【ナオキ】04 獣の烙印
「ああ、それがありがたい」
ナオキが見たいのは写真や測定されたデータではなく実物だった。この『アルゲニブ』を『アルゲニブ』たらしめる存在――研究対象物である未確認生物――の実物を。
エレベーターから外に出ると、そこは大きな部屋だった。ちゃちな地下駐車場のような雰囲気ではない。広さは学校の体育館ほどあるだろう。天井に規則正しく設置されたライトが、その空間を隈なく照らしていた。壁はコンクリートの打ちっぱなしではなく、灰白色のパネルが貼られており、クリーンな印象を受ける。部屋の隅に目をやると、資材を運び込むためのコンテナや、そのコンテナを乗せるためのカートが三台停まっている。そしてその隣に、何の冗談なのか戦車が一両置かれていた。
ナオキは清水の「町が一つ埋まっている」という言葉を思い出していた。確かにこれは相当大規模な施設のようだ。
ナオキと清水が降り立ったこの部屋がエレベーターホールということだろう。壁を見るといくつもの扉があって、通路につながっている様子だった。
清水は勝手知ったるといった感じでエレベーターから見て左側の壁にある扉に向かってまっすぐに進んでいった。ナオキも黙ってその後に続く。扉をくぐって通路に出る。通路もエレベーターホールと同じように壁にはパネルが貼られており、天井に設置された光源も十分だった。ただ、床はどこか砂っぽい。砂ではなく塩なのだが。
「さっきの部屋みたいなのが地下1階から99階まで連なってるんです。高層ビルをひっくり返して埋めてるようなものですね。で、各階はそこから横方向に、アリの巣みたいに枝分かれして広がっていると思ってください」
「月並みな表現で悪いが、ゲームのダンジョンみたいだな」
清水はナオキの軽口を無視してズンズン進んでいく。パスを使っていくつもの扉を開けて、迷わずに目的地を目指しているようだった。もしどこかで清水とはぐれたら、ナオキはこのダンジョンの片隅で遭難して餓死することになりそうだった。
清水の足取りがやたら速いのは、慣れた場所だからというよりは、あまり会話をしたくないからなのかもしれない。
そんな思いがナオキの胸に去来した瞬間に、清水は足を止めた。通路のどん詰まりに、重厚な金属製の扉があった。その脇には操作パネルがあって、パスが無ければそれを開けられないことを主張している。
「これが直通エレベーターです」
「まだ下るのか」
地下99階よりもさらに深くにそれはいるらしい。
清水が操作パネルにパスをかざすと、表面のタッチパネルにキーボードが浮かび上がった。目にも止まらぬ速さで清水は文字を打ち込む。画面上に打ち込まれた文字列が表示されることはなかったが、ナオキは職業病で清水が打ち込んだ文字をその指の動きから読み取っていた。解錠のためのワードは清水本人が設定したのだろうとナオキは思った。
打ち込まれた「amaryllis」は、二人の思い出の花だった。
ゆっくりとエレベーターの扉が開く。
先ほどとは打って変わって、狭い荷室がそこにあった。建設途中に設置された工事用のエレベーターをそのまま残してあるといった風情だった。
その、人が二人も入れば息苦しさを覚えるような空間にナオキと清水は身体を滑り込ませた。急に距離が近くなったことに、ナオキは気まずさを感じずにはいられなかったが、清水は涼しい顔をしている。感情と行動を切り離せることを男性の特権のように言う人間もいるが、ナオキは逆だと思っている。感情の扉を閉められるのは、むしろ女性だ。
エレベーターの扉も閉まった。
行き先は一つしかなかった。
地下108階に向かってエレベーターは動き出した。
空港から長い道のりだったが、やっと目的を果たすことができる。ナオキは肩の力を抜き、コートの襟を正した。
過去のことはあれ、清水が自分を素直に案内してくれていることがありがたかった。
恐らく二人の間には話すべきことが数多くある。だがそれは、全てが終わったあとにゆっくりとすればいいことだ。
お互いのザラついた感情を向け合う時間は今ではない。
ナオキはそう自分を納得させたかったのだが――
「こんなスパイじみたことを、いろんなところでしてるんですか」
清水がぼそりと言った。何の色も温度もない声だった。詰問しているという体でも無い。気遣っているという体でも無い。ただ、言わずにはいられなかった台詞が口からこぼれたという感じだった。
清水の心の中にある、亀裂のようなものをナオキは見た気がした。
「――そうだな。四つの重要研究拠点のうち二つはもう見てきた。これが三つ目だ。別に危ないことをしてる訳じゃ無いぜ。命がけの潜入なんてしてない。今みたいに正式に――」
この研究拠点ごと全てを吹き飛ばすという爆薬のことを思い出しながら、ナオキは自分が失言していることを自覚した。もっと言葉を選ぶべきだ、と後悔しても遅かった。
「――そもそもUMAを肉眼で見るということがどれだけ危険なことか分かってないんですね」
清水は目を合わさずに吐き捨てた。扉の向こう側に仕舞っていた感情が噴き出してきたかのようだった。
空港からずっと、清水は恐らくナオキが何を考えてここに来たのかを見定めようとしていたのだろう。私情を捨てて元同僚の立場で接しながらナオキの行動の真意を測ろうとしてきたのだ。
どうやら結果は落第だったらしい。
清水は親切な水先案内人の仮面を脱ぎ捨てつつあった。
ナオキの背中を冷たい物が走り抜ける。そういえば清水は怒れば怒るほど冷静になるタイプだったなということを思い出していた。
凍てつくような無言の時間を経て、ナオキは口を開いた。
「――分かってるさ。『獣の烙印』の話だろ」
「UMAは自分たち以外の知的生命体に『烙印』と呼ばれるアンカーを施して、その生命情報と熱量を奪っていく。それが『獣の烙印』です。でも、それだけがUMAの危険性ではありません」
まるでUMAが知的生命体であるかのような口ぶりで清水は言った。
「1999年に干上がった湖の地下であの生き物が休眠状態で発見されたとき、もちろん我々は掘り起こして既存の研究施設に運び込もうとしました。ですが、奴はその場から――地下から――身動き一つせずに地上にいた調査隊を全滅させています」
それはナオキも知っていた。その後、数度の方針転換の末、件のUMAの生命活動を限界まで低下させた状態に追い込み、その上に研究施設を建てることに落ち着いたのだ。ナオキはその情報を得て、目的の研究対象物はほぼ死骸のような状態だと考えていた。しかし、清水の醸し出す雰囲気からは、むしろそれはまだ生きていて、虎視眈々と復活の時を待っているかのような印象を受けた。
「本物の怪物だと」
「ええ、まさに
お前はそれを分かっているのか、と突きつけるような言葉だった。
ナオキは隣にいる清水の顔を見られない。
かつてのように抱き寄せることだってできる距離だというのに、指一本触れられない。口の中が乾いていく。過去が呪いとなって、現在の二人を祝福する。「お前は何をしに来たんだ?」という声が頭の中で響く。それは清水の声にも聞こえたし、十年前の自分の声のようにも聞こえた。
清水の胸中に渦巻くものを想像した。
UMAの危険性をまったく顧みないことに対する専門家としての怒り。
組織内の秩序を軽んじて私利私欲を満たそうとすることに対する元同僚としての怒り。
あまりにも無神経なふるまいで他人を傷つけることに対する元交際相手としての怒り。
――それら全部をひっくるめて失望。
ここに来なければよかったのだろうか。
目当てのものを目前にして自問自答するのはあまりにも情けないが、このエレベーターの中に張り詰めた空気は彼の目的意識すら蝕みつつあった。自業自得なのはわかっているが、自分が何も考えずに――少なくとも飛行機から降りるときぐらいまでは考えていたつもりだったのだが――ここに来てしまったのは間違いだったのだろうか。 そもそも。
――彼女を傷つけてまで知りたいことってなんだ?
「あなたがUMAについて知りたいと思っている理由はなんとなく想像がつきます。それがただの興味本位でないことも分かっています」
清水はナオキの過去を知りすぎるほどに知っていた。その人生に絡みつく、UMAとの因縁を想像することもできたのだろう。だが、清水は「それでも」と言葉を継いだ。
待ってくれ、とナオキは言おうとしたが、それは声にならなかった。
一秒にも満たない空白の時間を挟んで、清水はナオキを見上げた。
黒縁眼鏡の奥の、薄いグレーの瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。
声を震わせることさえしなかったのは、清水の意地だったのだろう。
彼女はずっと泣いていたのだ。
このエレベーターに乗った時から。
いや、ナオキと空港で再会してから。
ずっと。
「――私の目の前でだけは、死なないでくださいよ」
強がりと皮肉を込めたかったのかもしれないが、それはただの懇願のような形となって清水の口から零れ落ちた。
何もいう資格がない男は、ただそれを聞いていた。
エレベーターは地下108階についた。
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