。自分の顔のすぐ近くをふわりと撫子の黒髪が通り過ぎた。いい香りがして一瞬ドキリとする―—が、それよりも光を驚かせたのは、拝殿の天井だった。
大きな鳥が、鋭い眼光で光を睨みつけていた。
そこにあったのは天井画だった。
翼をはためかせる巨大な猛禽類―—鷲か、鷹か、隼か―—の墨絵が、天井いっぱいに描かれていた。雲を裂き、稲光と共に空を舞うその姿は、神々しささえ感じさせた。
「これは見事でござる」
「すごい……こんな絵があったなんて知らなかったな」
忍と澄乃も感嘆の声を漏らした。
稲妻禽観神社の名が示す通りの絵だった。墨の褪せた感じを見ると、それは相当古いもののようだった。もしかすると、この神社の縁起に関わるものなのかもしれない。
光はふと横を見た。
撫子の横顔がそこにはあった。
撫子は驚いた様子もなく、じっとその天井の鳥を見つめていた。恐らく撫子はこの絵の存在を知っていたのだろう。仰向けに四肢を投げ出して、まるで交信するように鳥と目を合わせている撫子は、どこかこの世のものとは思えない存在のような雰囲気を醸し出していた。
いけないものを見ているような気持ちになって、光は目を逸らした。
撫子は絵について解説するでもなく、無言でその絵を眺め続けている。
その姿は、まるで荒ぶる神に供物として奉げらえた
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