捜06-03 魯子敬墓

王伯陽おうはくようの家は京口けいこうにあった。家の東に大きな塚があり、人々はその塚を魯肅ろしゅくの墓であると言い伝えていた。王伯陽の妻が死んだ。彼女は郗鑒ちかんの兄の娘であった。王伯陽は東の塚を平らげ、そこに妻を葬った。


その数年後、王伯陽が昼間に役所に勤めていると、ひとりの貴人が輿に乗って現れた。侍從は数百、人も馬も完全武装である。まっすぐに王伯陽のもとにやってくると、貴人は言う。

「わしは魯子敬である。かの塚にて安らうこと二百年ばかりであったが、貴公はなにゆえ我が終の館を毀たれたのか?」

そして側仕えらに言う。

「何ぞ手をこまねいておるか!」

側仕えらが動き出すと王伯陽を下座に引きずり落とし、刀の柄で数百度も打ち据え、去っていった。このとき王伯陽は意識不明の重体となった。後日に意識こそ回復したものの、殴られた傷がことごとく化膿し、ついには死亡した。



この話には後日譚と思しき話も残っている。それによると、王伯陽が死亡し、その息子が父のための墓を造営するに当たってひとつの漆塗りの棺桶を掘り出したという。彼はその棺桶を南の岡に埋め直した。


するとその夜、夢に魯肅が怒って現れた。

「貴様の父を殺してやる!」

その直後、別の夢で父に再会する。

「魯肅とわしは墓所をかけ争っておる。もし敗れれば、もはや霊としてこの地に戻っても来れるまいな」

その後王伯陽の位牌の下に数升ほどの血が流れ出し、その座褥を濡らした。息子は魯粛にやられたのだ、と悟った。


このため、王伯為は現在、長廣橋ちょうこうきょうの東一里のところにある。




王伯陽,家在京口,宅東有大塚,相傳云是魯肅墓。伯陽婦,郗鑒兄女也,喪亡,王平其塚以葬。後數年,伯陽白日在廳事,忽見一貴人乘平肩輿,與侍從數百,人馬皆浴鐵,逕來坐,謂伯陽曰:「我是魯子敬,安塚在此二百許年,君何故毀壞吾塚?」因顧左右:「何不舉手!」左右牽伯陽下牀,乃以刀環擊之數百而去。登時絕死。良久復甦,被擊處皆發疽溃,尋便死。一說,王伯陽亡,其子營墓,得一漆棺,移至南岡。夜夢肅怒云:「當殺汝父。」尋,復夢見伯陽云:「魯肅與吾爭墓,若不如,我不復得還。」後於靈座褥上見血數升,疑魯肅之故也。墓今在長廣橋東一里。


(捜神後記6-3)




突然の魯粛。しかもバリ祟り神。まぁ墓を荒らされれば、そりゃあねえ。「一説」以降はエピソードの接続的にはやや弱いので別系統なんでしょうね。こういうのってどうやって生まれ、どうやって流布し、そしてどうやって採録されたのかが気になります。この辺を書き残してくれる史料があったら、その価値は特一級でしょうね。

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