5巻

捜05-01 清溪廟神

西晉せいしん太康たいこう中、すなわち司馬炎しばえんが天下統一を果たしたあたりのときのこと。しゃ家出身の竺曇遂じくどんすいという僧がいた。年は二十過ぎ、端正な顔立ちをしており、その立ち位置はやや俗世寄りであったと言う。そんな竺曇遂がかつて清溪廟の前を差し掛かったとき、ふと気が向いて廟の中に入り、中の様子を見回した。夕方になり帰宅すると、夢の中にひとりの女が現れた。


「あなた様は我が廟中にお入りになったため、間もなく廟の神となります」

「あなた様はいったい?」

「私は清溪廟の中姑です」


竺曇遂はその一ヶ月ほど後に病を得、死んだ。その死にあたり、同朋や後輩たちにはこのように語っている。

「ぼくには福なく、と言って大罪もなかった。このあとぼくは清溪廟の神となるそうだ。あなた方におかれても、どうか清溪廟を詣でてはくれまいか」


竺曇遂の死後、少年僧たちは言いつけ通りに清溪廟を詣でた。到着すると霊が現れ、その足労をねぎらってくる。声色は、たしかに竺曇遂のものであった。彼らが久闊を叙したのち、その場を辞する段に至ると、霊が言う。


「歌声を聞かなくなり、久しい。どうか最後に聞かせてはいただけまいか」


そこで連れ合っていたひとりである慧覲えきんが歌った。その歌が終わると、返礼とばかりに霊も歌う。


「岐路之訣,尚有悽愴;

  離れ離れとなった、この悲しみよ。

 況此之乖,形神分散。

  ましてや人と神とでは、あまりにも。

 窈冥之歎,情何可言?

  深奥にてつく嘆息、どう言い表そう。」


歌い終えた後に霊は嗚咽を止めどなくし、やって来た少年僧らもまた嘆き悲しんだ。




晉太康中,謝家沙門竺曇遂,年二十餘,白皙端正,流俗沙門。嘗行經清溪廟前過,因入廟中看。暮歸,夢一婦人來,語云:「君當來作我廟中神,不復久。」曇遂夢問:「婦人是誰?」婦人云:「我是清溪廟中姑。」如此一月許,便病。臨死,謂同學年少曰:「我無福,亦無大罪,死乃當作清溪廟神。諸君行,便可過看之。」既死後,諸年少道人詣其廟。既至,便靈語相勞問,聲音如昔時。臨去,云:「久不聞唄聲,思一聞之。」其伴慧覲,便為作唄。訖,其神猶唱讚,語云:「岐路之訣,尚有悽愴;況此之乖,形神分散。窈冥之歎,情何可言?」既而歔欷不自勝,諸道人等皆為涕泣。


(捜神後記5-1)




禁足地に踏み入ってはいけない、ですね。しかしナチュラルに僧侶が地元神霊に取り込まれるとか、さすが釈道安以前という感じです。仏図澄→釈道安ラインが確立されるまで、仏教はどうしても西方から来たいかがわしい呪術でしかなかったんだろうなあ。当時って支謙訳経しかなかった以上、その経典もめちゃくちゃ不明点が多くて、言ってみれば俺らがノストラダムスの詩を読む的なアレっぽく見られたでしょうね。


そうした「教団化以前の仏教集団」のありようをちらりと覗かせてくれるエピソードなのかもしれません。

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