第17話 クレジット

サクロは他の三人と共に、戦闘車で不審船の発見から撃沈までの一部始終を聞かされた。再び方舟が現れたなどとはにわかには信じられなかった。みな不安そうにしていたけれど、報告を聞き、ミロウンガ号に被害はなかったようで、マーザとスーもほっと胸をなで下ろした。


シュア専門官はこうなることを知っていたのだろうか。詳細までは承知していないものの、一筋縄ではいかない相手という認識はあっただろう。だからこそ惑星入植局の調査船ではなく、武装した特設戦艦を護衛に付けたのだ。


なにはともあれ、方舟に関しては逐一報告せよとのことなので、ミロウンガ号と合流したときに報告を送ることに決めた。


ミロウンガ号がこの集落(イヌビト曰くホボイという名らしい)に戻るまで四日ほどかかるけれど、その間に少しでもイヌビトの調査をしておくことにした。


既に夜も更けたので行動は明朝から開始することにし、戦闘車の隣に設営したテントに潜り込んで夜を明かした。


翌朝、サクロが戦闘車の中をのぞくと、ルルアはまだ寝ているようだったけれど、マーザとスーの二人はどこかに出かけているようだ。


工廠衛星に指令を送ると、蒸留器やその他の物資を満載した筒が、分厚い木々の間を抜けてキャンプ地に着陸した。

朝の漁を終えて帰ってきたブーフたちが、それを見てなんだなんだと集まってきた。


サクロは金属筒の中から蒸留器のパーツを取り出し、それを組み立てる。原始的な単式蒸留器が出来上がった。銅を内張りにした加熱室で原料の酒やもろみを低温で加熱してアルコールだけ蒸発させる。そしてアルコール蒸気は冷却通路を通って蒸留酒となって樽に貯められる。加熱にはエネルギーパックの電気が使用されるので、材料を入れてしばらく待つだけで蒸留酒が得られる仕組みだった。


ブーフは早速、仲間に原料になる酒を取りに行かせた。トウモロコシサイズの粒が集まった小さなブドウのような果物で造られた酒で、アルコール度数は五%程度だろう。それを蒸留器に入れて、蒸留が終わるのを待った。ほどなくして終了を知らせるブザーが鳴り、樽の底には酒が溜まっていた。それを掬って試飲すると、昨日のウィスキーほどではないけれど、素朴な原酒が洗練されて、味わい深い逸品に仕上がっていた。蒸留酒を初めて飲んだイヌビトは信じられないという顔をしていた。


すっかり気に入った彼らは樽を空にすると、蒸留器の値付けについて話し合った。一オルド以上の価値があるのは分かるが、いくらくらいが適当かと悩んでいたところ、鍛冶屋の親父が、「これを作る材料を集めるのに一オルド、材料さえあればワシにも作れるだろうから、もう一オルドかかる。さらに火を使わずに温めることができるからもう一オルド。合計で三オルドが良いだろう」というので、みなそれに賛成し、蒸留器は三オルドの価値があることに決まった。

三オルドは舟が三艘も買える大金だ。サクロはイヌビトが蒸留器にそれだけの価値を見出し、高値を付けたことに満足した。


そして蒸留器はイヌビトの共同所有、つまりオサのコハが預かることになり、イヌビトの一人がオサの家に走った。蒸留酒の味を知ったオサは快諾して、三オルドもの大金を出した。ブーフがそれを受け取り、サクロに差し出す。

「これはお前のものだ。好きな女をめとるがいい」

しかし、サクロは首を横に振った。

「いや、これでは蒸留器を売ることはできない。連合のクレジットで支払いをお願いしたい」

「どういうことだ? お前は三オルドで良いと言ったではないか」

ブーフは困惑していた。

「オレは三オルドの価値だといったのだ」

「しかし、オレたちはクレジットなど持っていない。初めから売るつもりなどなかったのだな」

「そうじゃない。まず、そのオルドをクレジットと交換しようじゃないか」

サクロは、金属筒からコインの束を取り出した。昨日の宴会で孔が開いていないと言われたので新しく孔を開けたコインを作り、糸を通して一〇〇枚毎の束にしていた。


思っていたものと違う展開になり始め、イヌビトたちはみな顔を見合わせている。

「一オルドで一〇〇クレジットだ」

そう言ってブーフの手から三オルドを取り上げ、三〇〇クレジットを握らせた。

「蒸留器一つで三〇〇クレジットだ」といって今度はブーフの手の中の三〇〇クレジットを取った。

「ありがとう。これでその蒸留器は君たちのものだ」

ブーフは怪訝そうな顔をして、「これに何の意味がある? 手間が増えただけにしか思えないが」といった。

「いや、意味ならある。なぜなら今後、我々の物資は、一商品につき、一クレジットで売るからだ。そしてクレジットを持つものに対しては誰であっても取引を行うつもりだ」


そこまで聞いてブーフはなるほどと思った。オルドは貨幣であるが、結婚や特別なときにしか使えない。そのためイヌビトによっては、使い道のないオルドを退蔵していることも多かったのだ。そのため、それらが有効に活用されるというので、すぐにオルドとクレジットの交換に応じるイヌビトは少なくなかった。中には、クレジットのコイン自体が玉虫色に輝いていて所有欲をかき立てるので、見ていたら欲しくなったといってオルドと交換するものさえいた。


ブーフたちは蒸留器を数人で抱えてオサの家へ運んでいく。何人かは手に入れたクレジットで早速物資を購入して帰っていった。

「おい、とっつぁん坊や」

そう呼ぶのはマーザしかいない。見ればスーの手にはウサギのような動物が握られている。狩りに出ていたようだ。ブーフたちとクレジットのやり取りをしている間に彼女らが帰ってきていたのは知っていた。マーザはイヌビトが全員帰ったのを見計らって話しかけてきたらしい。

「今度はお店屋さんごっこ? それも調査官の仕事なの?」

「これは参与観察という調査手法で、調査の一環だよ」

「そうやってもっともなことを言って、あんたら連合はいつも縄張りの外で生きている人や社会を壊していくんだ」

「マーザ、やめなよ」とスーが止める。

「いや、いい。確かに、俺たち連合が関わることで、イヌビトの生活や環境は大きく変わるだろうし、やがてリゾート開発が始まれば、破壊と呼べるほどの変化にさらされるだろう。しかし、連合は必ずそこに援助して、より良いもの変えてきた。銀河連合経済協力機構は拡大と成長を至上命題としている。それに伴う痛みは、拡大のための成長痛なんだ」

「あまりに傲慢な考え方ね。連合の拡大とか成長だとかは、私には呪いか、がんの病巣にしか思えないわ。拡大や成長に伴って方舟なんてバケモノも作り出している。あげく、その処理を私たちに押しつけてきて、あんただって命を落とすかもしれないの、分かってるでしょう。あんたも連合の一員って顔してるけど、ただの捨て駒じゃないの?」

エリートとは言いつつも、サクロやルルアの代わりが掃いて捨てるほどいるのは分かっている。捨て駒といえば、その通りかもしれない。

「マーザ、過去に君に何があったのかは知らない。しかし、海賊として追われ、連合軍に従わされて、そのやり方の負の面を強く見てきただろうことは想像に難くない。自らの処遇やイヌビトの未来に対して、憤るのは分かる」

「当事者でもないのに何が分かる? 連合のやり方に従わなければ、投獄されて処刑もあり得る。従えば、誇りを失い、ただの傭兵に成り下がる。リゾート開発が始まれば、あのブーフってやつの生き方は否定されて、退役軍人や金持ちを相手に頭を下げながら働かされる毎日が待っている」

「昨日の会話を聞いていたのか」

「聞こえてきたのよ。サクロ、あんたはアレを聞いて何も思わなかったの? 連合の手先となって彼らを追い詰める尖兵としてどう聞いていた?」

「マーザ、勘違いするなよ。このマックスcはリゾート地として開発されることが既に決定している。連合に目を付けられた時点でイヌビトの命運は半分ほど決まっているんだ。それは誰にも逆らうことのできない自動的な大きな力で、イヌビトたちを根底から変えるだろう。最悪の結末は、イヌビトがそれに抗うことだ。抗えば必ず全滅する。しかし、今、オレが些細なことだけども、ここで努力して彼らをスムーズに連合に組み込むことができれば、誇りは失うかもしれないが、命は守れる。最悪の最悪を回避して、最悪の中でもよりましな最悪のオプションを選択することがオレの役目だと思っている。イヌビトの運命は、俺たちやその後の本調査隊の報告を受けたセクレタリ(星務官)が決定することだけど、努力すれば少しはその心証を操作することができるだろう。それとも君はそれを放棄して、一人で連合相手に戦うつもりか?」

サクロがそう言うと、マーザはもう何も言わなかったので、サクロもそれ以上は何も言わなかった。


そこに見知ったイヌビトがやって来た。

「コハが呼んでいる。すぐに来てくれ」


サクロはフェリスを連れて一人でオサの家へ歩いて向かう。

オサは激怒していた。


その理由はサクロにはよく分かっていた。各家に退蔵されたオルドは、所有者が死んだあと、オサの預かりとなり、再びイヌビトたちに分配される。また集落の外からの交易品は、いったんオサの家に集められて分配されるのが習わしだった。そのため退蔵されたオルドをクレジットなどという得体の知れないものと交換し、そのクレジットで交易品を個人売買するなどとはイヌビトの社会システムを崩壊させるものであり、言語道断であった。


「どういうつもりか。このホボイを滅ぼすつもりか」とコハはものすごい剣幕でサクロを詰問する。

「そのような意図はありません。我々には我々のやり方があり、それをここでも同じように広めたいだけなのです。コハが懸念しているように、私の手元にはたくさんのオルドがあります。しかし我々はこれ自体に興味ありません。それらをすべてコハにお返しし、今後もすべてのオルドをお渡しします。またクレジットと物資の交換は、オサの家の前の広場で行います。これなら今までと変わらないので納得してもらえると思えますが、いかがですか」


サクロにとって重要なことはオルドを稼ぐことでもイヌビトの社会を崩壊させることでもない。連合のクレジットを普及させ、みながクレジットを欲しがるようにし、ひいては銀河連合の統治下で賃金労働社会へとスムーズに移行させることが重要だった。それは最悪を回避するためにサクロができる精一杯の策だった。

「それでは、サクロ殿にまるで利益がない。それでよいのか?」

「はい。私なりの考えがあってのことです」


サクロの話はイヌビトにとって都合がよすぎる。誰がどう考えても裏があるのは明らかだった。しかし、イヌビトには人間にはない第六感のようなものがあり、コハはサクロの目に宿る固い決意や覚悟を感じとった。そして、事情はどうあれ、このサクロという人物は『男』だと理解した。初めて会ったときにはそのようなものは感じなかったけれども、この短い期間に何かあったのだろう。オサはサクロを信じることにした。

「サクロ殿、怒鳴って済まなかった。商いを許可しよう」


サクロは礼を述べて、オサの家を辞した。サクロが事前にオサに話を通さなかったのは、それでは門前払いされると思ったからだ。蒸留器を始めとした連合の物資を見せて、それがクレジットで交換できることを多くのイヌビトに知らしめ、オサが許可せざるを得ない状況に持って行く必要があった。サクロはひとまずそれに成功した。


それからはミロウンガ号の迎えが来るまで工廠衛星をフル稼働させて様々な物資をオサの家の倉庫に運び込んだ。そして、それらとクレジットを合わせた保管と運営をブーフたちに任せた。サクロには思いもしていなかったことだけれど、イヌビト社会で数はさして重要ではなく、彼らは一〇〇のような大きな数を数えることができなかったので、アバウトに運営されることになった。しかし、それは実にイヌビトらしく、それでいいとサクロは思ったので彼らのやりたいようにやらせることにした。


ミロウンガ号が港に停泊すると、初めてその威容を目撃したイヌビトは腰が抜けるくらい驚いていた。

ミロウンガ号は四人と装輪装甲戦闘車を回収して、しばらく休息を取った。久しぶりの熱いシャワーにサクロは生き返る思いだった。休息日が明けて、ホボイのイヌビトたちに別れを告げた。ブーフは、サクロがルルアとつがいになるための餞別だと言ってオルドを持ってきくれた。サクロはそれを笑って断り、代わりにオルドになる前の首飾りをもらった。

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