捜08-04 吳氏梓

聶友じょうゆう、字は文悌ぶんてい豫章よしょう新淦しんかんの人である。幼い頃には貧しく、常に猟にて生計を立てていた。ある夜、白鹿に照らされたので、矢を当てた。翌朝に血の跡を追ったのだが、途中で途切れ、追えなくなった。このときの聶友は空腹が限界になっており、ついにた力尽き、アズサの樹の下で倒れ伏した。ふと見上げてみると、アズサの木に一本の矢が刺さっていた。それはの聶友が昨晩射たはずのものであった。なんとも不思議なこともあったものだ、との聶友は思った。



そこから聶友はなんとか身を起こして帰宅し、食糧を補給し、改めて斧を持った子弟らを率いてアズサの木を伐りに出た。見ればアズサの木にはかすかに血のようなものが付いている。聶友は木を切り出して二枚の板とし、自宅近くの川べりに浮かべた。その板はだいたい沈んでいたのだが、時々浮かび上がった。浮かび上がったタイミングで、聶友の家に慶事が訪れた。


こうしたことから聶友は家に賓客が訪れるたび、その板に乗らせようとした。ある時など途中で乗っていた客とともに沈みかけ、客を脅かしたのだが、聶友が叱ると再び浮かび、岸辺に戻ってきた。


やがて聶友が士官してみれば、希望していた丹陽太守たんようたいしゅの座を射止める。丹陽郡で職務に当たること数年、例の板が何故か石頭城せきとうじょうに流れ着いた。


見張り番が言う。

「荒れ狂う水流に浮かんだ板が、石頭にやってまいりました!」


聶友は驚き、言う。

「板が來たのには、何らかの意味があるのだろう」

そしてすぐさま退職を申し出、豫章に帰還しようと決意した。


石頭の桟橋から船に降り、船室の扉を締める。すると例の板が船の両脇に貼り付き、一日にして聶友の乗る船を豫章まで連れて行った。


この後、普段は沈んでいた板が浮かび上がるたび、聶友のもとには凶事や禍が起き、ついには大いに困窮するようになった。


今、新淦の北二十里あまりのところに封溪ふうけいと呼ばれる場所がある。ここは聶友がアズサの木を切って板にし、客人を載せて吉凶占いで遊んだ地である。


この地には今もアズサの木が立っており、聶友が切り取った箇所に向けて、歯がことごとく下向きとなっている。




吳聶友,字文悌,豫章新淦人。少時貧賤,常好射獵。夜照見一白鹿,射中之。明,尋蹤,血既盡,不知所在。且已饑困,便臥一梓樹下。仰見射箭著樹枝上,視之,乃是昨所射箭,怪其如此。於是還家,齎糧,率子弟持斧以伐之。樹微有血,遂裁截為板二枚,牽著陂塘中。板常沉沒,然時復浮出。出,家輒有吉慶。每欲迎賓客,常乘此板。忽於中流欲沒,客大懼,友呵之,還復浮出。仕宦大如願,位至丹陽太守。在郡經年,板忽隨至石頭。外司白云:「濤中板入石頭來。」友驚曰:「板來,必有意。」即解職歸家。下船便閉戶,二板挾兩邊,一日即至豫章。爾後板出,便反為凶禍,家大轗軻。今新淦北二十里餘,曰封溪,有聶友截梓樹板濤牂柯處。有梓樹,今猶存。乃聶友向日所裁,枝葉皆向下生。


(捜神後記8-4)




こっわ、なにこの話……めちゃくちゃ劉宋ヘイトこすってきてますやん……


この話を読むのに把握できると面白いポインツ。

1:劉裕が立身後、宋王になるまでに封じられていたのが豫章郡公。

2:丹陽には東晋の時代に、都(建康)の都市機能を統括する役人として丹陽尹が配されていた。


つまりですね、「豫章に縁のあるものが建康の運営に絡もうってんなら、それはもう死ね&死ね&死ね以外の感想がねえんスわ……」みたいな怨念を、このエピソードから感じざるを得ねえんスわ。たのちい。


こうした怨念を、呉の時代のおとぎ話として押し付けてこようとしたひと、なかなかにえげつねえ性格なさっててベネと思います。いち個人としてはくたばれゴミクソが以外の感情がないんですが、民俗的アレコレを見始めると、……ねえ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る