2020年【結城】05 たのしいまちづくり課

 結城は岩田屋町役場の『たのしいまちづくり課』という、命名者の正気を疑うような名前の課で働いていた。


 国道と併走するように走っている旧道沿いに、岩田屋町役場は建っている。


 鉄筋コンクリート三階建てのその庁舎は、できたばかりの頃は町で一番立派な建物だと言われていたらしいが、今となっては「大地震がきたら一番最初に倒壊するんじゃないか」と町民に疑われる程年季の入ったものになってしまった。


 『たのしいまちづくり課』、通称『たのまち課』のオフィスは庁舎の二階のすみっこにある。


 そして、結城の席はさらにそのすみっこだった。


 結城は会計年度任用職員――有期雇用の非正規職員――として、今年の春からそこで働いていた。岩田屋町役場での勤務はこれで五年目になる。去年までの三年間は総務課におり、その前の一年は福祉課にいた。結城の大学卒業後のキャリアは、全てこの岩田屋町役場でのものである。


 ――すべて非正規の職員としてのものだったが。


 公務員。ただし期限付き。


 各種手当ても付くし、年に二度賞与も貰えるが、年度末に一度契約が切れるので結城はその度に自分が宙ぶらりんになるような感覚を味わわされていた。もちろん、毎年正規採用を目指して試験は受けているのだが、ここまで四年連続で落ち続けていた。


 年度末に「来年度の更新はありません」と言われればそれで終わり――そんな立場だった。


 パートナー探しのためにインストールしたマッチングアプリの職業欄に「公務員」と書いていいのか悩んでいたこともあったが、一回会ってお茶したあとにブロックされるのを三人連続で食らわされて、アプリ自体を削除した。


 結局帰ってくるのは風俗だった。


 今も結城はスマホで風俗情報サイトを見ている。


 壁に掛かった時計は昼の十二時半を指している。役場は現在昼休みの真っ只中で、たのまち課のオフィスには結城以外に人影はない。結城は朝出勤するときにコンビニで買ったまるごとソーセージと野菜生活でさっさと食事を終えると、周囲に誰もいないのを確認して自分のデスクで『みるくあっぷ』の嬢の写メ日記を読み漁っているのだった。


 もちろん目当てはアイの写メ日記だ。


 アイのプロフィールページから写メ日記のアイコンをタップする。そして日記を過去にさかのぼって、自分が最後に会った日の記事を表示した。


「Tさんへ(はーと)(はーと) 今回は急な出勤だったのに来てくれてありがとう(はーと) また会えて本当にうれしかったよ(きらきら) お互いとっても興奮して何回もいっちゃったね(せきめん)(はーと) さいごのアレは笑っちゃったけど二人だけの秘密ってことで(えがお) また遊びに来てね(えがお)」


 そして、差し入れらしき女性向けの栄養ドリンクの画像が添えられている。


 これは結城宛のものではない。


「Sさんへ(はーと)(はーと) 初めましてだけど全然初めましてって感じじゃなかったね(わらい) あと、お兄さんの立派すぎてパンツから出てきたとき思わず二度見したよ(せきめん)(はーと) いっぱい気持ちよくしてくれてありがとう(びっくり) またこっちに来たらお店に寄ってね(えがお)」


 これも結城宛のものではない。


 この二人はどんな人間で、アイとどんな話をして、どんなプレイをしたのだろうか。それは自分と過ごす時間と比べてどうだったのだろうか。


 結城の胸をざわざわとした何かが通り過ぎていった。


 そして、何度読んだか分からないページにたどり着く。


「Yくんへ(はーと)(はーと) Yくんが来てくれると●島に帰ってきたって感じがするよ(わらい) 今回もいっぱい時間とってくれてありがとう(きらきら)(うるうる) ほんといつもリラックスできるよ(えがお)(えがお) 今日もYくんのきもちいい顔いっぱい見れてよかった(はーと) いつもより頑張ってくれてとっても嬉しかったよ(はーと)(はーと) 趣味の話もできて楽しい時間を過ごせたね(えがお) また遊びに来てね(はーと)(はーと)」


 添えられているのは結城がアイに頼まれて撮った、アイのバックショットだった。黒いドレスに包まれた腰の曲線が美しい。


 なんとなく。


 なんとなくなのだが、前の二人への日記に比べると、結城に対する日記の方が、親しみの気持ちが感じられる気がする――と、結城は思った。あるいはそう信じたかった。


 日記を読むだけで、当日の濃密な時間が思い出されて思わず結城は前かがみになった。結城の頭の中をアイの白い肌とその忘れがたい吐息が埋めていく。


 結城は思う。


 アイにとって、自分は何なのだろうか――と。


 懸命な人間ならこう言うであろう。


 アイは従業員で、あなたはお客です。


 それ以外ではあり得ないし、それ以上でもそれ以下でもありません――と。


 それは完璧に真実であり、まったく反論の余地がない。


 だが、だとしたら


 結城はデスクの上に転がっている一本のボールペンを見た。


 ノックする部分が濃い青の四角いパーツになっていて、そこには数字の「13」が刻まれている。それは、競走馬が着けるゼッケンを模したデザインだった。白いボディ部には「第61回 宝塚記念 インビジブルレイン」と書かれており、騎手がレースで纏う青と白の勝負服もデザイン化され、プリントされていた。


 結城はボールペンを手に取った。


 結城とアイが阪神競馬場で開催された宝塚記念を観戦してからもう二週間が経つ。


 このボールペンは当日グッズ売り場でアイが結城に買ってくれたものだった。 


 今思い出しても、結城にとっては白昼夢のような出来事だった。目を閉じるとしあわせと混乱と切なさがない交ぜになった記憶が結城の胸に蘇ってくる。


 そしてまたこの問いが結城の脳裏に浮かび上がってくるのだ。


 アイにとって、自分は何なのだろうか。

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